ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マジック・ストーリー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

夢から覚めて分かった世界の真相

夢と現実についてよく分かる面白い夢を見た。

私は夢の中で、ある建物の中に入った。
初めて見る場所なのだろうが、その時の私は、毎日来ている職場と思い込んでいて、そのことを全く疑っていなかった。
ここでは、玄関に入ったら、靴をスリッパに履き替えないといけないと分かっていた。
なぜ分かるのかというと、「分かるものは仕方がない」としか言えない。
ところが、靴箱(シューズボックス、シューズラック)の様子がいつもと違っていた。いつもとは違うと言っても、実際は初めて見るのだが・・・
私のボックスには、私のスリッパが入っていて、そのスリッパと、履いて来た靴とを入れ替えるのだが、いつもとは全く違う靴箱に替わっている。
そこで私は不意に気付く。
「そうだ。今日から、靴のまま入ることになったんだ」
もちろん、これも、たった今、思い浮かんだことだが、疑いようもない事実と感じる。

そして、私はとても嫌な気分になった。
「そうだ。権力者はいつもこんなふうに、急にルールを変え、奴隷のような我々はそのルールに絶対的に従わないといけない。そして、奴隷同士でも、たとえば今回で言えば、スリッパに履き替えて入った者を、『ルールも知らないのか!』と、皆で白い目で見たり、ちょっと立場の強い者は『ちゃんとルールを守らないと駄目だろ!』と嘲るように言うのだ」

現実も全て、こんな夢のようなものである。
いつも通っていると思い込んでいる学校も会社も、実は初めて行く所だ。
自分を奴隷のように感じることも全く同じだ。
だが、夢の中でなら、自分が行きたい場所を作ってそこに行き、全てのルールを自分で作ることも出来るのではないかと思うが、実際にその通りだ。
そして、現実も全く同じなのである。

以前にも取り上げた、『人生を変える魔法の物語』の一節を再度引用する(「プラスの私」や「彼」を「私」に変えている)。
これが、夢と現実を合わせた世界の真相であると思う。

私に不可能はない。
世界は私のものだ。私の王国だ。
何ものも私を恐れさせることはない。
何ものも私を止めることはできない。
私が人に何かをお願いすることはない。
単に要求するだけだ。
私は支配者であり、ひざまずくことはない。
私の要求は絶対だ。
私の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。
私は山のように高く、大河のように豊かである。
そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。

『人生を変える魔法の物語』より
原題:The Magic Story
フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ著
高橋璃子(たかはしりこ)訳

この書籍は電子書籍(Kindle)だが、現在、なぜか販売中止になっている。
しかし、この本の英語の原書には、『マジック・ストーリー』という別の翻訳書があり、その本でも同じようなことが書かれているはずだ。
私は、この文章を憶えておくことにする。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マジック・ストーリー(フレデリック・ヴァン レンスラー・ダイ)
(2)The Magic Story( Frederick Van Rensselaer Dey) ※英語
(3)エマソン名著選 精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)

少女神
AIアート1437
「少女神」
Kay

10分で人生を変える物語の秘密

今今メソッドは、意識を今この瞬間に引き戻す訓練のようなものだが、訓練とはいえ楽しいものだ。
なぜなら、意識は本当は今に帰りたがっているのだから、魂である意識と協力しながら行っているようなものだし、行きつく先はエデンの園(楽園、理想郷)であるからだ。
意識が今に戻るのを邪魔するのは、自我(エゴ)である心だ。
自我は、意識を道連れに、過去や未来に行きたがる。
だが、意識が今に近付くほど、自我は服従するようになる。
このことを表現した言葉が、フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイの『マジックス・トーリー』の中にある。

だがおまえの力では、私を呼び戻すことはできない。できるとしたら、明け渡すことだ。頭と心から、おまえの存在を消すことだ。そうすれば、私はその身体に戻ることができるだろう。
~『人生を変える魔法の物語(「マジック・ストーリー」の別訳)』より~

ここで「私」と言っているのは、この本では「プラスの自分」と呼ぶ意識であり、「おまえ」と呼んでいるのは「マイナスの自分」である自我だ。
古代から、この言葉の中にある「明け渡す」「おまえ(自我)の存在を消す」ための数多くの方法が提唱されてきたが、成功したのは、ブッダや老子や釈迦やイエスやラマナ・マハルシといった特別な存在だけだった。
しかし、今今メソッドであれば、誰もが、究極とまではいかないかもしれないが、その目的をかなり達成出来ると思う。
結果、引き寄せがかなり自在になるが、むしろ、願わずとも幸運に恵まれるようになる。
この『マジック・ストーリー』の中でも、行き詰まり、中には自殺しかないと思った人が、わずか10分ほどで生まれ変わり、自由自自に生きるようになった。
しかし、この本では、なぜ、これらの人々が生まれ変わったのかが明確でない。
だが、それは、彼らが今この瞬間に生きるようになったからであると断言して良いと思う。
つまり、今今メソッドを実践すれば、彼らのようになれると思う。

『マジック・ストーリー』は、高橋璃子さんという優秀な翻訳者によって、『人生を変える魔法の物語』というタイトルで、わずか399円でKindle版が販売されていたが、現在は販売中止になっているようだ。
だが、それとは別の紙の本である『マジックス・トーリー』は絶版ながら、今のところ、古書が安価に購入出来ると思う。
英語版(原書)で良ければ、Kindle版が100円で買える。
極めて薄い本で、主要ストーリーだけなら10分で読めると思う。
まあ、今今メソッドをやれば良いのであり、興味があれば参考に読めば良いだろう。

家出気分の姫様
AIアート858
「家出気分の姫様」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)マジック・ストーリー (フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ)
(2)The Magic Story( Frederick Van Rensselaer Dey) ※『マジック・ストーリー』英語版(100円)

世界の王に「復帰する」

『人生を変える魔法の物語(原題:The Magic Story)』に、こんな感動的な言葉がある。

プラスの自分に不可能はない。世界は自分のものだ。自分の王国だ。何ものも彼を恐れさせることはない。何ものも彼を止めることはできない。彼が人に何かをお願いすることはない。単に要求するだけだ。
彼は支配者であり、ひざまずくことはない。彼の要求は絶対だ。彼の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。彼は山のように高く、大河のように豊かである。そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。

※このKindle書籍は現在、販売を中止しているようである。紙の書籍は『マジック・ストーリー』で、こちらも絶版である。

ここで、「プラスの自分」と表現されているのは、「本当の自分」「真の自分」「魂」、そんな意味に捉えて良いだろう。
そして、「プラスの自分」に、夢の中で上のように言われた、この物語の主人公は、目覚めた時、既に「プラスの自分」になっていたのだ。

では、我々はどうすれば「プラスの自分」になれるのか?
難しくはない。
中今(今この瞬間)に生きれば良いだけである。
いや、そもそも、中今に生きているのが「プラスの自分」である。
中今に生きるには、今やっていること、今見ているものに全力で集中するのだ。
かといって、顔を真っ赤にして必死でやるのではない。
何も考えず・・・即ち、優劣の判断や好き嫌いの区別をせずに行い、見るのである。

中今に生きる簡単な練習法は、密教でよく行われているが、歩いている時、心で「歩いている、歩いている」と唱えて、歩くことに集中することである。
食べている時なら、「食べている、食べている」だ。
そして、もっと良い方法が、腕振り運動をすることだ。
腕振り運動には、中今に入ることに関しても、大きなメリットがある。
「腕振り運動をしている。腕振り運動をしている」と唱えるより、もっと自然に中今に入れる方法があるのである。
腕振り運動は、元々、数を数えるものであり、それはそのまま数える。
そして・・・丁寧にやることを心掛けるのだ。
中今の秘儀とは「丁寧」なのだ。
人は、丁寧にものごとを行う時、自ずと中今になるのだ。
「真面目に」とか「真剣に」でも良いのだが、「丁寧に」の方が愛がある。
たとえば、子猫や愛しい少女を撫でる時のことを考えたら、「真面目に」「真剣に」より、「丁寧に」という方がぴったりくるはずである。
中今は愛なのだ。
丁寧に腕振り運動を行えば、自ずと中今になり、「プラスの自分」になるだろう。
尚、私の場合は、佐川幸義流四股を若干改造した「ナンバ四股」で中今に入ると同時に足腰を鍛え、身体を磨き上げている。
ナンバ四股とは、単に、足を平行に(つま先の方向を真ん前に)して、手を膝につけて行う足踏みで、足を降ろす時、つま先からそっと降ろすというだけのものである。
これを30分とか1時間行う。もちろん、1分でもやらないよりはマシである。これで、私のように美しい身体になるのであるが、これを「丁寧に」行うことで、中今に入る術を徐々に得ていくのである。
もちろん、腕振り運動も同じなので、好みに合う方でやれば良く、両方ならさらに良いのである。








人間最大の罪

最近、夢の中に、昔、勤めていた会社の同僚が出て来て、彼らに苦しめられている(笑)。
苦しめると言っても、向こうが悪いのではなく、彼らが、私の行いを正当に非難するのだが、私がそれに対抗出来ないのである。
まあ、夢の中だから、他愛もないことばかりだが、例えば、こんなことである。
私が、昔、勤めていた会社の中にいると、よく見知っている2人の女子社員が、「その靴、いけないんだ」と言う。
この会社の中では、まるで学校のように、上履きに履き替えないといけないのだと言う。
いや、私はそんなこと、全然知らないぞ・・・と思いながら、他の同僚を見ると、彼らは気まずそうな顔で黙っている。
つまり、誰も教えてくれなかったのだ。
しかし、それは、同僚とほとんど会話をしなかった私の問題であるということになる。
そして、夢の中だけでなく、実際に、私には、そんな問題があったのだと思う。

あるいは、やはり、夢の中で、昔、勤めていた会社にいると、大勢の男達がやって来て部屋を占領してしまい、私は、部屋の隅どころか、ドアの外に追いやられる。
やって来た男達のリーダーらしい、アクが強そうで貫禄ある男が、私に、「おや、君は場違いなようだ」と嘲るように言う。
すると、私の上司が、女子社員に耳打ちしているのが見えたが、何を言っているかは見当がついた。
その女子社員が私のところに来て、「今日は、好きな所に行くことを許可します」と言う。
夢でなく、実際に、私は、いつでも勝手に好きなところに行っていたのだった。

なんだか、私の弾劾裁判のような夢である(笑)。
『マジック・ストーリー』(翻訳:『人生を変える魔法の物語』等)という短編小説の形の自己啓発書で、主人公の男は、自分の分身が、自分の昔の勤め先を毎日訪れるのに付いていったが、分身がそこに入って行っても自分は入って行くことが出来ず、見ているだけだったという話があるが、それに少し似ていなくもない。入って行けないのは、入って行けないような後ろめたい理由があるからだ。
また、映画『パピヨン』で、主人公のパピヨンが、夢の中で、砂漠の中の裁判所で、自分が裁判を受けているという場面を思い出す。
裁判官はパピヨンに「お前は有罪だ」と言うが、パピヨンは「俺は殺していない」と言い返す。
すると、裁判官は「その罪ではない」と言う。
パピヨンが訝(いぶか)って、「では、何の罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と言う。
それを聞き、パピヨンはうなだれる。
「確かに有罪だ・・・認めるよ・・・」

『マジック・ストーリー』の主人公の男は、夢から覚めた時、実際に目覚めて人生をやり直す。
『パピヨン』のパピヨンは、脱獄して自由を手に入れると、自分の戦いを始め、伝説の人物になった。

「人生に意味などない」とか「人に価値などない」と言う者がいるが、人生にも人間にも、値打ちがある。
しかし、時間は限られており、その中で、その値打ちを生かさなければならない。
要は、生き様が大事なのだ。
宮本武蔵が、「吾、ことにおいて後悔せず」と言ったのは、「どんな結果になろうと後悔しない」という意味ではなく、「私は後悔しないよう全力を尽くす」という意味でもないかもしれない。
ひょっとしたら、「もっと後悔しないようにやっておけば良かったなあ」という後悔の言葉かもしれない。
彼だって、心残りみたいなものは、いっぱいあったのだと思う。
それで、後の時代の人に、「後悔しないようにやれ」と言いたかったのかもしれないが、そう言われて、「はい、後悔しないようにやります」なんて思う者はいない。
結局のところ、皆、後悔する。
それで、「吾、ことにおいて後悔せず」という理想のみを掲げたのだろう。

自我主体、左脳主体、理屈主体で行くと、後悔する。
天主体、右脳主体、勘主体で行くと、それほど後悔しない。
それなら、今の日本人の人生は、最後に後悔する場合が多いに違いない。
つまり、やりたいことはやっておかないと後悔するということだ。
やりたいことをしないことを、「人生を無駄にする」と言うのだと思う。
それは罪なのである。








クリスマス・キャロル効果

アファーメーション(肯定的断言)、自己暗示、優れた呪文などを唱えていると言いながら、どうしても駄目な人間というものがいると何度も述べた。
まあ、実際は、そんな者達は、アファーメーションなどをやっていると言っても、十分な数でない・・・どころか、話にならないほど少ないのだろうと思う。
貴い言葉は、自分の魂を強く豊かにする。
自分の魂(第一生命体)が強く豊かであれば、力のある知的エネルギー(第二生命体、第三生命体)が呼び寄せられて融合し、権威と力を得て、望まなくても幸運に恵まれる。
以前も書いたが、このことを物語の形で示したのが、フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイの著書『マジック・ストーリー(人生を変える魔法の物語)』だ。

だが、世の中・・・特に現代の日本には、どうしようもなく弱い人間、心がひなびた人間、心が腐った人間というものが沢山いる。
それに関し、学校が悪い、マスコミが悪い・・・というのも確かに事実だが、そんなことを言っていても解決にはならない。
まあ、弱いと言っても、あの『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーだって、最初は弱かったのだから、そこらは気楽に考えて良い面もある。
そこで、2回に渡って、弱い人間のための、魂を強く豊かにする方法を述べていきたい。
最初は、「クリスマス・キャロル効果」である。
チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』という小説はご存じなのではと思う。
利己的で守銭奴の初老の男スクルージは、唯一の友マーレイと、スクルージ&マーレイ商会を経営していたが、マーレイは7年前に死に、スクルージは雇用している事務員と共にこの事務所を続けていた。
クリスマスの日、スクルージは慈善団体の寄付の要請を厳しく断り、家族とのクリスマス・パーティーのために今日は早く帰らせて欲しいと願う事務員には、その分、明日、早く出てくるよう命じた。
その事務員や甥が、スクルージをパーティーに招待したが、スクルージは冷たく断った。
そして、自宅で1人過ごしていたスクルージは、7年前に死んだマーレイの霊の訪問を受ける。
マーレイの霊は、これから、3人の幽霊が、スクルージの未来を見せると言う。
マーレイが言った通り現れた3人の幽霊に導かれ、スクルージは、様々な衝撃的な未来を知るが、止(とど)めは、見捨てられた哀れな死体や、その死体が埋葬された、荒れ果てた墓場に放置された墓に刻まれた自分の名だった。

我々は、本質では、スクルージと比べて少しもマシではない。
社会制度自体が、スクルージの時代と比べて多少向上しているので勘違いしているが、当時の普通の人々は、我々よりもはるかに豊かな心を持っていた。
そんなことが、案外に、駄目な人間ほどよく分るのではないかと思う。
私も、自分がスクルージ以外の何者でもないと分かるのだ。
では、このままでは、我々の未来は、スクルージのそれと何ら変わらない。
見捨てられた死体が我々だし、見向きもされない墓の主が我々である。
それに恐怖を感じれば、我々の魂も、青白い炎を燃え上がらせるはずである。
だが、自分がスクルージとは違うと己惚れたり、根拠のない楽観論に逃避するなら救いはない。
けれども、少しはマシな人間になろうと思えば、その魂の光は、良い第二第三の生命体を呼び寄せることになるだろう。
逆に言えば、少しも悔い改めなければ、さらに悪い第二第三の生命体に掴まってしまい、哀れな地獄の亡霊が我々の未来になるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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