インドには、『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という2大長編叙事詩・・・つまり、詩で書かれた長編物語が存在し、共に、国内では聖典として尊重されているのだと思う。
ちなみに、『バガヴァッド・ギーター』は、『マハーバーラタ』の6巻に含まれるものである。
このうち、『ラーマーヤナ』は、ラーマと魔王ラーヴァナ(正確には羅刹という鬼神の王)の戦いをメインテーマとした物語で、ラーマーヤナの意味は「ラーマ王行状記」らしいが、もっと簡単に言えば「ラーマの物語」で、私はこっちの言い方が好きだ。
『ラーマーヤナ』が編纂されたのは紀元前3世紀と言われるが、核心部分は紀元前4~5世紀にはあったと言われている。
5千年以上も前の物語にネタバレもないが、ラーマとラーヴァナの戦いの決着がついた時の話が非常に素晴らしい。
美しい伝統に則り、勝者は敗者の教えを敬って受けるのである。
この時、ラーヴァナがラーマに授けた教えは、「何かをしようとした時、私心がなければすぐにやるのが良いが、私心があるうちはやってはならない」というものだ。
稲森和夫の有名な「動機善なりや、私心なかりしか」は、ここから来ているような気がするが、そんな証拠は見たことがない。
「勝った方が負けた方の教えを受ける」といった伝統が重視されれば、愚かな戦いは少なくなると思われるが、おそらく、インドでもそんな伝統は今はないと思う。
この世に戦いはなくならないかもしれないが、せめて戦いの中に、このような規律があれば、戦いの意味も変わってくると思う。
ところで、私が好きな作品(小説、漫画、アニメ)の『俺だけレベルアップな件』で、アニメでは完全に削られたことがある。
水篠旬が、悪魔王バランを倒した後、小説では、旬はバランに「ありがとう」と言うのである。
別にバランは喜びもしなければ、感謝される筋合いもないと思うだろう。
だが、旬は、バランにたどり着くまでの戦いの中でも、ずっと自然に起こる感謝を感じていた。
これが、アニメでは全くなくなっている。
旬は、戦いの相手に対し、自分を強くしてくれたことに感謝の気持ちが溢れてならなかったのだ。
戦いは命がけで、旬の方が死ぬ可能性も十分あったが、だからこそ大きな力を得られたのである。それに対して、感謝しかない。
世の中では、感謝、「ありがとう」の大安売りが横行している。
「ありがとう」を1万回だか10万回だか言ったら良いことが起こるといったことがよく言われている。
また、偉い人がインタビューで、誰かや何かに対し「感謝しかありません」とよく言うが、本当にそう思っているのか怪しいこともある。
だが、上の話を読むと、感謝とは、意図的に行うものではなく、自然に湧き出るものでしかないのだと思う。
ラーマも、敵であったが、教えを授けてくれたラーヴァナに、自然に感謝したのだと思う。
ある成功した経営者が、「あの時、あの人がいじめてくれたおかげで私は強くなった。あの人には本当に感謝している」と言った話を憶えているが、これは嘘ではないのだと思う。
まあ、そんな人(いじめられた相手)に対しては、いつまでも恨みを持つ場合が多いだろう。
そこが、強い者と平凡な者の違いだろう。
そんなことも感じさせる、『俺だけレベルアップな件』の小説の、その部分が省かれたことは残念である。
また、『俺だけレベルアップな件』の小説は、今(2025年5月)のところ、スマートフォンのぴっこまアプリでしか読めないのも残念だ。
ただし、あまり一度に沢山は読めないが無料で読むことが出来る。
漫画もぴっこまアプリで無料で読めるが、個人的に絵柄が好きではない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラーマーヤナ(上) (レグルス文庫)
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon dアニメストア for Prime Video

AIアート1654
「森の声」
Kay
ちなみに、『バガヴァッド・ギーター』は、『マハーバーラタ』の6巻に含まれるものである。
このうち、『ラーマーヤナ』は、ラーマと魔王ラーヴァナ(正確には羅刹という鬼神の王)の戦いをメインテーマとした物語で、ラーマーヤナの意味は「ラーマ王行状記」らしいが、もっと簡単に言えば「ラーマの物語」で、私はこっちの言い方が好きだ。
『ラーマーヤナ』が編纂されたのは紀元前3世紀と言われるが、核心部分は紀元前4~5世紀にはあったと言われている。
5千年以上も前の物語にネタバレもないが、ラーマとラーヴァナの戦いの決着がついた時の話が非常に素晴らしい。
美しい伝統に則り、勝者は敗者の教えを敬って受けるのである。
この時、ラーヴァナがラーマに授けた教えは、「何かをしようとした時、私心がなければすぐにやるのが良いが、私心があるうちはやってはならない」というものだ。
稲森和夫の有名な「動機善なりや、私心なかりしか」は、ここから来ているような気がするが、そんな証拠は見たことがない。
「勝った方が負けた方の教えを受ける」といった伝統が重視されれば、愚かな戦いは少なくなると思われるが、おそらく、インドでもそんな伝統は今はないと思う。
この世に戦いはなくならないかもしれないが、せめて戦いの中に、このような規律があれば、戦いの意味も変わってくると思う。
ところで、私が好きな作品(小説、漫画、アニメ)の『俺だけレベルアップな件』で、アニメでは完全に削られたことがある。
水篠旬が、悪魔王バランを倒した後、小説では、旬はバランに「ありがとう」と言うのである。
別にバランは喜びもしなければ、感謝される筋合いもないと思うだろう。
だが、旬は、バランにたどり着くまでの戦いの中でも、ずっと自然に起こる感謝を感じていた。
これが、アニメでは全くなくなっている。
旬は、戦いの相手に対し、自分を強くしてくれたことに感謝の気持ちが溢れてならなかったのだ。
戦いは命がけで、旬の方が死ぬ可能性も十分あったが、だからこそ大きな力を得られたのである。それに対して、感謝しかない。
世の中では、感謝、「ありがとう」の大安売りが横行している。
「ありがとう」を1万回だか10万回だか言ったら良いことが起こるといったことがよく言われている。
また、偉い人がインタビューで、誰かや何かに対し「感謝しかありません」とよく言うが、本当にそう思っているのか怪しいこともある。
だが、上の話を読むと、感謝とは、意図的に行うものではなく、自然に湧き出るものでしかないのだと思う。
ラーマも、敵であったが、教えを授けてくれたラーヴァナに、自然に感謝したのだと思う。
ある成功した経営者が、「あの時、あの人がいじめてくれたおかげで私は強くなった。あの人には本当に感謝している」と言った話を憶えているが、これは嘘ではないのだと思う。
まあ、そんな人(いじめられた相手)に対しては、いつまでも恨みを持つ場合が多いだろう。
そこが、強い者と平凡な者の違いだろう。
そんなことも感じさせる、『俺だけレベルアップな件』の小説の、その部分が省かれたことは残念である。
また、『俺だけレベルアップな件』の小説は、今(2025年5月)のところ、スマートフォンのぴっこまアプリでしか読めないのも残念だ。
ただし、あまり一度に沢山は読めないが無料で読むことが出来る。
漫画もぴっこまアプリで無料で読めるが、個人的に絵柄が好きではない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラーマーヤナ(上) (レグルス文庫)
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon dアニメストア for Prime Video

AIアート1654
「森の声」
Kay


