ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラ・マルセイエーズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

権利にしがみ付く者に芸術は創れない

集団的自衛権の法案成立に反対するデモのニュースをよく見るようになったが、反対デモ自体には力はないものらしい。
ただ、反対する人々が十分に多いと、次の選挙で、その法案を支持した議員には投票しないぞといった、ちょっとした脅しがかけられるということはあるのだろうか?
しかし、その効果はおそらく、あまりないのだろうと思う。
議員は、賛成か反対か分からないような立場を取れるものだし、投票者も、選挙の時はあまり追及しないものだ。
憲法第九条は別格であるが、大抵のことは政府主導で進んでしまい、いったん決まった法律は百年くらいは変えることは不可能だ。
実際、何の効力もないばかりか、弊害のある古い法律が沢山、改定されずに残っている。

ところで、最近のスマートフォンやタブレットPCは、ますます高性能化してきたが、どこが良いのかというと、普通のパソコンを圧倒する画面表示の美しさだ。
20インチ以上の画面でも、フルHD(1920×1080ピクセル)は十分に綺麗なのに、10インチ、7インチ、さらには、5インチ前後のスマートフォンもフルHDを採用するのだから、本当に鮮やかだ。
しかし、この素晴らしい画面を持ったタブレットPCやスマートフォンって、ブルーレイやフルハイビジョン放送を見る以外に何か意味があるのだろうかと思う。
けれども、それを見ること自体が、事実上、法律で禁止されてる。
ブルーレイやデジタル放送のコンテンツを、タブレットPCなどにコピーすること(正確にはブルーレイ等のプロテクトを回避すること)は法律で禁止なのである。
ならば、高解像度のタブレット端末は、ほとんど何の意味もないことになる。

制作者があまりに権利を主張していては、芸術が生まれることはない。
現在の、音楽、映像コンテンツは娯楽的になり、派手で刺激的で楽しくなっているということは言えるが、質は低下しているし、今後、更に低下するだろう。
芸術というのは、無償の行為なのである。
ギリシャ神話の源流の1つである叙事詩『神統記』を書いたと言われるヘシオドスは農夫であり、いわば日曜詩人で、職業詩人ではなかった。
名曲の誉れ高いフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を創ったのは、職業軍人(技術軍人)で、趣味で音楽をやっていた日曜音楽家であった。
アインシュタインは自分の物理学は趣味だと言い、たまたま、かなりのお金になったが、彼はその金を誰とでも、どんなロクデナシとでも分かち合った。
アインシュタインの物理学は芸術であった。

初音ミクのミュージックビデオのDVDである『MUSIC OF SCIENCE』は今日では非常にユニークなものだ。
DVDが2枚入っていて、1枚は普通のDVDビデオなのだが、もう1枚のDVDに、DVDビデオと同じ内容のHD画質のMP4ファイル(動画)が入っている。
DVDビデオが720×480ピクセルの標準画質で、HD画質は1366×768なのだから、主コンテンツより付属コンテンツの方が高解像度なのである。
これだと違法なリッピングをしてDVDビデオからMP4ファイルを作る必要はない。
無論、いかなる著作物にも著作権があるが、この製品では、コピー禁止などの無駄な表示はないし、MP4ファイルに関しては、購入者の持ち物である限り、どんな機器にも無制限にコピーできる。
素晴らしい芸術作品であると思うし、その後、この作品の制作者はさらに進歩している。
そして、この制作者は、立派な良識の持ち主であると思う。
ならば、私のような、この作品を購入した者も、コンテンツをコピーして他人に渡したり、一般に公開するようなことをしてはならない。
ただ、本当は、コピーや一般公開をしても良いが、制作者に相応の報酬が入るようにすれば良いのだと思う。
いずれにしても、コピーは止められない。
それならば、新しい流通の形、新しい著作権、版権の形を作らなければならない。
著作者の権利を侵害してはならないが、制作側も権利を握りしめてはならない。
権利を握り締めて離さない者に芸術は創れない。
「俺が作ったんだ」と言う者は芸術家ではない。
芸術は人が創るのではなく、神が人を媒介して現すものであるからだ。









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天才になる秘法中の秘法

生まれ付いての頭の良さなんてものは絶対にない。絶対にだ。
これは、潜在的な知的能力は、誰も違いはなく、万人で同じだということだ。
もし差があるとしても、それは、我々地球人にとっての、アンドロメダ星雲の中の1つの太陽系の中のそれぞれの惑星との距離の差のようなものだ。
人間が本来秘めている能力は無限なのだから、差があるといったところで、何の意味もない差だということだ。

頭が大きいから頭が良い訳ではない。
頭が小さくて賢い人はいくらでもいるし、アインシュタインだって、死後脳を解剖されたが、その容量は標準でしかなかった。
賢い人は額が広い傾向があると思っている人が多いかもしれないし、何らかの理由で実際そうかもしれないが、額が狭く見えるが賢い人だっている。
逆に言えば、頭が大きくて額が広くても、本来の能力を発揮していなければ、馬鹿であろう。
人類は20万年前から、現在の脳を持っていたらしいが、知的になったのは3万年ほど前かららしい。
脳の大きさと頭の良さに関係はない。

頭は使えば使うほど良くなる・・・つまり、考えれば考えるほど、知的能力は高まるが、大切なことは「何を考えるか」だ。
考える内容によっては、いく考えても賢くらないし、それどころか、どんどん馬鹿になっていくことすらある。
世の中全体で行われているのが頭を悪くする考え方で、それは、欲望を満たすための考えや、制限された考えである。
頭を良くするための考え方とは、この全く逆で、個人の欲望を捨てるための考え、とらわれのない無限の想いなのだ。

まずは自立するための考えをすることで、思考力は大きな発展をする。
しかし、そのためには良い学校に入らないといけないとか、偉い人や自分に都合の良い相手にだけ好かれれば良いとか、邪魔者を排除しなければならないという馬鹿げた考え方をすると、頭はどんどん悪くなる。
自立した後では、個人の欲望をなるべく捨て、正しい方法で家族の利益や所属するグループの利益を適切な範囲で得られることを考えると、さらに頭が良くなる。
だが、他人、他の家族、他のグループを踏みにじり、排除するような考え方をすると、極端に馬鹿になる。

長く継続して売れている作家には賢い人が多いのは、彼らの考え方の基本は、個人の利益を顧みず、本質的に世界平和に強い関心を持っているからだ。
特に文豪の作品には、その典型が見られるので、優れた小説を読むことは価値がある。
文豪という訳ではないかもしれないが、良いヒントを与えてくれる作品もある。
実際は、どんなものも「良いヒント」であるのだがね。
『神様のメモ帳』という小説の作者の杉井光さんは、いつも頭が良いのかどうかは知らないが、あれを書いた時は異常に賢くなっていたのだと思う。
この小説のヒロインと言って良いと思うが、アリスという12歳くらいの美少女は、どんな大人よりも賢いが、そのまっとうな秘密が最初に明かされている。
彼女は、世界に不幸な人や悲惨な出来事があるのは全て自分の責任・・・自分の能力が足りないせいだと言うが、度を過ぎない程度には本当にそう思っているのだろう。
そして、彼女は、現在の自分の無力を自覚しているが、口では自分を全知全能と言う。
とても矛盾したことに思えるかもしれない。
しかし、これは、神に至りたいという真摯で強靭な願望の現われだろう。
愚かさと天才とが同居している愛すべきニート探偵だ。
その目的は、口では言わないし、表面の心では思わないかもしれないが、つまるところ万人の幸福である。
それを潜在意識的に考えるのだから、天才にならない方がおかしい。
『神様のメモ帳』の主人公のナルミのようなものかもしれないが、普段は愚鈍な人間でも、不意に天才になることがある。
日曜音楽家の職業軍人が、ある夜、不意に大天才になり、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を創ったようにだ。
彼が天才であったのは一夜だけかもしれないが、別にそうである必要はなく、ずっと天才でいることもできた。
いや、実際は、世間に業績が残っていないだけで、彼は、実はしばしば天才になっていた・・・あるいは、本当はずっと天才だったかもしれない。

もし、あなたにとっての無限の象徴が神であるなら、「神」という言葉を声で発したり、あるいは、心で称え、自分の反応や世界の反応をよく観察するが良い。
また、人間は、宇宙の広さを想像できる驚異的な生物だ。
ならば、大宇宙の広さに想いを馳せながら、自分を静かに観察すれば、自分と宇宙が一致するのが分かるだろう。
これが天才になる秘法中の秘法である。









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娘を本当に愛している父親とは

さだまさしさんの1979年の曲で、『親父の一番長い日』という、12分30秒にもなる長い曲がある(オリコンシングルチャート1位を獲得した曲では、現時点では史上2番目に長いらしい)。
実は私は、この歌を通して聴いたことはないのだが、だいたいの内容として、娘を嫁に欲しいという青年が挨拶に来た頑固親父の悲哀を、シリアスながら、ちょっとユーモラスに描いたような歌だったと思う。
歌の最後のあたりで、父親は、「分かった、娘はくれてやるから、君を一発殴らせろ」といったようなことを言うのだったはずだ。
これを聴いて、娘を持つ世の父親達が共感を覚えるのはまあ仕方ないかもしれないが、この親父のことを、「娘を愛しているのだなあ」という馬鹿なことを考えてはいけない。
この「親父」は、ちっとも娘を愛してなどいない。
「いや、そんなことはない。私も娘を愛する父親だから分かるぞ」
などという者がいるなら、君は大嘘つきなのだ。
ただ、自分で嘘に気付いていないだけだ。
こんな父親は娘を愛してなどはいない。
単に、娘を自分の所有物だと思っているだけだ。
特に近年では、娘、息子に関わらず、結婚相手に強い不快感を持つのは、むしろ母親の方だ。
無論、こんな母親も娘や息子を全く愛してなどいない。
多くの母親は、自分の子供を自分のものだとしか考えられないのであり、特に、現代はこれが極端になってきている。
ますます、母親に愛が無くなってきているのだ。

もし、本物の嘘発見器があったとして、夫婦や恋人達に、お互いを愛しているかというテストをしたら、間違いなく「嘘」の判定が出る。
どんなに電車の中でベタベタしているカップル達も同じで、むしろ、そんな者達は、なおさら相手を愛してなどいないのである。
親から子供への愛、子供から親への愛も同じことだ。
シェイクスピアの『リア王』で、リヤ王の末娘は正直に、父王のリアに対し、「お父様として当たり前に愛しているが、それ以上でも以下でもない」と言ったのが、まずまずの良い答と言える。
つまり、彼女は、父親に対して特別な想いはない・・・つまり、父であるリア王は、彼女にとって、それほど大事なものではないと言っているのだ。
そして、それが当たり前なのである。
別に、嫌いとも言っていない。父のことは、他の全ての人達と同じくらい大切に思うと、末娘は言っているのだ。
素晴らしいことだ!
それで十分ではないか?
それ以上、何を求めると言うのだろう?
そして、リア王の姉娘達は、「お父様は私にとって特別な人です」といった意味のことを饒舌に述べてリア王を喜ばせるが、実際は、彼女達は、リア王を「これっぽっち」も愛していなかった。
そして、間違いなく、姉娘達は、他の全ての人達も、父王同様、少しも愛してなどいないのだ。
姉娘達が愛しているのは自分だけである。

さあ、少しは、世間の愛の幻想に気付けただろうか?

多くの歌で、「愛してる」「愛してます」「愛してるぜ」などと歌うが、そんなのを聴くと、悲しいほど気が滅入る。
真っ赤な嘘を聴いて楽しいはずがない。
人間が「愛してる」というのは、全て嘘なのだから。
だが、初音ミクが歌う限りは嘘ではない。
彼女は人間ではないのだから。
では、ミクのために、そんな歌を創った人達が嘘をついているかというとそうではない。
ミクの歌を創る人達は、自分の名を出さず、奇妙なアーチスト名を名乗っている。
つまり、ミクの歌は無記名と言って良い。
芸術作品というものは、無記名であるべきものだ。
なぜなら、本当に、その人が創っているのではないからだ。
アーチストが、自分が創っているという意識がなく、アートストはただの道具である時に、芸術は生まれる。
フランス国歌は、事実上無記名の曲だ。あの歌の作者など、ほとんど誰も知らない。
音楽家でも何でもない、ただ音楽が趣味であるだけの1人の職業軍人(技術軍人)が、天啓を得て、一晩で創ったのがあの名曲なのだ。
アマチュアが創ったミクの歌にだって、同じくらいの作品はゴロゴロあると思う。

ところで、本当に娘を愛している父親とは、どんな父親だろう?
自分でよく考えてみると良い。
本当に良い男を選べるよう、きちんと娘を教育する父親だろうか?
そんなことができると思うのは、愛するとか以前に、どうしようもない愚か者で馬鹿である。
また、どんなに賢い娘になったとしても、間違った男を選んでしまうものなのだ。
君だって、真面目な素晴らしい女性を騙したことがあるのではないのか?私はいっぱいあるぞ。
では、そんな相手の男の本性を察知して、その男をやっつける父親が、娘を愛する父親であろうか?
父親にそんなことが分かるものか。
父親は、娘以上に間違うのだ。
答えは既に述べている。
それは、リア王の末娘の言ったことである。
自分の娘は別に特別ではない。
世界中の娘達、あるいは、人々と同じように、当たり前に自分の娘を大切に思っている父親が、本当に愛することができるのだ。
そんな父親なら、どれほど美男子で若い娘にもてても、彼女達を騙そうとはしないだろう。
どの娘も、自分の娘と同じなのだから。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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