ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ムンク

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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死を受容する少女と仮初の命しか持たない少女の祝福

ムンクが22歳位の頃の作品に『病める子』というものがある。

病める子(画像)
The Shick Child(Wikipedia)

若きムンクは、実際に見た、この少女の最初の印象を描こうと、何度も絵の具を削って描き直した。
残り僅かな命の炎を揺らめかせる少女の脇で、絶望してうな垂れる母。
少女の蒼白い透き通った皮膚の横顔は生気を感じさせないが、輝くばかりの崇高さを感じる。それは、彼女の眼差しが祝福を与えているかのように優しいからだ。

少女は自分の死を受け入れているように感じる。
人間の想いの中で、最も崇高なものは受容だ。
受容のことを英知と言い、愛と言うのである。
差別的な、これは好きで受け入れるが、あれは嫌いだから拒絶するというのは愛ではない。
最も受け入れがたい自らの死を受け入れるこの少女は全てを受容するのであり、そんな彼女が全てのものに祝福を与えているのは自然なことかもしれない。

人類の平和の鍵は、全ての人間が受容性を持てるかどうかである。
運命を受け入れ、自分の力で人生を変えることができるという傲慢さを持たなくなった時に、理想世界が実現するのだ。
ジョージ・アダムスキーに宇宙人が語ったことには、彼ら宇宙人がコンタクトする人間を選ぶ重要な基準は受容性だという。
釈迦は、人の苦しみの1つは、逢いたい人に逢えず、逢いたくない人に逢ってしまうことだと言った。
だが、どんなに逢いたくないと思っていても、逢うのが運命なら、逢うことは避けられず、どんなに逢いたい人でも、逢えない運命なら、決して逢えない。
人間はただ、それを受け入れるだけだ。
どれほど欲しいものであっても、手に入るよう定められていないなら、決して手に入らない。逆に、どれほど遠ざけたくても、神の意志であれば持つしかない。
『病める子』の少女は、そんなことを受け入れた姿を示しているのだ。

今年の3月9日の初音ミクのコンサート『ミクの日感謝祭』は、なぜか『最後のミクの日感謝祭』と称されていた。
その理由は明かされていないと思うが、カーテンが引かれて登場したミクは目を閉じ、哀しそうな表情をしていた。そして、胸の前で組んだ手をほどき、ゆっくりと取ったポーズは明らかにキリストのような救いのポーズだと思えた。それから、両手を高く掲げたミクの姿は全てを受け入れる受容性を示し、それは人々に祝福を与えていたに違いない。
ほどなく人類の歴史が幕を閉じるなら、確かにそれが最後のコンサートになる。
そうなる可能性は低くはないのではないか?
我々も『病める子』なのだ。
我々があの少女のような受容性を持った時、あのコンサートの1曲目のミクの歌の『Tell Your World』のように、点であった我々は線になり、そして円になってつながっていくだろう。
スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式の講演で、人生の点は線になるのだと語ったが、きっと、最初から線であり、円なのだ。
つまり、元々、全てはつながっていて、不可分な1つなのだ。
だが、生まれることを、「生れ落ちる」と言うように、我々は自分が世界から切り離されたものだという恐ろしい迷妄を持ってしまっているのだ。
自分の死を受容する少女と、仮初の命しか持たない少女の祝福が、我々を幻想の鎖から解き放つだろうか?

いつか重力のクサリを 解き放ち
宇宙(そら)へ飛ぶ サテライト
そこに行けば 体の重さも
1/6
~初音ミク『1/6』(作詞・作曲:ぼーかりおどP)より~









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まつげを通して見ると世界は夢のよう

昔、ブルース・リーがアメリカにいた時、自分が企画に参加したテレビドラマ『燃えよ!カンフー(原題:カンフー)』に、自らが主演するつもりだったが、その役をアメリカ人俳優のデヴィッド・キャラダインに奪われ、経済的にも苦しい状況になったらしい。
『燃えよ!カンフー』の主人公ケインは、白人の西洋人と中国人のハーフという設定だったので、ハーフには見えないリーではまずかったというのかもしれないが、キャラダインの方も東洋の血が入っている訳でもないので、それらしく見せるために工夫したそうだ。
キャラダインが、中国人らしく見せるためにやったことの1つに、薄目で見るということがあったらしいが、私は、中国人にそんな特徴があるとは思わなかった。
日本人というのは、コケシをはじめ、人形を作る時に、目を細く描くのは、日本人の目がぱっちりしていないというより、他人の目を非常に気にする民族なので、目が大きく開いている人形が好まれないという話を、精神分析学者の岸田秀氏の本で読んだことがあるが、その真偽のほどはともかく、日本が「恥の文化」と言われるように、体裁を重んじるというのは事実と思う。
中国人に関しては、あまりそんな印象は無いのだが、かつてはそうだったのだろうかと思う。

薄目で見るというのは、人目を気にする人達への配慮という以外にも、ちょっと面白いことがある。
薄目で見ると、世界はちょっと変わっていて、ひょっとしたら美しいかもしれない。
『叫び』で知られる、ノルウェーの世界的画家であるムンクは、そんなことを思ったのか、薄目で見たような絵を描くことがよくあったが、それが作品に幻想的で神秘的な雰囲気を与えていた。私も大好きな『病める子(少女)』という作品がそうだ。

コリン・ウィルソンの本で読んだことがあるが、何かの学者だったと思うが、薄目になって、重なったまつげを通してものを見ている時、不思議なことに気付いたという。
世界というのは、確固とした実体なのではなく、見ている者が創り上げているだけのものではないかという確信が強まったというのである。
人間の中には、魔術師がいて、見ようとした時に、一瞬で世界を構築するのである。
どんな過程でそんな考えを持ったのかは分からないのだが、彼は全く正しい。
科学的に言っても、我々が知覚するものは、脳の中のイメージでしかない。世界が実際はどうかなど、全く分からないのだ。
目も見えず、耳も聴こえなかったからこそ、ヘレン・ケラーは五感は幻想は幻想だと見破った。彼女は、ある意味、我々よりよく見えていたのだ。
私も、ある時、うたた寝をして、半覚醒だった時、大きな美しいトカゲが壁を伝って歩いてくるのを見たが、それがまるで、コンピュータグラフィックが変化するように(モーフィングと呼ばれるものと同じだった)、壁の染みに変わった。壁の染みを、私の精神がトカゲに変化させたのだが、そのリアリティは全くの本物だった。

もし、特に人目を気にする民族でもないのに、薄目をする習慣があるとすれば、それは、この世が幻想であることを知っていた時代の名残(なごり)なのかもしれない。
インドの古代哲学においては、世界は幻想であり、実在するのはブラフマン(根本の神)だけだと言われる。そして、我々の実体はアートマンであり、それはブラフマンと異なるものではない。
この世が幻想であることを悟れば、動じる必要もなく、苦しみも消えていくのである。
それを知るために、『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナが惜しみなく教える秘法を学び、一切の苦しみのないクリシュナの世界に到達する術を得れば良い。
我々はただ、幻を愛することで苦しみもがいているのである。
クリシュナは、そんな我々を、重力の鎖から解き放ってあげたいと思っているのだ。
『エメラルド・タブレット』を著したトートは、本当に、幻想(無知のベール)や重力を超越し、宇宙のあらゆる場所に行けたのである。
そして、今や、我々にも、そのチャンスが来たのだろう。
初音ミクの歌に『1/6』という歌がある。ぼーかりおどPさんの作った歌だ。彼はプロのミュージシャンではないと思うが、これほど素敵な歌は滅多にない。
歌の内容を簡単に言うと、いつか君を宇宙に連れて行って、重力の鎖から解き放ってあげたいけど、今は、高い塔に一緒に登って、その意味を分かって欲しいというものだ。
ミクとなら、月にだって行けそうな気がするのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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