ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

三日月夜空

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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あの愛すべき10人の男達をなぜ笑うのか?

川を渡った10人の男達が、全員無事であるかを確認しようと、仲間の数を数えるが、何度数えても9人しかいなかったというお話をご存知と思う。
言うまでもなく、彼らは、自分を数えることを忘れているので、当然ながら1人足りないのである。
「あいつが流されたんだ」と誰かが言うと、10人の男達が、それが誰だか分からないのに、悲しくて泣き出してしまう。

小学校などでは、この10人の男達が馬鹿だと子供達に言わせて、皆で笑ったりするのだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?

こんな男達というのは、決して、仲間を失わないのだ。

学校の遠足などで、迷子になる子がよくいる。
家族で遊園地に行っても、子供が迷子になることはよくあることだろう。
どんな場合にそれが起こるかというと、迷子になる子にも落ち度はあるのだが、他の子供達が、その子のことをどうでもいいと思っていたり、親が、自分が楽しむことに夢中で子供のことを忘れてしまっているのだ。
つまり、自分のことはしっかり忘れないが、他の者のことを忘れた時や、注意を払わない時に、誰かが孤独になったり、遭難したりするのだ。

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』には、「あらゆることを、自分を勘定に入れずに」とある。
自分を勘定に入れない者は、他の者を見失わないのである。
なぜなら、自分を勘定に入れないとは、無私であることであり、自分を捨てていることであり、それは、他人を優先し、他人を気遣うことなのだからだ。
他の者のことをどうでもいいと思う者と、自分のことをどうでもいいと思う者。その気高さの違いが分かるだろうか?

私が大好きな、平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』の中で、三日月夜空(高2女子)は、中学2年生の時に校外活動で遊園地に行った時に、1人で1日中レストランで本を読んで過ごした思い出を話す。友達がいない者には、遠足や修学旅行などは、れっきとした拷問である。
高校2年生になった夜空は、致命的に仲の悪い、同じ学年の女子、柏崎星奈と張り合って、2人で、最大クラスのジェットコースターに8回乗り、2人とも吐いてしまって遊園地の従業員に苦言を呈される。だが、2人とも、身体は辛くても、本当は、気分は楽しかったことだろう。
昔は、誰にも数に入れてもらえなかった自分に、本気で向き合ってくれる人がいるのだから。実際、私には、この2人はどう見ても、ただの仲良しさんにしか見えないのだ。

イエス・キリストは、「百匹の羊は放っておいても、一匹の羊を探しに行く」と言った。
百匹の羊は安全だが、孤独な状況にある羊は危険だからだ。
夜空は一匹の羊だった。
学校は、イエスと違い、一匹の羊には構わないし、いなくなればいいと思っている。だから、いじめも黙認する。学校でも、その他の世間でも、異分子は邪魔者でしかないからだ。

10人が川を渡った。
1人が流されてしまい、岩にしがみついていた。だが、他の9人は気付かない。自分のことしか考えていないからだ。
岩にしがみついていた1人は、やがて力尽き、川に飲み込まれて沈んだ。
よくある話である。
私は、愛する夜空を溺れさせたくない。だから、一匹の羊のために百匹を失うことになってもいいと思う。









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汚れちまってることに気付いてこそ美しくなれる

『汚れつちまつた悲しみに…』なんて中原中也の詩がある。
「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・」と、延々、愚痴をこぼすような詩だ。
しかし、汚れなければ悲惨だ。
人は、いったん汚れてこそ、本当に美しくなるのだ。
中原中也だって、それは知っていて、まだ幼い心を持っていた時の感慨を表現しただけなのだとは思う。

いや、実際はこうだ。
汚れちまったも何も、人は最初から汚れている。
ただ、それに気付かないうちは、自分がきれいだという妄想を持っているというだけのことだ。
だから、「汚れちまった悲しみに」ではなく、「汚れていることに気付いた悲しみに」というのが本当なのだ。

中学生とか高校生の頃までは、自分が釈迦やイエスに匹敵する、あるいは、それ以上だと思っている人は案外に多いと思う。
相当、甘やかされた、気の毒な子達だ。
アメリカのように、子供の頃からがんがんバイトをさせて、自分の中の汚れに早く気付くのは絶対に良いことだ。早く気付かないと、本当の美しさを得る時期は遅くなる。例えば、15歳で気付けば、50歳で美しさを得るとして、20歳で気付けば、80歳でもどうかといった感じである。
これが、大企業のサラリーマンや公務員になれば、更に遅くなる可能性が高い。200歳まで生きてやっとかもしれない。

史上最強のセールスマン、ジョー・ジラードは、「誰でも最初は優秀なセールスマンとしてスタートする」と言った。
私は、これを、「最初はみんな真面目だが、だんだん怠けるようになるからな」といった意味に解釈していた。
私が最初にやった仕事はセールスマンだったので、セールスマンがいかに怠けるかはよく知っていたのだ。
だが、ジラードの言葉は、最初は企業に洗脳されているといった程度の意味かもしれない。
いまどき、セールスする製品に、ライバル製品、つまり、同じようなライバル会社の製品が無いということは、まず、ありえない。例えば、トヨタの車を売ろうとしたら、日産にも大体同じような車がある。
セールスマンは、会社から、「部分的には他社の製品の方が優れた部分はあるかもしれないが、当社の製品の方が絶対に良いのだ」と叩き込まれる。それを信じているうちは、経験の無いセールスマンでも案外に売れたりする。私も、かけだしの頃、いきなりセールス・コンテストで優勝したことがある。
しかし、やがて、会社の言ったことは嘘だと気付く。そうなると、自分は、客を騙しているのではと思うことになる。時には、売るために、あきらかに客にとって良くないことを押し通してしまうことが絶対にある。
そんな時に、私は本当に思った。
「汚れちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」
だが、その時は気付かなかった。自分は、元々汚れていることを。

尚、私は、『汚れつちまつた悲しみに…』は、平坂読さんの小説、『僕は友達が少ない』で思い出した。アニメでも、小説の通り、ヒロインの三日月夜空が淡々と朗読する。その時の夜空の横顔が美しかった。詩を読みながら、夜空は何を思っていたのだろう。
汚れ(穢れ)について考えるなら、神道の穢れ(気枯れ)について学ぶと良いだろう。穢れを祓うことを学べるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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