英国の作家コリン・ウィルソンは、スピリチュアル界において世界的な超大物であるが、彼の場合、スピリチュアル・オカルト関連だけでなく、文学や、それに、心理学といった学問ではないが、現実的な精神の研究でも重要視されていたと思う。
そもそもが、彼が23歳の時に書き、彼を一夜にして世界的作家にした『アウトサイダー』は多くの世界的な文学作品の心理学的評論だったし、また、彼は、心理学分野で屈指の研究者であったアブラハム・マズローと深い交流を持ち優れた成果を出したと思う。
ところが彼は学歴においては、日本でいう中学までしか出ていない。
今もそうであるのかもしれないが、英国では富裕層や子供の時からの優等生以外は学歴を得難く、ウィルソンが生まれ育ったのも貧しい労働者階級の家庭で、15歳からは工場労働者などの肉体労働の仕事をしながら、図書館で独学を続けていた。
ウィルソンは、上記のアブラハム・マズローとは特に「至高体験」の共同研究で貴重な成果を上げたと思う。
マズローもアカデミックな研究だけではない、実用的な心理学研究で知られるが、学会が相手にするはずがない中卒の作家でしかないウィルソンと深い交流を持ったのも、やはり、人類を前に進める志があったことを示していると思う。
こういったことに関し、「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのノーベル賞作家W.B.イェイツを思い出す。文学界において確固たる地位を築いていた彼が『ヴィジョン』というオカルト的作品を出したことは文壇を騒がせたらしいが、マズローといいイェイツといい、学会だの文壇だのの範囲に収まらない者でこそ、革命・・・と言うより、何か意味のあることをやれるのだろう。
尚、ウィルソンもイェイツには非常に注目しており、よく引用している。
ウィルソンは、引き寄せには一切関わっていないようだったが、それは釈迦やイエスが表向きには引き寄せとは関係ないように見えながら、引き寄せにおいても最も重要なことを教えていたようなもので、ウィルソンの著作は引き寄せ関連の本以上に引き寄せの本質を示しているように思う。
ウィルソンが生涯をかけて取り組んだ「最高体験」は、これこそが引き寄せ自在な精神状態でもあると思う。
ウィルソンは(実際はおそらくマズローも根本的に)技術的には、至高体験の起こし方が生涯のメインテーマであったのだと思う。
マズローは「偉大な人間とそうでない人間の違いはたった1つで、至高体験があるかないか」と言ったらしいが、ウィルソンは「至高体験は誰にでもあるありふれたもの」と言い、マズローもそれを認めたようだ。
だが、問題は、至高体験をどうやって起こすかである。
至高体験は、万物と一体となった無我、無私、忘我、没我の状態であるが、ドストエフスキーなど、超一流の作家であれば、作品中にそれについて書いていないことはない。
そして、エックハルト・トールの著書が世界的に評価されるのは、直接には書いていないが、この至高体験を起こす方法(トールの場合は悟りを開く方法と述べているが)を具体的に示したからだと思われる。
ところで、トールの手法は、日本のアンダーグラウンド的なスピリチュアル界でいう「今今メソッド」と本質的に同じと思われ、むしろ、今今メソッドの方が優れているかもしれない。
そもそも、現実的手法という意味ではマズローよりずっと優れていたと思われるウィルソンの手法をよりスマートに行うのが今今メソッドである。
至高体験を自在に起こす方法が分かれば、いかなる意味においても無敵である。
イェイツも、そんな方法を探し求めていた雰囲気があるが、彼ですら、ある程度の考察に留まっていたように思う。
いや、ドストエフスキーだってそうかもしれない。
しかし、今今メソッドは、それをあっさり解決してしまっているように思う。
次回で、悟りのような体験の後で、一種の超能力的な能力を得た男についてのコリン・ウィルソンの話と今今メソッドとの関連について述べる。
これで、今今メソッドのやり方が一層よく分かり、引き寄せという点でも簡単になると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(3)完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの(アブラハム・H・マスロー)
(4)イェイツ詩集(対訳)(W.B.イェイツ)
(5)最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)
(6)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(7)悪霊(1)(ドストエフスキー)
AIアート1095
「夕暮れの記憶」
Kay
そもそもが、彼が23歳の時に書き、彼を一夜にして世界的作家にした『アウトサイダー』は多くの世界的な文学作品の心理学的評論だったし、また、彼は、心理学分野で屈指の研究者であったアブラハム・マズローと深い交流を持ち優れた成果を出したと思う。
ところが彼は学歴においては、日本でいう中学までしか出ていない。
今もそうであるのかもしれないが、英国では富裕層や子供の時からの優等生以外は学歴を得難く、ウィルソンが生まれ育ったのも貧しい労働者階級の家庭で、15歳からは工場労働者などの肉体労働の仕事をしながら、図書館で独学を続けていた。
ウィルソンは、上記のアブラハム・マズローとは特に「至高体験」の共同研究で貴重な成果を上げたと思う。
マズローもアカデミックな研究だけではない、実用的な心理学研究で知られるが、学会が相手にするはずがない中卒の作家でしかないウィルソンと深い交流を持ったのも、やはり、人類を前に進める志があったことを示していると思う。
こういったことに関し、「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのノーベル賞作家W.B.イェイツを思い出す。文学界において確固たる地位を築いていた彼が『ヴィジョン』というオカルト的作品を出したことは文壇を騒がせたらしいが、マズローといいイェイツといい、学会だの文壇だのの範囲に収まらない者でこそ、革命・・・と言うより、何か意味のあることをやれるのだろう。
尚、ウィルソンもイェイツには非常に注目しており、よく引用している。
ウィルソンは、引き寄せには一切関わっていないようだったが、それは釈迦やイエスが表向きには引き寄せとは関係ないように見えながら、引き寄せにおいても最も重要なことを教えていたようなもので、ウィルソンの著作は引き寄せ関連の本以上に引き寄せの本質を示しているように思う。
ウィルソンが生涯をかけて取り組んだ「最高体験」は、これこそが引き寄せ自在な精神状態でもあると思う。
ウィルソンは(実際はおそらくマズローも根本的に)技術的には、至高体験の起こし方が生涯のメインテーマであったのだと思う。
マズローは「偉大な人間とそうでない人間の違いはたった1つで、至高体験があるかないか」と言ったらしいが、ウィルソンは「至高体験は誰にでもあるありふれたもの」と言い、マズローもそれを認めたようだ。
だが、問題は、至高体験をどうやって起こすかである。
至高体験は、万物と一体となった無我、無私、忘我、没我の状態であるが、ドストエフスキーなど、超一流の作家であれば、作品中にそれについて書いていないことはない。
そして、エックハルト・トールの著書が世界的に評価されるのは、直接には書いていないが、この至高体験を起こす方法(トールの場合は悟りを開く方法と述べているが)を具体的に示したからだと思われる。
ところで、トールの手法は、日本のアンダーグラウンド的なスピリチュアル界でいう「今今メソッド」と本質的に同じと思われ、むしろ、今今メソッドの方が優れているかもしれない。
そもそも、現実的手法という意味ではマズローよりずっと優れていたと思われるウィルソンの手法をよりスマートに行うのが今今メソッドである。
至高体験を自在に起こす方法が分かれば、いかなる意味においても無敵である。
イェイツも、そんな方法を探し求めていた雰囲気があるが、彼ですら、ある程度の考察に留まっていたように思う。
いや、ドストエフスキーだってそうかもしれない。
しかし、今今メソッドは、それをあっさり解決してしまっているように思う。
次回で、悟りのような体験の後で、一種の超能力的な能力を得た男についてのコリン・ウィルソンの話と今今メソッドとの関連について述べる。
これで、今今メソッドのやり方が一層よく分かり、引き寄せという点でも簡単になると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(3)完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの(アブラハム・H・マスロー)
(4)イェイツ詩集(対訳)(W.B.イェイツ)
(5)最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)
(6)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(7)悪霊(1)(ドストエフスキー)
AIアート1095
「夕暮れの記憶」
Kay