近代のインドの聖者ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジの教えは、日本語書籍で見る限り、複雑怪奇で恐ろしく抽象的で、古くなったトーストのように食えないと感じる。
(「古くなったトースト」は、コリン・ウィルソンがルドルフ・シュタイナーの教えを喩えた表現。なかなか適確だ 笑)
だが、2人の教えは、誰もやっていないが、合わせて簡単に言える。
いずれも、究極の真言、
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
を唱えることに吸収される。
それは、簡単に説明出来る。
マハルシの教えは、「私は誰か?」と問うこと、あるいは、人生を全て神に明け渡すことだ。どちらでも良いと言う。
「私は誰か?」の答は、「常に生成する者」なので、
「私は常に生成する者である」
と唱えれば良い。
人生を明け渡すことは、最も端的な言葉で言えば、
「私はなるようになるだろう」
であるので、これを唱えれば良い。
ニサルガダッタ・マハラジの教えはバラエティに富んでいるが、実際に彼が悟りを開いた方法は、師に言われた、
「あなたは至高の実在である」
という言葉を忘れなかったことだけで、修行はしなかったと言う。
だが、「至高の実在」というのは、曖昧過ぎるし、適確でもないと思う。
「私は至高の実在である」
を、力を発揮する言葉として言い換えれば、
「私は常に生成する者である」
だ。
マハラジのもう1つの教えは、「私は在る」と唱えよであるが、この「私は在る」は、旧約聖書の『出エジプト記』の神の言葉「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」の誤訳・・・とまでは言わないが、不味い訳である。
これの正しい訳は、
「私はなるようになるだろう」
で、高次な視点で言えば、
「私は常に生成する者である」
だ。どちらも正しいが、視点の違い(人間の視点と神の視点)があるだけだ。
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
好きな方、あるいは、両方を唱えれば、いずれは悟りを開けると思うが、それまでにも心が静まり、万能の引き寄せの力は「ついでに」得られるだろう。
英語が好きなら、それぞれ、
I Will Be What I Will Be.
I Am The Ever-Becoming.
でどうぞ。
他のアファーメーションが好きなら、これらを副次的(二次的)に使えば、アファーメーションの威力を増すと思う。
尚、個人的には、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えの根本を、混乱なく理解するには、マハラジの弟子であったラメッシ・バルセカールとの対談集である『誰がかまうもんか?!』をお薦めする。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)ラマナ・マハルシの教え
(4)ルドルフ・シュタイナー(コリン・ウィルソン)
AIアート1385
「教会の子」
Kay
(「古くなったトースト」は、コリン・ウィルソンがルドルフ・シュタイナーの教えを喩えた表現。なかなか適確だ 笑)
だが、2人の教えは、誰もやっていないが、合わせて簡単に言える。
いずれも、究極の真言、
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
を唱えることに吸収される。
それは、簡単に説明出来る。
マハルシの教えは、「私は誰か?」と問うこと、あるいは、人生を全て神に明け渡すことだ。どちらでも良いと言う。
「私は誰か?」の答は、「常に生成する者」なので、
「私は常に生成する者である」
と唱えれば良い。
人生を明け渡すことは、最も端的な言葉で言えば、
「私はなるようになるだろう」
であるので、これを唱えれば良い。
ニサルガダッタ・マハラジの教えはバラエティに富んでいるが、実際に彼が悟りを開いた方法は、師に言われた、
「あなたは至高の実在である」
という言葉を忘れなかったことだけで、修行はしなかったと言う。
だが、「至高の実在」というのは、曖昧過ぎるし、適確でもないと思う。
「私は至高の実在である」
を、力を発揮する言葉として言い換えれば、
「私は常に生成する者である」
だ。
マハラジのもう1つの教えは、「私は在る」と唱えよであるが、この「私は在る」は、旧約聖書の『出エジプト記』の神の言葉「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」の誤訳・・・とまでは言わないが、不味い訳である。
これの正しい訳は、
「私はなるようになるだろう」
で、高次な視点で言えば、
「私は常に生成する者である」
だ。どちらも正しいが、視点の違い(人間の視点と神の視点)があるだけだ。
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
好きな方、あるいは、両方を唱えれば、いずれは悟りを開けると思うが、それまでにも心が静まり、万能の引き寄せの力は「ついでに」得られるだろう。
英語が好きなら、それぞれ、
I Will Be What I Will Be.
I Am The Ever-Becoming.
でどうぞ。
他のアファーメーションが好きなら、これらを副次的(二次的)に使えば、アファーメーションの威力を増すと思う。
尚、個人的には、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えの根本を、混乱なく理解するには、マハラジの弟子であったラメッシ・バルセカールとの対談集である『誰がかまうもんか?!』をお薦めする。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)ラマナ・マハルシの教え
(4)ルドルフ・シュタイナー(コリン・ウィルソン)
AIアート1385
「教会の子」
Kay