ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中今

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

初めて見るような気持ちで見る

「今、この瞬間」に在ることは、神であることに等しい。
「今、この瞬間」に在る者にとって、引き寄せなど些細な問題であり、もっと偉大なものごとに取り組むことも出来るが、何もせずにただ在ることも偉大なのである。
とはいえ、我々凡人にとっては、現実的に、まずは、引き寄せをうまく行い、楽しく生きることが先決であると思う。
だから、ジョセフ・マーフィーも、彼の偉大な僚友ネヴィル・ゴダードも、敢えて高邁なことをほとんど語らず、無力感に打ちひしがれた人々を元気付けようとしたのだろう。
そして、彼らの時代には理解し難くかった引き寄せも、ただ、「今、この瞬間」に在ることで、望まずとも自動で行えることが分かったのである。

今回は、参考までに、「今、この瞬間」に在るための、1つの方法を述べる。
私が中学生の時にやっていたことだから、簡単であると思う。
それは、目の前のものを、初めて見るような気持ちで見ることだ。
脳は、視覚情報が送られてくると、脳内の記憶情報と照合し、それが何か、どのようなものかを判断し、認識する。
だから、同じ犬を見ても、過去に犬に噛まれて怪我をした人には、その犬が恐ろしく見えるが、犬と楽しく遊んだ記憶が多い人にとっては、犬がただ愛しい動物に見える。
だが、そんな先入観は一切なしに、初めて犬を見るような気持ちになるのだ。
たとえば、小さな子供が初めて犬を見て、しかも、その子供は、犬に似た動物さえ見たことがなければ、犬を怖いとも可愛いとも思わず、ただ、ありのままに見るのである。
その子供には、犬がどのように見えているだろうか?
そんな気持ちで犬を見るのである。
その時こそ、「今、この瞬間」に在るのだ。
犬は、過去の記憶を刺激しないので、過去に意識は向かない。
また、犬がどんなものか知らないので、犬によって、未来に何が起こるのかも想像出来ない。
だから、意識は今にしかない。
その時、犬は、この上なく美しく見えるのである。
なぜなら、世界は心の反映であるのだが、「今、この瞬間」にある心は純粋であり、純粋な心は限りなく美しいからだ。
無垢な幼児にとって、世界は輝くように美しいのである。
そして、我々だって、初めて見るような気持ちで見ることで、幼児と同じ世界を取り戻せる。
ところで、意識を持った幼児を、猛獣も襲わないという話がある。
『トーチェ氏の心の法則』という本にも、幼児が、猛毒のガラガラ蛇と砂場で楽しく遊んでいたという話が書かれている。
「今、この瞬間」に在る者は、いかなる時も安全である。
真剣を持った剣術の達人と決闘した空手家は、命を諦めた時、思考が消え、つまり、過去も未来も消え、「今、この瞬間」に在った。
そして、思考が戻った時、空手家は何も憶えていなかったが、剣術の達人は、目の前で気絶していた。
引き寄せの書で、膨大な言葉を連ねて書かれていることなど何も知らなくても、「今、この瞬間」に在りさえすれば、もっと強い引き寄せの力が働くのである。

見慣れたものを、初めて見る気持ちで見ることを試してみるべきと思う。
完全にはうまく出来ないかもしれないが、全く出来ないこともあるまい。
すると、いくらかでも「今、この瞬間」の感覚を感じる。
繰り返しているうちに、より鮮明に「今、この瞬間」を感じるようになり、そうなれば、ますます、初めて見るような気持ちで見ることが出来るようになる。
そして、やがて引き寄せマスターになるだろう。
引き寄せだけではない。
食べ慣れた食事も美味しく感じ、長年連れ添って飽き飽きした妻や夫も新婚時代のように愛しく感じる。
生きているだけで嬉しいと感じるようにもなるだろう。
そうなれば、もはや無敵であり、不可能はないだろう。








ツイている時とはどんな時か

「最近はツイてる」とか「あの頃は本当にツイていた」と言う人がよくいるし、あなたも、そんなことを思ったことがあるかもしれない。
運の重要性は、大物でも・・・と言うより、大物の方がよく知っていると思われる。
それで、どうすれば運が良くなるか・・・などという書籍は無数と言えるほど出ていて、なかなか良いと思う本も少なくない。
だが、優秀な人が書いたものでも、「運が良くなる方法」みたいな本は、あまり読者の役には立たないと思う。
なぜなら、書いた人が、運が良くなるためにやった本当のことは本人も無自覚で、結局、本には違うことを書いているからだ。

ツイている時、やっていたことは共通しており、それは、「今、この瞬間」に在ることが多かったことである。
他に理由はない。
ツイていた時というのは、たまたま、「今、この瞬間」に意識を集中する機会が多かったのだ。
だから、なるべく多く、「今、この瞬間」を意識するようにすれば、運が良くなるし、願いも叶う。

「今、この瞬間」のことを、昔から日本では「中今」と言い、「今、この瞬間」を意識する手法を、巷で「今今メソッド」と呼ぶことがある。
(略して「今メソッド」「今今」などと言うこともあるようだ)
便利なので、「今今メソッド」という言い方をするが、「今今メソッド」とは、目の前のものを何も考えずに見たり、今やっていることを余計なことを考えずにやることで、要は「必要ないことは考えない」・・・というより「考えない」「思考を消す」ことだ。

コリン・ウィルソンの本に、着眼点は良いのだが、ちょっとまずいことが書かれていた。
初めてタイプライターを使う人は、考えながらたどたどしく使うが、やがて、慣れてきたら考えずに使えるようになる。
人間の中には、ロボットのようなものがいて、慣れてきた作業はロボットがやるからだ。
ロボットは便利なものだが、生の楽しみを奪うものでもある。
例えば、慣れずに考えながらやっている時は、車の運転は楽しいが、ロボットが運転するようになったら、運転の楽しみが奪われる。
ウィルソンの間違いは、楽しく運転していた時は「考えていて」、ロボットが運転している時は「考えていない」というところだ。
実際は、全く逆で、楽しく運転している時は「考えておらず」、ロボットが運転すると、余計なことを「考えてしまう」のである。
もっと適切な言い方をすれば、楽しく運転している時は「運転を意識している」で、ロボットが運転している時は「無意識に運転している」のである。
そして、意識して行うことが「今今メソッド」である。
だから、エックハルト・トールは、「罪と無意識は同じである」と言うのだが、やはり、こういう言い方は硬くて難しい。

小学生や中学生の頃なら、普段、縁のない好きな子とぴったり隣り合わせで座ったりしたら、意識しまくりで楽しいだろう。
その状態が「中今」であり、「今、この瞬間」に在るのであり、そんなことを意図的にやるのが「今今メソッド」だ。
そんな楽しいことがあった後は、ツキまくるものだ。
「あげまん」とか言う、会うと運が良くなる女性というのは、単に表面的な楽しさではなく、会うと、心からの楽しさを与えてくれる女性で、それは別に、笑わせることでも、大騒ぎして盛り上がることでもない。

荘子が適切なことを言っている。
「視線を自然にし、是非好悪、思慮分別を捨てて(要は頭の中をからっぽにし、何も考えずに)見る」
こんなふうに見ることが「今今メソッド」だ。
何かの修行だと思うが、頭が悪くて「今今メソッド」がなかなか理解出来ない者のために、歩いている時は心の中で「歩いている、歩いている」と言い、食べている時は「食べている、食べている」と言わせるという方法がある。
要は、意識して歩く、意識して食べるということだ。
無意識に歩いたり、食べたりすると、余計なことを考えてしまい、考えると、「今、この瞬間」つまり「中今」から離れてしまうのである。

ジョージ・アダムスキーが言うには、宇宙人の家庭には、1枚の非常に美しい人物(神人であるようだ)の絵があるらしい。
それは、あまりに美しいので、見ると心を奪われ、何も考えられないという。
つまり、その絵を見れば、自動的に「今、この瞬間」つまり「中今」に在り、自動的に「今今メソッド」に導かれるのだ。
そんな絵を持っていれば良いと思う。
ただ、単にきれいな絵は、妄想を引き起こすので、真逆の効果をもたらす恐れがある。
例えば、セクシーなアイドルや俳優、モデルの絵や写真である。

ハローキティが世界的に、ある意味、異常な人気であるのは、口がないことが関係していると思う。
「萌え画」と呼ばれる、美少女の絵の中にも、口や鼻がほとんど描かれていないものは、なぜか、見ていると思考が止まるように思うことがある。
口や鼻がないことに、何か意味があるかもしれないと思って、昔から考えているが、口や鼻がない絵には「中今」に導く秘密があるのかもしれない。
ちょっと作って、ツイートしてみた。
【Kayのツイッター】口のない少女の絵
あくまで参考に(笑)。








究極の今今メソッドのお話

アメリカを代表する現代作家カート・ヴォネガットは、シェイクスピアについて、
「下手な作家だが、人間をよく知っている」
と評していた。
そう言うヴォネガットこそ、人間をよく知っている。
そして、人間をよく知っていると言うからには、引き寄せのやり方を本当に分かっていなければならない。
この点を誰も言わない。
引き寄せが出来ないのに、人間を知っているとは言えないからだ。

日本の作家で、人間をよく知っているのは・・・まあ、いくらかはいるのだろうが、私は笹沢佐保さんだと思う。
彼の代表作である『木枯らし紋次郎』は、娯楽時代劇であるのも確かだが、神話にも匹敵する奥深さがある。
主人公である渡世人(博打打ち。やくざ者)の紋次郎は、学んだことなど一度もないだろうが、天の道理をよく心得ていて、引き寄せを行うことが出来る。
実際、本物の引き寄せを紋次郎から学ぶことが出来る。
紋次郎が引き寄せを行った感動的なお話を1つ取り上げる(他にもあるが)。
紋次郎は、争いに巻き込まれてヤクザを1人切った際、刀を岩にぶつけて折ってしまう。
紋次郎は、切ったヤクザの大勢の仲間に追われ、一刻も早く、新しい刀を手に入れる必要があった。
紋次郎は、刀だけは良いものを持たなければならないことをよく知っていた。
だが、適当な刀屋や鍛冶師が見つからなかった。
しかし、紋次郎には不思議な運がある。これも紋次郎の引き寄せの力だ。
わけがあって山奥に隠れ住んでいた天才鍛冶師のところに、紋次郎は不思議な縁で導かれた。
しかも、その天才鍛冶師は、今や、一世一代の名刀を仕上げようとしていたが、その刀が紋次郎の鞘にぴったりの長さだった。
だが、ここで、とんだ問題が起こる。
刀の値段ではない。もとより、紋次郎に払える額ではないかもしれない。
しかし、それより先に、この天才鍛冶師は、この刀は紋次郎には売らないときっぱりと言う。
これも、値段とか、紋次郎の素性のせいではない。
自分が魂を込めて作った刀を、人を殺す道具にしたくないと言うのだ。
そして、その決意は固そうだった。
よって、紋次郎がその刀を手に入れることは絶望的だった。
しかし、他に、刀を得る道はない。追手は迫っているようで、紋次郎、絶体絶命である。
さて、紋次郎はどうするか?

朝早くから、天才鍛冶師は仕事に入った。
すると、少し離れたところに、紋次郎の姿があった。
天才鍛冶師は、休まずに淡々と仕事を続け、紋次郎はそれを静かに、だが、決して目を離さずに見ていた。
夕刻となり、ついに、その名刀が完成した。
すると、天才鍛冶師は、紋次郎のところに歩いてきて、黙って手を出すと、紋次郎も黙って折れた刀を鞘ごと渡した。
天才鍛冶師は、紋次郎の刀の柄から、折れた刀を外すと、今完成したばかりの刀を取り付けた。
そして、黙って紋次郎に手渡し、紋次郎も黙って受け取る。

この話だけで、引き寄せの神髄が分かる。
だから、余計なことだが、少し解説する。
天才鍛冶師は、仕事に入ると、もう時間は消えていた。
一瞬一瞬が「今」であるからだ。
彼は、永遠の「今、この瞬間」、つまり、「中今」にいた。
そして、それを見る紋次郎も「中今」にいたのだ。
紋次郎の中今は、天才鍛冶師の中今に何かの影響を与えたのかもしれない。
それによって、刀の仕上がりは最良を超えたものになった。
意図したわけではないが、刀は初めから紋次郎のものだったのだ。
その後、悲劇が1つ起こるが、天才鍛冶師は分かり切ったことを紋次郎に言う。
「持っておいきなさい。お代は要りませんよ」
噂によれば、その天才鍛冶師は、その後、名工として名を上げた。

私がいつも思う引き寄せの神髄である中今を、これほど鮮明に描いたお話はない。
真の引き寄せは、このようにやるのである。
また、これが究極の「今今メソッド」でもある。
尚、このお話は随分昔に読んだので、『木枯らし紋次郎』の、どの巻にあったか憶えていないが、1年と少し前の、このブログの記事によれば、
『木枯らし紋次郎(二)女人講の闇を裂く』の第2話「一里塚に風を断つ」
であるようだ。








日本の伝統儀式の本質は「今今メソッド」である

日本古来からあるスポーツ(と言うのは適切ではないかもしれないが)で、よく知られているのは相撲くらいだが、プロフェッショナル相撲である大相撲は、試合だけではなく、様々な儀式や作法がある。
今や、それらの儀式や作法が何のために行われるのか知らない人がほとんどだろう。

華道、茶道にも様々な儀式や作法があり、特に茶道は、茶を飲むことそのものより、儀式や作法の方が重要と言える。
武家社会においても、茶道にどれだけ通じていて、どれだけ見事に儀式を行え、どれほど作法が見事であるかで武士の出世が大きく左右されるほど、茶道は重要視され、茶道の極意、秘伝、秘法が武士の名家に伝えられていたことが、たとえば、1986年の邦画『鑓の権三』(やりのごんざ)を見ると分かる。
だが、今の日本人が、茶の湯で茶を立てるのを見ても、やたらまどろっこしいことをやっているようにしか見えないところは、外国人観光客と似たようなもものである。むしろ、ごく新鮮な目で見る外国人の方が、茶道の美しさを感じるかもしれない。

だが、今や、相撲や弓道、そして、茶道、華道の儀式や作法が何のために行われているかは、その道にかなり関わっている者や、ひょっとしたら、師範的な人でさえ、分かっているのかどうか疑問である。
これらの儀式や作法は、神道的なものであることは想像が出来るが、その中でも「中今」に在ることも目指しているものだと私は確信する。
中今とは、辞書によれば抽象的な説明も書かれているが、単に「今、この一瞬」のことである。
中今こそ神の世界であり、武道や茶道などを通じ、神の世界に触れることが目的だが、目的を露骨に表に出すことはせず、あくまで、さげなく行うところが和の精神である。
今、「神の世界に触れる」と書いたが、これも真摯な表現を重んじる伝統に則ったもので、言って見れば「神と交流する」さらには「神になる」ということである。
では、神とは何かと言うと、『古事記』に登場する男神や女神ではなく、まるで一神教と誤解されそうな根本神とも言える宇宙意識である。
たとえば、江戸末期の神道家、黒住宗忠は天照大神を崇め祭っていたが、この天照大神も、『古事記』に登場する女神ではなく、宗忠は太陽神として扱っているように見えたが、やはり、根本神と考えて良いだろう。
ただ、『古事記』は、聖書と同じく象徴的に書かれているのであり、ただの歴史ではなく(歴史としては正しくない)、宇宙意識、あるいは、人間の本質的精神を描いたものである。

日本に伝わる伝統的儀式を行うことは、中今に潜入する優れた方法であるが、それらはほとんど専門家のためのものである。
しかし、普通の人も、専門家の儀式や作法の一部を借りることで、中今に入る手助けとすることが出来る。
それは、儀式や作法そのものではなく、その敬虔な様、優雅さ、静かで落ち着いた態度などである。
そして、それらのことは、万物に神が宿ると考えていれば、自然に出来ることである。

「今、この一瞬」に生きることは、個人の意識が宇宙意識にシンクロ(同調)し、その無限の知恵と力と一致する方法で、引き寄せのような実用的な力になり、今や、スピリチュアル界で「今今メソッド」などと呼ばれることもある。やや軽薄に感じるかもしれないが、一般人にとって、非常に良いものである。
万物に神が宿ると考えてあらゆるものを見れば、いつでも今今メソッドを行っていることになる。
神、つまり、宇宙意識に時間はなく、過去や未来はなく、ただ永遠の一瞬である「今」しかない。
幻想である過去や未来を妄想せず、あるいは、なるべく妄想せずに、今をしっかり捉えることで、我々は真の人でいられる。
そうなれば、結果として、人間は神のようなものとして在るのである。
つまり、俗っぽく聞こえるかもしれないが、引き寄せの力が自在になり、支配層が神を忘れた拙い社会になってきた中で、何も恐れず、安全、平安に過ごせるのである。








打ちひしがれることを拒否した少年の話

イギリスの作家コリン・ウィルソンは、精神世界分野で世界的に有名であり、日本でも、極めて翻訳書が多い作家の1人と言われている。
そのウィルソンが生涯かけて探求したのが人間性の復活で、簡単に言えば、人間を元気にすることだった。
ウィルソンは、世界的心理学者だったアブラハム・マズローと交流することで深い洞察を得たが、ウィルソン自身は中卒(育った家庭が貧困で高校に進学出来なかった)だったことは、むしろ良かったと思う。工場労働者やヒッピー生活といった、エリート学者では経験出来ないような経験が、彼に貴重な知見を与えたことは明白であるからだ。

ところで、私は、ウィルソンが提示し、未解決と思えた問題を、「中今(今、この一瞬)」という考え方(「今今メソッド」として知られる)で、簡単に解決してしまえることを発見した。

人間が本来持つ、知恵、力、エネルギーは、神秘的に感じられながらも、実は、子供の時や緊急事態には誰もが体験している、極めて身近でありふれたものだ。
我々は、子供の時には出来た、あるいは、緊急事態になら出来ることを、いつでもやれるようになれれば良いだけである。
ウィルソンは、そんな偉大なエネルギーを使ったことに関し、自らの子供時代のエピソードを『右脳の冒険』の中でも述べている。
こんな簡単な話だ。
ウィルソンは10歳になる前だと思われるが、弟と2人で、森の中で道に迷ってしまった。
深い森で、いくら歩いても出口がまるで見つからず、疲労と不安が幼い兄弟を襲い、さらに、雨が降ってきて濡れた身体が冷え、兄弟の不安は絶望へと変わっていき、ついに弟は泣きだし、歩こうとしなくなった。
コリン兄さんであるウィルソンもそうしたかったが、泣きわめく幼い弟を見て、コリンは兄の自覚を感じた。
その時、何かが起こり、コリンはヒーロー化したのだ。
コリンの表情は引き締まり、男らしい態度で、駄々をこねる弟を叱咤しながら激励し、状況に屈服することを拒否し、行動した。
このことを、ウィルソンは「私はしゃんとしたのだ」と述べている。
そして、2人は、ほどなく、森から脱出することに成功する。

その時、ウィルソンに何が起こったのか?
それは、ウィルソンが言うには、右脳のエネルギー、あるいは、右脳に秘められた無意識のエネルギーが、左脳、あるいは、意識の中に豊富に流れ込んできたのだ。
それを行うためには、これも、ウィルソンが言うように、「しゃんとすれば良い」のである。
しかし、我々は、もっと良い言い方を知っている。
それは、「今」を意識することである。
余計なことを何も考えず、今、目の前のことだけを見つめる・・・これだけだ。
まさに、『Satisfaction』(kz feat.初音ミク)にある通り、
「頭の中空っぽにして、目の前だけ見つめるの」
である。

コリン・ウィルソンが、あらゆる著作の中で、人間性を取り戻すことに関する問題を提示し、ウィルソンは、その時に分かる、精一杯の解決方法を示唆したつもりだったが、その全てが、「今、この一瞬を意識する」ことで解決出来る。
何をやっても駄目で、劣等感にとり憑かれた青年が、短期間で誰からも一目置かれる優れた人間になれたのも、実は、意識を今に集中させることを知ったからであると断言出来る。
我々も、今すぐ、「今、この瞬間」に集中して生きることを始めれば、神の全能を手に出来る。
確かに、学校やテレビで、それと真逆の習慣を叩き込まれていて、それは、時代を下るごとに強くなったせいで、慣れるのに、多少の時間がかかるかもしれないが、意図さえすれば(すなわち、今この瞬間に生きることを決定すれば)、勝利は確実である。
なぜなら、新たなものを、どこからか得なければならないのではなく、必要なものは、誰もが、既に内に持っているのだからだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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