ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

人格

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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最低人間が救われる道

私は高校生の時、ゲーテが彼のどれかの詩で、「どんな立場の人間も、所詮は人格が一番大事だ」といった意味のことを書いているのを見て、完全に同意した鮮烈な思い出がある。
良い人生になるかどうかは所詮人格で決まる。
高い人格とは、人間性が磨かれて出来るもので、人間性を磨くには、少々、厳しい面もある。
ただし、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うように、確かに、苦労は人間性を磨き、人格を高めることが多いが、必ずしも、苦労が人格を高めるわけではない。

ところで、アニメや漫画では、中学生や高校生の男女が素晴らしい恋愛をする話が多い・・・いや、ほぼ全てがそうだと言えるだろう。
だが、素晴らしい恋愛には、ある程度の人格が必要なのである。
そして、アニメの主要な登場人物達は、欠点はあるにしても、よく考えたら、あの若さで信じられない人格を持っていることに、私は啞然とするのである。
(『カードキャプターさくら』の小学4年生のヒロイン、木之元桜は中身は50代以上と思っている)
素晴らしい容姿を持っている者は、恋愛がし易いかもしれないが、それが素晴らしい恋愛になるには、必ず、それなりの人格が必要なのである。
確かに、恋愛が人格を磨くという面もあるが、最初から、ある程度の人格がなければ、そもそもが、まともな恋愛にはならない。
中学生や高校生で、彼氏彼女がいて、それなりに幸福にやっている者というのは、人間的に大したやつらなのであることは疑いない。

ところが、20代はおろか、30代やそれ以上でも(老齢でも)、良い恋愛に足る人格を持っていない者が多い。
現在、未婚が多いことに対し、肯定的な解釈がされることも多くなったが、実際は、単に、恋愛に必要な人間性、即ち、人格がないだけなのだ。
その証拠に、未婚が高いに関わらず、離婚が多い。
人間性の低い者同士(片方の人間性だけが低い場合もあるかもしれないが)結婚しても、うまくいくはずがなく、離婚にいたるのは当然で、離婚しない場合には家庭が崩壊する。
家庭崩壊の原因も、単に、夫婦の人格の問題である。

人格は道徳に表れ、道徳は普通、伝統やしきたりの中で教えられるが、伝統やしきたりを効率的に教えられるのは宗教だ。
新渡戸稲造が『武士道』を書いたきっかけは、キリスト教徒の婦人が新渡戸に、「日本では宗教を教えずに、どうやって道徳を教えるのか?」と非難混じりに問うたからで、新渡戸は、日本には武士道ありと言いたかったのだろうが、はっきり言って無茶苦茶である。
武士道にも良い面、あるいは、非常に優れた面もあるだろう。
しかし、早い話が難し過ぎるし、それ以前に、曖昧過ぎる。これで道徳を教えるなど、スポーツ教育を竹馬競争に限定するようなものだ。
新渡戸稲造に、日本人が宗教教育をしないことを批判した婦人は、宗教が道徳教育になると考えているのだろうが、必ずしもそうではないだろう。
とはいえ、敬虔なキリスト教徒の家庭であれば、かなりの割合で、子供は必要な人格を備えることになるのではないかと思う。
少なくとも4割、ひょっとしたら、6~7割以上かもしれない(あくまで「敬虔な」キリスト教徒の家庭)。
今日、キリスト教圏の人々の人格が貧しく、離婚が多いのは、宗教が廃れたからという面もあると思う。
こう言うと、極端論者が「宗教を教えれば人格が良い人ばかりになるのですか?」などと馬鹿を言うかもしれないが、極端論もまた、人格の低さの現れなのである。

なぜ、人格の話を長々としたのかというと、人格が人生を決めることが確実だからだし、それはもう、周囲を見ても、世界を見てもだが、何より、自分を見れば痛いほど分かる(笑)。
人生がロクでもなかった原因は、人格が低いこと以外の何物でもなかったことは、純粋にして明白である。
そして、私のように人格が低ければ、所詮、何をやっても駄目で、人生は苦労続き、困難続き、落胆続き、不条理続きで、生命力を失い、やがて、地面に這いつくばるしかない。
キリスト教・・・というより、信仰者は少ないが、本来のユダヤ教は、人間性を磨くのに優れたものだったし、キリスト教も、まずまずなのであると思う。
日本では、ユダヤ教にとても良く似た神道(神道はユダヤ教が元になっているという説もある)が、やはり、人格を育てる良いものだった。
イスラム教も、本当のものはそうかもしれない。
一方で、仏教というのは、人格を得損なった哀れな人間の救済のためにあるのだと思える。
いや、正しくは、仏教も2通りあり、子供に人格を与えるというところも確かにあるが、今日の主流は欠陥人間救済である。
それで、本来は、浄土仏教(浄土宗、浄土真宗)の定番であった、念仏や、念仏的な真言が多くなってきたのである。
念仏、真言は、欠陥人間・・・そのままでは、人生の敗残者になる哀れな駄目人間を救うのである。
逆に言えば、念仏、真言、あるいは、それに類したものでしか、堕落した駄目人間を救えない。
念仏、真言に類したものとは、例えば、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行)や、聖句のようなアファーメーションである。
私がいつも述べているのは、欠陥人間救済法であり、人格が優れた人間・・・中学生や高校生の時に良い恋愛が出来た者には笑えるものだろう。
とはいえ、かつては人格高かった人間も、こちら側に来る場合が多く、きっとお役に立てるだろう。








変な人、ズレた人の成功法

私は、中学、高校と、ずっと、ゲーテの詩集を持ち歩いていたが(キモいやつだw)、その中で、何を一番覚えているかというと、「最後は所詮、人格だ」といったことが書かれていたことだ。
多分、私は、それに同意していたのだろう。
では、人格とは何なのか?
人格に、松竹梅のランクがあるとして(笑)、松は想像もつかないし、竹は立派過ぎるとしても、普通の人は梅でなければならないのだろう。
では、梅(必要不可欠)の人格とは何だろう?
それを持っていなければ、成功どころか、社会生活に支障をきたしかねない。
おそらく、必要最低限の人格とは、
「誰とでも仲良くやっていけること」
だと思い至った。
つまり、相手が少々、おかしなヤツであっても、嫌わないことだ。
だが、こんなのは、当たり前のことである。
ところが、私は、それが全く駄目だったのである。
小さい子供がいる人は、成績とかお稽古事も、もちろん大事だが、何よりも、誰とでも仲良くやっていける子・・・嫌いだと思う相手とも折り合いの付けられる程度には賢い子になるよう、気をつけてあげて欲しいと思う。

最近は、コロナのために、あまり見ることが出来ないかもしれないが、もし、幼稚園や小学校のグラウンドに大勢の子供達がいて、彼らが自由に振る舞う様子を見ることが出来たら、必ず、1人でぽつんとしている子が居ると思う。
今も昔も変わらず、20~30人に1人といったところで、もっと多い場合もあるかもしれない。
1人でぽつんとして、動かない。どこか異様と思う。
そんな子の将来は、憂うべきものだ。
アニメであれば、そんな子が女の子だと、都合良くエラい美少女で(笑)、ドラマが展開されていい感じになるが、実際はそうはならない。
それならまだ、嫌われつつ、他の子に向かっていく子の方がずっとマシだ。

何度も取り上げたが、著名な教育学者の七田眞氏の本『奇跡の超「右脳」開運法』という本の中に、あるホームレスの男の話がある。
その男が、やはり七田氏の本で知ったのだが、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら、しばらく(2週間程度か)したら、頭の中に数字が浮かび、その数字の通りに宝くじ(ロト6)を買ったら、一億円が当たった。
その後、再度やったら、また一億円当たった。
この話は、絶対に事実であるらしい。
しかし、思うのだ。
このホームレスの男は、人格に問題があるのでホームレスだったのだ。
そしてねえ、そんなやり方を教える七田氏も、失礼ながら、どこか人格に問題があるのだと推測するのである。
多少でも、他人と仲良くやっていける者はホームレスにならないし、人格的欠陥がなければ、もっとまともなやり方を教えるものだ。
実際、七田氏は、誰からも称賛されるというよりは、かなり胡散臭く思われているし、私は七田氏と関りのあった人を知っているが、たまたまかもしれないが、優れたところもある反面、問題の多い人だった。
だが、七田氏は、自分と同じような、欠陥の大きな人に、救いの手を差し伸べることが出来たのだから、やはり立派な人である。
そんな訳で、人間的な欠点が大きい者は、少々、無茶で変な方法を使う必要があるかもしれない。
だが、それは蛇の道である。
「神様の奇跡が起こる」と唱えるなら、本当に1日中唱えないといけない。
引き寄せの本を読むなら、暗記するまで読み込まないといけない。
まともな人間なら、そもそも、そんなことをする必要はない。
しかし、まともでない人間が増えている。
一生、そんなことをやって駄目かもしれないが、それで元々と思わなくてはならない。
幸運を祈る。
お元気で・・・って、変な人は、自分に言わなければならない。
でないと、生きていられないので。








自己中は頭が悪いだけ

非人格者とは、傲慢で利己的な人間・・・つまり、自分さえ良ければ良いという人間だろう。
そんな人間がいるのは、まあ良いのだけれど(笑)、それを行動で堂々と、積極的にやってしまう人間には疑問を持たざるをえない。
私は、ひょっとしたら、全ての人間は非人格者なのではと思ってる。
高潔に見える人間の立派な行為というものが、自然な、その人間の本性のままのものであるとは、私には信じられないのである。
まあ、言いたくはないが、私が完全な非人格者だからである。
人間は、自分とは全く異なる人間については想像出来ないものなのだ。
『スーパーマン2』で、スーパーマンと同じ力を持つ、ゾット将軍らクリプトンの3人の悪人達が、スーパーマンが地球の人間を大切に扱うのを見て、こんなことを言い合っていた。
「スーパーマンはなぜか地球人を大事にしているようだ」
「ペットを可愛がるようなものか?」
「多分そうだ」
つまり、ゾット達には、スーパーマンの心など想像も出来ないのである。
同じく、もし、本当に人格者というものがいたとしても、私には、そんな人間は理解出来ないだろう。

だが、私はとても礼儀正しい。
それは、人間性が高いからではなく、その方が得・・・と言っても良いが、私の狙いとしては、圧倒的に楽だからである。
だから、自己中心的なことをためらいもなく、むしろ、それが自分のアイデンティティーであると言わんばかりにやる者を見ると、なんでわざわざ、自分が苦しくなることをするのかなあと、ずっと疑問に思っていた。
だが、結論は完全に分かる。そんな人間は、単に、おそろしく頭が悪いのだ。
私も、あまり賢い方ではないので、高潔さの発揮レベルはとても低いが(笑)、それでも、あまり苦しまずに済む程度には「見かけ人格者」で、稀には「素晴らしい人」と(誤解して)言ってもらえることもある。もちろん、そんな時には、それを否定する程度の謙虚さ・・・じゃなく、賢さはある。

利己的な行為や言葉が自分を利するのは、大抵はその一瞬だけで、むしろ、それで下手に長く利益を得るほど、後で何倍も何十倍も奪われる。
『めぞん一刻』という高橋留美子さんの漫画で、大学生の五代君が教員免許取得のために高校に教員実習に行った時、1年生の大変な美少女の女子高生に気に入られ、ひと気のない体育館でセミヌードで迫られるという漫画的展開(笑)になった時、五代君は何と自制する(信じられないぞ)。
実は、その様子は、五代君が憧れる響子さんと、響子さんの恩師の先生に見られていたと後で分かり、五代君は「自制して良かった」と強く思う。
では、そんな素晴らしい女子高生に手を出さなかった五代君は立派な人なのかというと、まさかそんなことはなく、ただ、「それほど馬鹿でなかった」だけである。
手を出していたら、人生が終わりかねないくらい拙いことになる可能性もあるからだ。
昨今の現役教師には、五代君のようなアクシデントではなく、積極的に自分の女子生徒・・・それも小学生にまでちょっかいを出す者なんて、もはやありふれていると思えるほどであるが、別に、教師の人格が下がっているのではなく、教師の頭のレベルが極端に下がっているだけである。
そんなこと、言うまでもなく当たり前と解ると思う。
バレたら終りってことすら理解出来ない薄弱な頭脳しか持っておらず、バレる可能性は宝くじの100円当選どころではないことも分からない超馬鹿なのである。
たとえバレなかったところで、ロクなことにはならないのは、馬鹿でない限り子供でも分かりそうなものであるが、それが分からないほどの「馬鹿な子供以下の」馬鹿が教師をやっているのである。
試験問題を解くしか出来ずに教師になったのだから、頭が悪くて当たり前だろう。
アメリカでは、アンスクールと言って、学校なしの教育・・・というか、大人が子供を教育しないことが注目され、間違いなく、いずれはそれが主流になるだろう。
みんなでやれば恐くない。
もう学校とは、さっさとおさらばすることである。
岡本太郎が、授業中、手で耳を固く塞ぎ、「私の神聖な頭脳に、馬鹿な教師の言葉が入るのを許してはならない」と思ったのは、実は、自然なことだったのである。ましてや、今は当時よりも教師は馬鹿になっているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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