ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラヒリ・マハサヤ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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神様の唯一のコマンド(命令)

何度か、「思ったことが、当たり前にすぐ実現する」人のことを書いた。
最近、よく書くのは、トーシャ・シルバーの『とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく』の中にあるものである。
癌で余命3か月を宣告された女性が、淡々と死ぬ準備を進めているうちに、解脱してしまったのだと思われる。
そうしたら、彼女の癌は消滅してしまい、願わなくても、思ったことが勝手に叶うようになった。
彼女は、「以前の私はいなくなった」「私は脇に退いた」と言う。
自我が消えた・・・というより、やはり、「自我が退いた」「自我が変質した」と言う方が正しいと思う。
彼女は、以前の彼女であることも確かだが、以前の彼女と全く違うことも確かなのだ。

彼女のような人間になることが理想であるかもしれない。
解脱したとはいえ、おそらく、彼女に喜怒哀楽がないわけではないと思う。
ある意味、全く普通の人間である。
しかし、やはり、ある意味、普通の人間では全くない。
これを、解脱しているとか、悟りを開いていると言うのだろう。
道元の『正法眼蔵』によれば、やはり、ある意味だろうが、悟りとは、「自己を忘れる」ことである。

まあ、悟りを理屈で考えたり、言葉で説明することは不可能だろう。
とはいえ、上の女性の話だけでも、何となくは分かると思う。
では、もう1つの例・・・彼女とは異なる解脱の仕方をした例がある。
彼女の場合は、「自我を屈服させた」と言えるかもしれない。
自我は死にたくはないが、生きることを諦めるしかない状況に追い込まれ、自我が降参してしまったのだ。

もう1つは、「自我が満足する」ことで解脱した例である。
インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤの例だ。
マハサヤは修行が進んでいたが、1つの強い願いを持っていた。
それは、「宮殿のような家に住む」ことだった。
どうしても消せなかった最後の煩悩である。
そこで、マハサヤの師であるマハー・ヴァター・ババジが幻術を使い、マハサヤが望む素晴らしい家を出現させ、マハサヤはその家に一晩住み、それで、マハサヤの自我は満足して解脱したのである。
自我は満足すると退くのである。

心からの夢を叶えて満足する人はいる。
しかし、長い間の夢を叶えたが、その快感が忘れられず、再度、夢を求める人もいる。
だが、そんな人は、本当は、それは真の夢ではなかったのだ。
つまり、偽の夢を、自分の本当の夢だと思っていたのだ。
それなら、偽の夢を忘れて解脱した人もいる。
例えば、釈迦の従弟のアーナンダは16歳の美少女との結婚を控えてルンルンだったが、そんなアーナンダに釈迦は、人間の女など比較にならない美しい天女を見せる。
呆然とするアーナンダに、釈迦は、「アーナンダよ、修行すれば、この天女はお前のものである」と言う。
アーナンダは結婚をやめ、修行に打ち込むが、やがて、天女のことも忘れた。
まあ、アーナンダは、天女を見て、結婚をやめた時に、既に解脱したのかもしれない。

昨年の、初音ミクさんライブ「マジカルミライ2020」で、非常に特異な歌が2つあった。
1つは、初音ミクさんが歌う『命に嫌われている』(カンザキイオリさん作)と、巡音ルカさんが歌う『完全性コンプレックス』(やみくろさん作)だ。
いずれも、言ってみれば「生きる」ことをテーマとするが、現代の世相もあるのだろうが、生きる意義が見いだせずに苦しんでいる歌だ。
そして、苦しむことが分かっていても、共に、「生きよう」と言うのだ。
まあ、それほど前向きな感じではなく、「仕方なく」生きるという感じに思えなくもないが。
世界的な悪評と称賛の両方を得ている、SF作家で自己啓発指導者で新興宗教の教祖でもあるL.ロン.ハバードの『科学の進化』という本に、「人間の脳に与えられた唯一のコマンドは『生きろ』だ」と書かれていたのを興味深く憶えている。
そんなプログラムをしたのは神様だろう。悪魔が後からプログラムしたとは考え難い。

上の、癌で死を宣告された女性は、その唯一のコマンド「生きろ」を果たせなくなった。
ラヒリ・マハサヤは、そのコマンド「生きろ」を実行する意味がなくなった。
アーナンダの場合は、そのコマンド「生きろ」の正体を見破ってしまったのだと思う。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か」と問えば、自我は消滅すると言う。
これは、スコットランドの聖者マード・マクドナルド・ベインの師がベインに言ったように、「自我は正体を見破られると消える」という理由によるのだと思われる。
だが、ラメッシ・バルセカールは、それは難しいやり方だと言う。
易しいやり方は、神様に人生を明け渡すことだ。
だがまあ、これも、言うほど易しくない。
だから、命に嫌われていると思っている若者を簡単に救うことは出来ないかもしれない。
だが、必要以上に苦しまないためには、偏見や洗脳を離れた方が良いし、それらは、学校とテレビで叩き込まれたものだ。
そりゃ、学校やテレビから、「偽の生きる目的」を叩きこまれているのだから、苦しいはずだ。
しかし、あまりこれを言うと、闇の支配者に消されるらしい(笑)。

とりあえず、興味が出れば、上でご紹介したトーシャ・シルバーの『とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく』で、癌で死の宣告をされた女性の話や、五島勉氏の『ノストラダムスの超法則 死活の書』の騎士サンピエールのお話を読むことをお奨めする。
それで、何かを感じることが出来ると思う。








「成った」の想い以外何もいらない

私は、少し前までは、悟りを開けば完全に幸福になれるのだし、人間の究極の目的は魂の解脱、つまり、悟りなのだから、全てを諦めて、永遠の道(タオ)と一致すべしと考えていた。
そして、それはそれで正しいのだと今も思う。
それを好ましいと思うなら、もちろん、そうすれば良い。
聖者ラマナ・マハルシは、生涯、ふんどし一枚以外何も持たなかった。
それで完全に幸福だったが、あなたはそれで良いだろうか?
クリシュナムルティも世俗の報奨みたいなものの一切を見下し、実際に至福の境地にいたのだと思うが、よぼよぼの老人になってしまった。
そして、2人とも癌で死んだ。
別に、彼らはそれを嘆いてはおらず、確かに偉大な人達ではあった。

ところで、聖者ラヒリ・マハサヤの修行時代、彼がかなりのレベルに達したところで、師のババジは、その超越力により、マハサヤの願望である、壮麗豪華な大邸宅を与え、マハサヤは満足することですみやかに解脱した。
仙道の高藤 聡一郎さんは、やはり修行が進んだ時、現世と彼岸を隔てる境界が浮かび、「ここを超えれば解脱するが、それでお前は一切の欲望を無くし、親兄弟を見ても誰か分からなくなる」といった声を聞き、「嫌だ、俺はまだまだ美味しいものも食べたいし、いい女にもモテたい」と辞退したのだということを著書に書かれていた。
これらのことから、ある結論に至るのだ。
確かに、欲望に執着すれば悲惨への道を駆け下りることは間違いないが、人間は、一度は心を満足させないと、最終的な解脱に至るのは難しいものなのだ。
余程、修行の出来た者であれば別なのかもしれないが、我々凡人はラマナ・マハルシにはなれないし、あのラヒリ・マハサヤすら、我々と同じであったのだと分かるのだ。

私などは、少なくとも社会に出てからはずっと良い思いをしているが、周囲を見ただけでも、辛いことばかりの人もいるし、それどころか、ほとんどの人が、不満や悩みで傷付き、その痛みに喘いでいるようにしか見えない。
そんな彼らが、解脱への道を無事に進むことは、非常に難しいに違いないし、その気にもなれないだろう。
まずは、この世の楽しみを味わうことが必要である。
もしかしたら、聖人に近いほど少しのことで満足するのかもしれないが、普通の人では、そこそこに願望を叶える必要もあるのだろう。
そのためには、自己暗示による潜在意識との共同作業以外の方法はない。
そして、幸い、それは容易いはずなのである。
潜在意識による成功法則や引き寄せの法則は、疑うことなど1パーセントもないほど確実であり、当たり前に使えば良いのだが、それを奇妙に複雑にしてしまっている者がいるのだろう。
ただ、「成った」と思えばそれで良いのであり、他に何もない。
人間には、神と同じ創造の力があるのであり、「成った」の想い以外に、取り立てて必要なものはないのだ。

法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を1日に何千回、何万回と称えることを勧めたが、親鸞は、感謝して1回称えれば良いと言った。
感謝して1回称えるとは、「成った。ありがとうございます」という意味である。
即ち、念仏とは、「極楽は眼前に出現せり。無限者よありがとうございます」という感謝の表明なのだ。
早い話が、イエスが言った、「神に願う時は、既に叶ったと思え。そうすれば叶う」である。
宗教的でも、スピリチュアルでも何でもない。
自然で、庭のコスモスのように確かなものだ。
面白いことに、あの、「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」という自己暗示を教えたエミール・クーエだって、自分では、例えば病気の人に対し、「治る、治る、治る、・・・、治った」といった暗示を教えていたのだ。
この最後の「治った」が重要で、その前の「治る」の反復は、精神を集中するための心の準備運動である。
私はやったことがないが、美人になりたいなら、「美人に、なる、なる、なる、・・・・、なった」とやるのも、なるほど、確かに良さそうである。
だが、普通は、「私は美人だ」でよろしい。
いつも言うが、心の反発など気にしなくて良い。
反発があるからこそ、それは望ましいことなのであり、反発があるということは、価値があるということのサインとすら言える。
そして、起床時と就寝時に、声を出して20回も自己暗示をすれば、やがて心も従うのである。
実際、我々は、親、学校の教義や信念、マスコミの放言、大企業のCMといった、下らないものを、何の反発もなく受け入れている。
それらにしたって、忘れてしまったかもしれないが、初めは反発を感じたものだって沢山あるのだ。
そして、我々には、肛門を締めるという秘法があるのであり、思い出すたびに肛門を締めるようにすれば、いかなる願いも必ず、短期間に叶うのである。
普通にやれば、これまでの多くの人同様、欲望に執着してしまい、「引き寄せの法則は嘘だ」なんて愚かしいことを言う羽目になるが、我々は、肛門を締めることや、肛門を締めながらの腕振り運動すら知っているのだから、失敗する方がおかしい。
後は、やるか、嘲笑ってやらないかの違いだけである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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