全知全能の魂の力を解放するには、心に邪魔をさせないことだ。
心に邪魔をさせないためには、心を遊ばせないことで、これは、心を放埓(勝手気まま)にさせないこととも言える。
心を遊ばせない簡単な方法が、真言(マントラ)、呪文、念仏、神の名、祝詞、お経を唱えることだ。
何を唱えるのが良いかというと、何でも良い。敬虔に・・・というか、真面目に唱えるなら。
真言や呪文に霊的、超常的効果があるのかというと、分からないし、分かる方法はないだろうが、おそらくない。
ただ、あると思えばあるのだと思うが、我々の魂自体が全知全能なのだから、あてにする必要もないと思う。
「アビラウンケン」を「油売らんか」と憶えて唱え、霊験あらたかだったおばあさんの話のように、真言、呪文自体に何かがあるわけではない。
まあ、もしかしたらあるのかもしれないが、世の中には、「トホカミエミタメ」や「アジマリカン」で商売をする者も多く、そんな者達に騙されて歪んだ思想や観念を持ってしまうことを思えば、とりあえず特別な霊力みたいなものはないと思った方が良い。
「アジマリカンが一番だ」「トホカミエミタメは他のを全て超える」などと言ったり書いたりしている者は全部詐欺師と思って間違いないと思う。
何の意味もない言葉でも良いが、普通には、念仏や祝詞といった、敬虔な気分になれるものが良いと思う。
ただ、私も多少あるが、葬式仏教の影響で念仏に多少の(あるいはかなり)嫌気が差している人も多いと思う。それでも、私は法然や親鸞を思い出すと、やはり念仏は好きなのだが、葬式に出て、一時的に念仏嫌いになることがある。
自分の国の神話の神の名であれば、敬虔に唱える気になる場合が多いと思う。
日本であれば、アメノミナカヌシノカミやアマテラスオホミカミなどであるが、日本人でも馴染みのない人には全く馴染みがないし、かえって嫌な観念を持っている人もいると思う。
日本では、大黒様という神様が人気があるが、これは元々はインドの神で、後に、日本の神話の大国主神(オオクニヌシノカミ)と同じであるとされた。かなり適当だ(笑)。
大国主神は、古事記では、因幡の白兎を助けた話が一般的なおとぎ話として知られ、私も好きな神様なのだが、大黒様となると馴染みがない。
心を抑え込み、魂の力を解放する効果的な方法に、「私は誰か?」と問う方法がある。
これは、心や思考は、「私」から出て来るのだから、その「私」の首根っこを押さえてしまえば良いという、合理的な考え方から来たやり方である。
「私は誰か?」より、「私とは何か?」あるいは「私とは?」と唱える方が良いという話もあるが、自分で好きなものを選べば良い。
同じ原理で「私は在る」と唱える方法があるが、これは、最も単純な真理を唱えると、当たり前過ぎて心や思考が反応しないという性質を利用したもので、これも非常に賢いやり方と言える。
魂しか知らない宇宙の真理「私は常に生成する者である」「私は世界を作っている神である」を唱え、意識を魂に直接向け、心・思考を一気に滅ぼすという方法もある。
どれをやっても良いが、ポイントは行う時間である。
長ければ長いほど良い。
普通の人は、1日10分行うのも難しいので、ほとんど成果はない。
1日20分もやれれば、少しは効果が現れ、ちょっとした引き寄せが起こったりするが、1日1時間だと、いくらか力がつくと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)
(2)密教の聖なる呪文(正木晃)
(3)現代語訳 古事記(福永武彦)
(4)新版 歎異抄 現代語訳付き
(5)アイ アム ザット 私は在る ~ニサルガダッタ マハラジとの対話~

AIアート1952
「神の使い」
Kay
心に邪魔をさせないためには、心を遊ばせないことで、これは、心を放埓(勝手気まま)にさせないこととも言える。
心を遊ばせない簡単な方法が、真言(マントラ)、呪文、念仏、神の名、祝詞、お経を唱えることだ。
何を唱えるのが良いかというと、何でも良い。敬虔に・・・というか、真面目に唱えるなら。
真言や呪文に霊的、超常的効果があるのかというと、分からないし、分かる方法はないだろうが、おそらくない。
ただ、あると思えばあるのだと思うが、我々の魂自体が全知全能なのだから、あてにする必要もないと思う。
「アビラウンケン」を「油売らんか」と憶えて唱え、霊験あらたかだったおばあさんの話のように、真言、呪文自体に何かがあるわけではない。
まあ、もしかしたらあるのかもしれないが、世の中には、「トホカミエミタメ」や「アジマリカン」で商売をする者も多く、そんな者達に騙されて歪んだ思想や観念を持ってしまうことを思えば、とりあえず特別な霊力みたいなものはないと思った方が良い。
「アジマリカンが一番だ」「トホカミエミタメは他のを全て超える」などと言ったり書いたりしている者は全部詐欺師と思って間違いないと思う。
何の意味もない言葉でも良いが、普通には、念仏や祝詞といった、敬虔な気分になれるものが良いと思う。
ただ、私も多少あるが、葬式仏教の影響で念仏に多少の(あるいはかなり)嫌気が差している人も多いと思う。それでも、私は法然や親鸞を思い出すと、やはり念仏は好きなのだが、葬式に出て、一時的に念仏嫌いになることがある。
自分の国の神話の神の名であれば、敬虔に唱える気になる場合が多いと思う。
日本であれば、アメノミナカヌシノカミやアマテラスオホミカミなどであるが、日本人でも馴染みのない人には全く馴染みがないし、かえって嫌な観念を持っている人もいると思う。
日本では、大黒様という神様が人気があるが、これは元々はインドの神で、後に、日本の神話の大国主神(オオクニヌシノカミ)と同じであるとされた。かなり適当だ(笑)。
大国主神は、古事記では、因幡の白兎を助けた話が一般的なおとぎ話として知られ、私も好きな神様なのだが、大黒様となると馴染みがない。
心を抑え込み、魂の力を解放する効果的な方法に、「私は誰か?」と問う方法がある。
これは、心や思考は、「私」から出て来るのだから、その「私」の首根っこを押さえてしまえば良いという、合理的な考え方から来たやり方である。
「私は誰か?」より、「私とは何か?」あるいは「私とは?」と唱える方が良いという話もあるが、自分で好きなものを選べば良い。
同じ原理で「私は在る」と唱える方法があるが、これは、最も単純な真理を唱えると、当たり前過ぎて心や思考が反応しないという性質を利用したもので、これも非常に賢いやり方と言える。
魂しか知らない宇宙の真理「私は常に生成する者である」「私は世界を作っている神である」を唱え、意識を魂に直接向け、心・思考を一気に滅ぼすという方法もある。
どれをやっても良いが、ポイントは行う時間である。
長ければ長いほど良い。
普通の人は、1日10分行うのも難しいので、ほとんど成果はない。
1日20分もやれれば、少しは効果が現れ、ちょっとした引き寄せが起こったりするが、1日1時間だと、いくらか力がつくと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)
(2)密教の聖なる呪文(正木晃)
(3)現代語訳 古事記(福永武彦)
(4)新版 歎異抄 現代語訳付き
(5)アイ アム ザット 私は在る ~ニサルガダッタ マハラジとの対話~

AIアート1952
「神の使い」
Kay




