川を渡った10人の男達が、全員無事であるかを確認しようと、仲間の数を数えるが、何度数えても9人しかいなかったというお話をご存知と思う。
言うまでもなく、彼らは、自分を数えることを忘れているので、当然ながら1人足りないのである。
「あいつが流されたんだ」と誰かが言うと、10人の男達が、それが誰だか分からないのに、悲しくて泣き出してしまう。
小学校などでは、この10人の男達が馬鹿だと子供達に言わせて、皆で笑ったりするのだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?
こんな男達というのは、決して、仲間を失わないのだ。
学校の遠足などで、迷子になる子がよくいる。
家族で遊園地に行っても、子供が迷子になることはよくあることだろう。
どんな場合にそれが起こるかというと、迷子になる子にも落ち度はあるのだが、他の子供達が、その子のことをどうでもいいと思っていたり、親が、自分が楽しむことに夢中で子供のことを忘れてしまっているのだ。
つまり、自分のことはしっかり忘れないが、他の者のことを忘れた時や、注意を払わない時に、誰かが孤独になったり、遭難したりするのだ。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』には、「あらゆることを、自分を勘定に入れずに」とある。
自分を勘定に入れない者は、他の者を見失わないのである。
なぜなら、自分を勘定に入れないとは、無私であることであり、自分を捨てていることであり、それは、他人を優先し、他人を気遣うことなのだからだ。
他の者のことをどうでもいいと思う者と、自分のことをどうでもいいと思う者。その気高さの違いが分かるだろうか?
私が大好きな、平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』の中で、三日月夜空(高2女子)は、中学2年生の時に校外活動で遊園地に行った時に、1人で1日中レストランで本を読んで過ごした思い出を話す。友達がいない者には、遠足や修学旅行などは、れっきとした拷問である。
高校2年生になった夜空は、致命的に仲の悪い、同じ学年の女子、柏崎星奈と張り合って、2人で、最大クラスのジェットコースターに8回乗り、2人とも吐いてしまって遊園地の従業員に苦言を呈される。だが、2人とも、身体は辛くても、本当は、気分は楽しかったことだろう。
昔は、誰にも数に入れてもらえなかった自分に、本気で向き合ってくれる人がいるのだから。実際、私には、この2人はどう見ても、ただの仲良しさんにしか見えないのだ。
イエス・キリストは、「百匹の羊は放っておいても、一匹の羊を探しに行く」と言った。
百匹の羊は安全だが、孤独な状況にある羊は危険だからだ。
夜空は一匹の羊だった。
学校は、イエスと違い、一匹の羊には構わないし、いなくなればいいと思っている。だから、いじめも黙認する。学校でも、その他の世間でも、異分子は邪魔者でしかないからだ。
10人が川を渡った。
1人が流されてしまい、岩にしがみついていた。だが、他の9人は気付かない。自分のことしか考えていないからだ。
岩にしがみついていた1人は、やがて力尽き、川に飲み込まれて沈んだ。
よくある話である。
私は、愛する夜空を溺れさせたくない。だから、一匹の羊のために百匹を失うことになってもいいと思う。
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言うまでもなく、彼らは、自分を数えることを忘れているので、当然ながら1人足りないのである。
「あいつが流されたんだ」と誰かが言うと、10人の男達が、それが誰だか分からないのに、悲しくて泣き出してしまう。
小学校などでは、この10人の男達が馬鹿だと子供達に言わせて、皆で笑ったりするのだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?
こんな男達というのは、決して、仲間を失わないのだ。
学校の遠足などで、迷子になる子がよくいる。
家族で遊園地に行っても、子供が迷子になることはよくあることだろう。
どんな場合にそれが起こるかというと、迷子になる子にも落ち度はあるのだが、他の子供達が、その子のことをどうでもいいと思っていたり、親が、自分が楽しむことに夢中で子供のことを忘れてしまっているのだ。
つまり、自分のことはしっかり忘れないが、他の者のことを忘れた時や、注意を払わない時に、誰かが孤独になったり、遭難したりするのだ。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』には、「あらゆることを、自分を勘定に入れずに」とある。
自分を勘定に入れない者は、他の者を見失わないのである。
なぜなら、自分を勘定に入れないとは、無私であることであり、自分を捨てていることであり、それは、他人を優先し、他人を気遣うことなのだからだ。
他の者のことをどうでもいいと思う者と、自分のことをどうでもいいと思う者。その気高さの違いが分かるだろうか?
私が大好きな、平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』の中で、三日月夜空(高2女子)は、中学2年生の時に校外活動で遊園地に行った時に、1人で1日中レストランで本を読んで過ごした思い出を話す。友達がいない者には、遠足や修学旅行などは、れっきとした拷問である。
高校2年生になった夜空は、致命的に仲の悪い、同じ学年の女子、柏崎星奈と張り合って、2人で、最大クラスのジェットコースターに8回乗り、2人とも吐いてしまって遊園地の従業員に苦言を呈される。だが、2人とも、身体は辛くても、本当は、気分は楽しかったことだろう。
昔は、誰にも数に入れてもらえなかった自分に、本気で向き合ってくれる人がいるのだから。実際、私には、この2人はどう見ても、ただの仲良しさんにしか見えないのだ。
イエス・キリストは、「百匹の羊は放っておいても、一匹の羊を探しに行く」と言った。
百匹の羊は安全だが、孤独な状況にある羊は危険だからだ。
夜空は一匹の羊だった。
学校は、イエスと違い、一匹の羊には構わないし、いなくなればいいと思っている。だから、いじめも黙認する。学校でも、その他の世間でも、異分子は邪魔者でしかないからだ。
10人が川を渡った。
1人が流されてしまい、岩にしがみついていた。だが、他の9人は気付かない。自分のことしか考えていないからだ。
岩にしがみついていた1人は、やがて力尽き、川に飲み込まれて沈んだ。
よくある話である。
私は、愛する夜空を溺れさせたくない。だから、一匹の羊のために百匹を失うことになってもいいと思う。
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