ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『私は誰か?』(全28中の8~10)

ラマナ・マハルシの質問への回答を収めた小冊子『私は誰か?』の8つ目からの質問である。
この小冊子は、ごく短いながら極めて貴重な聖典である。

質問8
心とは何でしょう?

回答
心は、魂の中に居る魔術師のようなものである。
心が魂の中から出てくると、心は魂を覆い、魂は心の中に隠れる。
(心にそんなことが出来る理由は後で簡単に述べる)
そして、心は外部世界を瞬間に作り出す。
さらに、心は1人の個人を作り出し、魂は、その個人と同一化する。つまり、魂は、自分が、心が作り出したその1人の個人であると思い込む。

質問9
どうすれば心の魔術のカラクリを暴けるでしょうか?

回答
心の最大の特徴は、「私という想い」を作ることである。
また、心は、自分の存在感を上げるために、絶えず活動する身体部位である心臓に巣食う。
それによって、心は、心こそが私であるというイカサマの観念を作る。
そこで、胸に意識を置き、「私、私、・・・」と心の中で言うと、自然に心臓に意識が収束し、同時に、自然に心の魔術が明確になる。

質問10
どうすれば心は静かになるのでしょうか?

回答
「私は誰か?」と自分に問うことで心は静かになる。
その原理はこうである。
「私は誰か?」と自分に問うと、先程述べた通り心臓に巣食った心に隙間が出来、そこから、心に覆われていた魂の光が漏れ出す。
魂は心よりはるかに上位者なので、魂の光が現れる度合いに従って心は不活性化し止まる。

今回は、ここまでである。

水に化身したゼウス
AIアート31
「水に化身したゼウス」
Kay


尚、なぜ、心が、自分よりはるかに上位者である魂を覆えるのかというと、ある高度なテクノロジーで作られた装置の働きで、魂が不活性化するからである。
だが、魂の力がなくなったわけではないので、いったん魂を復活させ、心を浄化すれば、もう勝手なことは出来ない。
その心もまた、装置によって異常なものに改造されているのである。








『私は誰か?』(全28中の1~7)

ラマナ・マハルシに対する28の質問と回答を収めた『私は誰か?』を書き直す。
これは、税務署職員であった男が、当時、二十歳そこそこであったマハルシに質問し、回答を得たものだが、その時のマハルシは数年に渡る沈黙の行を行っていて話すことがなく、回答は、砂の上に指で書かれた。
よって、実にシンプルな回答であったはずだ。
しかし、後年、活字の小冊子になる頃に、おかしなくらい複雑になってしまった。
そこで、それをシンプルに書き直す。
短い質問と回答なので、一度に複数取り上げることになると思う。

砂漠の上を飛ぶUFO
AIアート30
「砂漠の上を飛ぶUFO」
Kay


質問1
私とは誰でしょうか?

回答
私は身体ではない。
また、想念(思考と感情)を起こす心も私ではない。

質問2
それでは私は誰でしょう?

回答
身体や心がなくなっても残る、それらを超えた魂である。

質問3
魂とはどのようなものでしょう?

回答
存在するもの。
意識するもの。
至福であるもの。
こういったものである。

質問4
自分が魂だと分かるとどうなりますか?

回答
自分の外の世界というものがなくなる。

質問5
魂となった私が、外の世界を感じることはないのですか?

回答
ない。

質問6
なぜでしょう?

回答
実際にないからである。

質問7
どうすれば自分が魂だと分かりますか?

回答
心を消すことによってである。

今回は質問7までとする。
質問8以降で、心を消す方法が回答される。
『老子』全81章は、どの章も全て「心を消せ」と書いてあるのである。
その方法をシンプルに示すのだから、『老子』全81章に匹敵する。
とはいえ、やることはただ「私は誰か?」と問うことで、その意義を語るだけである。
『老子』にも実質そう書かれているが、『エイリアンインタビュー』で書かれている通り、魂は全知全能の無限の存在で、我々が知る概念で最も近いのは「神」である。
なぜ「私は誰か?」と問えば自分がそのような魂であると分かるのか、それが質問8以降の回答で述べられる。

尚、前回も述べたが『私は誰か?』は、無償公開されているが、いろいろあって最近は入手が難しいと思う。
本としては、『ラマナ・マハルシの教え』と『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』の中に収録されている。








最も短く最上の聖典は

これまで、41日に渡って『老子』の「解説」ではなく「真意」を翻訳してきた。
その結果、分かったことは、『老子』は極めてシンプルで分かり易いのに、究極の真理を直接的に語っていることだった。

ただ、老子は、老子のようになる方法については、自然と融合するものであれば何でも良く、制限をつけなかったが、それでかえって、何をすれば良いのか分からなくなった。
だが、『老子』全81章に渡って、ラマナ・マハルシが提示した「私は誰か?」と問う方法が適合しないところは1つもなく、しかも、これが最も簡単な方法であると思う。

献花される歌姫
AIアート29
「献花される歌姫」
Kay


『老子』は、引き寄せの法則みたいなものははるかに超えている。
そんなものは簡単過ぎてお話にならない。
ところで、引き寄せについて、世の中では、こんなことが言われている。
「『お金持ちになりたい』と思っていると、ただ、その『お金持ちになりたい』と思う状況だけが実現する。お金持ちになりたいなら、既に自分がお金持ちであると思わないといけない」
なんとしみったれた言葉だろうか?
何の意味もない話である。
ところが、世の中では、この話について、どんどん議論が展開されてしまっている。
結局、それでうまくいかないからだ。
引き寄せのあらゆるメソッド(手法)に意味はない。
大切なことは、メソッドではなく、ただ1つ、魂が活性化されているかどうかだけだ。
そのためには、思考を消すことだけが必要である。
それで言えば、あらゆる引き寄せメソッドの中で、ただ1つ「元祖1式」と呼ばれるものだけが正しい。
これは、思考を消すため以外の思考をしないというものだ。
そのためには、具体的には、ひたすらアファーメーション(肯定的確言)をする。
言葉は何でも良い。
「神様の奇跡が起こる」でも「お金がある」でも「生きている」でも「ありがたい」でも。
それを1日1万回もやれば、思考する暇がなくなり、魂が活性化して、結果、幸運に恵まれる。
だが、アファーメーションの言葉そのものに何の意味もない。
ただ、思考を消す役に立つだけだ。
ところが、真にすみやかに思考を消す方法が、「私は誰か?」と自分に問うことだ。

ラマナ・マハルシの『私は誰か?』という小冊子がある。
28の短い質問に対するマハルシの返答を収めたもので、マハルシ自身が監修している。
本にするほどの分量でもなく、無料公開されているが、最近、入手が難しくなっている。しかし、下に挙げたマハルシの著書2冊に収録されている。
ただ、いずれも、はっきり言って、日本語訳が最悪だ。
やたら難しい、そして、抽象的な言葉が満載で、何を言っているのか分からない。
必要もないタミール語の読みを載せ、読者を混乱させてもいる。
出版者や翻訳者が、意味を理解出来ていないので、そんなことをしてしまうのだ。
そこで、次回から、『私は誰か?』をすっかり書き直そうと思う。
『老子』より簡単に、真理を直接掴むことが出来る。
とはいえ、必要なことは、ただ「私は誰か?」と問うことである。








『老子』第81章(最終回)「思考を捨ててこそ」

今回は『老子』第81章で、『老子』最終回である。
この章を一言で言えば「思考を捨ててこそ」である。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という有名なことわざがある。
これは、「命を捨てる覚悟があってこそ成功する」という意味で、英語にも「Fortune favours the bold.(幸運の女神は勇者を助ける)」という、似た意味のことわざがある。
この言葉も良いのかもしれないが、老子は全くレベルが違う。
世間のことわざレベルで考えるから、皆、老子を大誤解するのだ。
老子では、捨てるのは「身」ではなく「思考」である。

人間の中には、自殺をする者もいる。これも身を捨てることである。
だが、自我(エゴ)は決して自殺しない。
自我は実際は思考で、思考は記憶と欲望から出来ている。
身を捨てることは容易い・・・と言えば語弊があるかもしれないが、思考(自我)を捨てることは極めて難しい・・・実際は不可能だ。
では、どうすれば良いか?

地上に浮上した秘密施設
AIアート28
「地上に浮上した秘密施設」
Kay


少し方向を変える。
若いうちは皆、自分は天才だと思っている。
しかし、ある程度の歳になれば、そうではないことが分かって来る。
それをいつまでも分からないと、いわゆる「中二病(自分は特別だと妄想すること)」になる。
自分が天才でないと分かれば、「天才であれば、容易く称賛や栄光が得られたものを」と嘆く。
こう言われても、
「そうかもしれないが、私は違う(やはり天才だ)」
と思う期間(中二病である期間)が長いほど悲惨で、下手をすれば狂人にされてしまう。
ところが、称賛や栄光を望む思考(心、自我)が消えてしまえば、本当に天才になる。
というより、元々が、天才すらはるかに超えていたのだ。
天才をはるかに超越した者が、たかが世間の称賛や栄光を望んだりしない。
そして、『星の王子さま』を読めば、子供は皆そうである(天才をはるかに超越している)ことが分かる。
もっとも今は、お受験とかで、幼稚園とか小学校入学時点で「小さな大人」にさせられ、『星の王子さま』で語られるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの子供時代や星の王子さまのように「大人はへんてこりん」とも思わなくなる。

言ってみれば、「思考を捨てればあなたも天才」なのだが、そうはいかない。
さっきも述べた通り、思考(自我)は決して自殺しない。
だから、老子の教えは滅んでいたが、20世紀初頭にラマナ・マハルシが「私は誰か?」と問うことを教え、ようやく、老子の願いが成就した。
「私は誰か?」と自分に問えば、思考の本体である記憶と欲望は溶け去る。
そうすれば、本当の自分が全知全能の無限の魂(=神)であることが分かる。

『老子』全章は、この同じことを繰り返し語っているだけである。
ただ、実際は、誰もこれ(「私は誰か?」と自分に問うこと)をしていない。
敵の思うつぼってやつである。
今はそうである。
だが、何とか敵に嫌がらせをしたいものだ。
ただし陽気に。敵も意外に陽気だ。
敵とは、あえて繰り返さないし、喩え話と思えば良いが、太古の昔に、地球に超高度テクノロジーで作ったマインドコントロール装置を仕掛けた宇宙人である。








『老子』(78/81)「真の王とは」

今回は『老子』第78章である。
この章を一言で言えば「真の王とは」である。

イエスが「先の者が後になり、後の者が先になる」と言ったのと同じだ。
つまり、一番先に行っているように見える者が、実は一番遅れており、ビリに見える者が、実は一番前進している。
見かけと実体は真逆だ。
だからイエスは、「一番偉くなりたいなら、皆に仕えなさい」と言ったが、世間の先生達は、これを道徳上の方便のように言う。
では、真の王とは何だろう?

老子は、こう言うのだ。
「国中の恥辱を背負う者が一国の真の王」
「天下の不幸を背負う者が天下の真の王」
イエスもラマナ・マハルシも言ったと思う。
「神はいかなる重荷にも耐える」

初音ミク 白ドレス
AIアート25
「初音ミク 白ドレス」
Kay


凡人・・・つまり、超高度テクノロジーで作られたマインドコントロール装置に支配されている者は、自分の失敗についても、
「それは俺のせいじゃない」
と言う。
だが、マインドコントロール装置の支配から脱した者は、この世のあらゆる問題に対し、
「それは私のせいだ」
と言う。
『神様のメモ帳』という小説・アニメの中で、見かけは11歳くらいの際立った美少女であるアリスは、
「世界で起きている不幸は、実は僕のせいなんだ」
と言う。
彼女は、普通の人よりずっと神に近い。

とはいえ、わざとらしく、自分も今日から、「この世のあらゆる問題の責任を負う」なんて言う必要はない。
我々じゃ負えないから。
負えるのは神だけだ。
だから、「私は誰か?」と問い、忘れてしまっている真実・・・自分が本当は全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出すべきである。
そうなれば、国中の恥辱を背負うなど容易いことで、天下の不幸を背負うこともまた同じであることが分かるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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