ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

レンズマン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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家畜化されないためには真言を唱えよ

何度も言って恐縮だが、私は、最近やたら沢山の本を出している、スピリチュアル界の大スターである、理論物理学者の保江邦夫(やすえくにお)氏が大嫌いである。
それで、今日も、1時間ばかし、彼のYouTube動画を見ていたのだが(笑)、なかなか良いことを言っている。
だが、やはり、彼が言うことは実践し難いと思う。
なんだかんだ言って、彼は、たまたまいい大学、大学院を出て、若くして物理学の博士号を取り、スイスの大学で長く講師をしてフランス語も上手く、日本に帰ってきたら、どこかの女子大の教授になり、おそらくは高給を取って、定年退官の折には退職金もたっぷり、武道家としても良い地位にいる。
それだけやれば、世界中に友達も多く、いろんな情報が入って来るし、活動範囲も広がり、さらにガッポリ(笑)。
まあ、私が彼を嫌いな理由は、そんなところにはある(笑)。
いや、それよりも、やはり、彼には、「偉大なり俺」の雰囲気を感じるところで、それでいながら、自我を消す訓練が進んでいるようなことを言うところだ。

ただ、今日見た動画は、なかなか良いことを言っていて、勉強になった。
しかし、やはり、「ではどうしたら良い」という部分で、曖昧で抽象的で、出来もしないことを言うのだ。
例えば。「徳を積んで下さい」なんてね(笑)。

別に見なくていいが(笑)、私が見たのは、これに続く、延々十数本の動画だ。
【YouTube】保江邦夫 先生 祈りを捨て 街に出よ!!『2020 新春おとしだま特別企画』 <#1>

彼の話はなってないので(笑)、私が分かり易く言おう。
地球上の生物は、喩えて言えば、1つのマンションに住んでいる住民のようなものだ。
進化した生物ほど上の階に居て、我々人間は屋上に居る。
その屋上にいる人間だけが、空、天・・・つまり、神が見える。
我々より1階下だけのチンパンジーだって、天井しか見えない・・・つまり、神は見えないのだ。
つまり、人間だけが、神を見る特権を持っているのである。
そして、顔を上げさえすれば神を見ることが出来るので、実際に顔を上げて神を見る人は、そこそこはいたのだ。
ところが・・・
今は、誰も神を見なくなってしまった。
なぜか?
それは、人間が居る天井がないはずの屋上に、天井が出来てしまったのだ。
その天井を作ったのは誰か?
保江氏はグーグルだと言うが、まあ、ビッグテック、あるいは、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)だと思えば良いだろう。当然、マイクロソフトやツイッターも入る。
我々は、今は、神を見る代わりに、スマホで、ビッグテックのサービス・・・検索、マップ、SNS、通販サイトを見るようになり、神を見なくなり、神を見ることを忘れてしまったのだ。
このままでは、犬や猫や牛や馬や鳥や魚が人間に支配され、あるいは、食べられ、人間にとっての害虫が人間に駆除されたように、我々はビッグテックに支配され、駆除される・・・いや、もうかなりされていると言うべきだろう。
食べられはしないとは思うが、一部、陰謀論ではDSと結託する宇宙人には人間を食べる(血を飲む)宇宙人もおり、これは、映画『インデペンデンス・デイ2016』でも描かれている。

まあ、実際は、テレビを見るようになってから、かなりその傾向(神を見ずにテレビを見る)はあったし、現在もマスコミは強い。
そして、マスコミやビッグテックを操る、さらに上位の黒幕がいるのだろうが、そこらは、当然、保江氏はよくご存じと思う。

いずれにしろ、神を見なくなった人間は、どんどん惨めになっていく。
ではどうすればいいかと言うと、保江氏はもったいぶって、引き伸ばしながら話すので、もういいやと思い見てないが(笑)、言ったとしても、我々に実践不能な難しいことを言うのだろう。
だが、解決は簡単だ。
私がいつも言うように、真言を唱えれば良い。
真言を唱えれば、ビッグテックやDS(闇の権力者)が作った天井など見透かし、我々は神や仏を見ることが出来る。
こちらが見れば、神や仏も我々を見てくれるし、こちらが想えば、神や仏も我々を思ってくれる。
このあたりは、法然の『選択本願念仏集』に書かれている通りである。
真言に関する細かい説明は省くが(今朝も随分ややこしいことを書いてしまった)、真言さえ唱えれば、ビッグテックもDSも恐るるに足りない。
ひょっとしたら、陰謀論者が言うように、DSには宇宙人が関わっているかもしれないが、神仏とされる高位の宇宙存在のレベルはけた違いである。
このあたりを象徴的で良ければ、知りたければ、E.E.スミスの伝説的なSF『レンズマン』シリーズ(DSを宇宙的規模で描いている)の、アリシア星人を見れば良い。このアリシア星人は宇宙最高の存在である。
『レンズマン』シリーズでは、アリシア星人と接触出来るのは、レンズマンという宇宙のエリートだけだが、真言を唱えれば、誰でも接触・・・少なくとも、神仏の方では気にかけてくれるのである。
「徳を積め」などと言われても、親鸞が言うように、そんなことは思うようには出来ない。
そして、親鸞が言ったように、念仏(真言も同じ)以上の徳はないのである。








英雄誕生

子は親に似るのは確かだし、子は親の鏡であることは実際に多い。
親を嫌う子や、親に嫌われる子ですら、そうなのである。
そして、人間は、一生、親に似たままだ。
ただし、何もしなければ。

人間は、誰かの真似をする必要はなく、自分は自分であれば良いなどという。
しかし、自分であるつもりであっても、親、あるいは、幼い頃に長時間接した大人の影響はあまりに大きい。
だから、理想とする人間を選び、それに成ることも必要なのだ。
白鳥の子は、アヒルの子のまま生きるよりは、飛び切り素晴らしい白鳥の真似をした方が良いのである。

では、どうすれば、本当に理想的な人間になり切ることが出来るのだろうか?
アメリカ最大の賢者の1人、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの『歴史』にその素晴らしいヒントが書かれている。
それは、
「英雄の物語を読む時、それは自分の物語であると見なさなければならない」
である。
福音書には、イエス・キリストの物語が書かれているが、それは、実は自分の物語であると知らなくてはならない。
アーサー王は、生まれ自体は汚らわしかったが、偉大な英雄になった。それがあなたの物語なのである。
E.E.スミスの『レンズマン』シリーズのヒーロー、首席レンズマンであるキニスンの物語はあなたの物語である。
キニスンは優秀で勇敢であるだけでなく、一匹のクモにさえ借りを返す義理堅い男でもある。
平井和正原作、桑田次郎漫画の『8(エイト)マン』で、8マンは1人の子供のために1国を敵に回せる男・・・まさにあなたのことである。
いつか、トランプ大統領が、邪悪で強大な外国勢力と結びついた欲に塗れた連中(権力者や主要メディア)からアメリカを守った話が物語になるだろう。
それを自分の物語であると気付いた多くの英雄が、アメリカや、その他の国に生まれるのである。












世界を動かす者の日常

1994年の人気テレビドラマ『この世の果て』(主題歌は尾崎豊『OH MY LITTLE GIRL』)を、私はたまに見ていたのだと思うが、最終回のある場面をよく覚えている。
天才ピアニストだったが、ピアノを弾けなくなった高村士郎は、ロクな就職も出来ない駄目男になった。営業マン、警備員、何をやっても務まらず、すぐに辞めざるを得なくなる。
その士郎が、ある画廊に、就職の面接に行く。
画廊の女主人は、絵のことを何も知らない士郎が、ここで働くには全く不適格だと言いつつ、就職希望者全員に行うテストはしてあげようと言う。
女主人は士郎に、2枚の絵を見せ、問う。
「どちらが優れた絵ですか?」
士郎は無言で、即座に、一方の絵の方向を指差す。
女主人は笑う。そして、士郎が選んだのと反対の絵を示し、
「これは有名な画伯が描いた、数千万円の価値のあるもの」
と言い、士郎が選んだ絵は、
「一介の画学生が描いたに過ぎない」
と言う。
だが、士郎は静かに微笑み、そして、そこで働くことになる。
士郎が選んだ絵は、女主人が若い時、交通事故で死んだ恋人が描いたものだった。
その絵は、女主人にとって、値のつけられない大切な絵だったのだ。
士郎が、何かを感じて、その絵を選んだのか、あるいは、全く分からず、どうでも良いという気持ちで選んだのかは分からない。
私は、今思うと、どちらかとうと、後者であると思う。
士郎には、何の意図もなかったと思うのだ。
つまり、無であった。
初音ミクさんのようなものだ。それを選ばずにいられるだろうか?

1937年から始まる、E.E.スミスのSF小説『レンズマン』シリーズで、地球で最も優れた男キニスンは、宇宙で最も精神を進化させたアリシア人の訓練を受けた時、アリシア人と対抗することは、「ハエが宇宙船を止めようとするようなもの」(実際は違う表現だったが、私はこう覚えてしまった)と思う。
だが、無になれば、宇宙船でも流星でも止められる。
そして、『まちカドまぞく』で、走っているダンプを片手で止める魔法少女の桃が、お腹が空いている優子に自分の菓子パンをあげたように、流星を止める者は、ゴミ出しの日に、出して良いゴミをちゃんとした袋に入れて出すのだ。
ほんの少しの思考力を使えば出来る、当たり前のことをし、後は何も考えない者が世界を動かすようだ。








宇宙最強の生物の教え

気が出れば、流れに乗って泳ぐごとく、何事もうまくいくし、運にも恵まれる。
では、気とは何で、それをどうやって出すかとなると、個人的な閃きに頼ることになる。
そのために、本を読んだり、いろんなことをやってみて、知識や経験ではなく、閃きを求めるのである。

E.E.スミスの有名なSF小説『レンズマン』シリーズで、最強の宇宙生命体アリシア星人が、こんなことを言う。
「石ころ1つにでも、何万年も集中すれば神のようになる」
根本的な原理はこれしかあるまい。
つまり、長期間に渡る集中であるが、その集中は自然に起こらねばならず、そのためには、長期間に渡って、同じことを真面目に繰り返すしかない。
だから、世間レベルで言うなら、どんなことでも、10年、真面目に取り組めば、気が出て必ず成功するのである。

それを私が確信したのは、AI研究者として名高いピーター・ノーヴィグが、「プログラミングをマスターするには10年かかる」と言ったことからだ。
Teach Yourself Programming in Ten Years
私も同感だ。
もちろん、下手でもそこそこ役に立つプログラムなら3年程度で書けるようになる。
会社でちょっと良い給料を得るためなら、早い人で3ヶ月で何とかなるかもしれない。
しかし、本当にちゃんと出来るようになるには、やはり10年かかる。
ピーター・ノーヴィクのように、極端に頭が良い人でもそうだし、IQが極めて高いビル・ゲイツも、やはりそのくらいかかったはずなのだ。
そして、それは、どんなことでも同じと思う。

とはいえ、気を出すだけなら、何かに集中する訓練をすれば、1ヶ月もあれば、力と安定性には欠けるが、なんとか気を出せ、ちょっとしたことで役にも立つ。
例えば、念仏を毎日1時間唱えることを1ヶ月休みなく続ければ、その者を気が包んでいるのを、誰でも何となく感じる。
腕振り運動を毎日千回やるのも良い方法と思う。
そして、その程度のことでも、ささやかなことなら、不思議とうまくいってしまう。
だが、そんなことで満足せず、恒久的で安定した力を得るには、長期に渡って継続することが必要である。









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金持ちになる呪文とそれを唱える意外な秘訣

『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中に、ある古い廟(びょう。寺院のこと)のお話がある。
建てられてから数千年も経っているのに、建てられたばかりのようであるという。
どこかが壊れてしまっても、勝手に元通りになってしまうのだそうだ。
この廟の中では、「生命、愛、調和」という言葉しか使われない。
「生命」には「愛」と「調和」も含むので、本来は、1つでも良いのではと思うが、いろんな意味で・・・例えば、人間には、それぞれ性向があるので、同じでありながら、ちょっと表現が違う言葉を用意した方が良い・・・とかいうこともあるだろう。

イエスも言ったように、肉体は神の住む神殿(神殿も廟と言う)である。
生命とか、愛という言葉を、頭の中で常につぶやけば、肉体に関しても、無限の平癒の力が働く。
また、常日頃、「不死身」という言葉を頭の中でつぶやき続け、何度も至近距離から発砲されたにも関わらず怪我1つしなかった刑事もいたらしい。
「永遠」「無限」も、「不死身」を意味するので、好みによれば、こちらを用いれば良い。
そして、最大の効果をもたらすポイントは、やはり、「1つの言葉を」「感情を込めず淡々と」繰り返すことである。

政木和三さんと一緒に食事をしていた時、政木さんは、「私はお金なんてちっとも欲しくないのですが」と前置きした後、「入ってくるものは仕方がないです」と言われた。
当時、政木さんは1年に1億円ほど納税していたらしい。
「入ってくるものは仕方がない」
これは、感情を込めずに淡々とつぶやくことが出来るうまい言い方である。
そして、近くにいる奥さんにはばかりながら、「私は女なんてどうでも良いのですが」と断りつつ、「来るものは仕方ないですね」と、珍しく笑いながら言われた(滅多に笑わない人だった)。
なるほど、モテたければ、「好かれるものは仕方がない」とでもつぶやけば良いのだろう。
普段は、「大丈夫」「絶好調」といった言葉を常に心でつぶやきながら、パートタイムで「好かれるものは仕方がない」とつぶやくのはありで、そんな臨時の言葉が即効を持つかどうかは、やはり、普段、「たった1つの言葉」をきちんと唱えているかどうかにかかっている。
たとえば、格好良くなりたければ、1日3回「なんて格好いいんだ」とつぶやければ良い。
この言葉は、E.E.スミスの、1937年から始まったSFであるレンズマン・シリーズの2作目、1939年の『グレー・レンズマン』で、グレー・レンズマンに昇格したキニスンが、鏡に映った、初めてグレー・レンズマンの制服を着た自分を見た時に、思わず言った言葉だ。
優れた小説は、アファーメーションの宝庫である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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