今回は、『老子』第11章である。
この章を一言で言えば「隠れろ」だ。
この第11章は、『老子』の中で、一般にもよく引用される。
しかし、皆、同じ間違いをする。
老子が、「壺が役に立つのは、中に空間があるからだ」と、うまいことを言っているとしか思えない人が多いのだと思う。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、「本当に大切なものは目に見えない」という名言があるが、それと同じ意味だと言いたい人も多いだろう。
また、アメリカのカンフードラマ『燃えよ!カンフー』(原題『カンフー』)では、「少林寺の教えを受けたものは、目に見えず、耳に聞こえず、触っても指に感じない」という神秘的な言葉が使われているらしいが、これも同じことを言っているように感じるかもしれない。
この『燃えよ!カンフー』の言葉自体は悪くないが、『老子』第11章とは関係ない。
もしかしたら、荘子は、この章を「無用の用」と解釈したのかもしれない。
つまり、こんな感じだ。
立派に成長した木は、木材として使われるので、切り倒されてしまう。
だが、曲がりくねり、悪臭を放つような木は、誰も見向きもしないので、いつまでも生きられる。
・・・なんてことはないよ、荘子さん(笑)。
実際は、そんな悪い木は、抜かれて捨てられるか燃やされる。
会社で言えば、有能な社員は、確かに、会社に使われまくって疲労してストレスを溜める。
とはいえ、無能な社員は、瞬間的にこそ、何もやらされないので気分が良いが、いずれクビになる。
学校や会社に入ったら、賢い人は、その校風や社風に馴染んだフリをするものだ。
でないと、教師や上司にちょっかいを出される。
「わが校の生徒らしくしろ」
「わが社の社員らしくしろ」
とね。
地球では、他の人間と同じように、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に操られて虫けらのような人間にされてしまっているフリをしないと、そのマインドコントロール装置に見つかって洗脳し直される。
アインシュタインだって、高校までは学校に反発し、教師にいじめられ、下手をしたら宇宙人に目を付けられかねなかったが、大学では意外と従順で、いやいやながら試験をちゃんと受けてパスし、卒業した。
それで、宇宙人の目を逃れた。
一方、モーツァルトは目覚めていることを隠さなかった。
しかも、宇宙人の装置が、モーツァルトをうまく洗脳出来ないので、宇宙人は、他の人間を使って、モーツァルトを殺してしまう。
モーツァルトが、本当に宇宙人の洗脳を解いてしまう音楽を作りかねないからね。
モーツァルトが作ってしまった音楽にも、そこそこの覚醒作用はある。
レイ・ブラッドベリの短編『僕の地下室においで』では、宇宙人のたくらみに薄々だが気付いてしまったロジャーという青年が、宇宙人(あるいは宇宙人のマインドコントロール装置)に見つかってしまい宇宙人に再洗脳されてしまう。
あなたは、あんなふうになってはいけない。
だから、凡人のフリをしなくてはならない。
それで、宇宙人の目から隠れることが出来る。
だが、「私は誰か?」と問うている間は、宇宙人にはあなたは見えない。
彼らは、身体を見るような非効率はせず、マインドを見ている。
だが「私は誰か?」と問うていると、無色透明になり、見えないのである。
「最近、心がおかしい」と思うなら、ヤバい兆候かもしれない。
「私は誰か?」と問うていないと、宇宙人に脳を改造されてしまうかもしれない。
尚、『僕の地下室においで』は、萩尾望都さんの『ウは宇宙船のウ』に収録され、他の作品も面白いのでお奨めである。
これは読んでおいた方が良い。
この章を一言で言えば「隠れろ」だ。
この第11章は、『老子』の中で、一般にもよく引用される。
しかし、皆、同じ間違いをする。
老子が、「壺が役に立つのは、中に空間があるからだ」と、うまいことを言っているとしか思えない人が多いのだと思う。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、「本当に大切なものは目に見えない」という名言があるが、それと同じ意味だと言いたい人も多いだろう。
また、アメリカのカンフードラマ『燃えよ!カンフー』(原題『カンフー』)では、「少林寺の教えを受けたものは、目に見えず、耳に聞こえず、触っても指に感じない」という神秘的な言葉が使われているらしいが、これも同じことを言っているように感じるかもしれない。
この『燃えよ!カンフー』の言葉自体は悪くないが、『老子』第11章とは関係ない。
もしかしたら、荘子は、この章を「無用の用」と解釈したのかもしれない。
つまり、こんな感じだ。
立派に成長した木は、木材として使われるので、切り倒されてしまう。
だが、曲がりくねり、悪臭を放つような木は、誰も見向きもしないので、いつまでも生きられる。
・・・なんてことはないよ、荘子さん(笑)。
実際は、そんな悪い木は、抜かれて捨てられるか燃やされる。
会社で言えば、有能な社員は、確かに、会社に使われまくって疲労してストレスを溜める。
とはいえ、無能な社員は、瞬間的にこそ、何もやらされないので気分が良いが、いずれクビになる。
学校や会社に入ったら、賢い人は、その校風や社風に馴染んだフリをするものだ。
でないと、教師や上司にちょっかいを出される。
「わが校の生徒らしくしろ」
「わが社の社員らしくしろ」
とね。
地球では、他の人間と同じように、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に操られて虫けらのような人間にされてしまっているフリをしないと、そのマインドコントロール装置に見つかって洗脳し直される。
アインシュタインだって、高校までは学校に反発し、教師にいじめられ、下手をしたら宇宙人に目を付けられかねなかったが、大学では意外と従順で、いやいやながら試験をちゃんと受けてパスし、卒業した。
それで、宇宙人の目を逃れた。
一方、モーツァルトは目覚めていることを隠さなかった。
しかも、宇宙人の装置が、モーツァルトをうまく洗脳出来ないので、宇宙人は、他の人間を使って、モーツァルトを殺してしまう。
モーツァルトが、本当に宇宙人の洗脳を解いてしまう音楽を作りかねないからね。
モーツァルトが作ってしまった音楽にも、そこそこの覚醒作用はある。
レイ・ブラッドベリの短編『僕の地下室においで』では、宇宙人のたくらみに薄々だが気付いてしまったロジャーという青年が、宇宙人(あるいは宇宙人のマインドコントロール装置)に見つかってしまい宇宙人に再洗脳されてしまう。
あなたは、あんなふうになってはいけない。
だから、凡人のフリをしなくてはならない。
それで、宇宙人の目から隠れることが出来る。
だが、「私は誰か?」と問うている間は、宇宙人にはあなたは見えない。
彼らは、身体を見るような非効率はせず、マインドを見ている。
だが「私は誰か?」と問うていると、無色透明になり、見えないのである。
「最近、心がおかしい」と思うなら、ヤバい兆候かもしれない。
「私は誰か?」と問うていないと、宇宙人に脳を改造されてしまうかもしれない。
尚、『僕の地下室においで』は、萩尾望都さんの『ウは宇宙船のウ』に収録され、他の作品も面白いのでお奨めである。
これは読んでおいた方が良い。