ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヨブ記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神のメッセージを易しく言うと

1st PLACE(ファースト・プレイス社)のボーカロイドであるIA(イア)の英語の楽曲『Conqueror(コンクゥアー:征服者)』の歌詞の一部に強い印象を感じた。
それは、

Baby will you follow me for a ride in ecstasy?

で、DeepL翻訳では、

「ベイビー...エクスタシーを味わうために、私についてきてくれる?」

と訳され、多くの人も、

「ベイビー...気持ち良くなるために、私についてきてくれる?」

といった感じで訳している。
だが、タイトルが『Conqueror(征服者)』なのだから、これでは物足りない。
ここは、

「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいでしょ?」
「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいのよ」

といった感じが良いと思う(このように訳している人もいたと思う)。
そして、これは、神である魂が、自我である人間に告げるメッセージだ。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、「神に丸ごとまかせれば最高に気持ちいい」ことが分かって歓喜し、これを早く人々に教えてあげないといけないと思って精力的に講義を行った。
あまりに気持ちいいので、命を諦めた病気も治ってしまったのだ。
これが、今朝も書いた、旧約聖書の「ヨブ記」22章21節にある、
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」
と同じで、もっと普通の言い方をするなら、
「神と仲良くなって心おだやかで(気持ち良く)いなさい。そうすれば幸せになる」
である。
神は我々に、

「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいでしょ?」
「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいのよ」

と言っている(のだと思う)。
イエスも、荘子も、親鸞も、ラマナ・マハルシも、あらゆる賢者は、このことを教えたのだと思う。
これを端的にまとめたのが、スーフィー(イスラム教神秘主義者)の言葉、

「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ(心をさ迷わせるな)」

である。
そして、心をさ迷わせないためには、呼吸を微かにするだけで良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(2)IA/04(CD+DVD)
(3)歎異抄(梅原猛訳・解説)
(4)あなたは不安なしに生きられる(ジョセフ・マーフィー)
(5)Living Without Strain (Joseph Murphy)
(6)旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫)

煉瓦造りの家で
AIアート1411
「煉瓦造りの家で」
kay

神様と仲良くする

私は別にキリスト教徒ではないが、聖書には大変なことが書かれていると思う。
ジョセフ・マーフィーは『あなたは不安なしに生きられる』の中で、「聖書の意味を知りたければ、自分がそれを書いた時のことを思い出せば良い」と述べている。
サルトルも言ったように、「本を読むことは本を書くこと」で、読んでいる書物は、今この瞬間、自分が創造しているのである。

旧約聖書の「ヨブ記」22章21節に、「これだけ知っていれば良い」と思うほどの貴重なことが書かれている。
聖書をあまり知らなくても、「神と和解せよ」という言葉を聞いたことがあるのではと思う。
それが、ヨブ記のその箇所に書かれている。
「神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになるだろう」
聖書では、「神と和解させて頂きなさい」とは、「罪を認めて、神の赦しを求めなさい」という意味だと言われることが多いと思われる。
だが、私は、次の訳の方がピンとくる。
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」

さらに、私なら、
「神と仲良くなって心おだやかでいなさい。そうすれば幸せになる」
としたい。
これって、私が好きな言葉、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
と全く同じ意味と思う。
この言葉は、私は、スーフィー(イスラム教神秘主義者)の言葉だという話を本で見たことがある。
そうだ。「和解する」「和らぐ」「仲良くなる」というのは、とどのつまり「信用する」ということなのだ。
この「ラクダ」とは「心」のことで、「ラクダをつなぐ」とは、「心をさ迷わせず、落ち着かせろ」という意味と思う。

『処女の泉』という1960年のスウェーデン映画は、15歳のやや幼い美少女カリンが3人の浮浪者の兄弟達に凌辱された後、撲殺される場面が物議を起こし、公開禁止になったりしたが、内容の本質が分かれば大変な作品だ。
敬虔なキリスト教徒で、また、経済的にも豊かで逞しいカリンの父親は、その3人を殺して復讐を果たすが、現場に放置されていた娘の遺体を見て、神を呪いそうになる。しかし、すぐに、娘の遺体があった場所に、自分で煉瓦を積み、漆喰を縫って教会を建てることを神に誓う。
壮大な神との和解だ。
キリスト教徒なら、「神に従う」「神の赦しを乞う」と言うのだろうが、もう少し柔らかくは「神と和(やわ)らぐ」「神と和す」と言うのだろう。
私なら、「神と仲良くなる」「神を信用する」と言う。
そうすれば、娘が殺されなかったパラレルワールド(並行宇宙)を作り出し、そこに移動することも可能になる。
だが、人間は、元居たパラレルワールドの記憶を失くすから、また罪を重ねる・・・神を信用しなくなる。
カリンの父親が自分でカリンの悲惨な状況を創った・・・このパラレルワールドを創ったのだ。
それを忘れないためにも、このパラレルワールドに留まり、娘の遺体の場所で教会という象徴を建てることに人々を悟らせる意味があるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)あなたは不安なしに生きられる(ジョセフ・マーフィー)
(2)Living Without Strain (Joseph Murphy)
(3)旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫)
(4)処女の泉【HD修復版】 [Blu-ray]

神の愛娘
AIアート1410
「神の愛娘」
Kay

なかなか思考を消せない人へ

思考を消せば全知全能であるが、それを達成するのは難しいかもしれない。
それが本当に難しいのではなく、我々は思考するよう教育され、思考することが素晴らしいと洗脳されているから難しいのだ。
そこで、イエスはそこ(思考を消してしまうこと)までいかなくても済む方法を教えている。
それは、新約聖書の福音書に書かれていることで、イエスが言ったことから読み取れる。

イエスは「神殿を壊せ。私は3日で建て直す」と言った。
すると、人々は笑った。
その地の神殿は、建てるのに何十年もかかったからである。
だが、イエスが言った神殿とは身体のことで、実際、イエスは処刑されてから3日後に蘇った。
イエスの身体だけが神殿なのではなく、人間の身体は神殿なのである。
だから、望めば神はいつでも来てくれて、一緒に食事をしてくれる。

ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』だったと思うが、進歩的な人々は、神を遠い天に居る気難しい老人ではなく、年長の大変な知恵と力を持ってはいるが、親しいパートナーであるとみなしている。
その神は、宇宙に遍在するが、我々の身体にも宿るのである。
だから、頭が悪く、力もない我々は、神に一切をまかせて安心すれば良いのである。
同じことを、ラマナ・マハルシは、「列車に乗ってまで、自分の荷物を担いでる必要はない。荷物を下ろして安心しなさい」と言ったのだ。
また、矢追純一さんが「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」と言ったが、それにより、矢追さんは神という言い方はお好きではないようだが、我々の頭がパソコンなら、スーパーコンピューターに匹敵する存在が考えてくれると言っているのであるから、これもイエスらが言ったことと同じと思って良い。

空に溶ける少女
AIアート443
「空に溶ける少女」
Kay


『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神は、「私は心臓に棲む」と言ったが、心臓の内部に広大な亜空間があると思い、そこに神を迎え、親しくすれば良い。
旧約聖書の『ヨブ記』の22章21節に、
「さあ、あなたは神と和(やわ)らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう」
とあるようにである。
このように、どの宗教も本質では同じなのである。
同じような教えは、神道にも仏教にも当然ある。








忘れる力

私は、今年(2021年)10月初めに、酷いアレルギー性の皮膚炎になり、その後、いったん収まったが、今月(2021年12月)5日頃から、乾癬(かんせん)と思える皮膚病が再発した。
乾癬は、7年くらい前に、ほぼ抑え込むことに成功していたが、完全には治っていなかった。しかし、日常生活には支障がなかった。
しかし、ここにきての本格的な再発には困ったものだ(笑)。
乾癬の辛さに自殺した人の話もあるが、私も気持ちは分かるのである。

ところで、私が自分の皮膚病のことを書くと、「こうすれば治りますよ」という投稿がよくあり、有り難く参考にさせてはいただくが、出来ればやめていただきたい。
私の皮膚病には、おそらく有効でないし、そもそも、私は、外的な方法で皮膚病を治すことに、あまり関心がないのだ。
それよりも、興味を持っていることがあるのだ。
アトピーや乾癬など、生きる上で障害にこそなれ、なんのメリットのないものを、理由もなく生体が作り出すはずがない。
どんな理由で、こんな厄介な病気になるのか、突き止めたいのである。
そして、それが分かれば、他の人の、様々な病気を消すヒントになるかもしれない。
それに、アレクサンダー・ロイド博士のヒーリングコードを行えば、しばらくの間は少し軽くなるので、余裕がある。
皮膚病と言えば、聖書では『ヨブ記』のヨブが、サタン(悪魔)によって酷い皮膚病になったが、サタンは神の許可を得ていたのである。
つまり、神は、ヨブは、どんな目に遭っても、神を裏切らないと見込んでいたのだ。

ところで、これほどの乾癬になっても、気を逸らせれば・・・つまり、乾癬を忘れてしまえば、苦しくなくなる。
そして、乾癬を忘れるためには、好きなことに熱中するしかないと思われる。
無理に何かを必死でやっても、苦しみは続くが、好きなことに熱中すれば、もう苦しみはない。
ネヴィル・ゴダードは『世界はどうしたってあなたの意のまま』で、「牢獄に閉じ込められている者が牢獄から出るには、牢獄のことを忘れないといけない」と書かれていた。
貧乏から抜け出すためには、自分が貧乏であることを忘れないといけない。
貧乏な人がいつまでも貧乏なのは、自分が貧乏だと覚えているからだ。
嫌いな人が、いつまでも近くにいるのは、嫌いな人のことを考え、覚えているからだ。
まるで駄目な者が、いつまでもまるで駄目なのは、自分がまるで駄目であることを覚えているからだ。

ルイス・キャロルは、少女への手紙の中で、
「私は、忘れ方を教えてくれる先生に、忘れ方を教わりに行っています。先生は、月謝を払うことだけは忘れないようにと言いますが、先生の教えがあまりに素晴らしいので、私は月謝のことも忘れてしまいました」
と書いているが、月謝を払うことを忘れたと自分で言えば、それは、覚えているということだ。
その手紙をもらった、多くとも13歳までの少女には、それが分かっただろうか?(笑)

忘れるためには、ひたすらマントラを繰り返し唱えたり、「ナ・ダーム」のような、何の意味もない言葉を唱えるという手もある。
そうやって、癌のことを忘れ、末期癌が消えてしまったという話もある。
また、腕振り運動を、ひたすら数を数えながら繰り返すのも良い。
関英男博士は、これで難病が治ったという報告を沢山受けていたし、自身の胃癌も治した。

ヒーリングコードを毎日やっているうちに治るかもしれない。
ヒーリングコードは、無意識の中のストレスを癒すものであるが、そのストレスが大きければ、癒すのに多少の時間はかかるだろう。
とりあえず、自分のことを客観的に、実験動物のように眺めながら、なりゆきを見守ろうと思う。








願いが叶う肝心な条件

大切な願いが叶わない時、どんな心構えでいれば良いのか?
大切な願いが叶わないとは、彼女が出来ないだの、高級車が手に入らないといった浮ついたことではなく、死刑判決を受けた者が死刑の取り消しを求めるといったもので、まして、冤罪であれば、その願いは大きいであろう。

大切な願いが叶わない典型的な例が、聖書(旧約聖書)の『ヨブ記』のヨブという名の信心深い男の場合だろう。
ただ、『ヨブ記』の場合は、神が、ヨブが次々に災難に遭い、ヨブがそれから逃れられないようにすることを、悪魔に対し許可しているのである。
神と悪魔の賭けの対象にされてしまったのだから、ヨブは大変だったわけである。

また、この作品によってノーベル賞を決定的にした、カミュの小説『異邦人』の主人公の青年ムルソーのように、ものごとが思い通りに行かないこと(そのため社会の理不尽な扱いを受けてしまう)によって分かることもあり、ムルソーは、ほとんど悟りを開いたと言えるかもしれない。私としては、非常に好きなラストなのだが、実際にムルソーの立場になれば、多くの人はやはり、奇跡で救われることを願うだろう。

「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」で、悪いことは業消しになって、次は良いことが起こるとか、どんな悪いことも、時が経てば良い思い出になる場合が多いなどというのは、気休めにもならない本当に辛い状況にある人もいるだろう。

アニメ『エル・カザド』で、賞金稼ぎの娘ナディ―が、占い師の老女にカードで占ってもらいながら、「おばちゃん、魔女なんでしょ?だったら、ぱーっと幸せにしてよ」と言うと、老女は微笑んだ。
すると、ナディ―は不満げに「だから、笑ってないでさ」と言う。
ナディ―は、若くて快活ではあるが、子供の時から相当な苦労をして疲れているという面も確かにあるのだった。

皆、大なり小なり、苦労をしていて、「ぱーっと幸せになりたい」と思っているのである。
つまり、「幸せになるスイッチ」が欲しいのである。
それを押しさえすれば、お金が儲かり、健康も愛も得られるスイッチが。
そんなスイッチがあるだろうか?
良識ある大人なら「ない」と言うだろうが、引き寄せの法則を信じているなら「ある」と思いたいだろう。
そして、実は、ここが重要なところだ。
次の話が大きなヒントになる。
著名な心理学者の河合隼雄のところに、小学生か中学生の不登校の息子を持つ父親が相談に来ていた。
父親は、「先生、息子が学校に行くスイッチがありませんかね?」と言ったようだ。
こういう例だと、ポイントがはっきりし易いのだ。
そんなスイッチ、あるはずがない。
そして、本当の問題は、そんなスイッチを欲しがっている父親にあることも、簡単に分かってしまう。
河合先生も、「スイッチ」を欲しがる人が多い、あるいは、「スイッチ」を押す役だけしたい人が多いと言う。
スイッチを押したがる人に共通することがある。
それは、「当事者意識に欠ける」ことだ。
上の、不登校の息子を持つ父親がまさにそうだろう。
息子の問題を、自分の問題と捉えていないから、「スイッチさえ押せば、息子が学校に行くようになれば良い」などと思うのである。

だが、当事者意識を持てば、問題解決は割と容易いのである。
その、不登校の息子を持つ父親の場合、息子と真面目に話し合えば良いだけのことだが、この父親は、絶対にそれをしていない。
いや、父親は「している」と言うかもしれないが、間違いなく、息子を自分の視点だけで捉え、考えを押し付けているだけなのだ。
それなら、神に祈ろうが、念仏を唱えようが、息子が学校に行くはずがない。

お金が欲しいと願って得られない場合も同じだ。
お金を得るスキルも、大金を得るに相応しい信頼もないのに、押しさえすれば大金を得られるスイッチがあったら大変だ。
お金が欲しいなら、お金を得るスキルを持つこと、あるいは、そのスキルを持つ人の信頼を得ることが必要だ。
そう考えるのが当事者意識というものだ。
カミュの『異邦人』も、ムルソーは最後に当事者意識を得たに過ぎない。
だが、それが感動的なのだ。
当事者意識を持っていなければ、神も助けようがない。
逆に言えば、それがあれば、神は必ず助けるだろう。
「神は自らを助ける者を助ける」と言った有名な人の有名な本があるが、それは不正確だ。
「神は当事者意識を持つ者を助ける」のである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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