ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ルパン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ルパンを超えて自由に生きる方法

能力を高めるということは、生命力を高めるということで、生命力を高めるとは自由に生きることだ。
だが、この世の中で、自由に生きることは難しい。
そこで、フランスの作家モーリス・ルブラン(1864~1941)は、自由に生きる人間のモデルとして「怪盗」を考え、それを、アルセーヌ・ルパンという怪盗紳士としてデザインした。
ルパンの人気は爆発した。
なぜなら、ルパンこそ、辛い社会で生きる人間にとっての理想であるからだ。
日本で、モンキー・パンチ氏(1937~2019)の『ルパン三世』が歴史的なヒットになった理由も同じところにあると思う。
それこそ、日本には、昔から、鼠小僧や石川五右衛門といった怪盗というか、盗賊が人気があった。
また、小作のつもりが人気が出て長期連載となりアニメ化もされた、立川恵氏の『怪盗セイント・テール』という漫画も、主人公の美少女怪盗には異色の魅力があった。

ところで、これら人気怪盗達は、正義の味方でなければならない宿命がある。
怪盗だって食べるし、住居や衣服も必要だが、自分は、生産も、販売も、サービスもしないのだ。
だから、「せめて正義の味方」であることで、それらを得ている・・・しかも、贅沢に得ているのである。
だが、怪盗には、やっぱり負い目がある。
最初はヒットしなかったが、結局は名作であると認められた『ルパン三世 カリオストロの城』では、ルパンは、クラリスという素晴らしい美少女(宮崎駿監督の理想のタイプ)を、最大の精神力を使って振り捨てないといけなかったのは、やはり「怪盗も所詮、泥棒」だからである。
これは、元祖ルパンであるアルセーヌ・ルパンも、『緑の目の令嬢』で、オーレリーという美少女に対し、同じことをしている。
そして、『怪盗セイント・テール』では、セイント・テールこと羽丘芽美は、愛を得たら怪盗をやめている。

まず、怪盗は能力が高くないといけない。
それも、半端な能力では駄目で、超人的でなくてはならない。
つまり、「理想の自由人」である怪盗は、超人的な正義の味方であり、非現実的なフェアリー・テール(おとぎ話)でしかない。
我々凡人が、怪盗モデルを取り入れようとしたら、犯罪を避けたとしても、いずれ行き詰まる。つまり、無理がある。

かくて、ルブランの野望は砕かれた。
だが、ご安心を。
ルパンのように生きる方法はある。
どうすれば良いかというと、ルパンの欠点を除けば良い。
つまり、盗むことをやめる。
この「盗む」は、文字通りの意味だけでなく、不道徳なことでお金を稼ぐことも意味する。
どうするかというと、お金に関しては、Xにまかせることだ。
Xは定義出来ないが、宇宙エネルギー、神、潜在意識などと言われることがある。
そして、負い目のためではなく、胸を張るために、正しく、強くあることだ。

盗賊と武士は同じなのである。
武士は、いざ戦争という時のために、働かずに食べることが許された。
しかし、江戸時代、太平の世になり、戦争が無くなっても、働かずに食べることに、誠実な武士は負い目を感じていた。
そこで、武士は。せめて立派な人間になろうとした。
そんな誤魔化しをしていた武士は、ちっとも立派ではない。
だが、立派な武士もいた。
正しく、強い武士で、警察のような活動をしなくても、存在から発する波動が、世の中にプラスの影響を与えたのだ。

さあ、これで解った。
自由に生きるためには、真の意味で、正しく、そして、強くあれば良いのである。
真に正しく、強くなるためには、国家や学校で教えられた方法では駄目だ。それでは、奴隷頭にしかなれない。
それは、ビジネスマンでありながら、最も実績のある大統領になったドナルド・トランプに学べば良い。
彼自身は、ノーマン・ヴィンセント・ピールに学んだのであるから、そこから学べば効率的である。
そして、ピールの教えこそまさに、神の力を求めることであったのだ。








緑の目の少女

モーリス・ルブランという、「怪盗ルパン」シリーズの小説で世界的に知られるフランスの作家がいる。
日本では、怪盗ルパンことアルセーヌ・ルパンの孫という設定のルパン三世が有名で、ルパン三世は好きだが、怪盗ルパンの小説は読んだことがないという人も多いと思う。
しかし、本家の怪盗ルパンの面白さは半端ない。
ところが、この怪盗ルパンで富も栄誉も得たルブランは、実は、怪盗ルパンの小説は、本当にやりたい純文学で売れず、金に困って仕方なく書いたものだ。
だから、たとえ怪盗ルパンで有名になり、お金持ちになっても、本当は、怪盗ルパンなんて書くのは嫌で、最後は腹いせにルパンを自殺させている(読者の要望でやむなく復活させた)。
このあたりは、名探偵シャーロック・ホームズの作者であるコナン・ドイルも全く同じで、ドイルはホームズを谷底に突き落としてジ・エンドとしたが、やはり、読者と出版社が希望するまま、ホームズは実は死ななかったとして復帰させる。

だからといって、怪盗ルパンシリーズ、探偵シャーロック・ホームズシリーズが駄目なことは全くない。
むしろ、作家の自我が嫌う作品の方が、神的英知が注がれるのかもしれない。
いや、これは別に作家に限らず、本当は、本人は気が進まない仕事で大成功した人は、かなり存在すると思う。
また、大成功とまではいかなくても、仕方なくやっている仕事で、うまくやっている人なんて結構多いと思うのだ。

前置きが長くなったが、怪盗ルパンシリーズの中に、『緑の目の少女』という作品がある。
ルパンが、何の義理もない、緑色の目をした美少女オーレリーのために、命懸けの大奮闘をするというものだ。
いかなる犠牲も厭わず、オーレリーを不幸にする手強い敵を次々に撃破するが、ルパンは何の見返りも求めない。
大人で紳士のルパンは、オーレリーに指一本触れない(まあ、ハグと抱っこはしたが)。
騎士道精神としては美しいかもしれないが、これはちょっと・・・と疑問を感じるかもしれない。
『ルパン三世 カリオストロの城』で、ルパンが17歳の美少女クラリスのために命を懸けたのには、まだ理由があったが、アルセーヌ・ルパンには何もなかった。
ただ、アルセーヌ・ルパンは、オーレリーを初めて見た時に、恋愛というのとは違うかもしれないが、一目惚れだったことは確かで、ルパン本人も「彼女を愛しているのかもしれない」と思う。
そして、ルパンは、オーレリーに犯罪の容疑がかけられた時、何の証拠もなく、ただ、オーレリーが美しいというだけで、
「こんな天使のような人が悪いことをするはずがない」
という、ただの阿呆な・・・、いや、「純な」男になってしまって、めでたく、彼女の忠実なナイト(騎士)になる。
だけど、男は皆、そんなことをしたいのだ。その力さえあれば・・・

そして、この作品が、特にラストが素晴らしいのである。
緑色の美しい瞳を持つ美少女オーレリーに、私の見立てでは、ルブランは人間の色をつけず、そのために彼女は、緑色の長く美しい髪を持つ美少女、初音ミクさんのような存在になっている。
ただ、オーレリーには感情があり、ひどく苦しむ。
そして、崇めることと苦しみが、本当に貴い宝を生むのだということが、見事に描かれている。
しかも、それは、ルパンとオーレリーという、崇めるべき2つの高貴な魂の結び付きによってなされることであり、理屈には合わないルパンとオーレリーの行動に共感すれば、読者もまた、貴い宝を得るであろう。
とにかく、『ルパン三世 カリオストロの城』とは随分違うラストである。

尚、私は、やや、子供向けの翻訳かもしれない南洋一郎訳で読んだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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