ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マズロー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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本当に幸運な人

男子プロテニスで、ツアー109勝、シングルス1243勝の世界歴代1位の記録を持つアメリカのジミー・コナーズは、
「テニスプレーヤーには2種類しかいない。ウインブルドン(全英オープン)のタイトルを持っている者と持っていない者だ」
と言ったことがある。
それで言えば、4大大会(全米、全英、全仏、全豪)でコナーズと同じ8勝で、通算世界ランキング1位では、歴代4位(268週)のコナーズを超える270週(歴代3位)のイワン・レンドルは、ウインブルドンのタイトルだけは取れず、このコナーズの論では「2種類目」の選手になるが、確かに、レンドル自身も、ウインブルドンのタイトルは一番欲しかったようである。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いは1つだけだ。それは至高体験があるかないかだ」
と言った。
だが、彼と交流のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、
「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」
と述べ、後にマズローもそれを認めた。
要は、至高体験に気付いているかどうかだろう。
至高体験とは、およそ文豪の作品で現れないものはない精神状態で、世界と自分が一体になった忘我・没我・無我の状態だ。
マズローは、大学で、学生達に「自分が幸運だと思った体験」を語らせていったら、学生達が至高体験に達することを発見したという。

コナーズの方のは、そもそもがプロテニスプレーヤーに限定され、しかも、その中でも、ごくわずかな、実力と運に恵まれたプレーヤーを指すのであるが、確かに、彼が言った「分類」に意味があるほど。ウインブルドンのタイトルには権威があるのだろう。
一方、マズローの至高体験は誰でもあるので、それを自覚すると良いのであるが、ほとんどの人はそれをしない。

ところで、別の、そして、もっと重大な人間の分類法がある。
それは、ジャパ(真言や神の名を唱えること)を毎日行っているか、そうでないかだ。
それを行っている者は魔法使いであり、全てを、特に、永遠を手に入れる。
だが、人類を覆う運命が、ほとんどの人間には、それが出来ないように働きかけている。
ジャパは、口に出して唱えても良いが、心で唱える方が良い。なぜなら、継続し易く、長時間行えるからだ。
だが、多くの(ほとんどと思われる)場合、声に出して唱えるよう指示されることで、大半の者がやらないことになる。
声に出して唱えるのは僧侶だけで良いのであるし、また、必ずしも、僧侶が、毎日ジャパを行う運命にはない。
真言(あるいは神の名)は、良いもの(自分が良いと思うもの)であれば、およそ何でも良い。
「アウム」でも「南無阿弥陀仏」でも「オン、アビラウンケン」でも「トホカミエミタメ」でも、自分が良いと思えるものなら良いのである。
唱える回数が多ければ多いほど、本質的な能力が高くなり、この幻影の世界を自在に操れる。
その明確な根拠の1つは、脳は放置すると、無駄な活動で多大なエネルギーを消費してしまうということが分かっていることだ。
また、マントラは脳全体を統合的に共鳴させ、あるイメージ領域の配列を整え重要な機能を顕現させることが、ある程度分かっている。
しかし、マントラの重要な秘密の大半はまだベールに覆われている。
だが、実践すれば、その効果は誰でも分かることであり、至高体験も頻繁に起こると思われる。
とはいえ、今のところ、多くの者は、それをする運命にないようである。








偉大な人物達のターニング ポイントになった出来事

偉大になった人物には、必ず、ターニング ポイント(転機)になった出来事がある。
そして、そんな出来事は我々にも起きるし、起こす方法も分かってきたと思える。

発明家、工学博士の政木和三氏は、小学5年生の頃、吃音(きつおん。どもり)を治したいという思いから、腹式呼吸の訓練をしたらしい。
呼吸数をどんどん落とし、1分で1回の呼吸が出来るようになった時、何かが起こった。
母親が毎日上げているお経の意味が勝手に解ってしまい、母親に説明して驚かれたようだ。
また、練習したこともないピアノが不意に弾けるようになってしまった。
ピアノの腕は一生涯続き、プロのジャズピアニストに絶賛される腕前で、自身が作曲した曲のピアノ演奏のCDも出した。
講演の際も、ピアノが用意されていれば、弾いて聞かせたこともよくあった。
その他にも、政木氏には神的な知恵や能力が発現したようである。

発明家、理学博士の橋本健氏は、高校生の時、深刻な病気になって、医者に余命僅かと宣告され、絶望に陥っていた。
その時、谷口雅春氏の著書『生命の実相』を一心不乱に読んだそうだ。
すると、病気が治って健康になってしまい、あらゆる幸運が舞い込む「円滑現象」が起こるようになった。

電波工学の世界的権威で工学博士の関英男氏は、大学を出て、KDDIの前身である国際電気通信に勤務していた時、毎日、研究中の電波受信機から聴こえる音を聴いていた。
ある時、いつもと違う音が聴こえてきて、それを聴いているうちに、宇宙と一体になった感じがして、それ以降、不思議な出来事や出会いが度々起こるようになったという。

特に印象的なものを取り上げたが、調べれば、およそ偉大な人間で、このような体験を持たない者はいないことが分かる。
こういった体験は、心理学者のアブラハム・マズローが「至高体験」と名付けたものと同じと思えるが、マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いはただ1つ。至高体験があるかないかだ」
と言ったのだ。
ただし、マズローと交流があったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験は誰でも経験しているものだと言い、後にマズローも、それを認めたらしい。
そして、ウィルソンは、至高体験を意識しているか、自在に起こせるかということが重要であることに気付き、それが彼のライフワークにもなった。
マズローは、自分が教えていた大学の学生達に、「自分が幸運だと思ったこと」を発表させたら、そこにいた学生たちが、次々に至高体験を起こすことに気付いた。
ウィルソンは、至高体験について、「単に、自分が幸運だと思うこと」と言う。

「20世紀最大の詩人」と言われる、ウィリアム・バトラー・イェイツは、おそらく至高体験と同じものを「エクスタシー」と表現し、芸術の目的はエクスタシーであると述べている。
また、それ(至高体験やエクスタシーと同じもの)を、ロマン・ロランは「大洋感情」、夏目漱石は「天賓」と呼んだが、およそ文豪で、至高体験について書いたことのない者はいないと言われる。
哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、こう表現している。
「神の魂が私の魂に流れ込み、私の魂が神の魂に流れ込んだ経験は忘れることが出来ない」
関英男博士も、宇宙とつながった時のことを、そういった雰囲気で表現していたと思う。

そして、コリン・ウィルソンが言ったように、至高体験は誰でも起こせるのである。








真の「シークレット」

2006年に、ロンダ・バーンの著書『ザ・シークレット』が出版された後、これが大ブームになり、この本は、世界で2000万部以上が出版されたらしい。
この本は、書内の説明によれば、古代から、ごく一部の人達にのみ知られ、一般の人には公開禁止にされた願望実現の秘密の方法を、ついに一般公開したというものだ。
この願望を実現する秘密の方法を「シークレット」と呼んでいる。
だが、ロンダ・バーンは、「シークレット」を、娘がプレゼントしてくれた本で知ったというし、それは別に特別な本ではなかったはずだ。
そして、「シークレット」自体は、世の中で知られている成功哲学と同じで、特に目新しいものではないと思える。
『ザ・シークレット』は、成功哲学を整理し、分かり易くしている面もあるが、その長い本の中には、互いに矛盾する箇所もある。つまり、整理不足だ。
結局のところ、『ザ・シークレット』の中身は、クラウド・ブリストル、ナポレオン・ヒル、ジョセフ・マーフィーらのものとあまり変わらないと思う。
ただ、『ザ・シークレット』は、同じ内容だが、非常に面白いDVDを作ったり、関連書を次々出版したりで、マーケティングが非常に良く、それらの努力でヒットしたのだと思う。
書いてあることは、ナポレオン・ヒルあたりとそんなに変わらないが、現代事情を取り込んでいる点は有利なように思える。
しかし、それは表面的なことで、実際の中身は、古い教えの集大成といったところで、しかも、過去の賢者の教えを正確に反映しているかどうかは疑問だ。

つまるところ、『ザ・シークレット』も、数多ある成功哲学の書同様、実際に、それで成功した人は、ほとんどいないと思う。
「成功」とは、必ずしも、大金持ちになるとか、それぞれの分野でランキング上位者であると見なされることではなく、早い話が、幸福になることである。
ある有名人(誰かは忘れた)が、「幸福とは自己満足である」と言っていたが、全くその通りで、客観的にはどうであれ、本人が心から満足出来れば、それが成功なのである。
とはいえ、ある程度のお金や健康、人間関係といったものがないと、ほとんどの人は満足しないであろうから、そういったものを得られなければ成功哲学ではない。
しかし、『ザ・シークレット』を含めた成功哲学では、そういったものすら得られない場合が多い。
そして、本人が心から満足出来ることが成功と言ったが、それは、アブラハム・マズローの言う「自己実現」でしか得られないもので、それを得た者は稀と言うか、ほぼいないかもしれない。
さらに言えば、ナポレオン・ヒルなどの成功哲学で成功したと見なされた人達は、実際は、少しも幸福ではなく、むしろ、一般の人より惨めであることも少なくない。

ただ、一方で、世間から注目される訳ではないが、幸福になった人達もいるのである。
彼らは、健康で、必要なものは努力しなくても、自然に得られるが、そんなことより、心が安らいでいるのである。
仏教で言われるのかもしれないが、「大安心」の境地である。
何か欲しいと思った時でも、それを得るために引き寄せのテクニックを使うことはなく、ただ「これが欲しい」と思ったら、それが勝手にやってくる。
ただし、必要もないものを欲しいとは思わず、豪華なもの、贅沢なものに興味がない場合が多い。
たとえ高級車に乗っていたとしても、単にそれが趣味だったり、純粋に楽しいからで、実際は、小さな車で満足している場合が多い。
ある大金持ちの投資家が言っていたらしいが、成功の秘訣を聞かれたら、「欲張らないこと」と即答したようだ。
政木和三さんも、超人のようなものになるには、「欲望をぽーんと放り出せば良い」と言われていた。
いかに、成功哲学に金と時間をかけても、欲張りでは駄目だと思う。
そして、欲張りでなければ、つまり、不要なものを欲しがらなければそれで十分である。
そのためには、ギリシャのデルフォイ島のアポロン神殿の扉に書かれている「身の程を知れ」を忘れなければ良い。
そんなものを知るはずがない徳川家康が言った天下取りの秘訣もまた「身の程を知れ」で、孔子も同じことを重視していた。
「身の程を知る」ことの優れた解説は、プラトーンの『ソクラテスの弁明』に書かれていることであると思う。








手の力で気持ちを切り替える

ジークムント・フロイトの名前くらいは知っているという人が多いと思う。
フロイトは精神分析学の創始者と言われるオーストリアの精神科医で、無意識とか潜在意識を初めて科学的に定義した人だったと思う。
精神分析や心理学について知らない人でも、心の複雑な問題について、「フロイト博士によれば」という言い方を、真面目な話であっても、ジョークであっても違和感を持たないほど、人間の心の研究に関してフロイトの名は権威があるように思う。
だが、フロイトが批判されることも多い。
そりゃ、人間の心を科学的に研究するという、とてつもない困難に、人類で初めて科学的に取り組んだと言えるほどであるのだから、間違いだってあって当然である。
しかし、著名な心理学者のアブラハム・マズローが「私はフロイトを批判しているのではない。彼の研究をさらに深く探求しようとしているのだ」と言ったことが、後に続く研究者の正しい在り方を示していると思う。

ところで、フロイトは研究室の中で研究していたのではなく、精神科医として長時間、極めて真面目に患者の治療に当たっていたのだった。
全くの実践派であったのだ。
だが、実際に治療に成功した例はないと言われることもあるが、真摯な治療振りに対し、患者には大変に感謝されていたと言われる。
けれども、その、治療に成功した例がないというのも、一面的な見方で、精神の治療において、何をもって成功したとは言い難いと思う。
精神病の患者は、ある意味、極めて個性的であるが、それが、その個性を消して平凡な人間になった時に治療に成功したと言うなら、そんな治療はむしろない方が良い。
NLP(神経言語プログラミング)の共同創始者であるリチャード・バンドラーは、人間は、いわゆる普通の人から見て、いかに奇妙な信念を持っていても(自分が宇宙人である等)、別段、それが問題である訳ではないと述べていたが、私もそれで良いと思うのである。ただし、それが、他の人にとって歓迎されないような信念であれば、黙っていれば良いだけのことである。
そりゃ、「初音ミクは俺の嫁」と本当に思っている人だっていて良いと思う(私は思っていないが 笑)。

私は、フロイトの治療は有効であったと思う。
それは、フロイトは患者の額に手を当てながら治療を行っていたということから想像出来るのである。
なぜ、フロイトがそんなことをしていたのかは知らないが、経験的にそれが良い結果を生み出すことが解っていたのではないかと思う。
そして、もしかしたら、フロイトは患者の胸に手を当てた方が良かったのかもしれない(実際にはやったかもしれないが)。
ただ、胸では、女性患者の場合に支障があると思われる。
人間の手が持つ不思議な効果についての研究も行われているが、いまだ未知のことも多い。
しかし、手を、胸や額、あるいは、頭頂に置くことの効果は昔から知られている。
そして、これは、必ずしも他人にやってもらう必要はなく、自分でやっても良い。
やり方については、アレクサンダー・ロイド(心理学、医学博士)の著書『潜在意識を変えれば、すべてうまくいく』の中で、取り上げられているが、両手を胸の前で重ね、その手が胸にかすかに触れる程度に当てながら、時計回りに回す(反時計回りでも良い)ということをすれば、良い効果があり、困難な問題を抱えていた人が、これだけで治ってしまったこともあるという。
また、これは、額や頭頂で行っても良い(全部やるとさらに良いようだ)。
手を回転させなくても良いが、経験的に、回転させた方が効果は2倍ほど高くなるようだ。
これが、科学的、医学的に効果があるかどうかの証明は難しいと思うが、心を落ち着かせるとか、気持ちを切り替える効果がないとは思えない。
そして、あらゆる意味で、人間が幸福に生きていけるかどうかは、気分が良いか悪いかだけの問題であり、人間は生きている限り、悪い気分になることは避けられないので、そんな時、気持ちを切り替えられるかそうでないかで運命が決まるということに対し、現在の人類は、あまりに無知であるように私には思える。
この無知が、人類のあらゆる不幸を作ってきたし、今も作っている。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』が偉大な書である理由は、引き寄せの達人達の多くが、この気分の問題を主張していることを明らかにしたことだと思う。








結局、フロー(ゾーン、至高体験)が全て

私が最上級のインプレッション(印象)を受け、忘れられない言葉が、心理学者のアブラハム・マズローが言った、
「偉大な人間とそうでない人間の差は、至高体験があるかないかだけ」
だ。
一方、このところ、ずっと考えていることが、
「天才に見える人間とそうでない人間の差は、時間をかけたかどうかだけ」
ということだ。

そして、ようやく、この2つが一致することが解った。
つまり、
「時間をかける、言い換えれば、長く続けるには、至高体験が必要」
ということだ。

至高体験とは、別に難しいことではなく、「無我夢中」の状態のことで、「イっちゃってる」ことだ。
だが、マズローは、至高体験は、偶然に訪れるのを待つしかないと言った。
ところが、博士であるマズローはそう言ったが、中卒のコリン・ウィルソンは、「思考体験はありふれたものだ」と言い、マズローもそれを認めた。
ウィルソンは、「至高体験って、単に、自分が幸運だと思うことなんだ」と核心を突く。
至高体験は、最近では、ゾーンとかフローと言われる。
ゾーンもフローも同じで、簡単なことなのだ。
保江邦夫さんの本で知ったが、これを神道では「中今(なかいま)」と言うらしいが、なんと素晴らしい言葉だ。
フローも、ゾーンも、至高体験も、そして、同じ意味である、大洋感情も、法悦も、エクスタシーも、全て、「今への集中」なのだ。

で、ごちゃごちゃした説明はもういいから、どうやったら「簡単に」ゾーンに入れるかが重要なはずだ。
賢い人なんだろうけど、本1冊、細かい説明をうんざりするほど書くばかりの人(しかも沢山の本で)がいて、いい加減「まずは、どうやったらいいか書けよ」と文句の1つも言いたくなる。
皆、忙しいのだから、アンタの趣味に付き合っている時間はないのだ、T.Mよ(笑)。
この人の沢山の本の中で、見るべきものは1行だけ。ある偉大な人が言ったという、
「社会があって私があるのではない。私があって社会があるのだ」
だけだ・・・というのは私の勝手な思い込みである。

さて、では、どうやったら至高体験を起こせるのか?
それを、いくつも書いて、好きなのを選んでもらってこそ、親切というものだ。
まず、コリン・ウィルソンがよく言ってたやつ。
ペン先などに、全力で集中する。集中出来たところで、すっと集中を解く。これを数回繰り返す。
私はいまひとつと思ったが、これでうまくいく人は多いらしい。
そして、ウィルソンに指摘されて改心したマズローのやり方。
グループで、「自分が幸運だと思った体験」を発表し合う。
私も、私の主催で、十数人のグループでやったことがある。まずまずであった。
だがこれは、グループでなくても、自分の幸運な体験を思い出すことでも良いと思う。

しかし、結局のところ、自分が好きなことに没頭することが一番である。
だけど、勘違いしてはならないのが、この「好きなこと」は「ゴキゲンなこと」ではないということだ。
「エレキ弾いてたらゴキゲンだぜ」というのは、多くの場合、刺激的快感であるだけで、実際は、ゾーンでもフローでもないことが大半のはずだ。

その中で、保江邦夫さんが、『神様の覗き穴』に書かれていた「龍の首」のポーズが素晴らしい。
これで簡単に、ゾーン、保江さんの言うところの「中今」に入ってしまえる。
ウィルソンやマズローに教えてあげたかった。
しかし、この本の保江さんの「素領域」の説明を読むと、こんな立派な人でも、所詮、専門馬鹿、物理馬鹿なんだと思う。
自分はうまく立派に説明したつもりなんだろうけど、物理が嫌いな訳では無い私でも、もうサッパリ解らない(笑)。
その解らないことを、同じ調子で、言い替えもせず、何度も繰り返すのだから、いい加減ウンザリした。
それを、『神と人をつなぐ宇宙の大法則』という対談書で、保江さんは、対談相手の元裁判官で僧侶である稲葉耶季さんに突っ込まれていて、楽しかった(笑)。
保江さんあの本で見るべきは「龍の首」のやり方だけだ・・・というのは、私の勝手な言い分なので、マジに受け取らないで欲しいが(実際は、いいことが「わりと」書かれている(笑))。
それに、「龍の首」も、やや解り難い説明だったが、これを教えてくれたのは、やはり感謝感激である。

私は昔、自分が作ったプログラムがうまく動いた時にフローの状態になり、そのおかげでずっとプログラミングを続けられた。
だが、プログラミングの本には、退屈な例題でフローから遠ざけてしまうようなのが多い。
プログラミングは、最初にフローに入ってしまえば、それでメシが食えるようになるのである。
プログラミングをマスター出来る人と、そうでない人との違いは、フローに入れるかどうかだけなのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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