ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

二十六人の男と一人の女

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

何でも出来るマントラをさらに理解する

私は、自信と勇気について、さらに悟った。
勇気というのは、自覚出来ない自信なのだと。
どんなに無茶と思えることも、それに挑戦することが正しいと感じる時は、心では自信がなくても、魂からの誘(いざな)いを感じているのだ。それなら、どうしたってうまくいく。
一方、魂からの誘いがないのに、無茶なことをやろうとすることを「匹夫の勇(血気にはやるばかりのつまらぬ勇)」と言うのだ。

1960年代の漫画『サイボーグ009』の中に、漫画史に残る名場面があり、2001年の3度目のアニメ化でも採用された。
それは、『サイボーグ009』のヒーローである009と、敵のミュートス・サイボーグ達の中でも最強のアポロとの1対1の対決の時だった。
009とアポロは、精神も身体も高速化する加速装置が組み込まれていて、人間には見えない高速で動きながらレーザー銃で撃ち合う中、至近距離でお互いレーザー銃の銃口を向け合ってしまう。このままでは相打ちで両方死ぬ。
その時、アポロがレーザー銃を捨て、009に言う。
「俺たちは優れた性能を持つサイボーグだ。その力で戦おう」
009は同意し、やはりレーザー銃を捨てる。
すると、アポロは自分の能力を009に教える。
その能力は、身体を高熱化し、触るものを焼き尽くすこと、さらに、手の平から岩をも溶かす熱線を発し、指先からは超高温のレーザー光線を発することが出来ることだった。
そして、アポロが009に問う。
「お前は他にどんな能力を持っているんだ?009」
それに対し、009は、
「後は・・・勇気だけだ」
と答える。
つまり、009には加速装置以外の能力はないのだ。
いわゆる、「格好いいセリフ」で、読者の印象に残るのだが、なぜ格好いいかというと、全く勝ち目がない戦いに009が堂々と男らしく挑もうとするからだろう。また、009が、先にリスクを取ったアポロの男らしさに応えた格好良さもあるだろう。
だが、結果、009はアポロのレーザー光線に胸を貫かれて海の中に沈む。

この場面に騙された日本人は膨大な数だ。
009は、勇気と言ったが、本当は自信もあったのだ。
それは、当時20代だったに違いない、作者の石ノ森章太郎さんも、魂では分かっていたが、心では分かっていなかったかもしれない。
だが、石ノ森章太郎さんは、魂の声を感じていなければ、あの場面は描けなかったはずだ。
漫画家、小説家などの作家で成功する人とは、魂の声を感じることが出来る人である。

つまり、上の場面で、009は、「結局は勝つ」という魂からの声を感じていたはずなのである。
なぜなら、思考が消えた人間は魂が味方し、魂は全知万能で、我々が知る中で最も近い概念では神(あるいは仏)だからだ。
009は、頭では無謀と分かっていてもレーザー銃を捨てた時、思考も一緒に捨てていた。
思考を持ったままではレーザー銃を捨てることは出来ない。
「捨てろ」
これが魂の指示である。

花がある家につく妖精
AIアート609
「花がある家につく妖精」
Kay


ゴーリキーの『二六人の男と一人の女(少女)』に、女たらしの元兵士の労働者(パン焼き工)が登場する。
彼は、何か取りえがあるわけではなく、多少、体躯が良いことを除けば駄目男だ。
だが、彼は女にはモテモテなのだ。
彼は言う。
「可笑しいじゃねえか。俺がウインク1つすれば女は俺にメロメロなんだ」
彼のようになりたければ、
「なぜか分からないが、俺のウインク1つで女はメロメロだ」
をマントラとして唱えればいいだけだ。ただし、脳が思考出来ずにそれを受け入れるほどの時間、唱えることが出来ればだ。
私も高校時代、ウインクこそしなかったが、それに似た自信があって、本当に微笑むだけで、どんな女の子とも仲良くなった。
きっと、小説か漫画に登場するモテモテ男のセリフが、丁度良いマントラになっていて、その言葉を昼となく夜となく繰り返したのだろう。
『二六人の男と一人の女(少女)』では、26人の男たちは、その元兵士の女たらしに、自分達が天使と崇める16歳の美少女ターニャは、お前などには落とせないと言い、それに対し、元兵士は、2週間で落とすと啖呵(たんか)を切った。
元兵士は、本当は心では自信がなく(ターニャは普通の手練手管が通用しそうにない子供だ)、面子と勢いで言ってしまったのかもしれないが、彼は「結局はうまくいく」と感じていたのだ。
「結局はうまくいく」
「どうしたってうまくいく」
これが魂の声であると同時に、魂を味方につけるマントラでもある。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)二十六人の男と一人の女(ゴーリキー)
(2)サイボーグ009(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)
(3)トーチェ氏の心の法則
(4)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(5)積極的考え方の力(ノーマン・V・ピール )
(6)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)

最後の戦い

「夜明け前が一番暗い」と言われるように、達成目前、勝利の直前に敗れ去る者が多い。
成功の門の手前には、無数の死体が横たわっているという。
そんな罠に陥ってはならない。

アファーメーションを繰り返していると、まず、すぐに、心は「お前には無理だ」と強く反発し、そこで挫ける人が多い。
だが、それを乗り越え、連綿と(切れ目なく延々と)アファーメーションを続け、いよいよ、心の奥深くの否定的な固定観念が砕けようとしたら、いよいよ、心(自我)は最後の抵抗に出る。
「この目標は、それほどの価値があるものではないのでは?」
「やはりこれは俗っぽい目標だ。お前は高貴でいたくないのか?」
といった感じだ。
心は、記憶を総動員して、固定観念を守ろうとするのだから、それは手強く、ここでほとんどの者は敗れてしまう。
それで、次々と目標、アファーメーション、メソッドを変えて再び挑むが、最後はやはり敗れるのである。
それを何十年も繰り返すうちに墓に入ることになる。
正直、立ち塞がる心の手強さは、イエスを誘惑するサタン(悪魔)どころではない。
福音書のその部分は、書き換えられているのではないかと思うくらい、その悪魔は正攻法過ぎる。
悪魔とはもっと老獪(ずる賢い)なものだ。

勝つ手段は1つで、とにかく、始めたアファーメーションを「死んでも続ける」のである。
そのためにも、シンプルなアファーメーションを選んだ方が有利だ。

上の話を、分かり易く整理する。

アファーメーション「なぜか分からないが、預金が〇〇億円(年収の100倍、あるいは、最高時の年収の100倍以上が良い)ある」
悪魔「お前には到底無理だ(無理な理由を次々に挙げる場合も多い)」
これを乗り越え、アファーメーションを続け、いよいよ勝利(固定観念破壊を意味する)目前で、固定観念に寄生する悪魔(正体は心)は生き延びるために必死の抵抗をする。
悪魔「もっと美しい目標があるはずだ。知性が高く高貴なものに相応しいお前は、そんな薄汚い目標は捨てるべきである。でないとお前は穢れる」
これに対し、
「崇高な目標のためには富も必要である。汝破れたり。おとなしく退け」
と言えば良い。
尚、アファーメーションを強化し、戦力を数十倍化するための深呼吸を忘れないこと。

春遠からじ
AIアート586
「春遠からじ」
Kay


余談
幼い時から、親が「お金がない」と言うのを度々聞いたり、親や兄や姉に「おまえはモテない」と言われ続け、それらが固定観念になっている人は非常に多い。
その固定観念を壊すだけで相当な変化がある。
そのためのアファーメーションは「お金がある」「私はなんてモテるんだろう」などである。
モテることに関しては、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女(少女)』に登場する、別に色男ではないがモテモテの男が参考になる。
「俺は何の取りえもないが、なぜか女にだけは不自由しないんだ」
彼の実力は作中で発揮される。きっと、この男のモデルになる人物をゴーリキーは知っていたのだ。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)二十六人の男と一人の女~ゴーリキー傑作選~
(2)ゴーリキー短篇集(岩波文庫)
(3)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(4)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(6)苫米地式 聴くだけで脳が生まれ変わるCDブック(苫米地英人)
(7)人生を思うように変える呼吸法(パム・グラウト)

崇められるほどの特技を身に付けるには

高度な特技がないと人生は苦しい。
ところで、これから何か特技を身に付けたいと思う場合、すぐ思いつくような技能は、それが本当に好きな場合を除き、やめた方が良い。
すぐ思いつく技能・・・例えば、絵や音楽演奏や武術などだ。
なぜ、すぐ思いつくものはやめた方が良いのかというと、上手いやつが無限にいるからだ。
例えば、ツイッターで絵の上手い人をフォローしたり、上手い絵が添付されたツイートに「いいね」ボタンを押すと、ツイッターのシステムは、上手い絵のツイートをどんどん知らせてくるが、もう本当に、物凄く上手い人が、いくらでもいることが分かる。しかし、そんな上手い人達ですら、その絵の腕前で、高いお金を稼いでいる人は、ほとんどいないのだ。だから、自分に、よほどの才能がある確証でもない限り、やめた方が良い。

では、プログラマーはどうかと言うと、これは、私が言うのは難しいのだ。
と言うのは、私は、世の中には、優秀なプログラマーは本当に少ないと思っている。
それなら、今から始めても活躍出来るように思える。
しかし、私が、ロクでもないプログラマーと思っている人だって、上に述べたような絵描きにたとえると、恐ろしく上手い絵描きなのかもしれないのだ。
確かに、冷静に考えると、大したことがないと思うプログラマーだって、素人が、そのレベルに達するのは、なかなか難しい。
だから、やはり、ゼロから始めて、IT業界で活躍出来るようになるのは難しいかもしれない。
まあ、確かに、本当にロクでもないプログラマーもいるかもしれないが、そんな下手なプログラマーは、良い思いはしていないし、これからも出来ないだろう。

それで、もういい歳だが、稼げて、良い想いが出来るような特技を身に付けたければ、次のような特技を選ぶと良いと思う。
1つは、とても珍しい特技で、なおかつ、一定の需要があるものだ。だが、これは、むしろエリート的な特技だ。例えば、危険なスタントマンとか、パイロットとか、ワニの捕獲とかで、習得は難しいだろう。
もう1つは、もっと現実的だ。
それは、何かの分野の中の、特定のものに特化することだ。
例えば、あくまで、もののたとえであるが、絵の中でも、虫の絵、さらには、ゴキブリの絵に特化するといった感じだ。
「ゴキブリを描かせたら天下一」というほどであれば、必ず成功する。
野球でも、メジャーリーグにだって、打つのも走るのもさっぱりだが、守備だけは超人的に上手くて、高年俸で雇われている野手や、ナックルボールしか投げないが、勝てるので、やはり稼いでいるピッチャーもいる。
プログラマーにだって、JavaScriptしか出来ないが、それで本当に恐ろしいと思うほど凄いシステムを作れる者や、Excel VBAなら達人で、それだけで稼いでいる人もいる。
ただし、自分で達人と思っているだけでは駄目で、本当に達人でないといけない。
だが、特化型で超優秀なプログラマーは、良い想いをしている者が多い。

ジゴロ(女性の援助で生きている男)なんてのも、本当に口説きの達人なら、かなり優雅な者もいる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』にも、他に何も出来ないが、女を口説くことだけは失敗したことがないロクデナシ男が登場し、26人の男が女神と崇める16歳の美少女を楽々落として見せた。
そして、本物のジゴロは、どんな女でもござれと言うのではなく、特定のタイプしか駄目な場合がほとんどで、これも、特化型なのである。
今は難しいかもしれないが、1つだけの楽器で、いくつかの曲だけ弾けるという者が、それがべらぼうに上手く、音楽の高等教育を受けた者より、はるかに稼げたこともあった。
格闘家の堀部正史さんの本で読んだが、ヤクザの世界でも、芸術的な脚折りのスライディングキックだけで、名を馳せていた者もいたらしい。

1万時間の法則と言って、1万時間をかければ、プロになれるという話がある。
それなら、特化したことで1万時間をかければ、達人になれる可能性が高い。
私は、誰にも負けない見事なゴキブリの絵が描ける者を、世の中がと言うより、神が見捨てないと思う。
1万時間は、1日4時間で7年弱、2時間では14年弱だ。
実際は、それほどの時間はかからない場合が多いかもしれないが、そのくらいを覚悟しておくと良いと思う。








感謝と崇敬

人間が向上し、幸運を呼ぶ感情は感謝だとよく言われる。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の中で、私が唯一気に入っている箇所に、それが実用的に書かれている。
それは、こんな感じである。
何でもいいから感謝するのだ。
例えば、着る服があることに感謝する。
『ザ・シークレット』の翻訳では、感謝の表明として「ありがとう」と言うとしている。どちらかというと、この場合、自然な日本語としては「ありがたい」だと思うが、別にどちらでも良いだろう。
他にも、住む家があること、ものを見る目があること、財布の中に千円あること・・・とにかく、何でもいいから、感謝出来るものを見つけ、「ありがとう」「ありがたい」と言うのである。
それだけで引き寄せの力が働き、例えば、財布の中に千円あることに「ありがたい」と感謝をすれば、一万円が引き寄せられるといった感じである。
これは「増大の法則」とも呼ばれ、感謝することによって、より良いものが引き寄せられるのである。
こういったことを言うと、「頭の中、お花畑思考」と言われそうだが、経験的に効果があるので、こっそりやっていただきたい(笑)。
ただし、最初は、「これで良いものが引き寄せられる」という下心が強いかもしれないので、すぐにはうまくいかないかもしれないが、黒住宗忠が言うように、初めは口先だけで「ありがたい」と言うのでも良い。
それを繰り返すうちに、本当の感謝の念が起こるようになるので心配ない。
そもそも、口先だけでも、「ありがとう」「ありがたい」と言うのと、言わないのとでは偉い違いである。

さて、感謝はもちろん素晴らしいが、ゲーテらが最上位に置いた感情は「敬い」である。
特に、自然や宇宙や、さらに、神仏に敬虔な感情を持つと、あちらは慈愛の塊のような存在なので、嫌でも護ってくれる。
だが、実は、敬う対象は、上の感謝の場合と同じく、何でも良いのである。
それを見事に描いた傑作短編小説が、詩のように美しいと言われる、著者の文豪ゴーリキーも大変に気に入っている『二十六人の男と一人の女(二十六人の男と一人の少女)』である。
社会の最底辺にいる26人の中年過ぎた超駄目な男達がいたが、彼らは、一人の16歳の可憐な少女と出逢い、彼女を女神のように崇めることで、みるみる向上していく。
だが、このような場合には、落とし穴があることを覚えておくと良い。
その16歳の少女は、見かけは天使だったとしても、中身は平凡な・・・というより、心の美しい少女というわけではなかった。
つまり、彼女を天使や女神にしていたのは、男達の妄想である。
だが、その妄想が男達を本当に向上させたのだ。
だから、妄想で良いのである。しかし、少女が本性を現してしまうと、男達は裏切られた気分になり、一気に堕落してしまった。ひょっとしたら、以前よりも悪くなったかもしれない。
生身の人間を崇めた場合には、そうなる危険がある。
たとえ崇める対象にしたのが良い人間であっても、人間には欠点があり、その人間を崇める者にとっては、その欠点が許せないことも多いだろう。
今のアイドルは、スキャンダルが暴かれても開き直る者も多いが、そんな者は、自分を天使と崇めていたファンのことはどうでも良いのである(別に非難ではない。それで良いという考え方もあるだろう)。
だから、人間のアイドルではなく、決して裏切らない、スキャンダルのないバーチャル・アイドル、初音ミクさんを崇めた方が良いかもしれない(笑)。いや、このことは、アメリカでも真剣に議論されたことである。
尚、神仏を崇める場合には、その神仏の真言を唱えるというのが代表的なやり方であると思う。
あるいは、ナーマスマラナといって、その神仏の名を呼べば良いのである。出来るだけ敬虔な想いと共に。
それで幸運が引き寄せられるだろう。








啓示を受けた人の共通点

死の危険が迫った時、深い絶望を感じた時、全ての希望を失った時、人は不意に目覚め、これまでとは全くの別人に生まれ変わることがある。

時々、例に出すが、こんな話がある。
ある青年がいて、彼は何をやっても駄目で自信がなく、消極的で、会話も苦手だった。
この青年がある時、「僕は何て駄目なんだ」とつぶやくと、それを聞いた男がこう言った。
「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」
このようなことを初めて言われた青年は、何かを感じて、この言葉について考え続けた。
「自分でそう思っているだけ」
考え続けているうちに、数日で啓示のようなものを感じた青年は、急速に変貌を遂げ、誰からも一目置かれる有力者と言える存在になった。

多くの人が、程度の違いはあるかもしれないが、自分は駄目だと思っている。
そして、実際に、そう思っているだけの分、駄目なのである。
対して、心理学が教えるところでは、赤ん坊は全能感を持っているという。
自分では何もしなくても、何でもしてもらえる。これは、王様のようなものだ。
それが感応するのか、どんな人間でも、赤ん坊の前では、赤ちゃん言葉で話しかけてしまうのである。

だが、歳を取るごとに、自分が王様でないことを理解していき、自分の場所を見つける。自分の場所は変動し、それと折り合いをつけることを繰り返しながら、死ぬまで生きるのである。
上の青年の場合は、自分の場所がなかったのである。最低の場所以外にはね。
この青年は、ずっと低い場所にいたが、一度上がってから低い場所に落ちる者も少なくない。
そして人間は、長く最低の場所にいて、浮上の道が見えないと、絶望し、希望を失う。
だが、上の青年は、最低の場所にいる時に、不意に目覚め、高く上昇したのである。

いったん、どん底に落ちた者が、他愛ないきっかけで浮上する話が、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』や、ロオマン・ガリの『自由の大地』にある。
それらが、コリン・ウィルソンの心理学的評論『至高体験』に取り上げられている。
『自由の大地』の本は、なかなか入手出来ないが、『二十六人の男と一人の女』は電子書籍もあり、読めば、その方法が少しでも分かるのではないかと思う。
この作品は、詩のように美しいと言われる、ゴーリキーお気に入りの短編である。

要は、「高いもの」に目を向ければ良いだけである。
上の青年は、自分の中にある「高いもの」に目を向け、『二十六人の男と一人の女』では、堕落した男達は、ターニャという名の16歳の可愛い少女を通して、女神のようなものに目を向けたのだ。
ロオマン・ガリの『自由の大地』では、やはり堕落したフランス兵達は、空想上の少女を通して天使や女神のようなものに目を向けたのだろう。
低いものから目を逸らし、高いものを見る。
それだけのことである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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