私は夢の中で、古代のどこかの国の格闘選手になっていた。
そこは、この21世紀から数千年の過去の異国であり、私がそこにいて、しかも、長いキャリアを持つ格闘家であることに、何の違和感もなかった。
目の前に、他の選手が1人いる。同じ格闘競技の、よく見知った選手である。
しかし、目が覚めた状態の私が言うなら、これまで見たこともない人間だ。
しかし、夢の中では、ずっと前からよく知っていて、私のライバル選手であるのだ。
私の方からこう言う。
「あの時の戦いを覚えているかい?」
彼は目を輝かせながら答える。
「ああ、もちろんだ!」
そんな戦いも思い出もあるはずがないのだが、会話はごく自然なものだ。

夢とはそんなものだと、あなたは言われるかもしれない。
しかし、現実の方も事情は同じなのだ。
朝、目が覚めて見る自分の部屋。昨日も一昨日も、そして、何年も前からずっと同じ部屋だ。
しかし、その記憶は嘘である。
自分の親、きょうだい、妻、夫、子供・・・それらも、本当は、今初めて見るのだ。
それが真実かもしれない。

『灼眼のシャナ・セカンド』というアニメで、高校1年生の坂井悠二が部屋にいると、彼の母親が、コーヒーを淹れたから降りて来なさいと言いに来る(彼の部屋は2階だ)。
悠二はふと気付き、
「母さん、それ、いつものコーヒーだよね?」
と尋ねると、母親は、
「そうよ。美味しいでしょ?」
と爽やかな笑顔で答える(不気味なほど若くてきれいなお母さんだ)。
しかし、続く、悠二の、
「今まで聞いたことなかったけど、そのコーヒー、どこで買ってくるの?」
という問いを聞いた母親は、機械的な笑顔に変わり、
「美味しいでしょ?」
とだけ言って、ドアを閉じる。
悠二は、「これは僕の夢の中だ。だから、僕の知らないことに母さんは答えられない」と思い、今の状態が夢の中であると確信する。
しかし、実際はそうではない。
本当の夢の中なら、彼の母は、コーヒーをどこで買ったかなど、いくらでも答えられ、その答に悠二も納得するのだ。

「世界五分前仮説」というものがある。
この世界は、実は五分前に出来たものであり、それぞれの人の記憶も、実はほんの少し前に「捏造」されたものだというものであるが、実証も出来ない代わりに反証も不可能なのである。この「五分前」は、あくまで、「少し前」の意味で、特に意味はなく、実際は、1秒よりはるかに短いかもしれない。
こういうことを考えるのは、あいつ・・・ノーベル文学賞を受賞した唯一の数学者にして、アリストテレス以来と言われる大論理学者である、イギリスのバートラント・ラッセルしかいない。
「この壁に貼紙するべからずという貼紙をしてもいいのか?」
「このクラスの者はみんな嘘つきなのさと、そのクラスの者が言ったら、その者は正直だから、皆が嘘つきではないのではないか?」
といった、実は人類を数世紀の間悩ませてきた問題も、ラッセルにかかると、論理的に解き明かされてしまう。
(答は、「回れ右」を命じた隊長は、自分は回れ右をしなくて良いということだ。つまり、主体はルールを免れることは証明できる)

それはともかく、この世界も一瞬前に出来たものだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』では、世界は、ハルヒという名の高校1年生のエキセントリック(風変わり)な美少女が、中学1年生の時に創ったものではないのかと疑われている。
しかし、本当は、一瞬前にあなたが創ったのかもしれない。
私が自分のパソコンを起動すると、やがて、初音ミクの壁紙が現れる。そのミクがあまりに可愛いので、ずっと前から、この壁紙にしている。
EXIT TUNES PRESENTS Vocalocluster (ボカロクラスタ) feat. 初音ミク ※音が出ることに注意
でダウンロードしたものだ(今も無料ダウンロードできる。PC用・スマートフォン用など、各種用意されている)。
しかし、じっと見ていると、それがどこかよそよそしく感じられてくる。
本当は、今初めて見るものだと分かってくるのである。
あなたが今から行く学校や会社なども、本当は、今日、初めて行くのだ。
何やら設定(宿題が出ている、仕事で懸案事項を抱えている等)がされているようだが、それも、今しがた出来たものだ。
さて、あなたはそれを見破ることが出来るだろうか?
『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回、「世界の中心でアイを叫んだけもの」で、碇シンジの頭の中で、
「やっとわかったの?バカシンジ!」
という、アスカの声が響く。
バカでもわかれば良い。
「バカシンジ」のシンジのところを、あなたの名前で「バカ○○○」に変えることだ。









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