ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

人生を変える魔法の物語

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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全ては態度次第

私には、いかなる時も、揺るぎない自信を取り戻させてくれる魔法の呪文がある。
それは、「テーブル2(ツー)」だ。
数年に一度は書いているが、こんな話だ。
アメリカでの話だ。
ある日本人が、高級クラブで公演される、ある一流のショーを見たいとアメリカ人の友人に言った。
すると、そのアメリカ人は、「じゃあ行こう」と言う。
そのアメリカ人は、超一流の人物だが、いきなり行けるようなショーではない。
しかし、その日本人は、何かを感じ、そのアメリカ人に従った。
クラブの建物に着くと、アメリカ人の彼は、守衛に愛想よく笑って挨拶し、勝手に入ってしまった。
劇場に入ると、総支配人に悠然と近付き、「テーブル2」と言う。「2人分のテーブルを用意しろ」という意味だ。
総支配人は、躊躇せず、マネージャーを呼んで、「テーブル2」と言い、マネージャーはスタッフに命じて、迅速に、この2人のためのテーブルが用意され、2人はカクテルを飲みながら、ゆったりと素晴らしいショーを堪能した。

多少は、古き良き時代のアメリカであったという理由もあるが、その日本人の実際の経験談である。
若い頃に、この話を読んだ私はシビれ、人間はこうでなければならないと思った。
しかし、そんなことが、本当に出来るのか?
『マスターの教え』という本に、似た場面がある。
あるビジネスマン(失敗して駄目になった状態だったが)が、マスターと呼ばれる人物と(多分、高級な)カフェに行った時のことだ。
カフェのスタッフは皆、マスターに対して特別にうやうやしく接し、2人は楽しく話をして、店を出る時、マスターは伝票にイニシャルだけをサインした。
当然、マスターの馴染みの店かと思って尋ねたら、マスターは、初めて来る店だと言う。
そして、マスターは、「態度が状況を決める」と言う。
上の、「テーブル2」のアメリカ人も同じなのだ。

しかし、一流の人物ならともかく、我々にそんなことが出来るのか?
それに関しては、我々以下の人間の話がある。
それは、『マジック・ストーリー』(『人生を変える魔法の物語』と題された、一流の翻訳者の手による翻訳書もある)にある。
粗末な身なりの、誰もが知っている一文無しでロクデナシの画家が喫茶店に来て、知り合いのビジネスマンがいた席に着いた。
画家は、金は持っていないが、自分がおごると言う。
そして、ビジネスマンから小切手を借りると、ボーイを呼び、堂々たる仕草で小切手にサインをして渡し、下がらせた。
何の問題もなかった。
ビジネスマンは画家に、そんな魔法をどうやって身に付けたのかを尋ねるが、このお話はうまく作られている。
と言うのは、この画家のお話そのものが、我々に魔法を授けてくれるからだ。

態度が状況を決める。
態度は事実より重要である。
そのことを理解しさえすれば良いのである。
世界は心が作る幻影に過ぎないからだ。
私が付き合っていたIT企業の社長も、似た手を使っていた。
客に、「こんなシステムを作ったことがありますか?」と聞かれたら、「イエス」と答えることにしていたらしい。悠然とね。
それで、彼はうまくいっていたが、何かのきっかけで自信を失くし、うまくいかなくなってしまった。
幻影である外の世界が、自分より力があるという思い違いをしてしまったのだと思う。
私とも喧嘩別れしてしまったが、私が用意してあげたコネは使い続けていたらしい。
コネなんて、態度次第で、いくらでも作れるのにね。

尚、「テーブル2」の話は、夏目志郎氏の本に載っていたが、古い本で手元になく、書名は分からない。








要求は命令であってこそ叶う

最近の私の最も大きな気付きは、「祈りとは命令であり、要求である」ということだ。
「要求」に関しては、普通に行われているように思う。
例えば、「受験に合格しますように」といったものだ。
しかし、この言い方でが決意が足りない。
命令形で、「受験に合格させたまえ」といったものが良いのだと思う。
この言い方は、クラス委員長が、教室が騒がしい時に、「静かにしたまえ」という時の、いわゆる「偉そう」な言い方だが、それで良いのだ。
祈りとは、権威を持ってするものなのである。

キリスト教の「主の祈り」でも、英語では、
Give us this day our daily bread.
と言うが、これは普通は、「日々の糧を与えたまえ」と訳すが、これは、明らかに命令形なのである。
神道でも、「祓え給い、清め給え」と、やはり命令形で言うものだ。
『マジック・ストーリー(人生を変える魔法の物語)』に、こんな印象深いことが書かれている。
「彼はお願いしない。要求するだけだ」
「彼の要求は絶対だ」
ここでの「彼」とは、「プラスの自分」であるが、まあ、「前向きな自分」と言っても良いと思う。
そして、絶対の要求とは、やはり、命令なのである。

ジョセフ・マーフィーの本にも、万能の潜在意識に対し、要求を述べた後、「私は命じる」と明言する箇所がよくある。
良いことであるなら、弱腰で恐る恐る要求する・・・つまり、「お願い」するのではなく、強い要求、即ち、命令すべきなのである。
ベルベル・モーアの『その望みは宇宙が叶えてくれる』には、例えば、著者のモーアが彼氏が欲しい時には、宇宙に向かって、望みの条件を上げ(菜食主義、太極拳が出来る等)、「そんな彼氏ちょうだい」と言うのだが、これも本来は、「これこれの条件に合う彼氏を与えよ」という命令なのであり(この本では「注文」と言っているが)、どうも日本人がやると、やはり、どこか及び腰になって、うまくいかないのではないかと思う。
尚、モーアは、最終的に、彼氏に関し、「私にぴったりの彼氏ちょうだい」と注文したが、これが最も良い注文の仕方であったと言う。
宇宙、あるいは天、あるいは神様は我々よりずっと賢いのであるから、細かい部分は、まかせてしまうのが一番である。
良い仕事が欲しいなら、「良い仕事を与えたたまえ」で良いのだが、「良い仕事あれ」「良い仕事来たれ」と、権威者らしく言った方が良いと思う。
これが叶う「祈り」なのである。
無論、傲慢になってはいけないが、権威者でもなければならないのである。
敬いつつ、堂々、宇宙に要求する・・・つまり、命令するくらいの気合いがなければ、願いは叶わないかもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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