私が、電車やショッピングモールや病院(親の付き添いで行くだけだが)など、人の集まる場所が嫌いなのは、新型コロナウイルスのためなどでは全くなく、悪霊のためだ。
今や、実に多くの人が、悪霊に憑りつかれ、悪霊に操られている。
それは、だいたい一目見れば、誰でも分かるのではないかと思う。
それほど、電車の中や、いつも混雑する路上などにたむろする者達は、醜悪で、腐った臭いを巻き散らしている。
それを見ると、日本は危ないと感じる。
いや、人のことばかり言っていられない。
自分だって、隙を作れば一瞬で悪霊が入り込んでくることがあり、とにかく、今はどこにでも悪霊がいるのだから、常に祓わないといけない。
悪霊を祓うのもまた真言である。
「オン、アロリキャ、ソワカ(観自在菩薩真言)」などを繰り返し心で唱えることで、悪霊は退散する。
悪霊は、優れた真言を唱える者に憑りついていることは出来ない。
また、日本には昔から、「祓えたまえ、清めたまえ」(「祓えたまい、清めたまう」とも言う)という、まさに、悪霊を祓う祓詞があるが、これも真言である。
ただ、真言の唱え方には気を使っていただきたい。
「どうせ僕は真言を唱えるくらいしか出来ませんので、真言でもとなえます」
などという、「デモシカ」真言をやらないで欲しい。
実際は、真言しか出来ないとしても、唱える時は真摯(まじめでひたむき)に唱えないといけない。
真摯・・・これこそ、悪霊に憑りつかれた者が持たないものである。
とはいえ、そう堅苦しく考える必要はなく、ただ、丁寧に静かに、ややゆっくり唱えれば良い。
「丁寧に」と覚えておけば間違いない。
丁寧・・・これもまた、悪霊には縁のないもので、悪霊に憑りつかると、何ごとも無意識に粗雑に行うことになる。
そこをあえて、丁寧に真言を唱えれば、悪霊を浄化する光が起こる。
そうだ。日本の祓詞だって「祓えたまえ」だけではなく、「清めたまえ」と続くのである。
悪霊は、追い出しただけでは、また帰ってきたり、他の者に憑りつく。清める・・・浄化することまで意識した方が良い。
テレビで見る政治家や企業幹部らも、ことごとに悪霊に憑りつかれ、醜い姿で、悪霊の言葉を語っているだろう。
一見、見た目の良い政治家も、以前はそうではなかったとしても、あの世界にいるうちに、すっかり悪霊に取り込まれ、雰囲気が淀んでおり、外見も崩れ始めているのが分かる。
大物芸人等も、悪霊の餌食になった者が多いようである。
テレビ局はとっくの昔に悪霊の巣のようなものだから、テレビは決して見てはならない。
アダルト書籍やアダルトゲームは、頭ごなしに否定したくはなかったが、今のものは駄目。一瞬で悪霊に憑依されるようなものが多くなってきた。レベルが低過ぎるのである。
見ないにこしたことはんまいが、見てしまったら、真言をたっぷり唱えて欲しい。
けれども、「はい!アダルト見て真言唱えます(笑)」などという言い方をする者は、もう悪霊と合体しているので、手遅れかもしれない。真摯さがないのが分かるであろう。
とはいえ、あらゆる面で、惨めになりたくなければ、そして、幸福で幸運でいたければ、優れた真言を丁寧に心で数多く唱えるべきと思う。
どの真言か迷ったら、とりあえず(というのもちょっと不真面目かもしれないが)、観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」か「オン、アロリキャ、ソワカ」をお勧めする(両方でももちろん良い)。同時に、『観音経』(『法華経』の25章)を読めば、特に良いと思う。
念仏に抵抗がなければ「南無阿弥陀仏」や「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は、やはり最強である(実際は、真言に上下はないが)。
念仏を熱心に唱える人間に憑りつく悪霊もいないだろう。
また、お経を身近におくことも、悪霊退散の効果があると思う。
お経の文字は見るだけでも功徳があるので、時には見たり、読んだりすれば良い。
聖書の言葉、特に、詩編の言葉には悪霊を祓う力があると言われるが、実際の話、日本にいる悪霊は、西洋の悪霊のように、直接的には聖書の言葉を恐れない。ただ、言葉に光があるので、すっかり馴染むほどに唱えていれば、やはり力があるはずである。
ラルフ・ウォルドー・トラインの世界的著書『In Tune With The Infinite(翻訳には『人生の扉をひらく「万能の鍵」』などがある)』にも、悪霊に憑りつかれないよう注意することが書かれているが、彼は、心を善にすることでそれを行うよう奨励している。だが、それは、特に現代人には難しい。
まずは真言を唱え、それから、この本に接すると向上すると思う。
今や、実に多くの人が、悪霊に憑りつかれ、悪霊に操られている。
それは、だいたい一目見れば、誰でも分かるのではないかと思う。
それほど、電車の中や、いつも混雑する路上などにたむろする者達は、醜悪で、腐った臭いを巻き散らしている。
それを見ると、日本は危ないと感じる。
いや、人のことばかり言っていられない。
自分だって、隙を作れば一瞬で悪霊が入り込んでくることがあり、とにかく、今はどこにでも悪霊がいるのだから、常に祓わないといけない。
悪霊を祓うのもまた真言である。
「オン、アロリキャ、ソワカ(観自在菩薩真言)」などを繰り返し心で唱えることで、悪霊は退散する。
悪霊は、優れた真言を唱える者に憑りついていることは出来ない。
また、日本には昔から、「祓えたまえ、清めたまえ」(「祓えたまい、清めたまう」とも言う)という、まさに、悪霊を祓う祓詞があるが、これも真言である。
ただ、真言の唱え方には気を使っていただきたい。
「どうせ僕は真言を唱えるくらいしか出来ませんので、真言でもとなえます」
などという、「デモシカ」真言をやらないで欲しい。
実際は、真言しか出来ないとしても、唱える時は真摯(まじめでひたむき)に唱えないといけない。
真摯・・・これこそ、悪霊に憑りつかれた者が持たないものである。
とはいえ、そう堅苦しく考える必要はなく、ただ、丁寧に静かに、ややゆっくり唱えれば良い。
「丁寧に」と覚えておけば間違いない。
丁寧・・・これもまた、悪霊には縁のないもので、悪霊に憑りつかると、何ごとも無意識に粗雑に行うことになる。
そこをあえて、丁寧に真言を唱えれば、悪霊を浄化する光が起こる。
そうだ。日本の祓詞だって「祓えたまえ」だけではなく、「清めたまえ」と続くのである。
悪霊は、追い出しただけでは、また帰ってきたり、他の者に憑りつく。清める・・・浄化することまで意識した方が良い。
テレビで見る政治家や企業幹部らも、ことごとに悪霊に憑りつかれ、醜い姿で、悪霊の言葉を語っているだろう。
一見、見た目の良い政治家も、以前はそうではなかったとしても、あの世界にいるうちに、すっかり悪霊に取り込まれ、雰囲気が淀んでおり、外見も崩れ始めているのが分かる。
大物芸人等も、悪霊の餌食になった者が多いようである。
テレビ局はとっくの昔に悪霊の巣のようなものだから、テレビは決して見てはならない。
アダルト書籍やアダルトゲームは、頭ごなしに否定したくはなかったが、今のものは駄目。一瞬で悪霊に憑依されるようなものが多くなってきた。レベルが低過ぎるのである。
見ないにこしたことはんまいが、見てしまったら、真言をたっぷり唱えて欲しい。
けれども、「はい!アダルト見て真言唱えます(笑)」などという言い方をする者は、もう悪霊と合体しているので、手遅れかもしれない。真摯さがないのが分かるであろう。
とはいえ、あらゆる面で、惨めになりたくなければ、そして、幸福で幸運でいたければ、優れた真言を丁寧に心で数多く唱えるべきと思う。
どの真言か迷ったら、とりあえず(というのもちょっと不真面目かもしれないが)、観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」か「オン、アロリキャ、ソワカ」をお勧めする(両方でももちろん良い)。同時に、『観音経』(『法華経』の25章)を読めば、特に良いと思う。
念仏に抵抗がなければ「南無阿弥陀仏」や「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は、やはり最強である(実際は、真言に上下はないが)。
念仏を熱心に唱える人間に憑りつく悪霊もいないだろう。
また、お経を身近におくことも、悪霊退散の効果があると思う。
お経の文字は見るだけでも功徳があるので、時には見たり、読んだりすれば良い。
聖書の言葉、特に、詩編の言葉には悪霊を祓う力があると言われるが、実際の話、日本にいる悪霊は、西洋の悪霊のように、直接的には聖書の言葉を恐れない。ただ、言葉に光があるので、すっかり馴染むほどに唱えていれば、やはり力があるはずである。
ラルフ・ウォルドー・トラインの世界的著書『In Tune With The Infinite(翻訳には『人生の扉をひらく「万能の鍵」』などがある)』にも、悪霊に憑りつかれないよう注意することが書かれているが、彼は、心を善にすることでそれを行うよう奨励している。だが、それは、特に現代人には難しい。
まずは真言を唱え、それから、この本に接すると向上すると思う。

