「心身医学の父」と言われ、フロイトにエス(無意識の生命エネルギー)の概念を与えたドイツ人医師ゲオルグ・グロデックが『エスの本』で、こんなことを述べていた。
「幼い女の子達が集まって話している様子は、彼女達の母親そのままだ」
これは、主婦達の井戸端会議の破廉恥で放埓(勝手きまま)な様子のことだろう。
この話で、私は、インコやオウムに言葉を教える話を思い出すのだ。
喋ることができる鳥に言葉を教えるのは根気がいる。
鳥のそばで、同じ言葉を、何日も、あるいは、何週間も繰り返さないといけない。
そして、もちろん、きれいな言葉を教えようとするだろう。
「こんにちは、ごきげんいかがですか」
「私はオードリーです」
などだ。
ところが、ある日突然、その鳥は、「アホ!」「いいじゃねーか」「何やってんだ」などと言いだすのだ。
つまり、下品な言葉ほど言い易いので鳥によく聴かせてしまうのだし、鳥の方も、そんな言葉の方が喋り易いのだろう。
「ごきげんいかが」なんて、普段決して言わない言葉は不自然で「どもっている」だろうし、鳥の方だって、じっと見られながら緊張している時に聴くので覚えにくい。
オウムも幼女も同じで、下品なことほど、すみやかに真似してしまうということだ。
もちろん、鳥と小さな女の子ばかりではない。
「まあ、息子さん、お父さんにそっくりね」
と言う場合、お父さんの良い面であることはまずない。
家庭は、男が一番みっともない姿、あるいは、傲慢で殿様振った様子を見せる場所だ。
これもまた、真似しやすく、息子は簡単にコピーしてしまう。
学校の教師は、せいぜい生徒達の前で格好をつけているつもりだろうが、特に同性の生徒の前では油断することが多いだろう。
いずれにしろ、生徒達が真似するのは、教師達の最悪の部分だけだ。
テレビドラマやアニメでさえ、子供達はヒーローやヒロインではなく、オマヌケキャラのやることを真似するものだ。
もちろん、その方が真似し易く、面白いからだ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』も、ヒーローのウィル・ターナーより、崩れた下品な海賊ジャック・スパロウの方が断然真似しやすく、そっちの方が人気が出てしまう。
そしてアメリカの大作家カート・ヴォネガットが言ったらしいが、
「人間はフリをした通りのものになるのだから、何のフリをするかを慎重に決めないといけない」
というのは、おそらく本当のことだ。
そして、上に述べた通り、誰も、自分が何のフリをするかを、ちっとも慎重に考えておらず、最悪のもののフリをして、最悪のものになるのだ。
全く、残念な話である。
だが、幸いにも、これを読んだあなたは、自分がなりたい人物のフリをして欲しい。
私は、カート・ヴォネガットは皮肉屋ではあるが、賢い人だと思う。
それは、彼が、シェイクスピアの『ハムレット』について、実に良い指摘をしていることではっきり分かるのだ。
それは、ハムレットの父の幽霊が、自分はハムレットの叔父に殺されたということをハムレットに教えたということについてだ。
ヴォネガットは、その幽霊が本当にハムレットの父だったかは分かっていないのだと言う。
全くその通りだ。
簡単に信じてしまったハムレットは大馬鹿野郎に違いない。
ルドルフ・シュタイナーは、幽霊ってのは、本人の魂のカスみたいなもので、信用すべきでないと著書に書いていたが、そうなのかもしれない。
シェイクスピアだって、このことについて確信犯だったに違いないが、ヴォネガットが指摘するまで、世界は4世紀も騙されてしまったのだ。
それはひょっとしたら、シェイクスピアの大誤算かもしれない。
ところで、今、角川のKindle本が安い。
『新訳ハムレット』は199円、『時をかける少女』は181円だ。
必要なものは、今のうちに買っておいた方が良いだろう。
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「幼い女の子達が集まって話している様子は、彼女達の母親そのままだ」
これは、主婦達の井戸端会議の破廉恥で放埓(勝手きまま)な様子のことだろう。
この話で、私は、インコやオウムに言葉を教える話を思い出すのだ。
喋ることができる鳥に言葉を教えるのは根気がいる。
鳥のそばで、同じ言葉を、何日も、あるいは、何週間も繰り返さないといけない。
そして、もちろん、きれいな言葉を教えようとするだろう。
「こんにちは、ごきげんいかがですか」
「私はオードリーです」
などだ。
ところが、ある日突然、その鳥は、「アホ!」「いいじゃねーか」「何やってんだ」などと言いだすのだ。
つまり、下品な言葉ほど言い易いので鳥によく聴かせてしまうのだし、鳥の方も、そんな言葉の方が喋り易いのだろう。
「ごきげんいかが」なんて、普段決して言わない言葉は不自然で「どもっている」だろうし、鳥の方だって、じっと見られながら緊張している時に聴くので覚えにくい。
オウムも幼女も同じで、下品なことほど、すみやかに真似してしまうということだ。
もちろん、鳥と小さな女の子ばかりではない。
「まあ、息子さん、お父さんにそっくりね」
と言う場合、お父さんの良い面であることはまずない。
家庭は、男が一番みっともない姿、あるいは、傲慢で殿様振った様子を見せる場所だ。
これもまた、真似しやすく、息子は簡単にコピーしてしまう。
学校の教師は、せいぜい生徒達の前で格好をつけているつもりだろうが、特に同性の生徒の前では油断することが多いだろう。
いずれにしろ、生徒達が真似するのは、教師達の最悪の部分だけだ。
テレビドラマやアニメでさえ、子供達はヒーローやヒロインではなく、オマヌケキャラのやることを真似するものだ。
もちろん、その方が真似し易く、面白いからだ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』も、ヒーローのウィル・ターナーより、崩れた下品な海賊ジャック・スパロウの方が断然真似しやすく、そっちの方が人気が出てしまう。
そしてアメリカの大作家カート・ヴォネガットが言ったらしいが、
「人間はフリをした通りのものになるのだから、何のフリをするかを慎重に決めないといけない」
というのは、おそらく本当のことだ。
そして、上に述べた通り、誰も、自分が何のフリをするかを、ちっとも慎重に考えておらず、最悪のもののフリをして、最悪のものになるのだ。
全く、残念な話である。
だが、幸いにも、これを読んだあなたは、自分がなりたい人物のフリをして欲しい。
私は、カート・ヴォネガットは皮肉屋ではあるが、賢い人だと思う。
それは、彼が、シェイクスピアの『ハムレット』について、実に良い指摘をしていることではっきり分かるのだ。
それは、ハムレットの父の幽霊が、自分はハムレットの叔父に殺されたということをハムレットに教えたということについてだ。
ヴォネガットは、その幽霊が本当にハムレットの父だったかは分かっていないのだと言う。
全くその通りだ。
簡単に信じてしまったハムレットは大馬鹿野郎に違いない。
ルドルフ・シュタイナーは、幽霊ってのは、本人の魂のカスみたいなもので、信用すべきでないと著書に書いていたが、そうなのかもしれない。
シェイクスピアだって、このことについて確信犯だったに違いないが、ヴォネガットが指摘するまで、世界は4世紀も騙されてしまったのだ。
それはひょっとしたら、シェイクスピアの大誤算かもしれない。
ところで、今、角川のKindle本が安い。
『新訳ハムレット』は199円、『時をかける少女』は181円だ。
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