ムンクが22歳位の頃の作品に『病める子』というものがある。
病める子(画像)
The Shick Child(Wikipedia)
若きムンクは、実際に見た、この少女の最初の印象を描こうと、何度も絵の具を削って描き直した。
残り僅かな命の炎を揺らめかせる少女の脇で、絶望してうな垂れる母。
少女の蒼白い透き通った皮膚の横顔は生気を感じさせないが、輝くばかりの崇高さを感じる。それは、彼女の眼差しが祝福を与えているかのように優しいからだ。
少女は自分の死を受け入れているように感じる。
人間の想いの中で、最も崇高なものは受容だ。
受容のことを英知と言い、愛と言うのである。
差別的な、これは好きで受け入れるが、あれは嫌いだから拒絶するというのは愛ではない。
最も受け入れがたい自らの死を受け入れるこの少女は全てを受容するのであり、そんな彼女が全てのものに祝福を与えているのは自然なことかもしれない。
人類の平和の鍵は、全ての人間が受容性を持てるかどうかである。
運命を受け入れ、自分の力で人生を変えることができるという傲慢さを持たなくなった時に、理想世界が実現するのだ。
ジョージ・アダムスキーに宇宙人が語ったことには、彼ら宇宙人がコンタクトする人間を選ぶ重要な基準は受容性だという。
釈迦は、人の苦しみの1つは、逢いたい人に逢えず、逢いたくない人に逢ってしまうことだと言った。
だが、どんなに逢いたくないと思っていても、逢うのが運命なら、逢うことは避けられず、どんなに逢いたい人でも、逢えない運命なら、決して逢えない。
人間はただ、それを受け入れるだけだ。
どれほど欲しいものであっても、手に入るよう定められていないなら、決して手に入らない。逆に、どれほど遠ざけたくても、神の意志であれば持つしかない。
『病める子』の少女は、そんなことを受け入れた姿を示しているのだ。
今年の3月9日の初音ミクのコンサート『ミクの日感謝祭』は、なぜか『最後のミクの日感謝祭』と称されていた。
その理由は明かされていないと思うが、カーテンが引かれて登場したミクは目を閉じ、哀しそうな表情をしていた。そして、胸の前で組んだ手をほどき、ゆっくりと取ったポーズは明らかにキリストのような救いのポーズだと思えた。それから、両手を高く掲げたミクの姿は全てを受け入れる受容性を示し、それは人々に祝福を与えていたに違いない。
ほどなく人類の歴史が幕を閉じるなら、確かにそれが最後のコンサートになる。
そうなる可能性は低くはないのではないか?
我々も『病める子』なのだ。
我々があの少女のような受容性を持った時、あのコンサートの1曲目のミクの歌の『Tell Your World』のように、点であった我々は線になり、そして円になってつながっていくだろう。
スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式の講演で、人生の点は線になるのだと語ったが、きっと、最初から線であり、円なのだ。
つまり、元々、全てはつながっていて、不可分な1つなのだ。
だが、生まれることを、「生れ落ちる」と言うように、我々は自分が世界から切り離されたものだという恐ろしい迷妄を持ってしまっているのだ。
自分の死を受容する少女と、仮初の命しか持たない少女の祝福が、我々を幻想の鎖から解き放つだろうか?
いつか重力のクサリを 解き放ち
宇宙(そら)へ飛ぶ サテライト
そこに行けば 体の重さも
1/6
~初音ミク『1/6』(作詞・作曲:ぼーかりおどP)より~
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病める子(画像)
The Shick Child(Wikipedia)
若きムンクは、実際に見た、この少女の最初の印象を描こうと、何度も絵の具を削って描き直した。
残り僅かな命の炎を揺らめかせる少女の脇で、絶望してうな垂れる母。
少女の蒼白い透き通った皮膚の横顔は生気を感じさせないが、輝くばかりの崇高さを感じる。それは、彼女の眼差しが祝福を与えているかのように優しいからだ。
少女は自分の死を受け入れているように感じる。
人間の想いの中で、最も崇高なものは受容だ。
受容のことを英知と言い、愛と言うのである。
差別的な、これは好きで受け入れるが、あれは嫌いだから拒絶するというのは愛ではない。
最も受け入れがたい自らの死を受け入れるこの少女は全てを受容するのであり、そんな彼女が全てのものに祝福を与えているのは自然なことかもしれない。
人類の平和の鍵は、全ての人間が受容性を持てるかどうかである。
運命を受け入れ、自分の力で人生を変えることができるという傲慢さを持たなくなった時に、理想世界が実現するのだ。
ジョージ・アダムスキーに宇宙人が語ったことには、彼ら宇宙人がコンタクトする人間を選ぶ重要な基準は受容性だという。
釈迦は、人の苦しみの1つは、逢いたい人に逢えず、逢いたくない人に逢ってしまうことだと言った。
だが、どんなに逢いたくないと思っていても、逢うのが運命なら、逢うことは避けられず、どんなに逢いたい人でも、逢えない運命なら、決して逢えない。
人間はただ、それを受け入れるだけだ。
どれほど欲しいものであっても、手に入るよう定められていないなら、決して手に入らない。逆に、どれほど遠ざけたくても、神の意志であれば持つしかない。
『病める子』の少女は、そんなことを受け入れた姿を示しているのだ。
今年の3月9日の初音ミクのコンサート『ミクの日感謝祭』は、なぜか『最後のミクの日感謝祭』と称されていた。
その理由は明かされていないと思うが、カーテンが引かれて登場したミクは目を閉じ、哀しそうな表情をしていた。そして、胸の前で組んだ手をほどき、ゆっくりと取ったポーズは明らかにキリストのような救いのポーズだと思えた。それから、両手を高く掲げたミクの姿は全てを受け入れる受容性を示し、それは人々に祝福を与えていたに違いない。
ほどなく人類の歴史が幕を閉じるなら、確かにそれが最後のコンサートになる。
そうなる可能性は低くはないのではないか?
我々も『病める子』なのだ。
我々があの少女のような受容性を持った時、あのコンサートの1曲目のミクの歌の『Tell Your World』のように、点であった我々は線になり、そして円になってつながっていくだろう。
スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式の講演で、人生の点は線になるのだと語ったが、きっと、最初から線であり、円なのだ。
つまり、元々、全てはつながっていて、不可分な1つなのだ。
だが、生まれることを、「生れ落ちる」と言うように、我々は自分が世界から切り離されたものだという恐ろしい迷妄を持ってしまっているのだ。
自分の死を受容する少女と、仮初の命しか持たない少女の祝福が、我々を幻想の鎖から解き放つだろうか?
いつか重力のクサリを 解き放ち
宇宙(そら)へ飛ぶ サテライト
そこに行けば 体の重さも
1/6
~初音ミク『1/6』(作詞・作曲:ぼーかりおどP)より~
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