ダンテの『神曲』という題名は、元の通り、『神聖な喜劇』に戻すべきである。
日本以外の国ではそうなっているはずだ。
実際は、ダンテ自身が付けたように、『喜劇』が一番相応しいと思う。
なぜ『神曲』になったのかというと、アンデルセンの『即興詩人』のドイツ語版(原語はデンマーク語)を森鴎外が日本語に文語訳した際、そこに引用されていたダンテの『神聖な喜劇』を、鴎外はなぜか『神曲』と訳したのだ。
だが、鴎外も神にそうさせられたのだろうし、鴎外がつけたこのタイトルが我が国で一般的になったのも神の思し召しだ。我々は、鴎外に騙され、幻惑させられる運命だったということである。
だが、私は、ダンテのあの叙事詩を『神曲』などとは思っておらず、まさに『喜劇』と思っている。
シェイクスピアの『リア王』も、悲劇だと思っている人が多い。いや、世間では完全に悲劇で通っている。
しかし、あれもまた、喜劇以外のなにものでもない。
リア王のお話はご存知とは思うが、一応言っておくと、80歳を過ぎた老齢のリア王は、3人の娘の内、美辞麗句を尽くして自分を褒め称える上の姉2人に権力と富を譲り、「お父様として当たり前に愛している。それ以上でも以下でもない」と言った末の妹には何もやらなかった。だが、やがて姉達の本心を知り、後悔するというものだ。
世間では、『リア王』は絶対に悲劇であって、まさか喜劇とは言われない。
普通の人は、リアに同調してしまうのだ。それどころか、リアに欠点はなく、悪いのは姉娘達だと思うのである。
私は、末娘はブッダかキリストのようなもので、ちょっと出来過ぎだが、姉2人だって神の使途だと思っている。
末娘は、この後、幸福になり、対して姉娘達は悲惨を味わい、場合によっては、それは来世にまで続く。
姉娘達は、そこまでのご苦労をして、リアにイニシエーションを与えてくれたのだ。
あなたが末娘のようであれば、すぐにでも幸福になれ、死後は至高神の星界に行き、永遠に平和でいられるだろう。
しかし、我々はリア王にならざるをえないのだ。
もし、リアのように苦しみたくないなら、次のことが守れれば良い。
自分を崇める言葉と、他者を蔑む言葉を一切言わないことだ。
それを言わないよう、自分の口を常に見張ることだ。
それが難しいと思えば、一切口を利かない方が良い。
そして、そんな想い(自分を賛美し、他者を貶める)を無くしてしまうのだ。
だが、私には、初歩的なところから全く不可能だ。
だから、ウエルカム姉娘達だ。
慈悲深い神は、リア王に対してそうであったように、ちゃんと彼の姉娘達のような者達を与えてくれるであろう。
そして、私にとって、末娘は初音ミクである(人間には無理だ)。
ベートーヴェンは臨終の際に言ったらしい。
「諸君、拍手を!喜劇は終った」
我々の人生も喜劇なのである。
せいぜい、悲劇ぶって滑稽に演じることだ。
だが、アイルランドの詩聖W.B.イェイツは言ったのだ。
「リアもハムレットも陽気だった。主役を演じるほどの役者は、自分が泣いたりしないのだ」(『ラピス・ラズリ』より)。
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日本以外の国ではそうなっているはずだ。
実際は、ダンテ自身が付けたように、『喜劇』が一番相応しいと思う。
なぜ『神曲』になったのかというと、アンデルセンの『即興詩人』のドイツ語版(原語はデンマーク語)を森鴎外が日本語に文語訳した際、そこに引用されていたダンテの『神聖な喜劇』を、鴎外はなぜか『神曲』と訳したのだ。
だが、鴎外も神にそうさせられたのだろうし、鴎外がつけたこのタイトルが我が国で一般的になったのも神の思し召しだ。我々は、鴎外に騙され、幻惑させられる運命だったということである。
だが、私は、ダンテのあの叙事詩を『神曲』などとは思っておらず、まさに『喜劇』と思っている。
シェイクスピアの『リア王』も、悲劇だと思っている人が多い。いや、世間では完全に悲劇で通っている。
しかし、あれもまた、喜劇以外のなにものでもない。
リア王のお話はご存知とは思うが、一応言っておくと、80歳を過ぎた老齢のリア王は、3人の娘の内、美辞麗句を尽くして自分を褒め称える上の姉2人に権力と富を譲り、「お父様として当たり前に愛している。それ以上でも以下でもない」と言った末の妹には何もやらなかった。だが、やがて姉達の本心を知り、後悔するというものだ。
世間では、『リア王』は絶対に悲劇であって、まさか喜劇とは言われない。
普通の人は、リアに同調してしまうのだ。それどころか、リアに欠点はなく、悪いのは姉娘達だと思うのである。
私は、末娘はブッダかキリストのようなもので、ちょっと出来過ぎだが、姉2人だって神の使途だと思っている。
末娘は、この後、幸福になり、対して姉娘達は悲惨を味わい、場合によっては、それは来世にまで続く。
姉娘達は、そこまでのご苦労をして、リアにイニシエーションを与えてくれたのだ。
あなたが末娘のようであれば、すぐにでも幸福になれ、死後は至高神の星界に行き、永遠に平和でいられるだろう。
しかし、我々はリア王にならざるをえないのだ。
もし、リアのように苦しみたくないなら、次のことが守れれば良い。
自分を崇める言葉と、他者を蔑む言葉を一切言わないことだ。
それを言わないよう、自分の口を常に見張ることだ。
それが難しいと思えば、一切口を利かない方が良い。
そして、そんな想い(自分を賛美し、他者を貶める)を無くしてしまうのだ。
だが、私には、初歩的なところから全く不可能だ。
だから、ウエルカム姉娘達だ。
慈悲深い神は、リア王に対してそうであったように、ちゃんと彼の姉娘達のような者達を与えてくれるであろう。
そして、私にとって、末娘は初音ミクである(人間には無理だ)。
ベートーヴェンは臨終の際に言ったらしい。
「諸君、拍手を!喜劇は終った」
我々の人生も喜劇なのである。
せいぜい、悲劇ぶって滑稽に演じることだ。
だが、アイルランドの詩聖W.B.イェイツは言ったのだ。
「リアもハムレットも陽気だった。主役を演じるほどの役者は、自分が泣いたりしないのだ」(『ラピス・ラズリ』より)。
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