ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ユング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

やる気を出すには

やる気が出ないのは無力感のせいで、無力感は未来の不安が原因だ。未来はコントロール出来ない。
原始時代の人間は、未来のことなんか考えず、今日の獲物を獲ったり、今日食べる木の実を採った。
だが、獲物が獲れなかったり、木の実がなくなったら餓死して死んだ。
それで、食べ物が得られない未来への不安が起こり、それによって食料を備蓄したり、農耕で多くの安定した食料を作るようになることから文明が起こった。
つまり、不安は良い面もある。
だが、いくら備蓄したり、農耕をしても、自然災害で飢饉することもあり、不安はなくならない。
そこで、自然をつかさどる神の概念が生まれ、神の機嫌を取るために供物を捧げるようになった。
ところが、作物や獣といった供物を捧げても災害は起こり、供物の質を上げていった。
最高の供物は美少女の生贄というのが相場だ。
ソクラテスがヒッピアスに「美とは何か?」と尋ねたら、ヒッピアスが「美しい少女だ」と即答したように、この世で一番美しいのは美少女であるというのが一面の真理だ。

供物というのは効果があったのだと思う。でなければ、そんな風習が長く続いたりしない。
しかし、鳥や牛を捧げても災害が起こるようになり、さらに、美少女を捧げても、やはり災害は起こるようになった。
なぜか?
供物さえ捧げていればいいという怠慢や、自分達が助かれば、美少女が死んでも構わないという浅ましさのせいだ。

C.G.ユングが好きだったという雨乞い師の話がある。
何年も干ばつに苦しむ村があり、そこに有名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせた。
雨乞い師は「この村は神の意思に反していた。私は神の意思に従った」と言ったというが、これでは何も分からない。
そこで私が補足する。
何年も干ばつに苦しむ村があった。
神に祈り、作物や動物の供物を捧げた。しかし成果はない。
さすがに、もう美少女を生贄にする時代ではなかったはずだが、やがて、美少女を捧げないと駄目だという話が出る。
それで、素晴らしい美少女が目を付けられ、生贄にしようとするが、彼女の親や親しい人達が反発する。
しかし、反発する者達は攻撃され、彼女に心を寄せていた男達は怖くて戦うようなことをしない。
それで、彼女は生贄にされることになってしまった。
だが、別対策も考えられていて、高名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせ、美少女の命は助かった。
雨乞い師は言った。
「この村は神の意思に反している」
そりゃそうだ。自分達が助かるためなら、美少女はどうなっても構わないと思い、彼女のファンの野郎共は何もしない。
いや、1人くらいはピュアな彼女のファンが戦ったかもしれないが袋叩きに遭ったことだろう。

つまりね、人間は生きられるのだ。
神の意思に従えば。
だが、自分のために他者を犠牲にすることは神の意思に反するのだ。
人間の最大の罪は自殺だ。人間は神によって生かされているからだ。
映画『パピヨン』で、パピヨンは夢の中で断罪される。
パピヨンは「俺は殺してない。無罪だ」と言うが、裁判官は「それではない。お前は人生最大の罪を犯した」と言う。
パピヨンが「その罪とは何だ?」と問うと、裁判官は「人生を無駄にした罪だ」と言う。
するとパピヨンは、「確かに有罪だ。認めるよ」とうなだれる。
人間は人生を無駄にしなければ神によって生かされるのだろう。

雨乞い師は、3日の間テントに籠った。
ユングが言うには、彼は「神と調和した」と言う。
何をしたのか?
雨乞い師は「何もしていない」と言う。
何でもいいのだ。神と調和しさえすれば。
我々もすぐに出来る。
心で常に「私、私、私」と言えば良い。
すると、やる気も出るだろう。無駄な思考は消え、不安はなくなるからだ。

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(1)パピヨン [Blu-ray]
(2)パピヨン(1973)※Amazonレンタル
(3)パピヨン 上(H・シャリエール)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)

この世の美
AIアート2937
「この世の美」
Kay

常識と超常識

イエス並の奇跡の力を持っていたと言われる江戸末期の神道家、黒住宗忠が好きだったという「梯子仙人」の話を再度振り返る。
こんな話だ。
仙人になりたい若者がいたが、仙人になる方法を知っていると言う男に、それを教えてもらうために、若者はその男の言うままに、長い間タダ働きをする。
「そろそろ教えて欲しい」と言う若者に、男は「分かった」と言って教え始めた。
若者を高い木に登らせ、そこで枝にぶら下がるよう命じ、そして、「手を離せば良い」と言った。
無論、男は仙人になる方法なんて知らず、若者をタダ働きさせたかっただけだ。
後は、文句を言われないよう始末すればそれでいい。
だが、手を離した若者は仙人になって飛んで行った。

ミヒャエル・エンデが、アインシュタインについて、こんな人間だったと書いていたらしい。
アインシュタインが高い崖で木の枝に掴まっていた。手を離したら落ちて死ぬ。
アインシュタインは、「神様!助けて!」と祈る。
すると、神様の声がして、「手を離せば助ける」と言う。
だが、アインシュタインは、枝を握ったまま「神様!助けて!」と言う。

言うまでもなく、両方共、作り話だ。
黒住宗忠は、若者の何を気に入ったのだろう?
そして、エンデは、アインシュタインの何が気に入らなかったのだろう?
多くの人が、素直に信じる心が大切だといったことを思うが、全然そんなことではない。
手を離せば仙人になるとか、神様が助けてくれるなんて、信じようとして信じられるものではない。

実は、若者もアアインシュタインも手を話せば死ぬことが分かっていた。
そんなのは常識だ。
彼らには常識があった。

フロイトは、自我の上に超自我があると言い、超自我の方が上位で正しいと言った。
しかしフロイトは、本当は超自我というものはないと言った。
だが、ユングは、超自我は本当にあると言った。

上の若者は、自我の常識に従わず、超自我の超常識に従った。
アインシュタインは、自我の常識に従い、超自我の超常式に従わなかった。

我々は、自我の常識に従って生きている。
だが、心で「私、私、私」と言い続けるほど、自我が弱まり超自我が輝く。
それなれば全知全能である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)自我と無意識(C.G.ユング)
(2)心理療法論(C.G.ユング)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(4)人間の建設(岡潔、小林秀雄)
(5)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根卓郎)

非常識の楽園
AIアート2936
「非常識の楽園」
Kay

ユングが好きな話とエマーソンが好きな話

共に人類史に残ると思われる、心理学者のカール・グスタフ・ユング(1875~1961)と哲学者のラルフ・ウォルドー・エマーソン(1803~1882)の、それぞれが好きな変わった話があった。
いずれも非常に面白い話だ。

ユングの方は、レインメーカー(雨乞い師)の話だ。
何年も雨が降らない町にやって来たレインメーカーは、テントに3日間閉じこもった。すると、雨が降った。
「何をしたのか?」と尋ねられたレインメーカーは「何もしない。ただ神と調和した。この町は神と調和していなかった」と言った。

エマーソンの方は、酔っ払いの公爵の話だ。
酔っ払って路上で寝ていた浮浪者が、公爵の屋敷に運ばれた。
身体を洗われ、上等なものを着せられ、豪華なベッドで目覚めた浮浪者に、執事達がうやうやしく傅(かしず)き、あなたは公爵だと言う。

ユングの話のレインメーカーは、神と調和したと言ったが、具体的にどうしたのか?
それは分からない。レインメーカー自身は、何もしなかったと言った。
だが、確かなことは、レインメーカーがテントの中で、ぜーぜーはーはーと息をしておらず、静かに息をしていたことだ。
それで十分だ。静かな息をすることが神と調和することだ。
ついでに言うと、レインメーカーは何事もソフトタッチ(穏やか)に行ったのだ。
元々、レインメーカーは神と調和していたのだ。
静かに息をしていれば、ソフトタッチで行う人になり、そのような者は神が助けてくれる。

エマーソンの酔っ払いの公爵の話は、我々の状態を示している。
我々は、みすぼらしいなりで、酔っ払って路上で寝ているようなものだ。
だが、本当は公爵のようなものなのだ。
しかし、では、どうすれば公爵らしくなるのか?
それは、「自分は本当に浮浪者なのか?」「これは夢ではないのか?」「自分は本当は公爵ではないのか?」と「軽く」疑うことだ。ソフトタッチで疑うのだ。
それだけである。
ソフトタッチで疑うことが出来ないなら、静かな息をすれば出来る。
そもそも、静かな息をすれば公爵に戻れる。浮浪者の息は荒く、立派な公爵の息は静かだ。
逆に、ソフトタッチで疑えば、静かに息をするようになる。

ユングもエマーソンも、そして、これらの話を解説する人達も、皆、抽象的で難しい話をし、具体的なことを言わない。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(4)方法序説(デカルト著。谷川多佳子訳)

すっぴん
AIアート1284
「すっぴん」
Kay

「なぜか分からないが」アファーメーションまとめ

ここ最近よく話題にしている「なぜか分からないが」アファーメーションの要点をまとめておく。
私も、やったら面白かったし、誰にとっても特に引き寄せ易い方法だと思う。

基本形:「なぜか分からないが、Xだ」
◆「なぜか分からないが」のバリエーション
なぜか分からないけど
なぜか知らないが
なぜか知らないけど
不思議だが
不思議だけど
※心地よいものを使う。複数使っても構わない。
◆X例
預金が1億円
A子(高嶺の花であること)が恋人
私はベストセラー作家
私はMIT大学院留学生
◆Xの条件
(1)現状とかけ離れた高い状況。誰もが「お前には無理」と言うほど高い目標。
(2)本当に欲していること。
(3)人に言わない(絶対否定しないと分かっている人は別)。

ところで、ロリコンが「なぜか分からないが11歳の彼女がいる」とか、ジャニー喜多川のような逸脱者・変質者だが金も権力もない男が「なぜか分からないが美少年の愛人がいる」と言ったらどうなるかというと、普通は悪い状況になり、悲惨に至る場合も多いと思う。
なぜなら、まず、それらの目標は、現状とかけ離れているわけではなく、いわば、「高級品を万引き出来た」というようなものだ。
それよりも、そのような非道徳的な目標を立てると、超自我の抵抗が起こり、アファーメーションが続かない。
超自我とは、フロイトが提唱したもので、自我に対し、道徳を守るよう命じる精神的存在で、「良心」と考えて良いものだ。
尚、フロイトは超自我の正体は伝統的規範と言ったが、ユングは集合無意識、つまり、人類に共通する大きな精神から来ると言った。
特にユング説の場合、超自我を無視するとロクなことにならない。
尚、ユングは、実はフロイトも、本心では明らかに、超自我は伝統的規範を超えていると認めていたという。

休憩
AIアート582
「休憩」
Kay


いずれにしても、唱えていて楽しくないとか、陰鬱さを感じるアファーメーションは行わない方が良い。
その気になれば、1日中でも唱えていられそうなアファーメーションが良い。
そして、出来れば、1日中唱えることだ。
大きな引き寄せを行うためには、ある程度の根気は必要である。

◆当記事と関連すると思われる書籍・メディア等のご案内◆
(1)心理療法論(C.G.ユング)
(2)自我と無意識(C.G.ユング)
(3)図解 ヒトのココロがわかるフロイトの話
(4)エスの本 ある女友達への精神分析の手紙(ゲオルク・グロデック)
(5)マルゴ(ウラジーミル・ナボコフ)※『ロリータ』の原型と評される
(6)ロリータ(ウラジーミル・ナボコフ)
(7)ロリータ [Blu-ray]キューブリック監督
(8)残り97%の脳の使い方(苫米地英人)
(9)苫米地式 聴くだけで脳が生まれ変わるCDブック(苫米地英人)

潜在意識の扉を開け、願望を送るには

潜在意識に願望を送り込めば叶うというのが、引き寄せの基本にして全てだ。
ところが、潜在意識に願望を送り込むことは、実際にはなかなか難しい。
その理由は、顕在意識が抵抗することが多いからだ。
たとえば、願望を1憶円としても、「俺にはそんな金はとても無理」と顕在意識が、それを得ることを信じられなかったり、JKの(あるいはもっと若い)彼女が欲しいが、道徳的な抵抗(罪悪感)があったりである。

そこで、うとうとして顕在意識が希薄になった状態の時に願望を送り込んだり、もっと手っ取り早く、催眠術師に頼んで、顕在意識を希薄にすると同時に、願望を潜在意識に送り込んでもらうというのはどうだろう?
あるいは、良心の呵責を持たないサイコパスなら、盗みや詐欺をうまくやることや、JKの彼女を作ることに抵抗がないので、そんな願望を繰り返し潜在意識に送り込めばうまくいくと思うかもしれない。
しかし、いずれもうまくいかない。
顕在意識が希薄になろうが、サイコパスで良心がなかろうが、顕在意識と潜在意識の間に、超自我という検閲官がいるからだ。
超自我とは、絶対的な正義の番人である精神的存在だ。
超自我がなぜ出来たかを説明するのは難しいが、その存在はフロイトが提唱し、ユングも、超自我の存在は認めている。
フロイトは、超自我は、伝統的な道徳観で作られていると言い、ユングは、人類共通の高次元の精神から来ていると考えた。
フロイトが正しいとしても、伝統的な道徳に反する願望は潜在意識に送られないし、ユングが正しければ、高次の正義に反する願いは潜在意識に送られない。
よって、いずれにしても、邪(よこしま)な願望が叶わない(叶い難い)ばかりか、そこそこの願望でも、超自我が「待った」をかけることがよくある。超自我は厳しいのである。

では、超自我の性質を理解し、それを突破するような雰囲気を作ることで、願望を潜在意識に送れば良い。
そのやり方は、なんとなく見当がつくかもしれない。
そうだ。勇壮にやれば良い。
超自我は、ファンファーレが鳴り響くような勇壮な心意気が大好きで、それなら、「検閲合格!」とばかりに、願望を潜在意識に通してしまう。
だから、宗教や自己啓発セミナーで、信者や受講生をハイにすれば、案外に願望は叶うが、そこでは、教団に都合の良い願望や、セミナーの主旨に合った願望しか叶わないようにコントロールされるのである。まあ、ロクな願望ではないだろう(笑)。
だから、宗教団体の会合や、自己啓発セミナーには、決して行ってはならない・・・と言いたい(笑)。
どうすれば、心が勇壮になるかは人それぞれだ。
トランプ大統領の有名な演説には人々を熱狂させる力があるし、音楽でいえば、ウェーバーの『魔弾の射手』の中の『狩人の合唱』を聴けば、非常に心躍るかもしれない。
あるいは、壮大なSFというのは、多くの人の心の振動数を高め、易々と潜在意識への扉を開く力がある。
ただし、単なる興奮や熱狂ではなく、勇壮な・・・勇ましく、美しい目的のために命をかけて挑む姿勢が、ある程度はなくてはならないのである。
超自我は、どこか老雄のようなところがあることは否めない。
ただ、実のところ、真の意味で、最も勇壮な存在は神である。
よって、最近ご紹介している「神実現の呼吸」をやっていれば間違いないように思うが、上のような原理を一応知っておくことは良いことであると思う。
◆神実現の呼吸
(1)呼気と共に「私はこれではない」
(2)吸気と共に「私は誰か?」
(3)呼吸を留め「私は神である」








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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