全てのホテルがそうであるのかは知らないが、ホテルに宿泊すると、大抵、『新約聖書』と『仏教聖典』が部屋に置かれている。
昔、私は、親友が交通事故で亡くなった日、会社からの帰宅時に、JRが不通になり、帰れなくなった。
そこで、ホテルに泊まったのだが、やることもないので、部屋の机の中にあった『仏教聖典』をパラパラと見ていた。
「はげみ」の第1章の第3節「仏のたとえ」の「三」に、忘れられないことになったオウムの話があった。
このお話は『雑宝蔵経』の中にあるらしい。
非常に短い、こんな話だ。
竹やぶが火事になった時、一羽のオウムが、長年棲家を与えてくれた竹やぶへの恩と、他の動物たちのことを想う自愛の心で、なんとしても火を消そうと決心する。
そこで、オウムは、池に飛び込み、身体を濡らすと、燃え盛る火の上で羽ばたき、水のしぶきを降り注いだ。
それを見て神が言う。
「お前の行いはけなげではあるが、その程度の水で何になるのか?」
だが、オウムの決意は固く、「次の生に及んでもやりとおす」と言う。
感動した神は、オウムと協力して火を消した。

来世に及んでもやるとオウムが言ったことを私は思い出したのだ。
来世でも継続するということは、今生の記憶を持ったまま転生しなくてはならない。
しかし、それが出来た者は、ほぼいない。
だが、『エイリアンインタビュー』を読むと、我々が生まれ変わるごとに記憶が消えるのは、悪の宇宙人が設置した装置の影響であり、本来は、転生で記憶が失われたりはしない。
そのような理由で、地球では、転生の度に記憶がリセットされるので、天才科学者とはいえ、生まれ変わったら、1から学び直さなければならず、そのため、人類の進歩は鈍い。
けれども、自覚的ではない場合が多いが、前世の記憶の一部を持って転生する者がいる。
そうでなければ、モーツァルトのように、習いもしないのに、幼い時からピアノを弾きこなし、名曲を作曲出来ることの説明が出来ない。
また、画期的な大発明をする者は、古代超科学文明の時代のテクノロジーの記憶を持って転生した、あるいは、何かのきっかけで記憶を蘇らせたのだと考えることが出来る。
政木和三さんも、小学生の時、習ったことのないピアノが不意に弾けるようになり、しかも凄い腕前で、自分で作曲した曲をピアノ演奏したCDも出していた(カップリングは、中国の天才音楽家ウー・ルーチンの演奏と歌唱)。
そして、政木さんは、自分の発明の多くが、超古代文明の時代、自分が発明したものを再発明したものだと言われていた。

『エイリアンインタビュー』によれば、釈迦や老子は、悪の宇宙人の装置の影響を脱することに成功し、そのための方法を説いたという。
ただし、釈迦の教えは形骸化し、老子の教えも、原本がいろいろあったり、解釈が難しかったりで、いずれも、現代では分かり難い状況である。
とはいえ、書籍などに、いくらかの貴重な教えを見ることが出来るし、釈迦や老子の教えに触れて、自分もまた過去生の記憶を蘇らせ、悪の宇宙人の装置の影響を脱した者もいるのではないかと思う。
例えば、老子に関して言えば荘子がそうであるし、釈迦の教えに関しては、空海や道元などがそうであると思う。

また、上のオウムのたとえ話のように、何かを来世でも継続してやり続ける決意を持つことも、記憶を保って転生するために、あるいは、過去生での記憶を蘇らせるのに有意義であるかもしれず、それが釈迦の重要な教えであるのかもしれない。