ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ミトラ教

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心が死んだ日

今日がクリスマスであることを、昨日気付いた。すっかり忘れていた。
クリスマスとは、イエス・キリストの誕生日と言われるが、イエス・キリストの本当の誕生日は不明である。
12月25日というのは、ミトラ教(ミトラス教)における、太陽の復活を祝う祝日で、ミトラ教の主神ミトラスの誕生日と言うよりは、ミトラスが「再び生まれる日」である。
ミトラ教とキリスト教は別々の宗教だ。しかし、私は事情は知らないが、イエス・キリストとミトラ神が同一視されるようになり、12月25日のミトラ神の復活の日が、いつか、イエス・キリストの誕生日となったのかもしれない。しかし、12月25日がイエスの誕生日だとは、福音書には書かれていない。

尚、12月24日をクリスマス・イブと言うが、イエスの時代は、1日の終わりと始まりは午前0時ではなく、日没が、その日の終わりと次の日の始まりだったので、当時の考え方では、クリスマス・イブは、日本では昨日(24日)の午後6時半頃の日没で終わり、クリスマスも、本日(25日)の午後6時半頃までである。

私は、子供の時、家の中でクリスマス・ツリーを見たことがないと言う人を何人か知っている。
いずれも、家が貧しくて、そんなことをする余裕が親になかったようだ。
それなら、おそらく、クリスマス・プレゼントをもらったこともないのだろうが、幼稚園や小学校で、他の子供達がサンタにプレゼントをもらったという話をしていたり、紙芝居等で、サンタがプレゼントを配る話をするのを見ると、さぞ落ち込んだことだろう。
だから、そんな人は、心が強くなるか歪むかになることが多いと思うが、私が会った人で言えば、言っては悪いが、その両方(強いが歪んでいる、あるいは、歪んでいるが強い)だったように思う。

クリスマス・プレゼントをもらったことがないと言ったら、立川恵さんの、アニメ化もされた漫画『怪盗セイント・テール』に登場する、ヒロイン羽丘芽美(はねおかめいみ)の親友である深森聖良(みもりせいら)という14歳の美少女を思い出す。
聖良はシスターで、敬虔なキリスト教徒の家に生まれた彼女は、子供の時から、クリスマスはボランティアに励む日で、クリスマス・パーティーやクリスマス・プレゼントとは無縁であった。
尚、聖良はシスター服を着ていたが、作者の立川恵さんは、シスター服は、その方面の学校を出ていないと着れないものだと指摘され、作中で謝罪しているが、その後も聖良はシスター服を着続けた。
もっとも、聖良は、クリスマス・プレゼントをもらえないことや、クリスマスにパーティーをしたことがないことを、別に悲しいとは思っておらず、当たり前に考えているようだった。
人間、贅沢の味を知らないことは良いことであると感じた。

クリスマスではなく大晦日の話らしいが、アンデルセンの『マッチ売りの少女』で、あの少女が、飢えと寒さの中で見た幻想は、全くクリスマスの様子だった。
あのお話を初めて自主的に読んだ時、私は、あの少女を救おうと思ったが、自分にその力がないと気付くと、このお話を悲しいと思わないようになった。いや、それだけでなく、人が死ぬことを全く悲しいと思わなくなった。親友とみなしていた友達や父親が死んだ時もそうだった。
どうも心が死んでしまったらしい。
別に、アンデルセンに責任を取らせようとは思わないが(笑)。
だから、初音ミクさんに親近感を感じるのだと思う。








なぜ、食や性、呼吸、言葉、思考、行いを慎むと良いのか?

世界三大珍味と言われるフォアグラは、ガチョウやアヒルに過剰なエサを与えて肥大化させた肝臓であるらしい。
ガチョウ達は、殺されて肝臓を抜かれるまで、苦しみ悶えるのだ。
いや、フォアグラだけではない。
脂の乗った美味しい牛肉なんてのは、牛を狭い建物の中に詰め込み、ほとんど運動をさせないことで脂肪を付けるのだと聞いたことがある。
そんなものを、人々は喜んで食べているのである。
また、チョコレートは、貧困な家の子供達が買われ、長時間の辛く危険な労働を強いられて獲られたカカオによって作られている。
子供達は重くて鋭利な刃物を使わされ、誤って指を切断しても、病院どころか、休ませてももらえないそうだ。

それなら、私は食牛や、フォアグラのためのガチョウになろう。
そんなインスピレーションが昨日、浮かんだのだ。
我々は、高度な宇宙生命体のエサとして飼われていて、苦しみを耐えることで、美味しい魂を生成する。
そう考えると、この世の一切に説明がつくことに気付いたのだ。
そもそも、イエスは、我々を幸せにしようとはしなかった。
いつだって、苦しむことを求めた。
彼は、神という高次の生命体から派遣された、特別な人間だった。
「この世では幸せにしてあげることはできない。だが、あの世で幸せにしてやろう」
と言って、我々に苦しみを受け入れさせ、苦しみに耐えさせた。
そうして、彼の主である、父なる神のために、美味しい魂を沢山作ったのである。

古代ローマで栄えた古い宗教であるミトラ教の神ミトラスは、後に弥勒菩薩となったと言われるが、ミトラスは牛を殺す者として知られている。
その牛は、我々人間であろう。

我々は、どうあがこうと、神に少しも逆らうことはできない。
また、美味しい食物になる限り、神は我々に無駄なことはしない。
つまり、個々の者の持つ精神力を超えた苦しみは与えられない。
だから、イエスの教えは、確かに救いでもあるのだ。
ならば、せいぜいが美味しい肉牛になって、神に召し上がっていただくことを目指すしかない。
そう思えば、引きこもり気質も、アレルギーも、慢性の皮膚病も有り難いものである。
それが我々を美味しいエサにし、それ以上の苦しみは必要なく、意外に平和なのだ。
スティーヴン・ホーキングも言ったのだ。
「身体が動かない病気になったが、それ以外は概ね幸福だった」

また、苦行もしようと思う。
色欲も断とう。
仏教には、生・老・病・死の四つの苦と共に、会いたい人に会えない「愛別離苦(あいべつりく)」、会いたくない人に会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない「求不得苦(ぐふとっく)」、肉体と精神が思うようにならない五蘊盛苦(ごうんじょうく)という四苦があり、合わせて8つの苦しみが人間の定めと言われる。
ならばその8つの苦を受け入れよう。
だが、それらがあまりひどくならないよう、食を慎み、性を慎み、呼吸を慎み、身口意を慎むのである。
これらが、宗教や賢者の教えと妙に符合するのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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