前回の続きとなるが、別に前回の内容を知っている必要はない。
「魔法を使って治している」とまで言われた驚異的な精神科医ミルトン・エリクソンが、自分の能力を開発した方法についてだ。
エリクソンの能力は、根本的には、無意識(潜在意識と言っても良いだろう)に簡単に入ることが出来ることだ。
それは、右脳を活用することでもあり、そのために、思考を支配し、自在に心を静かにすることが出来たのだ。
エリクソンの能力開発は子供の時から始まっていた。
子供の教育と言えば、子供に高価な教材をどんどん与えたり、お稽古事をどんどんさせることだと勘違いしている人が多い。
エリクソンが使った教材は辞書だけだ。
辞書を繰り返し読んだのである。
私は、海外の能力開発の研究者の本で読んだことがあるが、IQを高めるために、辞書を読んで語彙を増やすのは優れた方法らしい。
新しい言葉を憶えると、不思議なほど、その言葉を見かけるようになり、それによって、いろいろな情報に興味を持つし、語彙が多いと思考の幅も広がる。思考の幅が広くてこそ、余計なことを考えずに、適切な思考のみするようになる。
余計なことを考えていては、右脳、無意識との壁が出来てしまうのだろう。
また、エリクソンは、子供の時に辞書を読んで得た知識は、大人になってからも役に立ったと述べている。
次の方法は「よく見る」ということだ。
エリクソンは17歳の時にポリオに感染し、全身が麻痺して、目玉以外は動かせなくなった。
それで、その唯一動かせる目で、周囲を観察した。それしか出来ないのだから、熱心にやったのだろう。
いつも見る壁や窓や家具でも、来る日も来る日も、じっと観察したのだろう。
私は幼い時、ドアノブをじっと見ていたら、異様な感覚に襲われ、ドアノブから目が離せなくなった。
世界は瞬間瞬間に作られているものだということが直観で分かったのだと思う。
つまり、固定した世界というものは存在せず、世界はいつでも新しいのである。
私が子供の時、キリスト並の奇跡でも簡単に起こせたのは、それを知っていたからだろう。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』にも書かれているが、元々は世界は存在せず、自分の中の「内なる魔術師」が、目を向けたところに世界を瞬間で創り上げるのである。
また、サルトルも言ったように、本を読むということは本を書くことであり、絵画を鑑賞するということは絵画を描くことであり、音楽を聴くということは音楽を作曲することだ。
どんなふうに見るのかというと、「ぼーっとしながらも、視線を動かさずに見る」のである。
荘子は「自然な視線で見る」と言っていたが、それでピンとくるなら、そうすれば良い。
私は「新たな目で見る」ということを意識していた。
だが、とにかく、「ぼーっと、じーっと」見れば良い。まあ、じーっと見ていたら、自然にぼーっとしてくるだろうが。
そうすれば、世界は瞬間瞬間に作られていることが分かり、そうであれば、何が起きても不思議ではないと了解するだろう。
それは、ソフトタッチ(穏やかな態度)で見ることであり、「心おだやかに」見ることである。
「心おだやかに!」と唱えると、心おだやかな世界が創られる理屈も、そんなところにある。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)星からの宅配便(ベルベル・モーア)
AIアート1304
「幻の花(アート作品)」
Kay
「魔法を使って治している」とまで言われた驚異的な精神科医ミルトン・エリクソンが、自分の能力を開発した方法についてだ。
エリクソンの能力は、根本的には、無意識(潜在意識と言っても良いだろう)に簡単に入ることが出来ることだ。
それは、右脳を活用することでもあり、そのために、思考を支配し、自在に心を静かにすることが出来たのだ。
エリクソンの能力開発は子供の時から始まっていた。
子供の教育と言えば、子供に高価な教材をどんどん与えたり、お稽古事をどんどんさせることだと勘違いしている人が多い。
エリクソンが使った教材は辞書だけだ。
辞書を繰り返し読んだのである。
私は、海外の能力開発の研究者の本で読んだことがあるが、IQを高めるために、辞書を読んで語彙を増やすのは優れた方法らしい。
新しい言葉を憶えると、不思議なほど、その言葉を見かけるようになり、それによって、いろいろな情報に興味を持つし、語彙が多いと思考の幅も広がる。思考の幅が広くてこそ、余計なことを考えずに、適切な思考のみするようになる。
余計なことを考えていては、右脳、無意識との壁が出来てしまうのだろう。
また、エリクソンは、子供の時に辞書を読んで得た知識は、大人になってからも役に立ったと述べている。
次の方法は「よく見る」ということだ。
エリクソンは17歳の時にポリオに感染し、全身が麻痺して、目玉以外は動かせなくなった。
それで、その唯一動かせる目で、周囲を観察した。それしか出来ないのだから、熱心にやったのだろう。
いつも見る壁や窓や家具でも、来る日も来る日も、じっと観察したのだろう。
私は幼い時、ドアノブをじっと見ていたら、異様な感覚に襲われ、ドアノブから目が離せなくなった。
世界は瞬間瞬間に作られているものだということが直観で分かったのだと思う。
つまり、固定した世界というものは存在せず、世界はいつでも新しいのである。
私が子供の時、キリスト並の奇跡でも簡単に起こせたのは、それを知っていたからだろう。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』にも書かれているが、元々は世界は存在せず、自分の中の「内なる魔術師」が、目を向けたところに世界を瞬間で創り上げるのである。
また、サルトルも言ったように、本を読むということは本を書くことであり、絵画を鑑賞するということは絵画を描くことであり、音楽を聴くということは音楽を作曲することだ。
どんなふうに見るのかというと、「ぼーっとしながらも、視線を動かさずに見る」のである。
荘子は「自然な視線で見る」と言っていたが、それでピンとくるなら、そうすれば良い。
私は「新たな目で見る」ということを意識していた。
だが、とにかく、「ぼーっと、じーっと」見れば良い。まあ、じーっと見ていたら、自然にぼーっとしてくるだろうが。
そうすれば、世界は瞬間瞬間に作られていることが分かり、そうであれば、何が起きても不思議ではないと了解するだろう。
それは、ソフトタッチ(穏やかな態度)で見ることであり、「心おだやかに」見ることである。
「心おだやかに!」と唱えると、心おだやかな世界が創られる理屈も、そんなところにある。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)星からの宅配便(ベルベル・モーア)
AIアート1304
「幻の花(アート作品)」
Kay