ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

メロディ・フェア

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

非常識の世界

昔は、学校で、体育の時間に水泳をする時、「今日は風邪をひいているので見学させて下さい」と言ったら、「そんなの、泳げば治る」と言って取り合わない教師がいた。
また、部活でロードワーク(路上や山野でのジョギング)に行く時、体調が悪いので休むと言ったら、休ませるどころか、「たるんでる」と言って、先頭を走らせる教師がいた。
今の時代に、そんなことをすればPTAの袋叩きに合い、マスコミには暴力教師として取り上げられ、SNSで拡散し、糾弾される。
しかし、かつて、そんな扱いを受けた人は、大人になって、案外に感謝しているのである。

また、これは、書き始めに、言い訳から始めるなど、慎重に書かないといけないようなことと思うが、それをしないでおく(これ自体が言い訳だ)。
心身にハンディキャップを持った人が職場にいれば、周囲の人は、温かい心配りを持って、優しく接しないといけないのが常識とされている。
しかし、それにより、ハンディキャップを持った人が、甘やかされてしまい、自立できないというケースもあるかもしれない・・・というより、あった。
ハンディキャップを乗り越えて成功した人の中には、「若い時にいじめてくれた、あの人に感謝している」と本気で言っていた人がいる。その「いじめてくれた人」は、決して、涙を飲んで、あえて鍛えてやったのではなく、利己的な人間で、本当にただ、弱い者いじめを楽しんでいたのかもしれない。しかし、それでも、感謝されているのだ。

先日、全英オープンテニスで、日本のスター選手の錦織圭さんが、脚を痛めて棄権したが、専門家もファンも、ほぼ全員が、「良い判断」「止む無し」と、肯定的に反応したと思う。
ところが、プロレスのジャイアント馬場さんの弟子だった人が、脚を怪我した時、馬場さんは「練習で治せ」と命じて休ませず、それで、全然治らなかったらしい。
しかし、その弟子は、その後、大成し、やはり、馬場さんに感謝しているのである。
ただ、どうもプロレスは常識外れの世界らしく、馬場さんも、プロレスに入門して間もない頃、怪我をして包帯をしていたら、力道山が、「なんだ!そんなもんつけて!」と言って、下駄で包帯の上から叩かれ、ビックリしたらしい。
馬場さんは、デビューから5千試合以上、無欠場の記録を持っていて、怪我に強いと言われていたが、怪我をしなかった訳ではない。
若手時代、アメリカで、怪我で左腕が動かなくて、ぶらんとしている状態でも試合に出場し、「辛かった」と思い出話をしていたことがあったらしい。
また、あるタッグマッチの試合で、フライングヘッドシザースという技(首を両脚で挟んだままマットに倒す荒業)でマットに叩きつけられた直後、全身が動かなくなり、試合が終わるまでリング下に寝転び、試合終了後、タンカで控え室に運ばれた。相当ヤバイ状態であるが、注射を打ってもらったら、少し感覚が戻ってきた。しかし、明日はいくらなんでも欠場と思っていたら、タッグパートナーがやってきて、「明日もよろしくお願いします」と言われ、休む訳にいかなくなり、本当に、翌日出場した。
そしてまた、足の靭帯(じんたい)を損傷し、まともに歩くことも出来ない状態で、全盛期のアブドーラ・ザ・ブッチャーという強豪と戦い、その時は、リーグ戦の最中だったので、ブッチャーにポイントを与えないために、なんとか引き分けに持ち込んだことがあった。そして、出遅れながらも、ポイントを稼ぎ、優勝決定戦では、まず、同率2位のブッチャーと戦って勝ち、その直後、ほとんど休憩なしで、ポイント1位の、最強の弟子、ジャンボ鶴田と戦うという無茶な展開になったが、激闘の末、鶴田を破って逆転優勝した。

また、総合格闘技の試合だが、桜庭和志さんと戦うハイアン・グレイシーが、試合前日に右腕に重症を負い、普通なら当然欠場するはずが、ハイアンは試合をすることを、こんなコメントと共に表明した。
「試合は予定通り行います。なぜなら、何の問題もないからです。これは闘いなのですから、ハンデはありません」
非常識ではあるが、正直、しびれた。
結局、医者に出場を認めさせるため、5分3ラウンドで行うところを10分1ラウンドの特別ルールに変更した。そして、ハイアンは惨敗したが、闘志溢れるファイトを見せた。桜庭さんも、ハイアンの痛めている右腕を積極的に狙っていったが、プロなんだから、そうでなくてはならない。また、そうでないと、ハイアンに対して失礼だ。
かつて、ロサンゼルスオリンピックで、山下泰裕さんと重量級決勝で戦ったモハメド・ラシュワンが、「私は、山下が痛めていた右足を狙わなかった」と言って、美談として評判になり、それがラシュワンの名を日本人の記憶に残したが、これは、柔道がスポーツであり、本当の格闘技(殺し合い)ではないからだ。
骨法を創始した格闘家、堀辺正史さんが、柔道5段の男と、植木屋のただのオッサンが喧嘩し、植木屋の方が勝ってしまった話を著書の中で書かれていたが、その趣旨も、スポーツと闘いは違うというものだったと思う。

ビージーズの『メロディ・フェア』という歌では、少女に対し、「人生はかけっこなんだ」と、優しく人生の厳しさを教えるが、もっとまともに言えば、人生はスポーツじゃなく、闘いである。
梶原一騎氏の創作かもしれないが、空手家の大山倍達さんの伝記漫画で、大山さんがフランスで、トラック運転手の男達に空手を教えていて、大山さんが、その中の1人と組み手をやった時、初心者であるトラック運転手の男は、当然ながら全く敵わず、すぐに「参った」と言ったが、大山さんは、その男にとどめの一撃を加えて失神させ、男の運転手仲間達が色めき立ち、
「大山先生、こいつは『参った』って言いましたぜ」
と大山さんを咎める。
すると、大山さんは、
「参ったと言ったからといって、敵が攻撃をやめるとは限らない。さらにとどめを刺してくることに備え、防御を解いてはならない。ここが、スポーツと武道の違いである」
と言い、このようなことを初めて聞いた男達だったが、武道の精神に感激する。
ジャイアント馬場さんは、こんなことを言ったことがある。
「俺は、野球をやっていた時(馬場さんは元巨人軍のピッチャー)、ぶっ倒れるまでやるのが練習だと思っていたが、ぶっ倒れてから始まるのがプロレスの練習だ」
我々が、この通りにやることは出来ないかもしれないが、私は非常に感銘を受けた。
そして、私は、心構えだけは、馬場さんらの非常識の世界に向けていようと、今、改めて思う。









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人生の正体見たり

芥川龍之介は『侏儒の言葉』で、

人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。
我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。
~ゲエム~

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦(ばかばか)しい。重大に扱わなければ危険である。

人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎(と)に角(かく)一部を成している。
~或自警団員の言葉~

なんてものを取り上げている。
面白い言い方である。
だが、あなたは影響されてはならない。

ビージーズは『メロディ・フェア』で、

人生は雨じゃない
メリーゴーランドのようなものだよ

と歌っている。
うまいことを言うものだ。
しかし、あなたは影響されてはならない。

また、ある歌では、人生は川の流れのようと言い、誰かがそれを皮肉って、「人生は沼だ」と歌った。
「人生は沼」が結構うけたというのは、そう思っている人が多いのだろう。
だが、あなたはいずれの影響も受けてはならない。

アイルランドの詩人W.B.イェイツは、「人生が悲劇だと理解した時に、初めて生きることができる」と言った。
さすが20世紀最大の詩人だ。
しかし、あなたは影響されてはならない。

昔から人気のあるものに、「人生は夢だ」というものがある。
この夢は、眠っている時の夢で、まあ、幻のようなものであるということだろう。
これは全く正しいのだが、自分で本当にそう思うのでない限り、影響されてはならない。

人生とは何だろう?
実は、「影響されない練習」なのだ。
これは信じて良い。
ただし、これは初級レッスンだ。

最近、ずっと、Googleのモットーである「悪いことをするな」を取り上げている。
連中は、若いのにオツムのよろしいことだ。
人生ってのは、「悪いことをしない練習」なのだ。
それは、「どうしてもやりたい悪いことをしない練習」だ。
彼らは、最も刺激的で、最もやってみたい悪いことができる状況にある。
さて、彼らはモットーを守るだろうか?
しかし、それは、彼らの練習である。
我々は自分の練習をすれば良い。
もし、「お金を悪いことに使わない」という練習をする誓いを立てれば、お金が無限に入ってきて、その練習はどんどんハードになる。
「可愛いけど、精神的に未熟な少女には手を出さない」練習をしようと決めたら、そんなきれいな少女が次々やってくる。怖いくらいにね。
「イケメンの誘惑を振り払う」練習をすると決心すれば、あなたは次々にイケメンに誘惑される。
そこでどうするかで、人生が雨になるか、メリーゴーランドになるかが決まるのだ。
では、がんばってくれたまえ。









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忘れなければ全てを得られる言葉

ビージーズの『メロディフェア』という曲のクライマックスは、

Melody Fair, remember you're only a woman.
Melody Fair, remember you're only a girl.

なのだと思うが、この訳には困ると思う。
Melody Fairに関しては、Melodyは女の子の名前として扱う場合が多いが、Fairは大抵の場合、省略している。
この大文字から始まるFairは、高貴なるといった尊称と考えれば良いと思う。
Meody Fairで、まだ幼い女の子に呼びかけるような感じで、「お姫様」くらいにすれば良いと思う。
それはともかく、問題は、その後だ。
直訳すれば、
「女性だってことを覚えていて(忘れないで)」
「女の子だってことを覚えていて(忘れないで)」
なのだが、そんなこと、覚えているだろうし、忘れることはないだろう。

だが、そんな言い方は多くないだろうか?
「お前が、トワイライト家の人間であることを忘れるな」
「深愛学園の生徒であることを忘れずにいろ」
「栄光の巨人軍の一員であることを忘れず」
「お前が男だってことを忘れるな」
「リッチアンドクール社の社員であるという自覚を持ち」
などである。

上記のものは、つまらない使い方が多いが、本当は重要なことだ。
人間は忘れっぽいのだ。

『アイアムザット』という本で、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、こんなことを述べている。
「私は、師が言った、『あなたは至高の実在だ』という言葉を覚えていたのだ。私は修行は何もしなかったが、この言葉を覚えていたので、わずかな期間で悟りを開けたのだ」
「至高の実在」というところが原文でどうなっているのか知らないが、師は遠回しに言っているのだろう。
つまるところ、「あなたは神だ」である。
だが、直接的な表現より、間接的に言う方が、奥ゆかしく、柔らかで、品があるし、特に、「あなたは神だ」「私は神だ」という言い方は、心の反発があるので、「私はそれだ」「私は彼だ」「私は至高の実在だ」という言い方をするのだろう。
エマーソンは「私は世界の所有者」「七つの星と太陽年の所有者」と言ったと思う。
一休さんは、「心が仏である」と言ったらしいが、それは、『無量寿経』にも書かれていることである。

ところで、「あなたは自分が神であることを知っていますか?」と尋ねたら、多くの人は、
「そんな馬鹿なことがあるもんか」
「なんだねそれは。宗教かい?」
といったことを言うか、ただ笑うかだと思う。
いや、別に意見を聞いているのではない。
ただ、知ってるかどうかを聞いただけなのだ。
単純に、イエスかノーで答えれば良いのだ。
ほとんどがノーであろうが、そうであれば、別に信じる必要はないが、覚えていると良い。
イエスであれば、忘れないことだ。

Melody Fair, remember you're only a woman.
Melody Fair, remember you're only a girl.

は、日本語での完全な訳はできないと思うが、「あなた様は姫様でございます」といった雰囲気の美しい言葉だと思う。
そして、ニサルガダッタ・マハラジの師が彼に言ったように、「あなたは神だ」、言い換えれば、「私は神だ」ということを覚えていれば良い。
呪文にしてはいけないが、忘れないことだ。
それは全てに優る力になるだろう。









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堂々巡りの人生を戦うための光線銃(武器)を得よ

ラルフ・ウォルドー・エマーソンのような飛び切りの賢者だってそうだと思うが、ジェームズ・アレンにしろ、ラルフ・ウォルドー・トライン(エマーソンに憧れて名を取っている)にしろ、ジョセフ・マーフィーにしろ、何かの本を一冊読んで一発で優れた知恵を得たなんてことは絶対にないはずだ。
きっかけは、何かの体験かもしれないし、それから、まずは何かの書物に答を探したに違いない。
そして、本の教えを自分なりに理解して実践するが、はじめからうまくいくはずもなく、多読したか1つの本に集中したかはともかく、実践の方では、何度も何度も堂々巡りを繰り返したはずだ。
FictionJunction YUUKAの『Silly-Go-Round』という歌の中の、「ゴールのつもりでリセットボタンに飛び込んで 僕らはぐるぐる同じ場所を回ってるんだ」という詩が本当に身につまされるのである。
ビージーズの『Melody Fair(メロディ・フェア)』でも、「Melody, life isn't like the rain, it's just like a merry-go-round. 」(メロディ、人生は雨じゃない。メリーゴーランドみたいなものだ」と歌っていたのを思い出す。

堂々巡りを繰り返すことは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。
だが、他人の堂々巡りを馬鹿にするほど愚かなことはない。
そんなことをする者は、自分は堂々巡りから逃げているだけなのだからだ。
1冊の本を読んだり誰かの話を聞いて、一発ワンタッチで真理を悟ることは決してない。
それどころか、何度、同じ過ち、失敗を繰り返しても、少しも向上せず、何も改善されず、全然良いこともなく、時には絶望する。
しかし、それでも勇敢にリセットボタンに飛び込み続けたら、ある日、ブレイクスルーが起こる。
進歩というのは、徐々に、コンスタントに起こるよりは、、ある時一気に訪れることの方がずっと多いのだ。

そして、堂々巡りというのは、辛いだけでなく、楽しいものだ。
上に挙げた、『Silly-Go-Round』も、あるいは、『Melody Fair』も、苦しさや哀しさを歌っているのではあるが、どこか陽気に感じるのである。
私はゲームはしないのだが、コンピューター・ゲームでは、1つのラウンドを戦う中で、1つ、あるいは、いくつかの、アイテムと呼ばれる武器のようなものを得るのだと聞く。
それが、ハードルが上がる次のステージでの戦いに勝つ条件か、あるいは、戦いを有利に進めるためのボーナスなのだろう。
現実世界もそれに似ていて、堂々巡りを繰り返すとしても、その中で何か武器を身に付けなければならない。
そして、次のサイクルでは、新しい武器を得ることもあるだろうが、それよりも、武器を磨いて強力にするのが良い。
私の場合は、武器がコンピュータープログラミングだった。
最初はBASIC言語だったり、C言語だったりしたが、次の舞台ではdBASEになり、dbMAGICになり、今はAccessのVBA言語になった。
今の時代であれば尚更、プログラミングは強力な武器になるはずだ。
これから始めるのであれば、私なら、ExcelのVBA言語という、実にクールな光線銃をお薦めする。

千本桜 夜ニ紛レ 君が歌い僕は踊る
此処は宴 鋼の檻 さあ光線銃を撃ちまくれ
~『千本桜』(作詞・作曲・編曲:黒うさP、歌:初音ミク)より~

いやはや、まさにこの通りと思う。
堂々巡りの人生のステージは檻(おり)であり宴(うたげ)であるが、カーニバル(陽気なお祭り騒ぎ)なのかもしれない。

尚、私は個人的には、FictionJunction YUUKAこそ最高の音楽ユニットで、その音楽を制作(作詞・作曲・編曲)する梶浦由記さんは本当の天才音楽家だと思っている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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