ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中将姫

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

才能もなく堕落しているなら王にでもなれ

口先では、「私はつまらない者です」「ロクデナシです」「罪深い者です」と言う者は、いくらでもいるが、本心からそう思っている者となると、10ヶ国語を流暢に話させる者の方が、まだありふれていると言えるほどだ。
老子は、本物の王は自分をロクデナシと言うのだといったことを述べているが、大真面目にそう言うから王なのだろう。

本気で自分を蔑んでいた者は、実際には逢ったことがないが、3人ほど挙げることができる。
古い順から、中将姫、親鸞、木枯し紋次郎だ。
中将姫は、奈良時代の高貴な貴族の姫で、5歳の時に母が病気で亡くなる。
9歳にして絶世の美貌と、並外れた琴の腕と賢さで知られるようになったことで、継母に妬まれ、虐待を受けるが、誰にも継母のことを悪く言わないし、実際に継母を非難する気持ちもない。
自分は苦しくはあるが、それに関して、中将姫は自分が悪いのだと本気で思っている。
自分の行い、物言いに良からぬものがあり、それに対する継母の反応は自然なものだと考えていたのだろう。
親鸞については、弟子の唯円が、親鸞の死後かなりたってから、親鸞の言葉を思い出して書いた『歎異抄』の中に、親鸞が自分を正真正銘の悪人だと見なしていたことが読み取れるのである。
木枯し紋次郎は、どれほど侮辱され、白眼視されても全く反発や抵抗を見せなかった。
8歳の女の子に「ロクデナシ」と言われても、それを紋次郎は当たり前と受け取れた。
紋次郎は、自分では悪いことをするつもりはないが、それでも、自分が完全に無価値な人間であることを心底から認めているのだ。

言うまでも無く、中将姫は伝説上の人物とされるし、木枯し紋次郎は小説の登場人物である。
しかし、古い伝説や優れた創作は、人の心より深いところから出るもので、現実以上に現実だ。
凡人は謙虚な振りをしても、自尊心でいっぱいだ。
しかし、本物の王は自尊心を持たない。
真の王になれる者はほとんどいない。
つまり、中将姫、親鸞、紋次郎は王なのだ。

現代の王は初音ミクだけだ。
だって、彼女には自尊心がない。
そして、彼女の歌は、誰が創っても、ことごとに自尊心や自負心がなく、彼女を最も魅力的にするのは、深い意味では、徹底して自分をこき下ろす歌なのだ。
世界中の人々がミクを崇めるのは当然のことである。

頭の良いやつ、才能のあるやつ、見てくれの良いやつ、器用なやつ、世渡りの上手いやつ、家柄の良いやつは、余程の逆境にでも遭わなければ王にはなれない。
だが、私のようなのは(ひょっとしてあなたも?)、心がけ次第だ。

ところで、中将姫の本がなかなか良いものが無いし、興味を感じる古書は極端に高値がついている。
その中で、喜多暢之さんのKindle本(電子書籍)『竹内街道物語』は、安価であるが、なかなか良いと思うので、下にご紹介した。









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童話のヒロイン達のどこを見るべきか?

宗教家や道徳家の中には、「恨むな」「怒るな」「妬(ねた)むな」「嫉(そね)むな」等々と、人間の悪い感情をたらたら並べて、「それを起こしちゃならん」と教える者がいる。
それは、賢くない教え方と思う。
言われた方は絶対にできないからだ。
指導者というものは、人間をもっとよく知らなければならないし、機転も効かなければならない。

正しいやり方は、ただ一言、「文句を言うな」である。
文句を言わなければ、恨むことも、怒ることもなく、妬み、嫉みも起こらない。
そして、自分が文句を言ってるか、あるいは、考えているかを見張ることは可能で、それをやめることもできる。

童話や昔話の中には、多くの場合、ヒロインがいる(日本ではヒーローが多い)。
グリムの『星の銀貨』の貧しい女の子、ペローの『サンドリヨン(シンデレラ)』のサンドリヨン、アンデルセンの人魚姫やマッチ売りの少女などだ。
我が国には、中将姫の物語がある。
これらの作品をどう読むのかというと、ヒロイン達は、決して文句を言わないことを確認し、その生き様を学べば良いのである。
しかし、その最も肝心なことを教える者がいないのである。
シンデレラは、舞踏会に行きたいと切望したので、僅かに文句があった。
人魚姫は、王子様に逢いたいと思い、彼と結ばれたいと願ったし、そうならないことにいくらかの文句のような感情はあったかもしれない。
しかし、それらは極めて小さなものだし、彼女達は克服できたのだろう。
そして、『星の銀貨』の貧しい女の子や、中将姫は、いかなる状況でも、一切の文句を言わないし、想わない。
中将姫は、継母に憎まれ、いかに酷い目に遭おうが、それが自分の宿命であるとして、いかなる文句も言わなかった。
その時、中将姫は9歳だった。

無論、寓話というのは、あくまでたとえ話であり、ヒロインを自分と見立てて考えるものであって、現実の世の中で彼女達のような境遇にある子供達はヒロインでも何でもないので、漏れなく救うシステムを作らなければならない。
だが、我々は、今の環境がどれほど悪いものであっても、一切文句を言わないなら、情況は変わるだろう。
ヒロインには忍耐と機転が必要である。









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意欲なしに繰り返せることだけが本物だ

もし自分が本当の愚か者で、どんなことも務まらないと思うなら、しかし、考えることもなく正しい答を出せるようになろうと思うなら、『老子』か『バガヴァッド・ギーター』を千回読んでみると良い。
『老子』が短い81の詩で、『バガヴァッド・ギーター』は対話の形で描かれた、18章の叙事詩。それでも、一章はそんなに長くない。
中将姫は『阿弥陀経』を千回写経したという伝説があるが、彼女は他にすることが何もなかった。
私も、別に何もすることはないのだけれど、いずれも、とてもできるとは思えない。
そのようなことができるのは、そのような星の元に生まれた者だけだろう。
なぜ私にできないかというと、成し遂げようと意図するからだ。
本当にやってしまったら、どんな人も従うことになる。
鬼神も天の神も地の神も従うのだからだ。
人が従わないわけがない。
それを知って、別になんとしてもやり遂げようなどと思わずに、意欲も熱望もなくただ繰り返す者なら、それをやりおおせることだろう。

どんなことでも良いのだが、それを為し終えると、全てのものがなくなってしまう。
床も天井も壁も、身体も心も全部だ。
全て透明になって消えてしまう瞬間、あなたは全くの別の人に生まれ変わり、世界も全て変わってしまっている。
そして、全て分かってしまう。
「死とは何か?」
「終わりとは何か?」
それは、初音ミクのオペラ『THE END』の荘厳なテーマだったように思うが、ミクが「これから行く、光に溢れた場所」、「私の身体がここで溶けていくこと」が何か分かってしまう。
私が、そんなことを知ろうと意図しなくなれば、全部分かってしまうことだろう。
全身全霊でやれば、念仏を称えているうちに、そうなってしまった人もいる。
魂の中には時間というものがないのだからだ。
本当は、時間は心の中にしかないと言った方が正しいのかもしれないが、全身全霊は死の世界だ。
そこに心はなく、心がなければ時間はなく、時間がなければ物はなく、物がなければ空間もない。
あらゆる可能性が原因のまま留まる世界だ。
要は、何も意図せずに、ただやってみるということになる。
そんな簡単なことに、死ぬまで気付かない人が多くなってしまった。
だから、とても簡単なのだ。
神を信じれば良いが、茶碗は洗っておくことだ。
そんな禅語があったように思う。









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本当に大きな願いとは

「私はお金なんてそんなにいりませんから、今の納税1億円程度で満足なんですよ」
と言われていた政木和三さんは、一貫して、
「神様ってのは、人間の願いは聞きません。でも、願いがあったら、一生かかっても実現不可能な位のものでないと駄目ですよ」
と言われていたものだ。

一生かかっても実現不可能というのは、つまり、持つならばスケールの大きな願いを持ちなさいということだ。
それで、イギリスの女王様が住んでいるような宮殿に住みたいと思うというのは、まさに想像力貧困というものだし、ケチ臭いにも程がある。
我々は住んでいないかもしれないが、エリザベス女王は住んでるじゃないか?
同じ人間が住んでいる程度のものが、そんな大したものであるはずがない。
総理大臣になって、日本を良くしたい?
これも想像力に欠けた、幼稚な発想と言うしかないだろう。
総理大臣にそんなことできるはずないじゃないか?
根本的な考え方がおかしいのだ。

「南無阿弥陀仏」の念仏を向ける相手である阿弥陀如来は、とんでもないスケールの願いを持った人間だった。
そうだ、阿弥陀如来は、元々は人間だったのだ。
阿弥陀如来が、法蔵(ほうぞう)という人間だった時、西方極楽浄土の建設を願い、しかも、自分の名を呼びさえすれば、誰でもそこに住めるようにしたいと願ったのだ。
その達成のためには、一生どころか、何億回生まれ変わって努力を続けても不可能だ。
だが、仏教は人類の科学をはるかに超え、時間は情緒というようなものに過ぎないことを知っていたので、法蔵はそれを達成し、阿弥陀仏になった。
人類最高の直観力を備えたお釈迦様は、それが事実であることを保証し、法蔵(阿弥陀)の願い通り、その名を呼んで、極楽浄土に行きなさいと教えたのだ。
それを詳細に解き明かしたのが『無量寿経』という仏典で、昔のことは昔のこととして、阿弥陀仏の恩恵を受ける方法を書いたものが『阿弥陀経』だ。
この両方を読んだとても賢い人が、後の人々の理解のために親切に書いたのが『観無量寿経』である。
よって、『無量寿経』は本格的で長く、『阿弥陀経』は、どちらかというと一般向けで短い。
『観無量寿経』は、その中間の長さで、物語形式で面白く、しかも、とてもうまく書かれている。
この3つを、浄土三部経と言う。
だけど、読むのが面倒なら、法蔵が意図した通り、ただ、阿弥陀仏の名を呼べばそれで良い。
それを念仏と言うのである。

伝説なのかもしれないが、奈良時代の藤原の姫様であった中将姫(ちゅうじょうひめ)は、『阿弥陀経』を千回写経し、当麻(たえま)寺で経を上げ、阿弥陀仏の名を呼んだので、阿弥陀如来と25菩薩の来迎を受け、生きたまま西方極楽浄土に行ったと云われている。
折口信夫の小説『死者の書』には、そんなことが彼の優れた想像力によって生き生きと描かれている。
『死者の書』の初版が出たのは1939年。
私が好きな、ジロドゥの『オンディーヌ』も同じ1939年の作品だ。
水の精オンディーヌの透明な愛は、中将姫の阿弥陀如来への純粋な愛と通じると思ったのだが、同じ年に世に出ているとは面白いと思った。
ところで、今日は3月9日で、初音ミクの名にちなみ、「ミクの日」と言われる。
『イーハトーヴ交響曲』で、既に死者であったカムパネルラを演じて歌えるのは初音ミクしかいなかったように、世阿弥が制作した猿楽(現在の能)『当麻』で、当麻寺で舞う中将姫の精魂を演じられるのもミクしかいないだろう。
オペラ『THE END』で、ミクが死を鮮やかに歌い上げたようにである。
能を愛し、オンディーヌもそうであるケルトの妖精を愛したウィリアム・バトラー・イェイツが亡くなったのも1939年である。

















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強い相手にどう勝つか

頭が良いからとか、人格者であるとか、才能があるとか、努力家だからといって成功したり、金持ちになるのではない。
金持ちに限らず、他人に抜きん出、特別な人間になれるかどうかは運命による。
運命で定められていなければ、どうあがこうと金持ちになったり、事業で成功したり、著名な作家になれたりはしない。
逆に言えば、運命がそうなっていれば、嫌でも成功し、世間の煩いに巻き込まれる。
成功したからって、偉くも何ともない。
その人は、単なる操り人形に過ぎない。
ただ、ある人が、成功する運命にあるかどうかは、ほとんど分かると思う。
それは、才能や努力よりも、持っているエネルギーの大きさだ。
では、どうすれば多くのエネルギーを持てるのかというと、エネルギーを節約することだ。
そのためには、心を静かにすることである。
ただ、平静を装ってはいても、心の中はいつも荒れている者は実に多い。
よそよそしく、取り澄ましている者なんてみんなそうだろう。
もちろん、人間である限り、必ず心は揺れ、ぐらつき、苦しむことは避けられない。
だが、エネルギーを保持しておける者とは、何か1つ、心を締める鍵を持っているのだ。
それは、決してテクニックではない。
心を締める鍵を、誰かに教わろうとか、本で読んで手に入れようとしたって駄目だ。
それは、ある特別な感情によっ承認されるもので、神仏の恩寵なくしては得られない。
それを得るためには、自主的に、全く個人的な行をしなければならない。
それをせずに、心を締める鍵を得た者はいない。
水野南北は1年間、麦と大豆だけの食事をし、黒住宗忠は3ヶ月の間、驚異的なペースで大祓詞を上げた。
ラマナ・ナハルシは3年もの沈黙の行を続けた。
伝説の中将姫は阿弥陀経の千回の写経を行ったが、そのような人は実際にいた。
だが、そんな行を完遂できるかどうかも運命であるが、その運命には挑戦できる。
ただ、ほとんどの人は、運命に破れる。
捨て身でなければ自分より強い相手には勝てない。
まして、運命が相手であれば、一切を捨ててしなければ決して勝てない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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