ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マスターの教え

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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理屈は分からないがうまくいく引き寄せの方法

引き寄せの法則の古典的な書籍の中で、最も有名なものはナポレオン・ヒルの『Think and Grow Rich』だと思う。
ところで、この本は意図的に改ざんされていると言われるが、原書からして、粗悪化というのは違うかもしれないが、肝心なことはぼやかしているという話がある。
しかし、世界的に有名な引き寄せ関連(成功哲学とか潜在意識の法則などと呼ばれるもの等を含め)の書籍は、どこか「曇らされて」書籍化されているのだと思う。
最も多く出版されている引き寄せ書であるロンダ・バーンの『ザ・シークレット』は、普通に見たって内容同士の矛盾もあり、妙な感じがしたものだった。

ところで、私が何か引き寄せの本を一冊と言うなら、ジョン・マクドナルドという正体不明の人物の著作とされる『マスターの教え(The Message of A Master)』を上げたいが、その理由が、こんなことが書かれているからだ。
「私のやり方を示すが、真似するだけでは駄目だよ」
本など読めない幼い時から、奇跡としか言えないような引き寄せを行った私にも、非常に納得出来ることだ。
どの引き寄せの本も、あるいは、『ザ・シークレット』のように、多くの「引き寄せマスター」の言葉を集約したものも、ある意味、個人の見解であり、個人の個性のフィルターがかかったもので、普遍的に確実な方法があるわけではない。
とはいえ、全く難しいことではなく、私は小学生の時(あるいはそれ以前)でも出来たが、きっと誰もが知らないうちにやっていたのだ。

その中で、私はこんな話を思い出す。
梶原一騎原作の空手漫画のどれかで、青年誌用のものだが、彼の類書は沢山あり過ぎて、どれだったか分からない。
そもそも、梶原一騎は人間的な問題があると思われ(長期拘留もされている)、作品にも批判が多いが、今も人気が高く、1987年に亡くなった彼の原作は今も書籍化、映像化され、今後もそれは続くと思われる。
嘘の中にこそ真理がある・・・というのではないが、彼の作品には、単に面白いだけでなく、何か特別なものがあるのだと思われる。
それで、彼のその空手作品の中で、大きなヤクザ組織のトップの男が登場するが、それが立派な人物で、主人公の空手家も彼を慕っていた。
その男が抗争でかなりの負傷をするのだが、すると彼は、部下達に、屋敷の庭に大きな穴を掘らせると、さらに、そこに汚物(排泄物だろうか)をいっぱいに入れさせる。
そして、男は空手家に言う。
「理屈は分からないが、経験で、この中に入ると怪我の治りが速い」
と言って、その中に飛び込む。
少々のことでは動じないその空手家も、それにはさすがにたじろぎ、心から敬愛するその男に「先生も一緒にどうかね」と言われても身がすくんでしまう。

さらにその話で思い出すのが、仙道研究家の高藤総一郎さんが、中国か台湾の話だったが、仙道が普及している場所で、怪我をしたら、その負傷箇所に汚物を張り付けるということが行われているという記述があった。これもやはり、経験的にそれでよく治るという理由で、そんなことをする者が多いのだろう。
私も、引き寄せで「理屈は分からないが、経験上、こうやればうまくいく」ということは多い・・・というか、効果がある方法は大抵そうなのだ。
本に書いてある通りやってもうまくはいかないのではと思う。
「理屈は分からないが、こうやればうまくいく」という自分のやり方を見つけた者がマスターで、それを弟子に見つけさせる者がグルなのであると思う。

さざ波の音
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「さざ波の音」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)マスターの教え(ジョン・マクドナルド。山川紘矢・山川亜希子訳)
(2)マスターの教え(ジョン・マクドナルド。関岡孝平訳)
(3)The Message of Masters(ジョン・マクドナルド。若葉椰子訳)※かなり独自訳
(4)The Message of A Master (English Edition. John McDonald)
(5)新・完訳 成功哲学(ナポレオン・ヒル)※『Think and Grow Rich』翻訳
(6)ザ・シークレット(ロンダ・バーン)

アファーメーションに関する有益な注意

今回は、アファーメーション、口ぐせ、マントラの役に立つ注意を述べようと思う。

アファーメーション、口ぐせ、マントラは短く単純なものほど、思考が起こらず、テンポが良く、楽で続き易く、結果、願いが叶う(世界を好ましく創造出来る)。
たとえば、「お金がある」「幸せだなあ」「ツイてる」などである。
社会状況を見れば、日本人の大半には「お金がない」という観念というか、偏見、洗脳が刷り込まれているので、「お金がある」と唱えれば、その観念(心の深奥の思考パターン)が書き換えられ、お金がある状態になる。
ところが、「お金がある」と唱えても、お金が出来ない人がいる。
それは、「お金が欲しい」という過度の感情と共に「お金がある」と唱える人だ。
これは別にスピリチュアルな理由ではなく、そんな人は、お金がないから「お金がある」と唱えていることになってしまい、結局、お金がないという観念が強まるのだ。
だから、「お金がある」と言う時は、感情を込めず、淡々と言わなければならない。
「幸せだなあ」も、本当に幸せを感じている場合はまだいいが、幸せになりたくて「幸せだなあ」と唱えると、現状は幸せでないという観念が強まるのだ。だから、やはり、感情を込めず「幸せだなあ」と唱えないといけない。
「ツイてる」も同様で、「ツキたい」という欲で唱えると、今はツイていないという観念が出来、やはりツカない。

アファーメーションは念力ではなく、観念の書き換えが目的なのであるから、感情はいらないし、害にすらなる。
それで、否定しようのない言葉を唱えるという、危険のない方法がある。
たとえば、藤平光一さんの「重みは下にある」がそうだ。
「生きている」という言葉も、否定出来ないだけでなく、生命を活性化させるようで、良い効果があるようだ。
ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」は究極の言葉だと言う。なぜなら、人間が唯一否定出来ないことは「私は在る」ということだけらしいからだ。
だが、これは、「私」の定義次第なのだ。
それで言えば、昨日もご紹介した「私は私」は、最も力がある言葉で、そのことを『マスターの教え』でマスター(大師)が語っているのである。
よって、本当は「私は私」だけで良いのであると思う。
※実は私は、ニサルガダッタ・マハラジの「私は在る」は、本当はマハラジは「私は私」と言ったのだと思う。つまり、翻訳の問題だ。

ただ、「お金がある」は、感情を込めずに唱えれば、やはり効果があると思う。
私が知る範囲で、やった人は皆、かなり短期間で効果があったからだ(直近の例では約2000万円を一度に)。

お星さまとの会話
AIアート599
「お星さまとの会話」
Kay


それで思うのだが、大目標は、ノートにでも一度書いて忘れてしまい、普段は短いアファーメーションやマントラを唱えるのが良い。
大目標とは「私は上場企業の経営者だ」「私はベストセラー作家だ」「私は国会議員だ」といった感じだ。
ベルベル・モーアの『その望みは宇宙が叶えてくれる』(同じ本の別翻訳が『星からの宅配便』)で、モーアが宇宙に「願いを注文」する方法は、ノートは使わないがやり方は同じで、宇宙に対して、たとえば「お城を頂戴」と頼んで、後は忘れれば叶う。
大作詞家、阿久悠さんの方法も同じで、息を吸ってイメージし、吐いて忘れれば叶う。
しかし、これらの方法を真似したら、どうしても、何度も願ってしまうが、それは、願いを叶えてくれる存在(モーアの場合は宇宙)を疑っていることを意味する。
そこにいけば、一度書いて、二度と書かなければ宇宙を信頼していることになり、叶い易いというか、普通は確実に叶う。
書いたものは二度と見ないようにするが、たまたま見てしまったとか、誰かに見られたとかは、あまり気にする必要はない。とはいえ、やはり、書いたらどこかにしまっておくと良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
・『マスターの教え』(ジョン・マクドナルド)の翻訳3種類
(1)マスターの教え(飛鳥新社。山川紘矢・山川亜希子訳)
(2)『あなたの人生をプラスの結果に導く マスターの教え』(パンローリング。関岡孝平訳)
(3)『The Message of Masters あなたの運命の主人となるために』(ボイジャー・プレス。若葉椰子訳)
・『The Cosmic Ordering Service(宇宙通販サービス)』(ベルベル・モーア)の翻訳2種類
(1)その望みは宇宙が叶えてくれる(ベルベル・モーア)
(2)星からの宅配便(ベルベル・モーア)

聖なるマントラ「私は私」真説

今回は、最も強力でありながら聖なるマントラでもある「私は私」についてお話する。
このテーマに関しては、私はかなり詳細に語れるが、それでは即実用にならないので、なるべく簡単に話す。

マーク・フィッシャーの世界的ベストセラー『成功の掟』(引き寄せ書と言って良いと思う)で、ミリオネアを名乗る億万長者の老人が、主人公の青年に教えた最も力ある言葉は、
「心を静め、自分が神であると知れ」
だった。
だが私は、これは、聖書の誤訳、あるいは、誤解であると思う。
だが、言葉自体は良いので、効果がないわけではない。
しかし、本来の言葉の力は、これとは比較にならない。

この言葉は、おそらく、聖書の詩編46にある、
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
(日本聖書協会1955年訳)
の引用と思う。
ちなみに、新日本聖書刊行会の1970年訳では、
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」
となっている。
そして、この言葉を言ったのが誰かは書かれていない。
普通には、それを言ったのは、神(主。ここではヤコブの神)だと思われているだろう。

私は、不可思議な存在から、この言葉「静まって、わたしこそ神であることを知れ」は正確には、
「私が神であると知って安心しろ」
だと教えられた。
それで、全ての疑問が解けた。
上の詩編46の言葉、
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
は、
「自分が神であると知って安心しろ」
と訳すのが正しい。

つまり、最初に戻ると、「私は私」というのは、「私は神」という意味だ。
「私=神」というのは、アマナ・マハルシの本によく出てくるが、やや曖昧な感はある。
実を言うと、私がここ(「私は私」が「私は神」という意味)に至るには、沢山の文献をあたり、瞑想(一般には黙考という)した。
このことに関し、いくらか分かり易い説明としては、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』にある。
それは、
(1)『マスターの教え』(飛鳥新社。山川紘矢・山川亜希子訳)では第12章。
(2)『あなたの人生をプラスの結果に導く マスターの教え』(パンローリング。関岡孝平訳)では第2部の第6章。
(3)『The Message of Masters あなたの運命の主人となるために』(ボイジャー・プレス。若葉椰子訳)では第12章。
に書かれている。
文章は全く難しくないが、正直、意味がさっぱり分からない人がほとんどと思う。
だが、「私は私」が「私は神」という意味だと分かれば、あっけなく分かる。

別に、意味が分からなくても、「私は私」というマントラは素晴らしい力を発揮する。
最近、私は、有名な宇宙人バシャールが、このマントラを非常に高く評価している動画を見たが、その解説は見たことがない。
多分だが、バシャールは解説しなかったのだろう。

平和な町
AIアート598
「平和な町」
Kay


そして、上の詩編46の言葉、
「自分が神であると知って安心しろ」
を自分用にアレンジした、
「私が神であると知って安心する」
が、最も安らぎを得られる言葉であると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)マスターの教え(飛鳥新社。山川紘矢・山川亜希子訳)
(2)『あなたの人生をプラスの結果に導く マスターの教え』(パンローリング。関岡孝平訳)
(3)『The Message of Masters あなたの運命の主人となるために』(ボイジャー・プレス。若葉椰子訳)
(4)口語訳 旧約聖書(日本聖書協会1955年訳)
(5)旧約聖書 新改訳(新日本聖書刊行会1970年訳)
(6)新装版 成功の掟(マーク・フィッシャー)

『老子』第35章を一言で言えば「透明な魅力」

今回は『老子』第35章 である。
この章を一言で言えば「透明な魅力」である。

『マスターの教え』で、マスターは、自分が教えたを授けた人達に言う。
「この実習を続けていると、なぜか人々はあなたに魅せられるようになる」
この『老子』第35章では、真の自分に目覚めた者が、同じような状態になることが書かれている。

誰かがラマナ・マハルシに尋ねた。
「世界平和のために、あなたが出来ることは何ですか?」
マハルシは答えた。
「真我の実現です」
真我の実現とは、真の自分になる(本当は「戻る」ことだが)ことである。
そして、何もせず、ほとんど何も言わないマハルシの所に世界中から人々が訪れ、それは、マハルシの死後も変わらない。
それが、マハルシが真我を実現していた・・・真の自分であった証拠である。

つまり、こうである。
『エイリアンインタビュー』で、その存在が明かされた悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配から逃れ、本当の自分に戻った者に対し、たとえ、その装置に支配され操られていても、人々は、その「真人」に惹かれるのである。
そして、ラマナ・マハルシが唯一やれといったことが、「私は誰か?」と自分に問うことである。
マハルシは「他に手はない」とも言ったといわれる。
「私は誰か?」
『エイリアンインタビュー』で、宇宙人エアルはこう言ったとある。
「IS-BE(我々の魂)を言葉で表すために人間が持っている最も近い概念は、神である:全知万能であり無限である」
だが、我々は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置によって、それを忘れている。
だから、神のようではなく、地を這う虫のような状態にある。
しかし、完全に忘れているわけではなく、「私は誰か?」と問い続ければ、思い出すことが出来る。
多くの時間を注げば注ぐほど早く思い出せる。
つまらないことをして浪費している時間を、それに向ければ良いだけである。








親切な人達に囲まれるには

「正直者は馬鹿を見る」と言うが、これには、「親切な者が馬鹿を見る」という意味合いがある。
つまり、困っている人がいた時、親切な者だけが、その困っている者を助け、労力を費やし、さらに、自分の持っているものを与えることになってしまう。
アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』(1844)のように、「一人は皆のために、皆は一人のために」ということが実行されさえすれば、人間社会は平和で皆が幸福なのに、ほとんどの者は、それが出来ない。
自分が困っている時、皆が寄ってたかって助けてくれると分かっているなら、たとえそれで助からないとしても、心穏やかで幸福であろう。

著者不明の(一応、ジョン・マクドナルド著となっている)『マスターの教え』では、マスターと呼ばれる卓越した人物の周囲には、マスターを助けようと手ぐすね引いて待ち構えている親切な人達が大勢いることが書かれている。
マスターに親切なのは、マスターを知っている人だけではない。
マスターが初めて入る店でも、マスターが伝票にサインをするだけで、店の者は支払いが為されたものと納得する。
別に、マスターの周囲の者達が、「この人は大金持ちですから」とか「信頼出来る人ですから」などと言う必要もない。
もっとも、今の時代では、「決まりですから」と、規定の支払い方法でないと駄目なのだろうが。

では、どうすればマスターのようになれるのかというと、簡単な訓練を熱心にやれば良い。
マスター自身、「訓練すれば、なぜか人々はあなたに惹きつけられ、あなたを丁重に扱う」と言う。
そして、訓練して得た力を使えば、不可能はない。
ただ、マスターは言う。
「あなたは、あなたのやり方でやりなさい。マスターは人真似をしない。人真似をしたがる者はマスターになれない」
『マスターの教え』は多くの人が読んでいるが、そんな人達がうまくいかない理由はこれである。
皆、「実証済み」という言葉に弱く、そう言われていることだけをやりたがる。これを人真似と言うのだ。
宣伝でよく使われる「まだやってないの?」「さあ(あなたもこの車に)乗ろう」などという位、下らない言葉はない。
それで動くのは、人間ではなくロボットか奴隷である。
ロボット同士が親切にすることはない。
現代は、ロボットのような人間ばかりである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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