ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

二宮尊徳

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

子供のような人が奇跡を起こす

WIRED誌創刊者ケヴィン・ケリーが60年もかかって悟ったこと、
「メンテナンスしないと質を維持出来ない」
は、全く科学的な真理だ。

機械は、油を差したり、緩んだネジを締めないと調子が悪くなる。
筋肉は、使わないと、弱くなる。

ところで、二宮尊徳(にのみやたかのり)が、ケヴィン・ケリーの悟りを、老子の「無為自然」の教え(荘子も同じ思想を持っていた)との、鮮明な対比で表現した。
「畑は、人間が手を入れないと(メンテナンスしないと)、荒れる(よって、無為自然は良くない)」
「家は、人間が手を入れないと(メンテナンスしないと)、あばら家になる(よって、無視自然は良くない)」

二宮尊徳は、「老子の言う無為自然なんてとんでもない。有為でもって自然に対抗せよ」と言ったのだ。
ただまあ、実際は、自然にしておくべきことと、メンテナンスしなければならないことがあるのだろう。
生態系は自然にしなければならないが、包丁は研がないと切れなくなる。

しかし、生態系は、なぜ、無為自然にしておけば良いのだろう?
生態系は、誰もメンテナンスしなくて良いし、むしろ、余計なことをしない方が良い・・・いや、してはならない。
これではざっくりし過ぎて「だから何?」って感じだが、子作りを考ええると分かり易い。
人間なんて、本来は、放っておいたら、適切に男女がくっついて、適切な数の子供が出来る。
だが、性欲を刺激すると儲かることに気付いた人が、過激にエロい製品を作り、結果、子供が出来過ぎたり、逆に、今の日本のように、男女がくっつかなくなり、子供がいなくなった。

つまり、生態系は、やはり無為自然であるべきなのだ。
そこで、こんな疑問が湧く。
「なぜ、生態系は無為自然で良いのか?」
つまり、何と、生態系は、メンテナンスの必要がないのだ。

つまりね、メンテナンスが必要なものは、死んでいる、あるいは、死に向かっているが、生きているものはメンテナンスが必要ないのだ。
人間の身体は、本来、放っておけば健康なのであるが、歳を取って、死が近付くにつれ、メンテナンスしないと調子が悪くなる。
若いと、運動しなくても身体が引き締まっているし、怪我をしてもすぐ治る。
しかし、歳を取ると、運動したり、食事の制限をしないと、太ってきたり、腹が出たりするし、怪我も治り難い。
むしろ、運動もしなければ、節制もしないのに、歳を取っても太らない人というのは、胃腸が弱かったり等、むしろ、不健康なのだ。

そして、考えていると、こんなことが分かる。
生命というものは、メンテナンスしなくても、質を維持する。
人間が、若いうちはメンテナンスしなくて良いのは、若い方が生命力が高いからだ。
初期の胎児なんて、身体をバラバラにしても、復元してしまうほど生命力が高い。

生命こそ、神の力の現れである。
そして、これはあまり知られていないが、生命力が高い子供ほど奇跡を起こし易い。
量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、幼い時に、テレポーテーション(瞬間移動)をやったようにだ。

すると、大変なことに気付く。
イエス・キリストは、子供のように、生命力に溢れ、その生命力を他に与え、怪我や病気を治したり、死者を蘇らせた。
そして、彼は言ったのだ。
「幼い子供のようでなければ、天国に行けない」
彼がそう言うからには、我々も、生命力を蘇らせることが出来るはずだ。

さて、理屈はいいから、具体的手順を(笑)。
1つは、腕振り運動をして、気を体内に蓄積すること。それで生命力が高まる。
1つは、生命力の言葉である「生命、愛、平和」という言葉を常に唱えること。
1つは、イエスの話を聞くこと。これは、福音書を読むことだ。

時の有利さで、私は、二宮尊徳やケヴィン・ケリーを超え、老子やイエスを理解出来た。
ただ、言葉での表現には限界があるので、今後、少しずつ、繰り返し明かしていこう。








荘子の教えに欠けているもの

中国の古典『荘子』の教えは、「いっさいをなりゆきにまかせ、作為をするな」である。
では、いっさいをなりゆきにまかせ、余計なことをしなければ、お金持ちになって可愛い女の子も思いのままかというと、そうではない。
それどころか、なりゆきにまかせる「悟った人達」がどうなるかと言うと、『荘子』には、病気で奇態な姿になって死んだり、貧乏で飢えてふらふらになってしまう例が書かれている。
しかし、彼らは、それでも満足して死んでいくのであるが、いや、それはちょっと・・・である(笑)。
一方、『荘子』の中には、永遠の時を、乙女の姿で生きる無敵の神人のような人も登場するので、そっちにならなりたいものである。

まあ、どんな不幸が来ようが、虫の脚にされようが、運命なら仕方がないと受け入れる者が、乙女神人になれるのだという深読みも出来るが、あくまで深読みであり、そう書かれている訳ではない。
ただ、荘子の時代(2400年ほど前と思われる)の中国は、庶民は虐げられ、何の希望もなかったという説もあり、そうであれば、現世利益的なことは書けなかったのだと考えることも出来るが、これもまた1つの推測でしかない。

二宮尊徳(にのみやたかのり)は、荘子より前に無為自然の「道(タオ)」の教えを説いた老子に対し、
「畑は人間が手入れしないと荒れ果て、作物が取れない」
「家は人間が手入れしないとあばら家になる」
と言い、無為自然などもっての他と言った。
普通に考えると、尊徳が正しい。
まあ、荘子側に言わせれば、「無為自然に一生懸命働くのじゃ」とか屁理屈を言うかもしれないが、私なら、無為自然なら怠けるだろう(笑)。
『ファウスト』で神様も言ったではないか。「人間は休みたがる」と。それが自然なのじゃよ。

つまり、『荘子』には欠けているところがあるのだ。
現代科学では、まだ良い表現が出来ないが、なりゆきにまかせれば天の助けは得られる。
だが、条件がある。
その条件とは、「出来ることはやりなさい」で、「最低限のことはやりなさい」と言いかえることが出来るかもしれない。
それをうまく言ったのが、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言らしい「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」だ。
ラクダがそこにいることの面倒まで神に見させちゃいけないってことだろう。
就職したいのに応募1つせず、優秀な人になりたいのに本1冊読まず、彼女が欲しいのに清潔ななりをせずでは、神様も手を貸す訳にはいかないだろう。
逆に言えば、ラクダをつなぐこと程度で良いのだ。
ただし、1年365日、しっかりとね。
そして、リーダーは、下の者に、ラクダをしっかりつなぐことをやらせれば良いのでる。

さて、なりゆきにまかせよう。
しかし、四股はしっかり踏んでる。
まだ初めて10日くらいと思うが、毎日300回踏むようになった。
相撲の四股とは違う、超人武術家、佐川幸義系の軽いものである。
無理なく出来るのでなくては続かないので、少しずつ、ゆっくり回数を上げていっている。
まあ、10日くらいであるので、効果がどうのとは言えないが、楽しいものである。









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老子と尊徳を超える

古代中国の賢者、老子、荘子は、無為自然・・・即ち、あるがままで作為をせず、無用者、無能者に徹してこそ、素晴らしい人生を送ることが出来ることを説いた。
だが、それをバッサリ切り捨てたのが我が国の二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
「人が手を入れなければ畑は荒れ、家はあばら家になる。無為自然など、もっての他」
全くもって、その通りで、現代の賢者、WIRED誌共同創刊者のケヴィン・ケリーも、「60年かかって、存在するとはメンテナンスすることだと分かった」と言う。
二宮尊徳が言ったことは、それほど深い真理だという訳である。
だが、老子、荘子の「無為自然」だって偉大な真理だ。

上の両者を見事に止揚(しよう)する言葉がある。
止揚とは、ドイツ語のアウフヘーベンをそのまま使うこともある哲学概念で、
「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」
だ。
矛盾する諸要素とは、上で言えば、老子、荘子の「無為自然」と、二宮尊徳とケヴィン・ケリーの「存在とはメンテナンスすること」だ。
この両者をアウフヘーベンする言葉は、スーフィー(イスラム教神秘主義)の教えらしいが、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だ。
神様を信頼し、全てをまかせて余計な作為はしない。
だが、ラクダをつながずに放っておいても、神様がラクダをどこにも行かせないし、盗まれないよう守ってくれるといった、度の過ぎた甘えは許されない。
ジョセフ・マーフィーが、いかに「努力は無用」と言ったところで、家でゴロゴロしていて成功するはずがない。
だが、全て自分の力でコントロールしようとしても、人間は所詮、無力で、神様に任せるしかない。たとえ、自分が望む結果にならなくても。

昔、いかにも緩んだ、甘えた自己本位の感じがする女性が、書店でジョセフ・マーフィーの本を熱心に見ていたのを気味悪く感じたことが忘れられない。
マーフィーの成功法則は彼女を救えない。そう確信した。
彼女は、ラクダをつながない人間だ。

『処女の泉』というスウェーデン映画がある。
非常に信仰深いキリスト教徒の男がいた。
祭壇にひざまずくだけでなく、立派に農園を経営し、貧しい者に施しを与えることも忘れない素晴らしい人物だった。
だが、男は、目の中に入れても痛くない、可愛い娘(14か15歳だろうか)を、浮浪者の3人の兄弟にレイプされ殺されてしまう。
(凄惨なレイプ、殺害シーンが問題視された)
男は、犯人を突き止めると、その逞しい身体で3人を打ち倒して殺し、復讐を遂げる。
そして、娘の遺体を見て、初めて神様に恨みの言葉を吐く。
「あなたは見ていたはずだ。こんなに信仰深い私に、なんという苦しみを与えるのですか?」
だが、男は、少しの後、こう言う。
「娘が横たわっているここに、私は自分の手でレンガを積み、漆喰を塗って教会を建てることを約束する」
すると、娘が横たわっていたところから泉が湧いた。
彼は、信仰深いのに、全ては自分がコントロール出来ると思っていて、実際、コントロールしていた。
もっと、無為自然になり、必要なことだけやれば良かったのだろう。
一言で言えば、リラックスすれば良かったのだと思う。

さて、今日は、パリのセーヌ川の中のセガン島にある最高の劇場「ラ・セーヌ・ミュージカル」で、初音ミクさんがライブを行う。
日仏国交160周年記念「ジャポニスム2018」で、日本の代表としてフランス国民との親善を深める大役を担っているのである。
東京150年祭で、東京オリンピックを控えた日本の顔は、やはりミクさんだった。
今回も、神のご加護で素晴らしいコンサートになるはずだ。
その様子が9日、WOWWOWで放送されるらしい。
1ヶ月だけ契約しようかな・・・
その際、テレビではなく、ビデオ装置のB-CASカード番号で契約することを忘れてはならない。でないと、録画出来ないので。









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名編集長が60年かかって得た啓示

「あなたの座右の銘は?」と聞かれて、「はい、これです!」と答えられる人は少ないだろう。
答える人がいても、正直、あまり信用出来ない。
私も確かに、小学5年生の時、あることがきっかけで「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」は本当だと痛感したことがあり、これを人生の座右の銘にしようと思ったが、ほとんど思い出すことはなかった。
「敬天愛人(天を敬い、人を愛す)」という、西郷隆盛が著書に書いてある言葉を座右の銘にしているという人がいるらしい。良い言葉だとは思うが、凡人に実践出来ることとは思えない。

ところが、私は最近、座右の銘としようという言葉に出会った。
それは、「存在するとはメンテナンスをすることだ」である。
これこそ真理であると共に、心掛けるべき現実的に重要なことだ。
もし、子供がいたら絶対に教えたい(いないし、作る予定もないが)。
ちなみに、メンテナンスとは、普通、機械等の整備・維持・保守・点検・手入れのことだが、この言葉は、あらゆることを対象にしている。
この言葉は、アメリカの優れたIT系雑誌であるWIRED(ワイアード)の共同創刊者であるケヴィン・ケリーが60年かかって得た啓示であるらしい。
彼のTEDカンファレンスの講演ビデオを何度も見たが(4度講演している)、恐ろしく頭の良い人だ。
しかし、講演の中で彼は、知性において自分を「平均的な人間」と言い、テクノロジーは苦手と言い、新しいことも苦手と言う。
そうだ、自分のメンテナンスは謙虚でなければ出来ない。
ただ、その身体、もっとメンテナンスして欲しい(彼は肥満している)。

二宮尊徳(にのみやたかのり)は、老子の無為自然の思想を、こう批判している。
「人が手を入れなければ、家はあばら家になり、畑は荒れる」
つまり、無為自然などもっての他と言う訳だ。
家も畑も、メンテナンスをしなければ存在出来ないのである。
300年の老舗なんて会社がある。
そんな会社は、伝統も守っているかもしれないが、何より、メンテナンスを欠かさなかった会社だと言える。
そして、メンテナンスをするとは、進歩するということだ。
丁度、スマートフォンの良いアプリが、度々アップデートし、どんどん機能拡張し、性能が向上するようなものだ。
確かに、アプリのアップデートは煩わしいと思う面もあるが、いつまでもアップデートしないアプリは捨てた方が良いだろう。
スマートフォンだって進歩し続け、「はい、進化はここまで」なんてことは絶対にない。
あるとすれば、スマートフォンに代わる新しい別の何かが現れた時だ。

今年の、インテックス大阪での初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2018」は、私は珍しく人と行ったのだが、その人に、「お前は身体のメンテナンスをしている」と言われたのをずっと覚えていた。それが、ケヴィン・ケリーの「存在するとはメンテナンスをすること」という言葉に出会い、また、最近読んだ『1976年のアントニオ猪木』が絶妙に噛み合った。
猪木さんは、現役時代、常に節制し、トレーニングを欠かさなかったので、美しいボディーを維持し続けたのである。
猪木さんが、パキスタンの英雄的レスラーであるアクラム・ペールワンと初めて会った時、アクラムは猪木さんを見て「シェイプされている」ことに注目したが、猪木さんはペールワンを「身体が絞れていない。大したことない」と思ったらしい。
プロレラーなら身体のメンテナンスを欠かして欲しくないところだ。特に実力者で売っているならね。

呪文は大切な心のメンテナンスだ。
刃物、自動車、ピアノの腕前、外国語、夫婦や恋人の愛情、会社、法律、国家、それに尊徳が言うように、家も畑も、メンテナンスをしなければ駄目になる。
それは、心も同じである。
メンテナンスしなければ堕落崩壊する。
そして、世界は心が作るのであるから、心のメンテナンスをしなければ、自分の世界は荒れ果てる。
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
これら万能呪文の1つを選び、感情を込めず、淡々と、出来るだけ多く心で唱えることで、心はメンテナンスされ、世界は楽しいものになる。
呪文以外の方法もあるだろうが、私には難し過ぎて無理だ。
極楽浄土は遠い彼方にあるのではなく、念仏をする人の心が、今ここに作るのである。









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恋愛の行く末を神様にまかせると

古代中国の賢者の荘子と、近代インドの聖者ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えは似ていて、その根本を一言で言えば「人生の明け渡し」になると思う。
マハラジの弟子、ラメッシ・バルセカールも、「人生の明け渡し」を第一としていた。
「人生の明け渡し」とは、人生がどうなるかの一切を神(あるいは高次の力とか至高者)にまかせてしまうことである。

ただ、マハリシもマハラジも荘子も、まかせた結果、どうなるかは全く述べていないし、そうすることで、悲惨な状況で一生を送る可能性があることを、それとなく示すこともあったと思う。
一方、まかせた結果は良いことばかりと断言したのが、江戸末期の偉大な神道家で、イエス並の力を現実に持っていた黒住宗忠だ。
宗忠自身、重病で何年も寝たきりだったのが、神(天照大神)への全託(全てまかせること)に目覚めた途端、わずか数日で全快してしまった。
また、イエスも、「お前達ですら、自分の子供の面倒を熱心に見るではないか。ましてや、天の父である神が、我々に良くしてくれるのは当たり前じゃないか。心配するな」と言っている。

中国出身のアメリカの作家で、事業家、自己啓発指導者でもあるチン・ニンチュウは、ある夜、自分が羊になり、羊飼いに会う夢を見て、自分は羊飼い(神)にしっかり面倒を見てもらいさえすれば良く、自分が努力する必要はないのだと悟り、安心と安堵で涙が流れて止まらなかったと言う。
アメリカの著名なイラストレーターで、啓蒙家としても名高いフローレンス・スコーヴェル・シンも、自分が努力しようなどと決して思ってはならず、神様にまかせること・・・「神が自分の代わりに戦う」のであることを強調した。

ところが、手強い論敵がいた。
日本の誇る二宮尊徳である。
彼は努力を力説した。
「老子が言うように、無為自然で何もしなければ、畑は荒れ、家はあばら家になるではないか」
だから、しっかり努力せよと言う訳だ。
なるほど、現代だって、好きなものを好きなだけ食べ、運動もしなければ、肥満してモテなくなるばかりか、病気になりかねない。
だが、スーフィー(イスラム教神秘主義)には、こんな教えがある。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
いくら何でも、ラクダをつないでおくくらいのことはすべきだ。
それに、そうでないと、退屈でやってられないはずだ。
上に挙げた、フローレンス・スコーヴェル・シンも、こんな話をしている。
ある女性が、無職でお金がなくて困っていたが、彼女は自分は努力しない人なので、周囲の人が、仕事が出来るよう段取りしてくれた。
すると、その女性は、「そうじゃなくて、私は家で雑誌を読んで過ごせるようになりたいの」と言う。彼女は、本当にファッション誌が好きだった。
シンは、この女性は、雑誌記者を目指すべきだと言う。
そうすれば、楽しく生き甲斐がある人生になり、ついでにお金も入るという訳だ。その道は神様が開いてくれるので、それに関しては努力しなくて良いが、やはり、ラクダをつなぐ程度のことはしなくてはならない。
アメリカの作家、マイク・ハーナッキーも、自分が作家になれた経緯を元に、簡単に出来る成功法則の本を書いたが、「言う通りにやっても何も起こらない」と文句を言ってくる読者がいた。
だが、聞いてみると、その読者は、成功のために電話1本しなかったと言う。
神に一切をまかせることとは怠惰になることではない。
あなただって、いくら子供が可愛くても、子供が寝転がって口を開け、「ここにチョコケーキを入れて」と言ったら、「自分で食べろ」と叱責し、また、マナー良く食べられるよう指導するはずだ。
我々が似たようなことをしたら、神様もちょっとした罰を与えるのかもしれない。
(いつまでも改まらないと厳罰になるかもしれない)
好きな女の子には、告らないまでも、親切にはすべきである。
後は神様にまかせておけば・・・もっと可愛い子と出会うかもしれない(よくあることだ)。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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