ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マスターの教え

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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違いは呼び名だけ

『正法眼蔵』の『現成公案』に、こんなことが書かれている。

春が過ぎて夏が来るが、春が夏になるわけではない。春は春。夏は夏だ。
では、薪が燃えて灰になるのはどうだろう。
これなら、薪が灰になるように思える。
しかし、やはり、薪は薪、灰は灰である。
毛虫が蝶になるように思うが、やはり、毛虫は毛虫、蝶は蝶なのである。

なら、生と死はどうだろう?
これは分かり易いと思う。
生は生であり、死は死だ。誰も、生が死になるとは思わない。

素敵な男性がいて、自分は彼の友達であるが、恋人になりたいとする。
では、それがうまくいく場合、自分は、彼の友達から恋人になるのだろうか?
やはり、そうではないのだ。友達は友達、恋人は恋人である。

貧乏な男が金持ちになった場合はどうだろう?
これも、貧乏だった時の彼は、どこまでも貧乏な人間で、いわば、貧乏な人間として完成している。
一方、金持ちになった彼は、どこまでも金持ちな人間で、いわば、金持ちな人間として完成している。

儲からない会社と儲かる会社。
アル中の人間とアル中でない人間。
囚人ジャン・ヴァルジャンと市長マドレーヌ。
これらに関しても同じだ。前者が後者になったのではなく、前者は前者で完成しており、後者は後者で完成している。

前者と後者では、圧倒的な違いがある。
それは「呼び名」だ。
しかし、言い換えれば、前者と後者の違いは「呼び名」だけだ。
可愛いあの子のただのクラスメイトであるのと、彼氏であるのとの違いは、やっぱり「呼び名」だけなのだ。
まあ、「彼氏」か「特別な人」か「大事な人」か「好きな人」などの違いはあるかもしれないが、重要なことは呼び名だけだ。

『マスターの教え』で、マスターは言う。
「この船の船長は、船長という呼び名にうまく適応している。しかし、船主になるのは無理だと思っているかもしれない。だが、船長と船主の違いは、呼び名が違うというだけであり、船長は容易く船主になれる」
そんなわけで、あなたも、あの子のクラスメイトという呼び名を捨て、あの子の彼氏という呼び名を持つのだ。
名前は自分でつければ良いだけだ。
安サラリーマンという呼び名を捨て、高給の幹部という呼び名を持っても良いだろう。
50歳という呼び名を捨て、27歳とすれば良い。
45歳のオバサンではなく、18歳の若い女性とすれば良い。
トラインの本に、80歳だが25歳以上に見えない女性の話がある。彼女が陽気で楽天的な性格を持っているのは、あくまで結果で、彼女に歳を聞けば「23よ」と答えるか、答えずに「23歳」と思っているのである。








言葉は神であった

ヨハネ福音書の冒頭の言葉「初めに言葉があった。言葉は神であった」に、どれほどの深い意味があるのかは、はっきり言って分からないが、人間にとって言葉が大切なものであることは確かだ。
それを示す、こんな話がある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中に、ある不思議な廟(びょう。神殿や寺院のようなものと思う)について書かれている。
この廟は五千年も前に建てられたものでありながら、建てられたばかりのようである。
驚くべきことに、この廟は、損傷したとしても、独りでに治ってしまうという。
この廟の中では、「生命、愛、平和、調和」という言葉しか使われず、これらの言葉が強力な力となって、そんな不思議な現象を起こしているのだと思われるが、その理屈は完全には分からない。
だが、この力の原理の詳細は分からないとしても、このことからも、良い言葉を使い、悪い言葉を決して使ってはならないことが強く感じられるのである。
たとえ、悪や愚か者に挑む時でも、悪い言葉を使うべきではない。
我々に悪い言葉を使わせ、力を削ぎ、穢れさせることもまた、悪の狙いなのであり、それに乗せられてはならない。

良い言葉を唱えることで、力や恵が与えられることが、『マスターの教え』に書かれている。
また、良い言葉を書いた紙にも力がある。
聖書の言葉を書いたカードには必ず大きな力があるので、そのようなカードを持ち歩いている成功したビジネスマンも少なくない。彼らは、このカードが自分の成功の秘訣であると言う。

また、意外と知られていないことは、偉人の名にも、その偉人の力の波動があるということだ。
例えばだが、大事業であれば、アンドリュー・カーネギーやヘンリー・フォード、科学技術であれば、二コラ・テスラといった、その道の偉大な人物の名に力があり、アメリカの自動車会社テスラのように、その名を社名にすることも少なくない。
だが、名をもらったからには、それに恥じない事業をしなければならず、その名を穢すようなことをすれば、すぐに事業は破綻すると思う。

そして、聖ナーム・デーヴ(ナーマ・デーヴァ)が教えたように、最も優れた名前は神の名である。神仏の名と言っても良いだろう。
それは、様々な聖典に書かれており、間違いのないことだと思う。
特にこのことについて書かれた聖典が、仏教の『浄土三部経』の特に『観無量寿経』であり、『法華経』の『観音経』だ。
「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」と唱えるのも、それらから来たのであるが、「阿弥陀仏」「阿弥陀様」「阿弥陀」「観世音菩薩」「観音様」と唱えても構わない。
また、神仏の名を書いた紙にも力があるので、自分で作っても良いと思う。
神仏の名を頻繁に、そして、丁寧に心で唱える者が駄目であることは考えられない。
たった、これだけのことをすれば良いのに、それをせずに不幸に苦しむ必要はないと思う。












最強の魔法の言葉

「私は」という言葉は強力で、ただちに魔法の力を発する。
もちろん、自分を示す言葉なら、「僕は」「俺は」「自分は」でも同じである。
「私はやる」と言えば、必ずそれをやることになる。
逆に言えば、そう言わないから、やらずに終わる。
バラク・オバマは、Yes,we can.と教えたが、これは、特に力のない言葉だ(別に、悪くはないが)。
なぜなら、私(I)という言葉は、「宇宙」「全て」を示すからだ。数字で言えば「1」である。
このことを説明した本が不思議とないのだが、1つあった。
それは『マスターの教え』(ジョン・マクドナルド著)で、
飛鳥新社版(紙の本):12章
バンローリング版(Kindle書籍):6章
に、詳しく説明されている。
まあ、それを知らなくても。「私は」という言葉が魔法の力を持つことを知っていれば良い。
旧約聖書では、神は自分のことを、
I am that I am.
と名乗っている。
ただ、その意味は、元のギリシャ語のニュアンスが分からないし、英語としても難しいが、上記の本では、
「私は私である」
「私は私というものだ」
と訳していた。
『十戒』という映画の吹替では、「私はありてあるものである」と訳していたと思う。
ところで、W.E.バトラーの『魔法入門』では、この訳について、非常に面白いことを書いていたが、高度な話だったので、今回は省く。
(ちなみに、この本は、絶版で古書は高価)

いずれにせよ、「私は」という言葉は、途方もないものであることは確かだ。
では、その魔法の力を、「私は」に続く言葉に注げば良い。
さっきも述べたが、「私はやる」「私はなる」と言えば、確実にやることになり、なることになる。
こんないいこと、知らないのは損である。
とはいえ、私も忘れていたのだから困る(笑)。
私が子供の時から、あり得ない奇跡を自在に起こした話は何度も述べたが、結局のところ、そのために、私は「私はやる」と宣言したのだ。
例えば、天文に関する知識が全くない小学4年生の時、天体望遠鏡で土星を見ようとして、「僕は土星を見る」と思ったのだ。
すると、最初に狙った星はいつも土星になった。これは、普通に考えると確率的にもあり得ない。
そもそも、その天体望遠鏡を手に入れたのだって、「僕は天体望遠鏡を持つ」と思ったから得られたのだった。

なら、良い就職をしたければ、「私は、働き甲斐のある会社に就職する」みたいに言えば良いし、素晴らしい人と結婚したければ、「私は、ハンサムで優しくてお金持ちの人と結婚する」と言えば良い。
この「言う」は、口に出して言っても、心の中で言っても良い。
ただ、どちらかというと、現在形で、「私は働いている」「私は結婚している」と言った方が良いと私は思う。
そして、いつも言うのが、なるべく多く言うことが大切と思う。








最後までふてぶてしく

良い本を沢山読んでいるのに駄目なやつっていうのは多い。
どういうやつかというと、すぐに不安になるやつだ。
言い換えれば、後ろ向きなやつ、マイナス思考のやつだ。
そういうのを一言でまとめると「心が弱い」になると思う。
そんなやつは、ちょっとうまくいかないと、あるいは、ちょっと悪い状況になると、たちまち不安になり、攻撃的になったり、周囲に親切そうな人がいると哀れっぽく頼ろうとする。
最近まで日本では、そんな状況には滅多なことではならなかったが、数ヵ月、お金が入ってこず、3日も食べられない状態になると、もうすっかりうろたえてしまう者が多い。
そして、今後は、日本でも、そんな者が多くなるかもしれない。
実際、今は、日本でも餓死する人が、年間で数百人もいるらしい。
だが、特殊な場合は別として、そんな人達は、餓死するより先に、不安に殺されているのだ。

イエスは、「鳥は働かないが、神はこれを養う。まして、お前たちは鳥よりもずっと値打ちがあるのだから、神が面倒を見てくれないはずがない」と言った。
私は餓死しかけたことはないが、どうにも困った状況になっても、いつも不思議に何とかなり、イエスの言うことは本当だなあと思ったが、当然、誰でも同じと思う。

楽天家を装ったり、引き寄せの法則を肯定しているようでいても、苦しくなると、すぐに挫けてしまうようであってはならない。
何とかなるのだ。

名女優のジョディ・フォスターが13歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。
この映画のラストでは、ジョディが演じるリンという名の少女の美しい顔がずっと映される。
この若さで、表情だけで演技するジョディを見て、私は、つくづく、彼女は天才だなあと思ったものだ。
ちょっと、この映画のその状況を説明する。
リンという名の美少女は、ロリコンの変態のオッサンに、決定的な弱みを握られる。
それで、リンは、これまでは、そのオッサンを徹底的に避け、はっきりと強い敵意も見せていたが、逆らうことも、無礼な態度を取ることも、警察に頼ることすら出来なくなった。
ロリコンのオッサンにすれば、まさに、天国という状況だった。
オッサンは、ここまでくれば焦ることはないので、少女が一人っきりの家で、どっかりとソファーに座り、ご主人様気取りで、リンにお茶を入れさせる。
すると、ロリコンとはいえ、頭が良いオッサンは、リンが持って来た2つのお茶(紅茶)を、リンの前で入れ替える。毒が入っているかもしれないが、所詮、子供だ。
悠然とお茶を飲むオッサン。お茶を飲み終わったら、あんなことやあんなことを・・・と考えているのだろう。
その時のリンの顔が、ずっと映されるのだ。
リンの顔はさぞや怯えているかというと、リンの顔には何の不安もなく、微笑んですらいる。
まるで、今のトランプ大統領のふてぶてしさ、心の強さだ。
リンは、最初から微笑みを持っていたのだ。
『マスターの教え』で、マスターが言ったように、「正しい態度でいれば状況を支配出来る」のである。
私は、このリンの素晴らしい微笑みを忘れないようにしている。








全ては態度次第

私には、いかなる時も、揺るぎない自信を取り戻させてくれる魔法の呪文がある。
それは、「テーブル2(ツー)」だ。
数年に一度は書いているが、こんな話だ。
アメリカでの話だ。
ある日本人が、高級クラブで公演される、ある一流のショーを見たいとアメリカ人の友人に言った。
すると、そのアメリカ人は、「じゃあ行こう」と言う。
そのアメリカ人は、超一流の人物だが、いきなり行けるようなショーではない。
しかし、その日本人は、何かを感じ、そのアメリカ人に従った。
クラブの建物に着くと、アメリカ人の彼は、守衛に愛想よく笑って挨拶し、勝手に入ってしまった。
劇場に入ると、総支配人に悠然と近付き、「テーブル2」と言う。「2人分のテーブルを用意しろ」という意味だ。
総支配人は、躊躇せず、マネージャーを呼んで、「テーブル2」と言い、マネージャーはスタッフに命じて、迅速に、この2人のためのテーブルが用意され、2人はカクテルを飲みながら、ゆったりと素晴らしいショーを堪能した。

多少は、古き良き時代のアメリカであったという理由もあるが、その日本人の実際の経験談である。
若い頃に、この話を読んだ私はシビれ、人間はこうでなければならないと思った。
しかし、そんなことが、本当に出来るのか?
『マスターの教え』という本に、似た場面がある。
あるビジネスマン(失敗して駄目になった状態だったが)が、マスターと呼ばれる人物と(多分、高級な)カフェに行った時のことだ。
カフェのスタッフは皆、マスターに対して特別にうやうやしく接し、2人は楽しく話をして、店を出る時、マスターは伝票にイニシャルだけをサインした。
当然、マスターの馴染みの店かと思って尋ねたら、マスターは、初めて来る店だと言う。
そして、マスターは、「態度が状況を決める」と言う。
上の、「テーブル2」のアメリカ人も同じなのだ。

しかし、一流の人物ならともかく、我々にそんなことが出来るのか?
それに関しては、我々以下の人間の話がある。
それは、『マジック・ストーリー』(『人生を変える魔法の物語』と題された、一流の翻訳者の手による翻訳書もある)にある。
粗末な身なりの、誰もが知っている一文無しでロクデナシの画家が喫茶店に来て、知り合いのビジネスマンがいた席に着いた。
画家は、金は持っていないが、自分がおごると言う。
そして、ビジネスマンから小切手を借りると、ボーイを呼び、堂々たる仕草で小切手にサインをして渡し、下がらせた。
何の問題もなかった。
ビジネスマンは画家に、そんな魔法をどうやって身に付けたのかを尋ねるが、このお話はうまく作られている。
と言うのは、この画家のお話そのものが、我々に魔法を授けてくれるからだ。

態度が状況を決める。
態度は事実より重要である。
そのことを理解しさえすれば良いのである。
世界は心が作る幻影に過ぎないからだ。
私が付き合っていたIT企業の社長も、似た手を使っていた。
客に、「こんなシステムを作ったことがありますか?」と聞かれたら、「イエス」と答えることにしていたらしい。悠然とね。
それで、彼はうまくいっていたが、何かのきっかけで自信を失くし、うまくいかなくなってしまった。
幻影である外の世界が、自分より力があるという思い違いをしてしまったのだと思う。
私とも喧嘩別れしてしまったが、私が用意してあげたコネは使い続けていたらしい。
コネなんて、態度次第で、いくらでも作れるのにね。

尚、「テーブル2」の話は、夏目志郎氏の本に載っていたが、古い本で手元になく、書名は分からない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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