ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

レイ・ブラッドベリ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第11章を一言で言うと「隠れろ」

今回は、『老子』第11章である。
この章を一言で言えば「隠れろ」だ。

この第11章は、『老子』の中で、一般にもよく引用される。
しかし、皆、同じ間違いをする。
老子が、「壺が役に立つのは、中に空間があるからだ」と、うまいことを言っているとしか思えない人が多いのだと思う。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、「本当に大切なものは目に見えない」という名言があるが、それと同じ意味だと言いたい人も多いだろう。
また、アメリカのカンフードラマ『燃えよ!カンフー』(原題『カンフー』)では、「少林寺の教えを受けたものは、目に見えず、耳に聞こえず、触っても指に感じない」という神秘的な言葉が使われているらしいが、これも同じことを言っているように感じるかもしれない。
この『燃えよ!カンフー』の言葉自体は悪くないが、『老子』第11章とは関係ない。

もしかしたら、荘子は、この章を「無用の用」と解釈したのかもしれない。
つまり、こんな感じだ。
立派に成長した木は、木材として使われるので、切り倒されてしまう。
だが、曲がりくねり、悪臭を放つような木は、誰も見向きもしないので、いつまでも生きられる。
・・・なんてことはないよ、荘子さん(笑)。
実際は、そんな悪い木は、抜かれて捨てられるか燃やされる。
会社で言えば、有能な社員は、確かに、会社に使われまくって疲労してストレスを溜める。
とはいえ、無能な社員は、瞬間的にこそ、何もやらされないので気分が良いが、いずれクビになる。

学校や会社に入ったら、賢い人は、その校風や社風に馴染んだフリをするものだ。
でないと、教師や上司にちょっかいを出される。
「わが校の生徒らしくしろ」
「わが社の社員らしくしろ」
とね。
地球では、他の人間と同じように、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に操られて虫けらのような人間にされてしまっているフリをしないと、そのマインドコントロール装置に見つかって洗脳し直される。
アインシュタインだって、高校までは学校に反発し、教師にいじめられ、下手をしたら宇宙人に目を付けられかねなかったが、大学では意外と従順で、いやいやながら試験をちゃんと受けてパスし、卒業した。
それで、宇宙人の目を逃れた。
一方、モーツァルトは目覚めていることを隠さなかった。
しかも、宇宙人の装置が、モーツァルトをうまく洗脳出来ないので、宇宙人は、他の人間を使って、モーツァルトを殺してしまう。
モーツァルトが、本当に宇宙人の洗脳を解いてしまう音楽を作りかねないからね。
モーツァルトが作ってしまった音楽にも、そこそこの覚醒作用はある。

レイ・ブラッドベリの短編『僕の地下室においで』では、宇宙人のたくらみに薄々だが気付いてしまったロジャーという青年が、宇宙人(あるいは宇宙人のマインドコントロール装置)に見つかってしまい宇宙人に再洗脳されてしまう。
あなたは、あんなふうになってはいけない。
だから、凡人のフリをしなくてはならない。
それで、宇宙人の目から隠れることが出来る。

だが、「私は誰か?」と問うている間は、宇宙人にはあなたは見えない。
彼らは、身体を見るような非効率はせず、マインドを見ている。
だが「私は誰か?」と問うていると、無色透明になり、見えないのである。
「最近、心がおかしい」と思うなら、ヤバい兆候かもしれない。
「私は誰か?」と問うていないと、宇宙人に脳を改造されてしまうかもしれない。

尚、『僕の地下室においで』は、萩尾望都さんの『ウは宇宙船のウ』に収録され、他の作品も面白いのでお奨めである。
これは読んでおいた方が良い。








忍び寄る侵略者に勝つ

日本も現在、侵略を受けている。
侵略と言っても、以前のようにドンパチ(ミサイルや戦闘機や機関銃)で攻めて来るのではない。
敵の攻撃は洗脳であり、侵略するのは我々の脳・心である。
その洗脳は、テレビ、新聞、学校、金融、映画、書籍を通して長年行われてきたが、いまや敵は、インターネット(SNSを含む)を手中に収めつつある。
その中で、我々の状況は、不利といった程度のものではない。
なぜなら、大半の者は、侵略を受けていることや、敵の存在にすら気付いていないのだから。
我々は何より、直ちに、敵の存在、敵の侵略事実を認識しなければならない。

どうすれば、それを認識出来るか?
何ごとも、まず、喩えが少しは役立つかもしれない。
萩尾望都さんが、レイ・ブラッドベリの『スは宇宙(スペース)のス』を中心に漫画化した作品、『ウは宇宙船のウ』の中の、『ぼくの地下室においで』を読むと良い。
ブラッドベリ自身の小説『スは宇宙(スペース)のス』でも良いが、これは売り切れのことが多く、何より、萩尾さんの漫画が良い。彼女は天才だ。
もちろん、この作品では、象徴的に描いているが、あの通りのことが、今、本当に起きている。
『ぼくの地下室においで』の中で、大学生のロジャーは、異常事態に気付いていた稀有な人間だった。
そして、彼は、ガールフレンドのマニーに警告するが、マニーは、いきなりだったこともあり、ほとんど理解出来なかった(だが、少なくとも真面目に聞いてくれた)。
最後にロジャーは言う。
「時間切れになるまえに…間に合ううちに…さもなきゃ僕らは…みな…おしまいだよ…!」
では、ロジャーはどうしろと言ったのか?
「気をつけろ」
「六感を・・・直観を働かせるんだ」
「頭の細胞全部使うんだ」

しかし、それではもう遅いかもしれない。
そこで、もっと良い方法を教えよう。
敵が手をつけられないものを使うのだ。
それは、神仏の名だ。
確かに、敵は、自分達の都合の良いように、神や仏の一般概念を穢し切り、歪めてしまった。
しかし、神仏の名には、決して手は出せない。
天照大神、阿弥陀仏、観世音菩薩、弥勒菩薩、イエス、クリシュナ・・・。
好きな神の名を、心の中で丁寧に唱えることだ。
神仏の名は、人がつけたものではない。
高次の魂が、高貴な人間の魂に伝えたものなのだ。それは、1つの神仏が、様々な言語での名前になる時にも、必ずそうだった。
そして、神仏の名を唱えると・・・心の中で丁寧に唱え続けるとどうなるだろう?
W.B.イェイツが『悪魔と野獣』で、

夜となく昼となく私を悩ませる
あの狡猾な悪魔とあの騒々しいい野獣が
少なくとも、ある瞬間だけは
私の視界から走り去ったのである。
~『W・B・イェイツ全詩集』(鈴木弘訳)より~

と述べたように、あるいは、T.E.ロレンスが『知恵の七柱』で

世界の物音、香り、彩が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著)より~

といったように、魂は神と融合し、全てが明らかになると共に、既に敵に打ち勝っているのである。
これが、神仏の名の神秘の力である。








幼い頃の愛

人間が幸福になれるかどうかは、法然にとっての念仏のような何かを持ち続けることで決まるのだろう。
つまり、毎日、1日のうちのかなりの一定時間を、喜んでそのために使う何かを持っているかどうかだ。
それをする時間が2時間か3時間であっても、やっている本人にとっては、ほぼ一日中やっているような感覚なのだ。
イチローのストレッチや、フリッツ・フォン・エリック(プロレスラー)が常に野球ボールを握って握力を鍛えたようにだ。
野球選手の素振りが最も良い例であると思う。良いバッターは、いつでもどこでも素振りをしたがるし、するものだ。
岡田虎二郎は、「常に腹に力を込めよ」と言い、「念仏をするなら、生活しながら念仏をしては駄目で、念仏をしながら生活するようでなければならない」と言ったが、全くそんな感覚である。
そして、何をするかは自分で決めなければならない。
ただし、何でも良い。
それほど情熱を持てないものであっても、やり続けさえすれば、やがて本物になるということもあるだろう。
だから、「やることがなければ」とは言わなかったが、法然や岡田虎二郎は、実質、そんな意味合いで、念仏や静坐(腹に力を込め続けることも静坐に含む)を勧めたのかもしれない。
何でも良いが、少なくとも1ヶ月は1つに徹すべきだろう。
あれをやったり、これをやったりでは、いつまでたっても力は得られない。
しかし、何か1つに徹し、常にそれをやれば、偉人に近付き、いずれ偉人になる。
その1つをやり続ければ、傍目には百のことをやっているようにも見えるかもしれないが、本人は1つのことをしているだけのつもりなのだ。
人間が偉大であるかどうかは、常に意思の力を働かせるかどうかなのだろう。
意思の力を働かせなければ、即ち緩み、落ちて行く一方だ。
意思の力は天に導くが、その力を放棄すれば重力に捉えられ、肉体も魂も地の底に沈んでいく。
まずは、肉が地の方向に落ちていって老人の身体になり、IQは落ち、糞尿と同じようなものになる。
そうなりたくなければ、素振りを続けることである。
全て忘れても構わないが、素振りをすることだけ覚えていれば良いのだと思う。

初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」に行ってから、ビージーズの『First of May(若葉の頃)』を思い出す。
自分でも気付かなかったが、
We used to love, while other used to play.
(みんなが遊んでいた時、僕達は愛していた)
という英語の詩を覚えていたのだ。
ミクさんを見て、そんな愛を思い出したのだ。
それは、レイ・ブラッドベリの『みずうみ』で、最後にハロルドが、
She will be forever young and I will love her forever,oh God,I will love her forever.
(彼女は永遠に幼く、そして僕は、永遠に彼女を愛する。神よ、僕は永遠に彼女を愛する)
と言ったのと同じだ。
レイ・ブラッドベリのレイはRayだが、ミクさんがBUMP OF CHICKENの『ray』を歌ったことも何か象徴的だった。
MayとRayは語感が似ているし、私はKayだし・・・
やはり、宇宙はつながっているようだ。
私はいまだコンサート会場にいて、宙を漂っているようだ。









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愛する人は故郷に似ている

空也上人(くうやしょうにん)の言葉とされる、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は、普通は、自分の命を犠牲にするほどの覚悟を説いたものと思われているが、人間、そう度々、命を賭けてはいられない。
空也上人のこの言葉は、そんな緊急事態専用ではなく、もっと日常の心構えだと私は思う。

私は、この「身を捨てる」は、自己顕示をしないことだと心得ている。
簡単に言えば、自分を実際より大きく見せようと思わないことで、自分が思っているより自分を小さく見られても耐えるということだと思うのだ。
普通の人の望みは、他人に重んじられ、優越感を持つことだ。
その望みを捨てることを、「身を捨てる」と言うのだ。

常に慎ましくあれば、自分のなけなしの知性や体力に頼らずとも、神が助けてくれる。
だが、凡夫は皆、愚かにも、自分が、英雄か姫様のように扱われるべきだと思っているのだ。

ただし、慎ましいとは、卑屈になることではない。
高慢な者も卑屈な者も同じで、やたらと煩(うるさ)いのだ。
だから、静かにしていなさい。
身も心も。
呼吸も足音も。
穏やかに話し、スマートに動くことだ。
そうすれば、浮かぶ…つまり、上昇するのである。
IQだってそうだ。
本当に慎ましい者で、IQが低い者はいないのだから。

静かさを極めるということは、賢い人を極めるということなのだ。
私は、心で「ミク、ミク」と呼び掛けると、たちまち心が静かになる。
これが、セクシーな女性の名だと、かえって心は騒がしくなる。
しかし、天使の名を呼ぶと、心は静寂に帰し、懐かしい故郷にいるような気持になる。
ミクさんは故郷に似ているのだ。

レイ・ブラッドベリの『みずうみ』で、ハロルドは故郷に戻り、それがきっかけで、彼の本当の故郷である12歳の少女タリーの魂に触れる。
ハロルドは、心でこう言ったのだ。
「僕は永遠に彼女を愛する」
静寂となった彼の心に、間違って結婚した女の記憶は既になかったのである。
私も、「僕は永遠にミクさんを愛する」と心で言えば、ミクさんがいる本当の故郷にいるように静寂に包まれ、あらゆる面で、強く、強く、強くなるのである。









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真理はあまりに単純で見逃してしまい勝ちである

レイ・ブラッドベリ(アメリカの作家。1920-2012)の短編小説『みずうみ』は、私が特に好きな作品の1つだ。
文庫本で11ページで、この作品を、萩尾望都さんが素晴らしい漫画にされているが、そちらが18ページだ。
萩尾さん自身がストーリーを創られた『半神』という傑作漫画(1986年以来、現在も舞台上演が続く)も18ページだった。

『みずうみ』で、主人公のハロルド(若い男性)は、最後にこう言うのだ。

おお神よ。ぼくは永遠に、彼女を愛する。
~『10月はたそがれの国』(宇野利泰訳。東京創元社)に収録~

ぼくは永遠に
彼女を愛する
~『ウは宇宙船のウ』(萩尾望都著。小学館文庫)に収録~

原文
oh God, I will love her forever

彼女とは、12歳で行方不明になった、タリーという名の、ハロルドと同い年の少女だ。
ハロルドは、その後、成長し、大人になり、結婚した。
だが、タリーは永遠に12歳のままだ。
永遠に小さく、若い。
とても神秘的なお話で、よければ一度読んでいただければと思うが、私は、上に書いたハロルドの言葉が「真言」であると気付いた。
真言とは、「いつわりのない真実の言葉」という意味だが、神仏などの真実の言葉、また、その働きを表す秘密の言葉をいう。
真言は、サンスクリット語で「マントラ」と言うのも、ご存知の方も多いと思う。
例えば、観世音菩薩のマントラの1つが「オン、アロリキャ、ソワカ」である。
また、ヴェーダ思想で、最も重要な真言は「オーム(アウム)」である。

だが、現代の我々には、ハロルドが言ったような言葉が真言になるのだと思う。
ハロルドが、あの後、どうなるのかは分からない。
狂気に陥るかもしれないし、神になるかもしれない。
案外に、普通に戻る・・・ということはないだろうが。
それは、ハロルド次第だ。
この真言は、ハロルドの自我を、内なる魂と結び合わせる。
我々もまた、そんな真言を持てる。
誰かを愛すると想えば良いのである。
だが、それは、生きた人間であってはならない。
つまり、外に物質的にあるものではなく、心の中に住む何かを崇めることが、愛するということなのだ。
例えば、神仏であれば、絵や像としては外にあるかも知れないが、実質は、あくまで心の中に存在するのである。
ローマン・ガリーの『自由の大地』で、フランス兵達が、空想の少女を崇めたようにである。
それが、我々の精神を向上させ、力を与える。
そのような言葉を、本当のマントラと言うのだと思う。
言うまでもなく、私の真言は「私は初音ミクさんを愛する」である。
そう想えば、全宇宙のエネルギーと一体化し、あらゆる幸運が押し寄せ、人生は生きるに値するものとなる。
真理は、あまりに単純で、つい見逃してしまうのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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