ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ロケットガール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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野生児のパワー

大自然の中で育った人間の、超越的な強さや深遠な知恵というものは、この行き詰まった文明の中で、ますます魅力的なテーマだろう。
そういったことで、よく取り上げられるのは、アメリカインディアンや、オーストラリアのアボリジニなどだが、彼らが深い叡智を持っているだけでなく、霊的な力を有していると言われることもある。
アメリカの作家マルロ・モーガンの『ミュータント・メッセージ』には、オーストラリアの原住民アボリジニ族の人々が持つ超常的な力が描かれている。この本は、ノンフィクションとして出版され、世界的ベストセラーになった。
たが、出版後、主にアボリジニに関する記述の誤りが指摘され、また、アボリジニ自体からの抗議を受け、この本は後に、フィクションとして再刊行された。
もしかしたら、本を売るために、著者のモーガンや出版社が創作を織り交ぜた可能性もあるが、全て嘘とは限らない。
それで言えば、アメリカインディアンに関する話にも、相当な嘘があるだろうが、貴重な真実もあるはずである。

大自然の中で育った不思議な人物とまではいかなくても、いわゆる田舎者が、都会の人間にない優れた特質を見せることは、多くの人が知っていると思う。
昭和のプロレスの大スターだったジャイアント馬場さん(同期の桜のアントニオ猪木さんが今も熱い)のライバルで親友だった、テキサス出身の超大物レスラー、ドリー・ファンク・ジュニアという人が、ある意味、まさに超田舎者だった。
馬場さんは、このドリーを「これほどボケーっとした男はめったにいるもんじゃない」と言う。
物忘れの激しいことは想像以上で、試合用具を忘れて会場入りするなどザラ。
時間の観念はゼロで、集合時間に来たためしはなく、いつも最後にノンビリやって来る。
試合後に会場を出るのも最後。着替えるのに人の何十倍も時間がかかる。
馬場さんは「こいつ、シンから阿呆なのか」と思いたくなると言い、「テキサスの広大な大地で育つと、人間はこうも鷹揚(おうよう。鷹が飛ぶように悠然としていること)になるのか」と著書に書いている。
だが、ドリーは恐ろしくいい男で、人望が厚く、ドリーのためなら、いつでもどこでもすっ飛んでいくというレスラーが全米中にいくらでもいると言う。
そして、ドリーは、プロレスラーとしても、世界ヘビー級タイトルを、当時としては史上2位の、4年3か月保持した。プロレスという巨大なショービジネスの世界で、ここまで成功した実力は驚異的なものだ。
それもまた、鷹揚な、超田舎者の力があってこそと思うのだ。

フィクションとはいえ、不思議なリアリティを感じるのが、野尻抱介さんのSF小説が原作のアニメ『ロケットガール』に登場する、架空の島であるアクシオ島で育った、やはり架空の民族であるタリホ族の16歳の少女マツリだ。
マツリは、恐ろしく高い木のてっぺんに平気で昇り、そこで飛び跳ねて見せる怖いもの知らずの157cm、38.5kgの、日本人を父に持つ少女である。
宇宙飛行士になる過酷な訓練を笑って耐え、猛獣が棲むジャングルでも、宇宙で危機的な状況になっても、まるで不安を感じず平然としている。
そして、精霊を信じる彼女は、本当に精霊に守られているような幸運を、当たり前のように引き寄せる。
彼女のように、馬鹿のように楽天的で、いつも「大丈夫だよ」と確信して言うのは、科学的にも優れた能力であることが認められている場合も多い。
マツリの、うまくいくと決めつける子供のような態度、あるいは、お守りとか神様のようなものが自分や仲間を守ってくれることを、子供のように疑うことなく信じる心の性質が、実際的な力になるのである。まあ、うまくいかないならいかないで、それも神の意思として受け入れるのだろう。
その通りに出来るかは分からないが、私はマツリを見ていて、非常に大切なものを感じたのである。








子供の自信

子供の引き世せなんて、その原動力は「決めつけ」しかない。
たとえば、旅行に行く時、「面白いに決まってる」と決めつけ、実際に面白い旅行になる。まあ、何が起こっても、そんな子にとっては大抵面白いのだが・・・。
「決めつけ」とは何かというと、「無理矢理の予想」「強い期待を伴った根拠のない自信」といったところだ。
これこそ、生命力に満ちた強い意思であり、子供が持っていて、大人が失い勝ちなものだ。
「決めつけ」が出来る子供は、時に、極めて強い。
大人なら、気後れしてしまうことにも、そんな子供は大胆に飛び込み、そして、奇跡のようにやり遂げてしまう。
言い換えれば、子供はゴールからスタートしてしまうのだ。
全く手におえない(笑)。
だから、生命力を取り戻し、不可能を可能にしたいなら、子供らしい子供がやることを見ると良い。

『涼宮ハルヒの憂鬱』で始まる『涼宮ハルヒ』シリーズが面白いのも、ヒロインの涼宮ハルヒが子供っぽいからだ。
「面白い」を予想し、それが「間違いない」と決めつける、ある意味、幼稚な単純思考だ。
この「間違いない」は、根拠のない自信で、そんな自信を持つ者は、馬鹿だと考えられる。
しかし、アメリカ最大の賢者エマーソンは、この根拠のない自信が何より大切だと言ったのだ。

子供が、根拠のない自信を持てる理由は、脳の何かが未発達だからだと思うのだ。
不安とか心配とか疑いに関わる脳の思考回路が完成していないのだと思う。
もちろん、子供でも、ある程度の年齢になれば、「もしかしたら、うまくいかないかもしれない」と思うようになる。
しかし、そんな疑いの思考回路が未熟なので、何かのはずみで、その疑いの思考回路がOFFになってしまうのだ。
私が、小学4年生の時、こんなことがあった。
学校のクラスの席替えの時、男子の9割以上が狙う席は、クラス1の美少女である「あの子」の隣の席だった。
その日、私の頭の「否定回路」のスイッチが入っていなくて、私は「彼女の隣は僕になるに決まっている」という自信に満ちていた。
もちろん、私は、その通りの席を引き当てた(ただし、彼女にサービスする能力に欠けていたので、その後は大変だったが・・・)。
昨日も書いたが、体育の授業で走り高跳びをやった時、なぜか私は、どんな高さでも飛べることに、根拠のない絶対の自信を持っていたので、私は特に長身でもなく、運動神経が良いわけでもなかったが、他の誰も飛べない高さでも、私は楽々飛べた。

根拠のない自信を持った子供や、そんな子供の物語を見ると、強い引き寄せの力を得られる。
『ロケットガール』という、SF作家の野尻抱介さん原作のアニメがある。
普通の女子高生の森田ゆかりが、宇宙飛行士になって宇宙に行くのだが、ゆかりは、良い意味でも悪い意味でも、とても子供っぽいところのある少女だった。。
ゆかりは、初めはロケットに乗ることに、不安や恐怖があって抵抗するが、いざ乗る段になると大変な度胸を見せるのは、若いからというより、子供らしさを感じた。
それでも、ゆかりは、日本という文明国で育ったので、全くの子供というわけではない。それで、緊急事態になると「大人っぽい」不安に襲われた。
ところが、未開民族の中で育った、ゆかりと同い年の異母妹マツリは、最初から何の不安も感じておらず、それはロケットに乗ってからも全く変わらなかった。
マツリは、全く子供らしさを失っていないのだ。
このアニメを見て、私も、かなり根拠のない自信を取り戻した感じだ。
尚、原作者の野尻抱介さんは、ニコニコ動画を消滅危機から救った超ミク廃として知られている。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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