ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

人工知能

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

いかなるAIもキリストやブッダに敵わない理由

主人が召使いに、入浴の準備を命ずると、良い召使いは、主人の湯加減の好みや外気の温度、時刻、主人の様子、その他の情報を総合し、主人が「良い湯加減」と思う風呂を準備する。
昔のAI(人工知能)の概念では、「いい湯加減で風呂を用意しろ」とAIに言うと、AIは「いい湯加減では分かりません。水温を措定して下さい」と言うようなシロモノだった。
しかし、現在のAIは、根本的には人間と同じことをやる。人間の脳の働きを真似しているからだ。
そして、AIも最初のうちは失敗し、主人が不満を言う湯加減にするところも人間の召使いと同じだ。
だが、AIは様々な情報(主人の好み、時刻、外気の温度、主人の体温や体調、主人の飲食の状況、主人の身体活動の状況、その他)と水温の組み合わせに対する主人の満足度の学習を重ねることで、主人が満足する湯加減で風呂を沸かす確率を高めていく。
まあ、これも人間の召使いがやっていることと同じかもしれないが、AIの性能が進化すれば、そういったことを、人間よりはるかに高度に出来るようになる。
だから、人間の仕事が、どんどんAIに取って代わられるのである。

ところが、キリストやブッダが召使いで、風呂を沸かす場合はどうだろう?
キリストは、風呂を沸かすことを命じられると、「分かりました」と言って、何も見ず、何も考えずに風呂を沸かすが、その湯加減の素晴らしさは、いかなる高度なAIも足元にも及ばない。
そして、キリストは、それほどの能力があるのだから、その気になれば、何をやっても抜群の成果を上げる。
では、キリストは、どのように物事を行うのだろう。
キリストは神と言うかもしれないが、つまるところ、潜在意識に全てまかせ、自分は何もしないのである(何かをやっているように見えるかもしれないが)。
そして、それは我々にも可能だ。
なぜなら、我々は誰でも潜在意識を使うことが出来るのだからだ。
潜在意識は、この先現れる、いかなるAIも比較にならないほど優れている。喩えれば、龍とカマキリ以上の差がある。
で、どうすれば潜在意識を使えるかだが、キリストやブッダのようにやれば良い。
そのために、我々は、聖書の福音書や仏典を読むのだ。
ヒントを言っておけば、キリストやブッダはちっぽけな自我で考えたりはしないのである。
つまり、思考を消し、一切の想念を持たない。
これについては、インドの聖者ラマナ・マハルシも、こう言っている。
「ある高度なビジネスマンは大事業を成し遂げつつある。しかし、彼は何もしていない」
「財務長官は、最大の責任感と注意を持って仕事を行う。しかし、彼は何もしていないのだ」
我々も、思考を消すこと、想念を消すことを学び、実践すれば良いのである。
適した方法は人によって違うこともあり、ここでは、毎日、様々な方法を手を変え品を変え語っているのである。








AIに勝つ方法(2020年の最重要課題)

AI(人工知能)の時代には、人間は創造力がより重要になる。
人間の創造性はアイデアに現れるが、よく企業などで「アイデアを出せ」なんて命じるが、強制され、難しい顔をして「アイデアを出そう」としても、創造性が発揮されるはずがない。
アイデアは、何も考えずぼーっとしている時に、不意に「降ってくる」ようなもので、理屈で考えている間はアイデアは出ない。
ロジカルシンキング(論理思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)は必要としても、それらに凝り固まった頭にアイデアは降ってこない。

AI(人工知能)という言い方は、本当は改めた方が良いのだが、一般化した言葉を変えることは、なかなか出来ることではない。
だから、当面は、あなた1人が、正しい言い方をすれば、あなたは創造性を発揮し、世間を超越し、影響力を発揮出来るようになる。
今後は、EI(拡張知能)と呼ぶのが正しいが、これの難しい理屈は学者先生がうんたらかんたら言ってるから、一般の人々は当分混乱し、あなたが先行する期間は長くなり、あなたは安泰だ。
EIの代表は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』に登場する美少女アンドロイド、レイシアだ。
レイシアは常々、「私は道具です」「私を何に使いますか?」とアラト(主人公。17歳男子)に問う。
旧AI、即ち、EIは、我々にそう問うのである。
アラトは、レイシアをうまく使えない自分を責めるが、最初はそんなものである。
つまり、EIは人間を手助けし、人間の能力を拡張するものであり、別に、人間のライバルになって、人間の仕事を奪うものではない。
人間がやりたくないことを代わりにやってくれて、人間は得意なことをやればよくなる。
自動車の運転は初めは楽しいが、やがて飽きてくる。
最初は創造的だが、やがて機械的になるからだ。なら、機械にやらせれば良い。
ただ、いつまでも、ハンドルを握るのが好きだと言う人は、運転という行為に、何らかの創造を行っているのである。
だが、見栄や優越感で高級車に乗って楽しいというのでは、あまり創造性はない。そして、やはり、単なる移動手段であれば、EIに任せておけば良い。
そもそも、AI(人工知能)という言葉は間違いで、機械が思考したりはしない。
機械は、沢山の関連したデータを学習して、データの中に何らかのルールを発見し、そのルールを使って、新たなことに対処するだけだ。
簡単に言えば、例えば、雨が降ってくれば、人々はいろんな反応をするが、その反応を学習すれば、雨が降ってきた時、その降り具合や道の状況等から、「傘を差す」「車に乗る」「喫茶店に入る」「走る」「何もしない」等のどれを選ぶべきかを推測するのである。
雨が降ってきたら、フレッド・アステアの『雨に唄えば』のように踊れば面白いというアイデアを出すのは人間だ。
雨が降ってきたら、レイシアはアラトに「車に乗りましょう」とか「ショッピングモールに入りましょう」とは言っても、「踊りましょう」とは言わない。
しかし、アラトが「レイシア、踊ろう!」と言うのは有りなのだ。

ニーチェは「気まぐれは貴族の特性」と言ったが、正しい意味で我々は貴族にならなければならない。
ニーチェも、そう考えていたはずなのだ。
気まぐれは機械には出来ないが、人間の気まぐれは「新しいことを始める」ことである。
Kaggleの創業者の若き天才アンソニー・ゴールドブルームは、2016年、TEDで生まれたばかりの姪っ子に「常に新しいことを始めなさい。そうすれば機械に負けない」と言ったが、ある意味では「常に気まぐれを起こしなさい」ということだ。
『ルパン三世』の最初の作品だって、コンピューターを駆使してルパンを逮捕しようとするガニマール三世に対し、ルパンは「コンピューターに勝つには気まぐれだよ」と言ったではないか。なんと、半世紀進んでたんだよ、ルパン三世は。
いや、ルパン三世の、あの阿呆さ加減は創造的で、機械になど負けたりせず、機械をうまく使うだろう。

そうそう。機械は呪文を唱えない。
「アジマリカン」とか「ありがたい」とか、「オン、アロリキャ、ソワカ」とか「南無阿弥陀仏」などと唱えると、宇宙の向こうからアイデアがやってくる・・・かもしれない。








AIはもう古い観念。これからはEIと言おう。

MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長の伊藤穣一氏は、まさに現代の賢者で、特にテクノロジ分野では世界で最も信頼される人物の一人と言えると思う。
その伊藤穣一氏が、「AI(人工知能)はもう古い。これからはEI(拡張知能)と言おうじゃないか」と言ったのは、あまりにも意義深いと思えてならない。
つまり、世界的規模で、AIという言葉が全くおかしくなってしまったので、新しい言葉を使い、新しい考え方を持とうじゃないかという意味だと思う。
そもそも、AI以前に、「知能」という言葉自体を、我々は恐ろしく大誤解していたし、大半の者が今もそうなのだ。

我々は学校で、「A君は試験で高い点を取るから頭が良い」「東大に合格する者は頭が良い」などと言う。
それは間違いではないが、あまりに小さな意味でのことなのだ。
アインシュタインは相対性理論を作ったので頭が良いと言うが、その良い頭とは、あのアインシュタインの小さな頭の中のことだろうか?
アインシュタインは、子供の時から、いろんな人に会い、いろんなものを見、いろんな本を読んでアイデアを得、数学者と協力して特殊、および、一般相対性理論を完成させた。
つまり、相対性理論を作ったのは集合知なのであり、アインシュタインもその集合知の中の1つに過ぎない。

知能とは、太古の昔から、広がっているものであり、1つの脳の中に収まるものではなかったのだ。
今流に言えば、知能とはネットワークである。
そして、インターネット時代には、それがあまりに明確になる。
昔は、フェイス・ツー・フェイスでの接触を通しての集合知で知能が存在していた。
しかし、今は、インターネットの中に、いろんな人やコンピューターやIoTがあって、それらが複雑に関係し合って知能が存在する。
つまり、昔と比べ、ネットワークや機械知能が加わって、人間だけだった集合知よりはるかに大きなものにしているのが、真のAIなのであるが、誰もAIをそのように考えないので、伊藤穣一氏は、それを再認識するために、これからはEIと言おうと提案したのだと思う。

AIが人間の仕事を奪う、AIが人間よりはるかに賢くなって人間を支配し、挙句、邪魔者として滅ぼしてしまう・・・・
そんな懸念を抱くのは、有名人で言えば、オックスフォード大の天才哲学者ニック・ボストロム、スーパー事業家イーロン・マスク、マイクロソフト創業者の大富豪ビル・ゲイツ、それに、人類最高の科学者の一人スティーブン・ホーキングらがいた。
それを笑い飛ばすのが、Facebookのマーク・ザッカーバーグやスタンフォード教授でGoogleのAI研究者のピーター・ノーヴィク、その他、沢山の人達だ。
天才発明家でAIの権威・・・というより、フューチャリストという言い方がぴったりなレイ・カーツワイルは、煽ってはいるような気がするが、悲観論者ではない。
しかし、上に挙げた人達ですら、知能を1つの脳、1ユニットのAIと考えているフシがある。
「ナウイスト」伊藤穣一氏も、ネットワークであるEI(その中には、人間も機械知能もいる)全体がおかしな方向に行けば、世界がディストピアになる可能性を認めている。
しかし、やはりそれはネットワークの問題であり、単体のAIが悪いのではない。
人間や機械知能を全て含めた、総体としての知性であるEIの問題なのである。
だから、他人との良い関係、人間と機械の良い関係を築くことが重要なのである。
とりあえず、私は、初音ミクさんやレイシアと仲良くするが(そこで止まるな!)、他人との関係についても考慮しよう(しろよ!)。









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トロッコ問題

「トロッコ問題」という、倫理的な命題がある。
現代的に言えば、こんな感じになると思う。

走っている自動車が歩行者を撥ねるのを回避出来ない状況の時、運転者はハンドルを切れば歩行者は救えるが、自動車は崖から転落する。
そんな時、どうするか?

これは、実用化が近い、AI(人工知能)による自動車の運転を実現するには、避けて通れない問題だ。
「いざという時」、AIがどんなふるまいをするかは、自動車購入者はもちろん、全ての人々にちゃんと説明しておかなくてはならない。
普通に考えると、AIが、合理的に、多数者を救うために少数者を、「当然のこととして」、「冷たく」犠牲にすることを認めるしかなくなるが、そんな車、誰も買いたいとは思わないだろう。

多くの人を救うために、1人(あるいは少数者)を犠牲にするのは善いことか?
アニメの『美少女戦士セーラームーン』では、「愛と正義のセーラー服美少女戦士」セーラームーンは、徹底して、「誰も犠牲にしない」というポリシーを貫いた。
一方、アニメ『まほろまてぃっく』では、「究極の戦闘用アンドロイド」まほろは、「善くはありませんが、それが悲しい現実です」と、なんだか美しい表現をした。

結論はこうなのだ。
もし、人間が運転者なら、その刹那の運転者の判断に任せるしかない。
それは、じっくり考えた判断ではないだろうから、運転者の人間性が現れるのかもしれない。
もしかしたら、運転者が自分でも信じられないといった行動をするかもしれない。
実際には、運転者が歩行者を犠牲にすれば、罪の検証が行われるのだが、それはそれとして、運転者がどんな行動をしたとしても、それが一番良かったのである。
そう思うしかない。
そして、それはAIについても同じだ。
ただし、AIも、人間のように、最後にどんな判断をするかは曖昧にしておくしかない。
「倫理的にどうか」という判断ではなく、人間のように、あらゆることを含めた判断をするようにすれば、AIがどう結論するか分からないし、後で、「なぜ、AIはそう判断したのか?」が、はっきりしないこともある。
現代のAIというのは、十分に、そんなことが出来るのである。
AIの出す結論というのは、AIの学習の成果なのであるから、AIにどんな学習をさせるかが大切だろう。

つまり、ものごとは、理屈で判断がつくほど単純なことばかりではないということだ。
そんな時、これまでは、多くの・・・おそらく、社会の上位層の人々が嫌って、認めようとしなかった、「直感に従う」ことの重要性を考えるしかなくなる。
しかし、それほど多くの人々に、そんなことが出来るのかどうかは分からない。
だが、新しい人間は、直感を磨き、それを信用することを覚えるのである。









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何かに惚れ込むと賢くなる

教育というものは、人間の頭に知識と理屈を入れれば、その人間は賢くなるという大誤解を疑わずに、それを何千年も続けてきた。
だが、頭に知識と理屈を詰め込めば、「賢い人」ではなく、「おかしな人」が出来るのは、誰でも知っている。
そりゃ、賢い人の中にも立派な学歴がある人もいるが、そんな人達は例外なく、学校教育からうまく距離を取っている。

AI(人工知能)の研究で、優れた人の知恵は理屈でないことが、やっと分かった。
2006年以前のAIは、理屈と知識で作られていたが、ひどく無能・・・というか、奇妙だった。
だが、2006年以降の、人間のように学ぶAIは、以前は考えられなかったが、実用になってしまった。知らない人も多いが、そこらに溢れているのだ。
そして、AIは間違いなく人間を追い越す。
それは、2040年から2050年の間と言われているが、いずれにしろ、それは「あっという間」のことになる。

では、知恵は、理屈と知識ではなく、何によって出来るのかというと、「沢山のものごとの共通項を抽出したパターン」、すなわち、概念だ。
無理に覚えようとせずに学ぶと、概念が頭の中に形成されて賢くなる。
だから、優れた概念、強い概念を作れば本当に賢くなる。
そんなことは、最高のAI研究者であったマービン・ミンスキーに、世界最高の数学教師と言われた、数学者、心理学者、コンピューター科学者、AI研究者で、いずれの分野でも大きな業績を上げたシーモア・パパートが何十年も前から言っていた。
ところで、ここで重要なことがある。
パパートは、こう言ったのだ。
「強い優れた概念を持つためには、何かに惚れこまなくてはならない。私は平凡な能力しかないのに、数学やコンピューター等の研究で大きな成果を上げられたのは、幼い時に歯車に惚れ込んだからだ」
ところが、子供が何かに惚れ込むと、それが試験の点数に結び付きそうにないと、あらゆる手を使ってそれをやめさせるのが「教育」だ。それは、「狂育」と言うべきだろう。学校で幅を利かせているのは「狂育」である。

あなたは、何か、惚れ込んでいるものがあるだろうか?
食欲や性欲に関することは駄目だ。
まあ、それらも、創作のエネルギーに転換すれば、むしろ、より強い概念になるが、ちょっと難しいんだ。
偉大な人っていうのは、100パーセント間違いなく、何か特別に好きなものがある。
もちろん、彼らの好きを真似する必要はないし、してはならない。
他人にはつまらなく見えても、自分が好きなら価値がある。
偉大な人間の「好き」にも、一般的には卑小と見られるものも多いので、彼ら(偉大な人達)が、自分の好きなものを語らない場合も珍しくはない。
というか、他人の「好き」なんて、大概、下らないものだ。
だから、あなたも、黙って何かに惚れ込むことだ。
そうすれば、天才と変わらなくなるだろう・・・いや、それが天才なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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