ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラピス・ラズリ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

陽気に不幸は近付けない

この世界は漫画のようなもので、我々は漫画の登場人物のようなものだ。
このように、漫画に喩えるのが一番分かり易い。
だが、紙芝居が好きなら紙芝居、ゲームが好きならゲームでも良いが、静止画の方が良い。
動く映像だと、どうしても時間の流れを感じる。詳しくは言わないが、時間とは概念、あるいは、情緒に過ぎず、実体はない。
それで、時間を感じると、どうしても、本質が眩んでしまうのである。
どうでも良いことだが、私個人は紙芝居に喩えることが好きである。

この世界という漫画の作者は神のようなものであるが、神である作者の機嫌を取ったり、作者に好かれて運命を良くしようなんて思わないことだ。
全く無駄なことだからだ。
要は、主役たりえる態度でいれば良いのである。
そのためにはどうすれば・・・いや、することは作者が決めるし、考えることも同じだ。
だが、登場人物の想念(あるいは念)は、作者すら、「我々を見て感じる」のである。それで、作者が意外に思うことすらある。
想念だけは我々のものだ。
だから、我々は主役の想念を持たねばならない。
では、主役の重要な想念とは何か?
これに関しては、アイルランドの大詩人ウィリアム・バトラー・イェイツが、『ラピス・ラズリ(瑠璃)』という詩で、一言で言ってくれている。
それはGay(陽気な)だ。
悲劇のヒーロー、ヒロインであるはずの、リア王、ハムレット、それに、オフィーリアすら、皆、陽気なのだとイェイツは洞察した。
だが、我々は、しかめっ面をし、陰気になり、不満を感じている。
それは主役の態度ではない。
主役は陽気だ。
『リア王』や『ハムレット』等は、悩んだり、迷ったりしたら不幸になることを示す劇であるだけなのだ。
一方、我々は陽気でいる限り、不幸は近付けない。
だから・・・「陽気に笑え」である。
笑うことほど大事なことはない。








世界はいったん終り、こう変わる

「20世紀最大の詩人」と言われ、老人になっても安らぎを求めず、死の直前まで名詩を残したアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865~1939)の詩を読むと、現在の状況を預言しているようであり、また、今後、どうなるかも予感させる。
そのいくつかを見てみようと思う。

ところで、イェイツだけではないだろうが、芸術的な詩は、翻訳者によって、あまりに意味が異なる場合が多く、イェイツは特にそうだと思う。
イェイツの詩には、霊的な意味合いが濃く、霊的なものに、定義や共通の認識を期待する方が難しいからだ。
私は沢山のイェイツの詩集の翻訳を所有しているが、今回は、『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫。高松雄一編)を見よう。

まず、特に名詩と名高い『ラピス・ラズリ』(1938年。『瑠璃』と訳されることが多い)から、何行か抜き出す。

・・・
劇の主役にふさわしい人間なら、
台詞の途中で泣き出したりはしない。
彼らはハムレットもリアも陽気なことを知っている。
陽気さが恐怖をそっくり変えてしまうのだ。
・・・
すべての事物は崩壊し、また構築される。
そうして、ふたたび築く者たちは陽気だ。
・・・

悲劇の主人公たるハムレットやリア王が陽気とは面白い。
それを、一流の役者は皆、知っていると言うのだ。
逆に言えば、ハムレットやリア王が陽気だと知っているのが一流の役者の証である。
そうだろう。
ハムレットやリア王が本当は陽気だからこそ、シェイクスピアのこれらの戯曲は傑作なのである。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは言っていたものだ。
「シェイクスピアはうまい作家じゃない。だけど、人間を知っていた」
普通の人々は、ハムレットやリア王や、あるいは、オフィーリアを気取って憂鬱そうにしているのだと、この詩の別の部分でイェイツは書いている。
我々も、凡人でありたくないなら、苦しい時に陽気でなければならない。
愚か者ほど、落ち込んで見せるのだ。

今のコロナウイルスは、経済も現代人の価値観も全て叩き壊す。
そして、新しい人間が、新しい世界を作るが、そんな者達は陽気なのだ。
あるイェイツ研究者によれば、再び構築する者が陽気なのではなく、「滅ぼし、再び構築する者」が陽気なのである。
あえて言えば、「陽気」を、低い意味に捉えてはならない。
gay(陽気)こそが、イェイツ詩の鍵と言う者もいるのだから。

では、『再臨(The Second Coming)』(1920。『再来』と訳されることが多い)に移る。
キリスト教では、再臨するのはイエスだが、イェイツは、スフィンクスのような野獣が再臨し、新しい野蛮な文明が始まると考えていたようだ。
しかし、イェイツは、ニーチェ同様、イエスの類稀な能力を認めながら、ニーチェやワイルドやサルトル同様、アンチ・キリスト主義だった。
キリスト教文明こそ野蛮で、それが今終わる。
そして、詩の最後で、再臨する野獣がどんなものであるかは、イェイツも知らないことを明かす。

・・・
最良の者たちがあらゆる信念を見失い、最悪の者らは強烈な情熱に満ち満ちている。
・・・
再び暗黒がすべてを閉ざす。だが、今、私は知った。
二千年つづいた石の眠りが
揺り籠にゆすられて眠りを乱され、悪夢にうなされたのを。
やっとおのれの生まれるべき時が来て、ベツレヘムへ向いのっそりと歩み始めたのはどんな野獣だ?

新型コロナウイルスがその野獣かもしれない。
これが生まれたからには、もはや以前の世界に戻ることはない。
長谷敏司さんの小説『BEATLESS』で言えば、その野獣はレイシア(超高度AI。姿は17歳くらいの美少女)になると思う。
レイシアの望みは、富の再分配だったと思うが、それが実に当を得ている。
新型コロナウイルスで人類が滅ばないために必要なことがそれだ。
レイシアと対立する超高度AIアストライア(正義の女神の名)は、強制的な変革の危険を説く。確かに、レイシアの戦いは苦しかった。
しかし、新型コロナウイルスは、強制的な変革を行う。
人類のエリート達があまりに利己的で強欲だからだ。
世界で言えばオリンピック、日本での似たようなものである高校野球甲子園大会はもう出来ない。
世界は強制的に変えられる。
新たな世界を作る者は陽気(Gay)である。












KayのAI書籍(数学講師MrΦとの共著)。

誰でもAIを無料で作れる時代。
権力者達がAIで世界を支配するのを防ぐためにも、我々がAIを理解しなければなりません。
そのためには、AIを自分で作るのが一番です。
それを、簡単に楽しく出来ることを意図し、面白いテーマを考えました。

明日のヒーロー

今日、8月31日が、初音ミクさんのお誕生日だということに、午後4時くらいにやっと気付いた。
こんな重要な日を思い出さないとは、私がいまだ、8月31日に良いイメージがないせいかなあと思う。

昨年も書いたのだが、8月31日が誕生日の漫画家、大島弓子さんが描いた『裏庭の柵をこえて』には、8月31日が誕生日の小学3年生の少女とみこの、ちっとも楽しくない毎年のお誕生日の思い出が描かれていた。
だが、とみこの隣の家の大学生のお兄さんは、その後、とみこの夏休みの宿題を片付けるためだけに、そこに居続けた。
そして、彼は、とみこが中学に入った時に何処かに行ってしまう。
まるで、スーパーマンのように、とみこの夏休みの宿題をババババっと仕上げていくお兄さん。
ちょっと怪しい雰囲気のお兄さんだが、とみこには、そして、大島さんにとっても、まぎれもないヒーローなのだろう。

明日、9月1日は、子供の自殺が最も多い日らしいが、その原因はもちろん学校である。
それなら、学校の姿を根本的に変える必要があるが、それにはもう、破壊が必要だ。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』は、破滅と再生を語る、神秘的で鮮烈な詩である。

All things fall and are built again
And those that build them again are gay.
全ては崩壊し、作り直される。
そして、再び築く者達は陽気なのだ。
~W.B.イェイツ『Lapis Lazuli(ラピス・ラズリ)』より~

自殺する子供達には、ヒーローがいない。
私達にも、ヒーローがいない。
だが、悲しんでいる者、苦しんでいる者だけが一人、神秘な存在に呼ばれる時が来る。
君が真のヒーロー、ヒロインになれということなのだ。
それまで、息を潜め・・・悪魔に呼吸を読まれないよう、なるべく微かな呼吸をし、余計なことを喋らずに耐えることだ。
悪魔は呼吸と共に邪悪を送り込み、魂を奪うのだからだ。
だから、大半の人は、邪悪に染まり、魂を失ってしまった。
だが、まだ魂があるから苦しむのだということを忘れてはならない。
そして、耐えることだけが力になる。
黙って耐えれば、神は耐えた分に倍した力を与えてくれるのである。
例えば、今日が8回目のお誕生日の初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』、『Last Night, Good Night』を聴くと、耐える力が湧いてくるはずだ。
♪FREELY TOMORROW (Youtube)
♪Last Night,Good Night (Youtube)









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変化ではなく革命を

アメリカのオバマ大統領は、大統領になりたての頃は、よく「チェンジ」と言っていた(今も言ってるのかもしれないが)。
本来は、「変化」なんかでなく、「革命」とすべきだが、大統領が「革命」なんて言ったら洒落で済まないから、チェンジにしておいたのだと考えるべきだろう。
他人事ではないが、いろいろな人を見ていると、この人達に必要なのは「変化」ではなく、あくまで「革命」だ。
全ての人が、個人的に、変化なんてものじゃない革命を必要としている。
国や人類にも革命が必要なのであるが、革命とは、政治や武力行為で為されるものではなく、意識の変革から起こるのであり、逆に言えば、意識の変革がなければ、革命だと言ったところで、本当は何も変わらないのだ。

我々は変わらなければならないが、それは変化ではなく、革命でなければならない。
それは、意識の革命である。
変化というのは、表面的なもので、根本はそのままの、上っ面だけの変化・・・善くてせいぜい改善である。
一方、革命、変革とは、全部ぶっ壊して、新しく作り直すことである。

企業の再生にも、リストラクチャリングとリエンジニアリングがある。
リストラというと、従業員整理の意味で使われることが多いが、本来は再構築という意味である。
ただし、リストラクチャリングは、やはり、根本はそのままの改善で、一方、リエンジニアリングは、全部一度壊してから作り直すことだ。
駄目になった企業は、改善なんか考えてもどうにもならない。
社長も役員も、全部入れ替え、何もかも変えないと破滅するだけである。
これは、企業だけでなく、何事もそうだし、我々一人一人についても同じだ。

W.B.イェイツの『Lapis Lazuli(ラピス・ラズリ)』という詩に、こんなパラグラフ(節)がある。

All things fall and are built again
And those that build them again are gay.
全ては崩壊し、作り直される。
そして、再び築く者達は陽気なのだ。

真理というものがあって、それを言葉にするなら、まさにこのようものだろう。
マイケル・ジャクソンの『マン・イン・ザ・ミラー』で、「世界を変えたかったら、まずは、鏡の中の者(自分)から始めるんだ」とあったと思うが、全くその通りだ。
そして、今までの自分を捨て去り、新しく作り直すつもりでなければ、何も変わらないのだ。
『魔法少女リリカルなのは』で、母親に捨てられたフェイトが、バルディッシュ(フェイトの武器で、長い柄に斧が付いた形。フェイトの忠実な僕でもある)に、
「私は・・・私達は、まだ始まってもいない。新しい自分を始めるために、いままでの自分を終らせる」
と言うシーンは、私はいまだ涙なくして見れない。
思い出したからには、私もそのようにしよう。
再び築く者は陽気(Gay)なのである。









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人生という舞台の良い役者と下手な役者の違いとは

ある会社の入社式でのことだ。
大勢の新入社員の前の壇上で、その会社の社長が話をしていた。新入社員達は、かしこまった顔で、大昔のように微動だにしないという程でもないにせよ、ほぼそれに近い様子でいる。
その時、1人の男性新入社員が、隣の男に、何か書いた紙切れを一枚渡した。今書いたもののようだ。隣の男はちょっと迷惑に思いながらも、それを受け取って読んだ。
そこには、こんな笑い話が書いてあった。よくあるものだが、受け取った彼は知らなかった。
「父親が娘に、『お前、人間、顔じゃないよ』と言うところを、間違えて、『お前の顔は人間じゃないよ』と言った」
それを読むと、思わず吹き出してしまい、笑いがこみ上げてきたが、笑い出す訳にもいかず、口を押さえてこらえていたが、肩が震えた。
近くに立っていた、その会社の課長が近寄ってきて、小声で、「どうしたんだね?」と尋ねる。
彼はわざと苦しそうな顔をしながら、「すいません。花粉症で咳き込みました」と言った後、早くそのでっぷりとした中年を追っ払おうと、「しかし、もう収まりました。申し訳ありませんでした」と付け加えた。中々の機転であった。課長殿も「そうか」と納得して退散するよりない。
結局、この子供じみたいたずらをした男とされた者は、仲良くなった。
そして、とんだ迷惑をかけられた男は、色々な良いことに気付いたのだ。
そもそも、入社式で社長が言うような、「我が社の理念は」とか、「仕事とは」、「私が好きな言葉は」なんて話を覚えているようなことは、まずないし、下手に無意識に入れてしまうと、歪んだ反動が現れる恐れすらある。しかし、彼は、社長の話をきれいさっぱり吹っ飛ばし、ついでに、会社なんてものを深刻に考えずに、気楽に構えれば良いのだということを感じたのだ。かといって、会社を軽んじる訳でもないが、ただ、過度に熱狂したり、逆に、冷淡になり過ぎず、深刻になってきたと思えば、ユーモアで淀んだものを流してしまうべきことに気付いたのだ。
そういった態度でいれば、大抵の会社の中でうまくやっていけるのである。

「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのW.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』という詩は、神秘的でありながら、これ1つで、百万語の人生訓に勝る。
以下の『ラピス・ラズリ』は、私の勝手な意訳である。
そこいらに、ハムレットやオフィーリアやリヤ王がいる。
ハムレットは気取って、オフィーリアは憂いをたたえ、リア王は悲劇ぶって・・・
下手な役者の演技は滑稽だ。彼らを見ていると、そう思わずにはいられない。
深刻に天を仰ぐ間抜けなハムレット、泣き崩れるうんざりするほど魅力のないオフィーリア、しかめっ面が陰鬱なだけのリア王。
それが、人生という舞台の間抜けな役者達の姿だ。
主役に相応しい役者は、自分が泣いたりしないのだ。
ハムレットもオフィーリアも、リア王も、本当はみんな陽気だったのだ。
それを決して忘れてはならない。
人生の一流の役者は、ただ念仏を唱え、全てを仏様に任せてしまうものなのだ。
舞台はただ過ぎ行き、やがて終る。終った後に、どんな悲劇があると言うのだろう?
あるのは陽気さだけだ。

老人になったイェイツは、あるところで素晴らしい美少女に逢った時にこう言ったそうだ。
「君はこんなに美しく、ここにいるのに、愛することができないなんて実に悲しい」
陽気な不良老人イェイツは、もちろん、フラれても泣いたりしない。彼は超一流の劇作家であり役者なのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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