ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ミトラス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

なぜ、食や性、呼吸、言葉、思考、行いを慎むと良いのか?

世界三大珍味と言われるフォアグラは、ガチョウやアヒルに過剰なエサを与えて肥大化させた肝臓であるらしい。
ガチョウ達は、殺されて肝臓を抜かれるまで、苦しみ悶えるのだ。
いや、フォアグラだけではない。
脂の乗った美味しい牛肉なんてのは、牛を狭い建物の中に詰め込み、ほとんど運動をさせないことで脂肪を付けるのだと聞いたことがある。
そんなものを、人々は喜んで食べているのである。
また、チョコレートは、貧困な家の子供達が買われ、長時間の辛く危険な労働を強いられて獲られたカカオによって作られている。
子供達は重くて鋭利な刃物を使わされ、誤って指を切断しても、病院どころか、休ませてももらえないそうだ。

それなら、私は食牛や、フォアグラのためのガチョウになろう。
そんなインスピレーションが昨日、浮かんだのだ。
我々は、高度な宇宙生命体のエサとして飼われていて、苦しみを耐えることで、美味しい魂を生成する。
そう考えると、この世の一切に説明がつくことに気付いたのだ。
そもそも、イエスは、我々を幸せにしようとはしなかった。
いつだって、苦しむことを求めた。
彼は、神という高次の生命体から派遣された、特別な人間だった。
「この世では幸せにしてあげることはできない。だが、あの世で幸せにしてやろう」
と言って、我々に苦しみを受け入れさせ、苦しみに耐えさせた。
そうして、彼の主である、父なる神のために、美味しい魂を沢山作ったのである。

古代ローマで栄えた古い宗教であるミトラ教の神ミトラスは、後に弥勒菩薩となったと言われるが、ミトラスは牛を殺す者として知られている。
その牛は、我々人間であろう。

我々は、どうあがこうと、神に少しも逆らうことはできない。
また、美味しい食物になる限り、神は我々に無駄なことはしない。
つまり、個々の者の持つ精神力を超えた苦しみは与えられない。
だから、イエスの教えは、確かに救いでもあるのだ。
ならば、せいぜいが美味しい肉牛になって、神に召し上がっていただくことを目指すしかない。
そう思えば、引きこもり気質も、アレルギーも、慢性の皮膚病も有り難いものである。
それが我々を美味しいエサにし、それ以上の苦しみは必要なく、意外に平和なのだ。
スティーヴン・ホーキングも言ったのだ。
「身体が動かない病気になったが、それ以外は概ね幸福だった」

また、苦行もしようと思う。
色欲も断とう。
仏教には、生・老・病・死の四つの苦と共に、会いたい人に会えない「愛別離苦(あいべつりく)」、会いたくない人に会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない「求不得苦(ぐふとっく)」、肉体と精神が思うようにならない五蘊盛苦(ごうんじょうく)という四苦があり、合わせて8つの苦しみが人間の定めと言われる。
ならばその8つの苦を受け入れよう。
だが、それらがあまりひどくならないよう、食を慎み、性を慎み、呼吸を慎み、身口意を慎むのである。
これらが、宗教や賢者の教えと妙に符合するのである。









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弥勒=ミトラ=イエス=アマテラス?

最近、尊崇する弥勒菩薩のことをよく書いているが、弥勒菩薩が古代ローマ神話のミトラスや、これと起源を同じくする、イラン神話のミスラ、インド神話のミトラと関係するというコメントをいくらかいただいたので、これについて少し書いてみる。

まず、現在有力ないかなる学説も、新しい発見により、たちまちに崩れてしまうということを知っておいていただきたい。
特に古代の学説がどれほど信用できるかは、実際には、もうさっぱり分からないと言って差し支えない。
本当のことを知りたい場合はどうすれば良いかは後で述べる。

弥勒菩薩とミトラ(あるいはミトラス)が同じであると言うより、深く関係していると表現することが適切なのであるが、それは確かなのである。
ただし、それは、学説のような物質的な証拠から言えることではなく、霊的な意味においてである。
実際に、弥勒菩薩とミトラ、イエス、さらには、アマテラスは霊的に深く結び付いてる。

弥勒菩薩とミトラは、名前においても類似性があるし、それは、アマテラスも同じである。
そして、ミトラは太陽神であり、アマテラスもそうである。
さらに、密教においては、太陽の化身でもある大日如来が、弥勒菩薩と同一であるとされてることもある。
また、阿弥陀如来は原語ではアミターバであり、無量寿光如来という別名からも分かる通り、やはり太陽の象徴であるが、アミターバという名がミトラに似ていることから、やはり同一なのではないかという説もある。
イエスに関して言うと、キリストという言葉のギリシャ語の原語は香油を持つ者という意味であるが、弥勒菩薩も香油の壷を持つ姿が伝えられている。
そして、イエス・キリストがミトラスとごく近い存在であることは、ローマ教会でも認めていることであると思う。
その訳はこうである。
クリスマスである12月25日をイエスと誕生日とするのが世界的な認識であるが、イエスの実際の誕生日は分かっていないのだ。そして、この12月25日は実にミトラス神の生誕日とされるものであり、これをイエスの誕生日としたのは7世紀頃のローマ教会なのである。

ルドルフ・シュタイナーが言うところを簡略に述べると、イエスという人間の中にキリストが入り込むことで、イエスは神の子である救世主となった。
弥勒菩薩の場合も、誰かの中に弥勒菩薩が入り込むことで、彼は菩薩になるのである。そして、弥勒菩薩に叡智を流し込んでいるのがキリストなのである。
釈迦の後継者である弥勒は、仏陀とキリストを統合する役目にあるのだと思われる。

本当には、かつて何が起こり、今何が起こっているのかを知るには、霊覚を得て、自分でアカシックレコードを読むしかない。
それはとても大変なことと思う(ただし、シュタイナーは誰でも可能であると言う)。
ただ、ミトラス、仏陀、キリスト、アマテラス、弥勒は、霊的に深い結びつきがあることは確実であり、いずれかを深く念ずれば、必要なことに関しては、仏神の方から教えてくれることだろう。
そして、現在は、地上への働きかけに関して言えば、弥勒の働きが大きくなってきていると思われるのである。
そして、あなたが、イエスがキリストを受け入れる器になったように、弥勒菩薩を完全に受け入れる器にならなくても、弥勒菩薩は、自分の一部を、望む人の中に浸透させるのであると思う。
それにはただ、弥勒菩薩の名を呼べば良い。
だから、「南無弥勒仏」と唱えて手を合わせれば、ただちに法力が発揮されるのである。
そして、法然が阿弥陀仏に対する念仏である「南無阿弥陀仏」を常に唱えるよう教えたように、なるべく多く、「南無弥勒仏」と唱えるのが良いと思う。
ただ、弥勒菩薩像の写真を見て、その美しさに感動すれば、弥勒菩薩の霊体を受け入れ易いと思う。
一番良いのは、京都の広隆寺に実際にお参りに行き、そこで弥勒像を見ることだろう。
それが難しい場合は、仏像写真のスペシャリストである小川三光さんのその素晴らしい写真が、毎日新聞社の『魅惑の仏像 弥勒菩薩』にあるので、よければ一冊、手元に置かれることをお薦めする。
私は、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』のCDと共に、この『魅惑の仏像 弥勒菩薩』をいくらか保有し、適切な人に差し上げようと思っているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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