幕末から明治の武士、軍人、政治家であった勝海舟(かつかいしゅう。1823~1899)は、
「事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない」
と言ったらしい。
短く言えば「愚直であれ」だが、この「愚直」がちょっと難しい。
愚直は、「馬鹿正直」といった意味だが、こう言うと、道徳的な馬鹿正直と考えてしまう人が多いと思う。
愚直は、辞書的には
「正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。また、そのさま。ばか正直」
という意味らしいが、ちょっと違うような気がする。
というのは、これではただの馬鹿という意味だからだ。
とはいえ、「愚直」で分かる人は分かる。
多くの人は「なんとなく分かる気がする」といった感じではないかと思う。
もちろん、全く分からないという人も多い。
日本人は愚直な民族であった。
だが、現在は全くそうではない。
愚直の反対である「小賢しい」「ずる賢い」「小利口」な人間が多く、それを「コスパが良い」ともてはやすのが流行りである。
愚直な人は、大切なことではコスパとやらを全く重視しない。
日本人だけではないだろうが、現在の日本人は、大切なことでコスパを最重要視するようになり、大切なものを失ってしまった。
政治、医療、教育の分野は、愚直さが大切な場合が多いが、コスパ重視の政治家、医者、教育者が多くなってしまった。
それはともかく、引き寄せのコツなんて愚直そのものだ。
私が子供の頃、即座に庭を猫でいっぱいにするほど引き寄せが上手かったのは(猫の扱いなどは全く知らない)、愚直であったからで、一般的な意味では馬鹿な子供だった。
宗教家の五井昌久さんの本で読んだが、戦争中、五井さんが小学生の時、学校で服の配布が行われたが、もらえる条件が「今着ている服の他に服がないこと」だった。
五井さんは、もう1枚あったのでもらわなかったが、それで家に帰ったら「馬鹿」と怒られたらしい。
服をもらわなかったのは五井さんくらいのもので、明らかに裕福な家の子でももらっていたらしい。
学校の方でも、そんなものだと考え、ゆるくやっていたのだろうと思う。
こういう五井さんのような人が愚直と言うのだと思う。
私は宗教家としての五井さんのことはあまり知らないが、少なくとも子供の時は珍しい愚直な子供であったことが分かる。
もう1つ面白い例がある。
「魔法を使って治している」とまで言われた天才精神科医だったミルトン・エリクソンは子供の時、日本でいう中学生になるくらいまでだったかもしれないが、辞書を引く際、初めのページから・・・つまり、aから順番に見ていったらしい。
そもそもが、彼の家には、本といえば聖書と辞書しかなかったが、エリクソンは辞書を選び、辞書をずっと読んでいたという。
この両方の効果により、エリクソンは知識が多くなったと述べている。
まさにこれは、コスパは最悪である、愚直の極みのように感じる。
AIアート510
「咲きたての花」
Kay
これら、愚直な人間、あるいは、愚直な人間のやることを馬鹿にする人間が圧倒的なのだと思う。日本でも。
だからこそ日本は終わりなのである。
逆に、これらを見て、敬いや憧れの気持ちが起こる人が多ければ人類は存続すると思う。
◆当記事と関連する書籍のご案内◆
(1)私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー
(2)天と地をつなぐ者
(3)氷川清話 付勝海舟伝
(4)トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)
(5)白痴1 (光文社古典新訳文庫)
「事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない」
と言ったらしい。
短く言えば「愚直であれ」だが、この「愚直」がちょっと難しい。
愚直は、「馬鹿正直」といった意味だが、こう言うと、道徳的な馬鹿正直と考えてしまう人が多いと思う。
愚直は、辞書的には
「正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。また、そのさま。ばか正直」
という意味らしいが、ちょっと違うような気がする。
というのは、これではただの馬鹿という意味だからだ。
とはいえ、「愚直」で分かる人は分かる。
多くの人は「なんとなく分かる気がする」といった感じではないかと思う。
もちろん、全く分からないという人も多い。
日本人は愚直な民族であった。
だが、現在は全くそうではない。
愚直の反対である「小賢しい」「ずる賢い」「小利口」な人間が多く、それを「コスパが良い」ともてはやすのが流行りである。
愚直な人は、大切なことではコスパとやらを全く重視しない。
日本人だけではないだろうが、現在の日本人は、大切なことでコスパを最重要視するようになり、大切なものを失ってしまった。
政治、医療、教育の分野は、愚直さが大切な場合が多いが、コスパ重視の政治家、医者、教育者が多くなってしまった。
それはともかく、引き寄せのコツなんて愚直そのものだ。
私が子供の頃、即座に庭を猫でいっぱいにするほど引き寄せが上手かったのは(猫の扱いなどは全く知らない)、愚直であったからで、一般的な意味では馬鹿な子供だった。
宗教家の五井昌久さんの本で読んだが、戦争中、五井さんが小学生の時、学校で服の配布が行われたが、もらえる条件が「今着ている服の他に服がないこと」だった。
五井さんは、もう1枚あったのでもらわなかったが、それで家に帰ったら「馬鹿」と怒られたらしい。
服をもらわなかったのは五井さんくらいのもので、明らかに裕福な家の子でももらっていたらしい。
学校の方でも、そんなものだと考え、ゆるくやっていたのだろうと思う。
こういう五井さんのような人が愚直と言うのだと思う。
私は宗教家としての五井さんのことはあまり知らないが、少なくとも子供の時は珍しい愚直な子供であったことが分かる。
もう1つ面白い例がある。
「魔法を使って治している」とまで言われた天才精神科医だったミルトン・エリクソンは子供の時、日本でいう中学生になるくらいまでだったかもしれないが、辞書を引く際、初めのページから・・・つまり、aから順番に見ていったらしい。
そもそもが、彼の家には、本といえば聖書と辞書しかなかったが、エリクソンは辞書を選び、辞書をずっと読んでいたという。
この両方の効果により、エリクソンは知識が多くなったと述べている。
まさにこれは、コスパは最悪である、愚直の極みのように感じる。
AIアート510
「咲きたての花」
Kay
これら、愚直な人間、あるいは、愚直な人間のやることを馬鹿にする人間が圧倒的なのだと思う。日本でも。
だからこそ日本は終わりなのである。
逆に、これらを見て、敬いや憧れの気持ちが起こる人が多ければ人類は存続すると思う。
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(1)私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー
(2)天と地をつなぐ者
(3)氷川清話 付勝海舟伝
(4)トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)
(5)白痴1 (光文社古典新訳文庫)