ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

不安の解消

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

不安な時は

不安を消す方法というのが、凄く人気があると感じる。
YouTubeで、そんな方法を教える動画が沢山あるが・・・まあ、ひどいものばかりだと思う。
不安を消すにはどうすればいいかというと、IQを下げれば良い。
馬鹿は、刺激的なことにしか不安を感じない。
そして、不安を感じないまま撃沈するのである。
撃沈したくはないと思う。

不安があるから備えるのである。
不安だから勉強するし、働くし、良い人間関係を築けるよう気を配るのである。
年金が少ないかもしれなくて不安だから、スキルを磨いて収入を増やし、貯金するのである。
太ることが不安だから、食を慎み、運動をするのである。

「心配事の9割は起こらない」という言葉、あるいは、書籍があるが、「不安な箇所は必ずこける」というエド・マーフィーの法則もある。

禅の公案にこんなものがある。
不安で仕方がないと言う人に、偉いお坊さんが、
「では、不安とやらをここに出してみろ」
と言う。
出せるわけはないので、実は不安は存在しないだのと言いたいのだろう。
本当にそんなことを言ったら殴られるかもしれないし、殴っても不安は消えない。
このお坊さん、仏教のセンセイ方の意見と違い、役立たずでちっとも偉くない。

どこかのボディビルダー(元ボディビルダーかもしれないが)のように、
「不安で仕方がない?なら筋トレだ」
の方がマシかもしれないが、筋トレしても不安は消えない。

不安があったら解決するしかない。
夏休みの宿題が終わるか不安な者に、YouTubeでよくある「不安が消える言霊」なんか唱えさせても、宿題は終わらない。
宿題をやる以外に不安を消す方法はない。

不安を消すために必要なことを何か、敢えてやってみることだ。
夏休みの宿題なら、宿題が何か確認したり、計画を立てたり、ほんの少しでもやってみるのだ。
神は、敢えて行動する者に手を貸すらしいのである。
逆に、何もせずに泣き言ばかり言う者には何もしてくれない。
文句を言わずに、出来ることをする。
人間に、他に何が出来るだろう。

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(1)ものぐさ精神分析(岸田秀)
(2)私はできる: 決意の言葉で人生を変える方法(B・スイートランド)
(3)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)
(4)なぜあなたは我慢するのか(ヴァーノン・ハワード)

風に乗る
AIアート2195
「風に乗る」
Kay

駄目な者が嫌がることを自分はやれば駄目でなくなる

心配とは具体的な恐れで、不安とは漠然とした恐れという違いがあるらしいが、現代人はこの2つに苦しめられているようだ。
お金が足りなくなるかもしれない心配と共に、何か悪いことが起こるかもしれないという不安だ。
ところで、大好きなあの人が、他の人に取られてしまうかもしれないという心配は、健康とお金の心配のない人にしか起こらない。
だから、健康とお金は恋愛より上位にあることが分かるし、実際、健康とお金があると、恋愛もうまくいく。
次に、不安というのは、自分の支配力が及ばないことで被害に遭うかもしれないという恐れだ。
たとえば、地震が起こるとか、外国に侵略されるとかだ。
自分の目のつかないところで、子供が被害に遭うかもしれないという不安が強い人もいる。人間の本性を悪と思っている人が特にそうだ。

心配と不安が強いと、いずれ精神を病む。現代はそういう人が多い。
「心配事の9割は起こらない」という話もあるが、1割は起こるかもしれない。それで十分に恐がることが出来る。
イエスは、心配と不安を持つなと言ったが、それが出来れば本当に幸福になれる。
心配と不安がなければ、引き寄せも自在だ。
では、どうすれば心配と不安を消せるかというと、エメラルドタブレットにあるように「上のごとく下にも」だ。
つまり、個々のことの中に原理を見つければ良い。
案外に簡単だ。

たとえば、プロ野球のバッターが「今期は打てるだろうか?」「このスランプがいつまで続くだろうか?」と非常に心配している、あるいは、不安になっていたとする。
心配しても仕方がない。四の五の言わずバットを振れば良い、つまり、素振りをすれば良いのである。
それ以外に何かあるだろうか?
力士であれば四股を踏めば良いのである。まあ相撲の四股は膝を痛める可能性があるので、佐川流四股をお薦めするが(笑)。

汎用的な素振りとはアファーメーションだ。
そして、何かの宝くじのCMで「1億あれば大抵のことはカタがつく」なんてコピーがあったが、実際、ほとんどの心配や不安は、お金から来る。
そこで、「お金がある」とアファーメーションをすれば、お金が入って来るかどうかはともかくとして、心配や不安がやわらぐ。
十分に多く唱えれば、思考する暇がなくなる。心配や不安は思考から起こるので、思考が消えれば心配も不安もない。
そして、十分に唱えれば、そのアファーメーションは、潜在意識の中で自動的に唱えられ、実際に「お金がある」状態が引き寄せられる。

深刻な心配や不安を抱えている人に「お金がある」と唱えなさいと言ったら、凄く嫌な顔をされた(笑)。
それを見て私は、やっぱりこのアファーメーションは効果があると確信したのである。
丁度、スランプで心配や不安に苦しむバッターに「素振りをしろ」と言ったら、嫌な顔をされるようなものだ。
モテない男に、モテるための真っ当なアドバイスをしたら、ことごとく嫌な顔をされる。なら、そのアドバイスはやっぱり正しいのだ。
超優秀な東大生に、どうすれば東大に入れるかと聞いたら、「簡単です。参考書を1冊、丸暗記すればいい」と言ったらしい。東大に入れない人が聞いたら、さぞ嫌な顔をするだろう。

駄目な者が嫌がることを自分はやれば駄目でなくなる。
これは憶えておくと、なかなか使える。
成功する者は本当は何をしているかは、なかなか見えないが、駄目な者が嫌がることは簡単に分かるものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)100% (ジェームス・スキナー)
(2)最強の営業法則(ジョー・ジラード)
(3)残酷すぎる成功法則(エリック・パーカー)

波の音
AIアート1965
「波の音」
Kay

つまらないことを気にしない人になるには

同じような人が多いと思うが、私も、子供の時や、ごく若い時(18歳くらいまでだろうか)は、多少、身体の調子が悪かったり、身体のどこかに痛みがあっても、あまり気にせず放っておいた。
それで、気がつかないうちに治ってしまった。
しかし、世の中の人やマスコミは、「身体の異変に気をつけよう。それは大病の予兆かもしれない」などと、不安を感じさせることをよく言うので、私も、知らず知らず、身体の異変に敏感になってしまっていた。
また、大きな病気でも経験していると、身体に違和感を感じたりしたら、「ひょっとしたら、また深刻な病気ではないだろうか?」と不安になり易いものだろう。
そして、心配・不安が大きいほど、身体の不調は長引き、実際は大したことはなかったのに、本当に病気になってしまうこともあるかもしれない。

病気ばかりではない。
人に嫌なことを言われたり、されたり、あるいは、ちょっと嫌な出来事があって、それが気になってしまって、どんどん気分が悪くなり、イライラしたり、元気がなくなってしまうこともあるだろう。
そうなると、さらに気分を悪くさせる嫌な出来事が起こるように感じ、実際に、そうなりかねないのである。

過ぎたことを気に病まず、悪いことが起こるのではないかと不安にならないことが、運に恵まれ、楽しく生きるコツであることは、昔から大勢の賢者達が指摘していると思う。
イエスは、「明日を思い煩うな」「明日の心配をするな」と言い、有名な神道家で屈指の形成外科医であった葉室頼昭氏は、「取り越し苦労(将来への不安)、持ち越し苦労(過去を悔いること)は、神への侮辱」と言った。
天才発明家で、能力開発のスペシャリストであった中山正和氏は、「クヨクヨしなければ、頭も運も良くなる」と言った。

だが・・・
どうすれば、アニメの一休さんの歌のように(古くて恐縮だが)、「気にしない、気にしない、気にしない」ようになれるのか、具体的なことを示してくれる人が少なく、実際にどうすれば良いかが分からないのだ。
賢い聖者や賢者は、こんなことを、細かく教えてくれない。
教えてくれたとしても、それは、深遠で難しく、手のつけようがないことが多いから困るのである。
黒住宗忠は、「神に全てまかせれば、いつも安らかである」と言い、つまるところ、神様を信用して全てまかせればいいってことなのだし、イエスも、結局はそう教えているのだろうが、現実的に、神様を信じることがなかなか出来ない人も少なくないと思う。

しかし、上で取り上げた中山正和氏は、具体的な方法として、般若心経の呪文を唱えることを、少し、著書で提案されていた。
だが、もっと全面的に勧めて欲しかった。
中山氏は、頭や運を良くする、科学的・論理的な手法を沢山編み出したので、それをメインに教え、般若心経の呪文は、ついでとしたのだろうが、私のような根気のない凡人は、中山氏の「NM法」などが素晴らしいことは感じつつ、もっともっともっと簡単な方法でないと駄目で、つまり、般若心経の呪文の方が良く、実際、それで効果を上げたのだった。

そんなわけで、イエスの言う「明日を思い煩うな」や、ラマナ・マハルシや荘子が言う「賢者は子供のように、過ぎてしまえば忘れる」を実践し、結果、元気になり、運を良くするには、真言を唱えるのが一番であるし、現実的には、それしかないかもしれない。

般若心経の呪文(真言と言って良い)は、私は、昔から、サンスクリット語で唱えていた。
リズム感があって覚えやすいと思う。それは、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
である。もちろん、普通に唱えられている、中国語版の、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」
でも効果は変わらない。
いずれにしても、この呪文(真言)の効果は驚くべきもので、多く唱えれば唱えるほど良いのである。

「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩」「南無妙法蓮華経」「南無弥勒菩薩」なども良い。
ところで、私は、昔から愛用していた、阿弥陀如来真言を、中国語版から、サンスクリット語版に変えた。
単に、響きが良いと思ったからで、効果そのものに違いはない。
私は、他の真言も、サンスクリット語で唱えることにした。
阿弥陀如来真言であれば、
中国語「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」
サンスクリット語「オーン、アムリタ、テージェ―、ハラ、フーン」
である。
観世音菩薩真言は、
中国語「オン、アロリキャ、ソワカ」
サンスクリット語「オーン、アーロリク、スヴァーハー」
で、ある。
弥勒菩薩真言は、
中国語「オン、マイタレイヤ、ソワカ」
サンスクリット語「オーン、マイトレーヤ、スヴァーハー」
である。
効果自体は、どちらでも同じである。
昨日も書いたが、サムハラ大神の真言「サムハラ」や、「甘露」や「不死不滅」を意味するサンスクリット語「アムリタ」も強力な真言である。

真言を唱えていれば、自然に、取り越し苦労、持ち越し苦労がなくなり、現実の苦労もなくなり、心が安らかになり、健康で運も良くなるのである。
我々は、真言という具体的な武器を持たねばならない。
真言を武器と言うのはどうかと言う人もいるかもしれないが、この悪霊がひしめく世界で、真言は、これを撃つ光線銃と言って良いと思う。
光線銃を撃ちまくるように、真言を唱えるという考え方も良いのではと思う。








気楽になったら問題が消えた

憂鬱やイライラが強いうちは何をやっても成功しない。
憂鬱やイライラの正体は不安であるし、不安が強いと恐怖になる。

あるところに、強い不安を抱えている40代の男性がいたが、常に気分が良くなく、表情はいつも険しかった。
それも当然で、いつ返せるか見当もつかない多額の借金を抱え、会社は明日にもクビになりかねない状態で、健康にもかなりの問題を抱え、おまけに、娘は不良化している。
これで楽しく生きていける訳がない。
ところが、その男が、縁あって、ある僧(らしい人)に会った。
その僧は、何というか、超能力とか霊能力みたいなものがある人だったのかもしれない。
その僧が、その不幸な男に向かって、「お前を気楽にしてやる」と言う。
しかし、不幸な男は「借金が沢山あるのに気楽になったら駄目だし、気楽になるはずがない」と反発する。
だが、まあ、ものは試しということで、どうやるのかは解らないが、不幸な男も、気楽にしてもらうことを承諾した。
すると、僧は、何をしたのかは分からないが、男は、胸のつかえが消えていくのを感じた。それは気持ちの良いものだった。
そして、確かに気楽になっていた。

すると、ほとんど、その日のうちに健康が回復し、不思議なことにお金が増え始め、仕事も順調・・・というか、余計な気を回すことがなくなり、なんと、娘も普通の女の子になっていた。
なるほど、これが、不安を消す効果であるようだ。
しかし、我々は、そんな超能力者まがいの僧にはなかなか出会えない。
そして、はじめに言っておくと、修行でそんな成果を得ようとしたところで修行なんて続かないし、そもそも、正しい修行のやり方なんて、そうそう分かるものではない。
せいぜいが、よくあるように、変な宗教団体に騙されて、有り金全部巻き上げられるだけだ。
念仏を唱えることや、聖書を読むといった良さげなことも、すぐに飽きるだろう。
だが、最終的に、どうなれば良いかが分かれば、良い方法を選択出来るのだと思う。
では、どうなれば良いかというと、「何も考えない」ことだ。
1秒前のことも、1秒先のことも考えない。
そして、そのことが了解されるなら、どんな方法も選択する必要はない。
考えなければ良いのだからだ。
だが、念仏だろうが、「アジマリカン」だろうが、唱えていると、つい、いろいろ考えてしまうものだ。
そうではなく、これらを唱えるなら、何も考えずに唱えなければならない。
これらの言葉に実は意味はない。
ただ、唱えることで思考を放棄する手段になれば良いだけの、ただの方便である。
私は「ミクミク・・・」と言うのが気に入っている。













KayのAI書。
これほど易しい、機械学習・ディープラーニングの実践書は他にないのではと思います。
しかも、なるべく興味深い問題を考えました。
目玉は、モンティ・ホール問題、囚人のジレンマ、エイリアン遭遇回避作戦などです。
本書のほとんど全ての実習で使えるデータを作成するための、沢山のExcelマクロ(VBAプログラム)が無料でダウンロード出来る特典付きです。

不安、恐怖、心配から解放されるには

人間にとって実に嫌なものは、不安や恐怖である。
心配も同じことだ。
これは、未来の悪い予感である。
過去の後悔にしたって、それが元で、未来が悪いものになると思うから厭うのである。
未来に何の影響もないと分かっている失敗であれば、むしろ気持ち良いと思うものである。

不安や恐怖、あるいは、心配をなくす、あるいは、少なくするにはどうすれば良いか?
現実的には、特技を持ち、それを磨くことだ。
今やっている仕事に関係することで、特技を磨くべきだろう。
経理をやっているなら、徹底して会計やそれに関する法律に強くなり、財務が分かるようになることだ。
セールスをやっているなら、超一流セールスマンの本を繰り返して読んで良いところを学んだり、あるいは、心理学を徹底して勉強することだ。
事務をやっているなら、Excelに徹底的に強くなり、VBAで自在にプログラミングできるようになることだ。
さらには、私はよく勧めるのだが、AccessをVBAを含めてマスターすれば、このようなデータベースソフトは未来永劫存在するはずだから、生涯に渡って力を上げていける特技を持てる。

それでも最後の不安は消えないだろう。
しかし、後一歩だ。
人間は、絶対に、不安を覚え、恐怖し、心配するものだ。
実を言えば、それから逃れられる人間はいない。
自我があるからだ。
自我とは、不安、恐怖、心配を作り出してしまうのだ。
ところで、不安も恐怖も心配も、「想い」という一言で言い表せる。
不安を感じ、みぞおちのあたりに重苦しい感覚を感じたら、すぐにこう問うのだ。
「この想いは誰に起こったのか?」
真面目に問うのだ。
すると、答は、「私に」であるに決まっている。
それが分かれば、すかさず、
「私は誰か?」
と問え。
すると、その想い・・・不安、恐怖、心配は霧散し消える。
初めはうまくいかなくても、必ずや成功する。
それまで、勤勉にこれを繰り返すのだ。
その見返りは、喩えようもなく大きいだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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