ナチス・ドイツの宣伝大臣であったゲッペルスの「嘘も百回言えば真実となる」という有名な言葉があるが、これはもちろん、悪党の言葉と見なされている。
だが、これが一面の真理であるとは言えるかもしれず、そもそも、現代の企業の宣伝や政府の政治活動は全てこれである。
だが、この言葉はあまりに甘い。
百回程度で真実になることはない。
百回程度では付け焼刃にすらならず、真実になるには一万回言うことが必要だ。
百回程度でどうにかしようとするから、せいぜいCMやプロバガンダにしか活用されないのだ。
また、泥の中にも真理が落ちていることもある。
『カラテ地獄変 牙』という、私見ではあるが梶原一騎原作のロクでもない空手漫画がある(梶原は天才作家だから面白いかもしれないが)。
その中で、
「空手道に極意なし。あるは一つの突き一つの蹴りの千回万回の反復のみ」(空手道九段・大山倍達)
という光る言葉があった。
梶原一騎だから、大山倍達だから信用しないという人も多いと思うが、こんな真理をきちんと言ってくれる人がいないのも確かである。
一万回言えば真実になる・・・と言うより、一万回言うことで真実が生まれるのである。
言い方を変えれば、一万回言うまでは真実は無いのである。
黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)にかかった武士に、毎日一万回「ありがたい」と言わせたら、一週間で武士は完治し、ありがたい真実が生まれた。
金持ちでなくても、毎日一万回「私は金持ちだ」と言えば、それが真実になる。
この世は数が全てである。
いかなる問題も、解決するのは数である。
AIアート155
「はるかなる道」
Kay
実際は、繰り返すことで思考が消えるから真実が生まれるのである。
百回程度では、ある思考が別の思考に変わるだけである。
そして、どんな思考に変わろうが、思考そのものが悪いものなので、良くなることはない。
学校やテレビは、人々の思考を奴隷思考にするが、奴隷思考が、他の思考に比べ、良いわけでも悪いわけでもない。
思考は全て悪い。
「私は誰か?」と自分に問えば、たった1回でも、僅かかもしれないが、確実に思考が消える。
これを繰り返せば、いずれ完全に思考が消える。
思考が完全に消えれば全知全能である。
あるいは、やや効果は低いが、唱え易い「私は何も考えない」あるいは「われ思わず」という世界コマンドを唱えても良い。
これらは、別の思考に変えるのではなく、思考を消すのであり、思考を消すことのみが理想なのである。
だが、これが一面の真理であるとは言えるかもしれず、そもそも、現代の企業の宣伝や政府の政治活動は全てこれである。
だが、この言葉はあまりに甘い。
百回程度で真実になることはない。
百回程度では付け焼刃にすらならず、真実になるには一万回言うことが必要だ。
百回程度でどうにかしようとするから、せいぜいCMやプロバガンダにしか活用されないのだ。
また、泥の中にも真理が落ちていることもある。
『カラテ地獄変 牙』という、私見ではあるが梶原一騎原作のロクでもない空手漫画がある(梶原は天才作家だから面白いかもしれないが)。
その中で、
「空手道に極意なし。あるは一つの突き一つの蹴りの千回万回の反復のみ」(空手道九段・大山倍達)
という光る言葉があった。
梶原一騎だから、大山倍達だから信用しないという人も多いと思うが、こんな真理をきちんと言ってくれる人がいないのも確かである。
一万回言えば真実になる・・・と言うより、一万回言うことで真実が生まれるのである。
言い方を変えれば、一万回言うまでは真実は無いのである。
黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)にかかった武士に、毎日一万回「ありがたい」と言わせたら、一週間で武士は完治し、ありがたい真実が生まれた。
金持ちでなくても、毎日一万回「私は金持ちだ」と言えば、それが真実になる。
この世は数が全てである。
いかなる問題も、解決するのは数である。
AIアート155
「はるかなる道」
Kay
実際は、繰り返すことで思考が消えるから真実が生まれるのである。
百回程度では、ある思考が別の思考に変わるだけである。
そして、どんな思考に変わろうが、思考そのものが悪いものなので、良くなることはない。
学校やテレビは、人々の思考を奴隷思考にするが、奴隷思考が、他の思考に比べ、良いわけでも悪いわけでもない。
思考は全て悪い。
「私は誰か?」と自分に問えば、たった1回でも、僅かかもしれないが、確実に思考が消える。
これを繰り返せば、いずれ完全に思考が消える。
思考が完全に消えれば全知全能である。
あるいは、やや効果は低いが、唱え易い「私は何も考えない」あるいは「われ思わず」という世界コマンドを唱えても良い。
これらは、別の思考に変えるのではなく、思考を消すのであり、思考を消すことのみが理想なのである。