ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

仙人

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

S級仙人になるには

ニート(若年無業者)は2.4%くらいらしい。これを「40人のに1人」とか言われたら多い感じはするが、一時的にニートである場合も多く、特に大した数字ではないと思う。
まして、長期間のニートである者は、ごく僅かだろう。
また、「生活保護受給者が急増」なんて言い方をするから、どれだけ多いのかと思ったら、わずか1.6%らしい。
別に、ニートでも生活保護受給者でも悪くはないが、実際は、ほとんどの人が働いて生活している。

徳川家康が、「人生とは重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ」と言ったらしいが、この「重い荷」は、働くことである部分が大きいと思う。
イエスは「荷は私に預けよ」と言ったんだから、是非、仕事を代わりにやって欲しいと思うが、実際はそうでない方が良い。
いろいろ辛いことを味わうことが、覚醒の燃料になる。
どうも、そのように思う。
辛いとか苦しいとか感じた分だけ、覚醒が容易で、しかも、深く覚醒する。
どんな辛いことも、後で考えればそれほどでもないのだから、大いに味わえば良いと思うのだ。
それには、困難な仕事をするのが一番だ。
楽な仕事ばかりしたり、まして仕事をしなければ、覚醒のための燃料が溜まらないので、高度な覚醒をし難い。
仕事ではなく、ボランティアでも良いのだが、溜まる燃料は、仕事の方が圧倒的に大きい。

ニートだろうが、生活保護だろうが、生きていれば、いくらかは覚醒の燃料は溜まるので、後は、ネドじゅんさんの「エレベーター呼吸」でも、ここでよく取り上げる「ナ・ダーム呼吸」でも、その他の呼吸法でも良いが、熱心にやれば覚醒する。
しかし、燃料が多い方が、速く、そして、深く覚醒する。
深く覚醒するほど全知全能に近付く。
そして、ここが面白いが、燃料が少なくても、覚醒の行法(ここでは呼吸法を取り上げた)をやらないより千倍マシで、やれば、何らかの魔法めいた力が使えるのである。
さすがに、よほどの例外を除き、10代でということはないが、辛酸を舐め尽くしたような人なら、20代で深い覚醒を果たし相当な魔法使い(仙人のようなもの)になる場合もある。
こういったことが『俺だけレベルアップな件』に出て来るS級、A級、B級・・・のような違いになるが、仙人で言えば、天仙(S級)、地仙(A級~B級)、尸解仙(しかいせん。氷解仙とも。C級~E級)と言う。
釈迦、イエスは地仙で、A級、B級という説もある。
だが、C級~E級の尸解仙でも、普通の人に比べれば十分に凄く、十分に楽しい。
よって、怠らずに呼吸法に励むべきと思う。
S級は、虐待レベルの苦労でもない限りは無理と思う。
(水篠旬は、S級の燃料が十分だった)
だが、十分に苦しんだなら、A級、B級の可能性はあり、ここらを目指すと良いと思う。
しかし、C~E級でも十分楽しいところは、かつての水篠旬とは違う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ローム太霊講話集
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)ナ・ダーム ~あなたの中の不思議な力~
(4)瞑想と潜在能力(中山正和)
(5)俺だけレベルアップな件 ※Amazn Prime Video

咲く花
AIアート1569
「咲く花」
Kay

仙人の若返り術

人間の最大の願いは、精神の安定らしく、そうであれば、一番辛いのは、精神が不安定であることだ。
精神の安定を、自我(心)の安定だとすると、心理学者の岸田秀さんが本に書かれていたが、自我が安定している人間はいないらしい。
つまり、どれほど強く見える人間も、自我はグラグラと揺れ動いているということで、それはなるほどそうだと思う。
しかし、精神の安定は、自我の安定というよりは、自我の消失だ。
ヴァーノン・ハワードが本に書いていたように、グラつく自我を、グラつくままにしておけば、やがて抜け落ちる。虫歯のようなものだ(笑)。
だが、虫歯同様、抜け落ちるまでが苦しい。それに耐えられず、グラつくのを止めようとする者がほとんどだ。
止めようとする最悪の方法が、酒や麻薬、あるいは、薬品だろう。
その他にも、一般にストレス解消というものは大抵悪い。

自我を消し、精神を安定させる直接的な方法は、大きな喜びを感じることだろう。
その理由は、心からの願いが叶った時というのは、心が本来あるべき場所・・・つまり、魂の中に収まっていて、外にさ迷い出ないからだ。
心が魂の中に隠れていれば、心(自我)は消えたのと同じである。
一億円の宝くじに当たったとか、好きな人に告白したらOKをもらったとかいう時には、少々辛いことがあっても、どうでもよくなるのは、そんな原理だ。
だから、四の五の言わず、心からの願いを叶えれば良い。
そのためには、願いが価値あるものでなくてはならない。
多くの願いは、叶ってしまえば、さほどでもないものだ。

とはいえ、「私の本当の願いは何だろう?」と考えてはいけない。
考えても、ロクな願いは浮かばない。

それで、一番幸福なことは、死んで生きることらしい。
だから、大昔から、優れた秘密結社では、自分が死んだ後の世界を想像したり、自分を地中深く埋葬する想像をするのである。
イエスは、生きているうちも超人であったが、制約はあった。しかし、死んで復活した後は無限の存在だった。
仙人というのも、本物は、修行して仙人になるというよりは、死んで復活した人間らしい。だから、初級の仙人のことを死解仙と言う。
それで、具体的にどうやるかだが、氷を溶かした水を飲むことだ。
水は氷ると、特殊な結晶を作るが、溶けてもその結晶が分子レベルで維持されている(いずれは解体する)。
それを飲むと、身体に特別な作用を起こし、それが身体を健康にすると共に心を純化させる。
動物の中には、雪解けの水を好んで飲むものがあるが、本能的にそんなことが分かるのだろう。
氷水は、若返りにも効果が高い。
人間でも、氷水を好む者は、本当は仙人である可能性が高い。
一説では、金星人が地球換算で百歳以上でも、二十歳前の少女に見えるのは、そんな原理であるらしい。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆

(1)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(2)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待(マイケル・タルボット)
(3)おもしろい生理学(ボリス・フェドロヴィチ・セルゲーエフ)
(4)トーチェ氏の心の法則(トーチェ夫妻)
(5)ユフラテの樹(手塚治虫)
(6)ローム太霊講話集
(7)心はなぜ苦しむのか(岸田秀)
(8)なぜあなたは我慢するのか(ヴァーノン・ハワード)

古い館と新しい少女
AIアート1220
「古い館と新しい少女」
Kay

仙人になれる呪文

昔読んだ『七仙人の物語』という本は、著者が神霊界で、いろいろな仙人に会った体験を書いたもので、実話かどうかは分からないが、良い本でとても面白かった。
この本に登場する、神秘の力を持つ仙人達が、口元で常に呪文を唱えていたことが印象的でよく憶えている。
つまり、とても小さな声でいつも呪文を唱えていたということだろう。
そして、それこそが仙人の証のようなものであると共に、仙人になる方法なのだろうと思った。
それで、それがどんな呪文なのか知りたかったが、残念ながらそれは書かれていなかった。
ただ、著者の村田正雄氏は、有名な宗教家の五井昌久氏の弟子なので、仙人と対峙した時、仙人が呪文を唱えるのに対抗(?)し、世界平和の祈りを唱えた。

そして、今は、その呪文は何でも良いのだと確信するようになった。
私は、長い間、仙人や導師、あるいは、菩薩のような人達について調べたが、おそらく全員が何らかの呪文を唱えていた。
それは、仏や菩薩の真言であったり、神道に伝統的に伝わる神呪であったりした。
日本の山伏のような修験者の場合は、般若心経である場合が多かった。
有名な呪術者である役小角(えんのおづぬ)は不動明王の呪文などを唱えていたという記録がある。
そして、最近よく書いているように、呪文の言葉に霊験があるのではなく、それを淡々とリズミカルに繰り返すことで、それが深呼吸になるのであり、結局、一番肝心なことは、深呼吸を長時間行うことである。
でなければ、仙人、導師らが、異なる呪文を唱える合理性がない。
呪文自体は何でもよく、あえて言えば、本人が気に入っていれば良いのである。

誰でも、同じように呪文を唱え続ければ仙人(のようなもの)になれるだろう。
ただ、唱え方に注意が必要である。
呪文は、唱える回数が重要で、1日に数千、数万と唱えることが望ましい。
それなら、一息で、息が続く限り、繰り返し唱えなければならない。
1回唱えるごとに息を吸うようでは数を稼げない。
数が全てである。
ただし、声の大きさは小さくて良く、神道家の山蔭基央氏のように、神呪である「アジマリカン」を唱える際、隣の人にも気づかれぬような小さな声で唱えよと本に書いていた。また、念仏に関しても、同じように教えている僧もいる。
そのように小さな(微かなと言うべきかもしれない)声で唱えた方が良い深呼吸になるのである。
とはいえ、吸う時は、一気に吸わないといけない。
大きく力強く息を吸うと人間は気持ちよく感じる。
そのように気持ちよく感じることは、何をやっても良いのである。これは、医師で整体師として名高い橋本敬三氏の教えで、私も座右の銘としている。

青いバラ
AIアート489
「青いバラ」
Kay


呪文、真言、あるいは、念仏によって行う深呼吸は続き易いメリットがある。
何かの呪文、真言などを気に入り、それを使うことをお勧めする。
仙人というのでなくても、不思議な力(引き寄せ等)を持った者として地上を闊歩すれば良いと思う。

◆当記事関連書籍のご案内(Amazonの該当ページが開きます)◆
(1)七仙人の物語
(2)神道の神秘
(3)神通力の秘密
(4)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字

仙人とは何か、どうすればなれるか

国の体をなすようになると、どこの国でも、警察に相当する保安部隊が存在する。
日本の江戸時代では、奉行所が警察で、そこに所属する役人である同心がいて、その配下に岡っ引きとか目明しといった連中がいたことをご存じかもしれないが、当然、もっと昔から、何らかの警察機構はあったはずだ。
アメリカでは西部劇などでは、警察官そのものと言える保安官がよく登場する。

昔、ある国で、やはり警察のような保安部隊があった。
保安部隊の兵士達は、戦闘の腕を磨き合い、特に優れた兵士は悪党退治の手柄を多く立て、称賛されて良い地位を得ていた。
ところが、ある保安部隊に、もうかなり歳で、腕力や体力も衰えているのに、凄腕の保安兵がいて、若くて強力な保安兵の手に負えないような悪党や盗賊を討ち果たすこともあった。
いわゆる達人である。
ところが、その達人が、彼ですら、全く敵わない者がいると言う。
その超人的な者は、もう老人で、悪党退治に行くわけでもなく、保安部隊の別室で仕事もせず、ゴロゴロしている。
ところが、その者が配置された場所では、何もしないのに犯罪数が激減してしまうのである。
このような話は、実はどこの国でも、あまり知られていないながら言い伝えられているものである。
つまり、どこの国でも、そんな仙人的な保安兵がいたのだ。
それを、ネズミを捕る猫の話に変えたのが『猫の妙術』という書である。
あるいは、『列子』の中の話を基にした、中島敦の『名人伝』の名人が、そんな仙人のような存在である。
『荘子』にも、非常に凄い存在がいろいろ登場する。

白の肖像
AIアート206
「白の肖像」
Kay


では、どうすれば、そんな達人や、達人すら超える仙人になれるのだろう?
それは、『猫の妙術』でも『名人伝』でも、はっきりとは書いていないように見える。
だが、実はこうである。
達人は、普通の者の数分の一の回数しか呼吸しておらず、仙人は数十分の一以下の数しか呼吸していない。
仙人にもレベルがあり、上級になれば、それよりはるかに少ない。
よって、まずは、起きてる間中、ゆっくりした呼吸の練習に励み、1分間に2~3回の呼吸で平気でいられるようになると良い。
そのあたりが引き寄せ自在なレベルである。
それ以降は、自分が望むレベルを目指すことが出来る。
もちろん、これは、保安兵のようなこと以外の、いかなる道でも同じである。
ただ、今の時代、このようなことは危険も伴うので、あくまで自己責任でやらないといけないと言う必要があるらしいので、そう言っておく。








大師、仙人になる方法

逆境にあれば、順境にしなければならない。
不快であれば、快適にしなければならない。

つまり、不満を満足に変えるのである。
そのためには、不満をバネにしてエネルギーを得、満足にすべく手を尽くすのである。
その方法は、現実に行動したり、引き寄せメソッドを行うかである。
これを「方法1」とする。

だが、もっと優れた方法がある。
現在の悪い状況は、過去の自分の間違いのためだと謙虚に認めるのである。
どんな間違いだったかは分からなくても良い(本当は知っているのだが)。
とにかく、自分が間違っていたとだけ認める。
これを「方法2」とする。

さらに良いのは、この状況や、この状況に至るまでのことは、起こるべくして起こった必然と思うことだ。
これを「方法3」とする。

そして、最も優れているのは、この状況、この状況に至るまでのことは、全て自分の意思であるとすることだ。
これを「方法4」とする。

未熟なうちは「方法1」しか出来ない。
社会で鍛えられると「方法2」が出来るようになる。
経験が豊富になり、知恵がつくと「方法3」が分かるようになる。
だが、「方法4」が出来るのは特別な人で、大きな苦しみに遭った者だけだ。

だが、誰でも「方法3」や「方法4」が出来る魔法の言葉がある。
「なるほど」と言うだけで「方法3」が自動で行われる。
「完璧だ」と言うだけで「方法4」が自動で行われる。

ちなみに、「お金がある」「今、今、今・・・」「生きている」などのアファーメーションは、「方法1」の段階から「方法3」まで使える。
「方法4」がなぜ普通の人に出来ないかというと、神の意思が1つではなく、無限であるからだ。これは、普通の人間には分からない。
だが、「完璧だ」と言えば、それが出来てしまうのである。
とはいえ、考えるのではなく、このことについて瞑想すべきである。
意識をおいたまま、放っておくのだ。
木の実を取ろうとせず、落ちて来るのを待つように。
それをやった者が大師や仙人になったのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード