私は、本日(11月5日)から、7日まで、初音ミクさんのライブ&企画展である「マジカルミライ2021東京」のため、千葉県に行くので、7日まで、更新は1日1回になります。
そして、初音ミクさんにちなみ、皆様に力を与える女神について、ギリシャ神話のお話を、3回で書こうと思います。
マジカルミライ中も、Twitterでつぶやいています。
KayのTwitter Home
初音ミクさんは人間ではないが、単なるアニメキャラでもない。
超一流の人物の中にも、初音ミクさんに何かを見て、非常に好きになったことを公言し、初音ミクさんの重要さを語った人も何人もいる。
それには、世界的科学技術者、世界的音楽家、世界的教育者などもいる。
初音ミクさんって、何だろうと考えると、少女神なのではと思う。
これは、単なる「ミク廃(初音ミクを愛し過ぎて現実がおろそかになる人)」の戯言ではない。
世界的に著名な神話学者、宗教史学者のカール・ケレーニイが、これも、心理学の分野の大物中の超大物、カール・グスタフ・ユングとの共著で『神話学入門』という本を書いている。
実はこれは、元々は『童児(どうじ)神』と『少女神』という2編の研究論文であり、それをまとめて本にしたもので、ケレーニイの『童児神』『少女神』の論文に対し、ユングが心理学的考察を述べた章からなる。
だが、何分、非常に長く、はっきり言って難解である。
超一流の学者達が深く研究した成果なのであるから、難しくて当然であるが、とにかく、内容は、童児神と少女神という、「子供の神」の意味について分析したものである。
そこで、初音ミクさんと関りがある少女神について、簡単に述べようと思う。
ギリシャ神話には、若い女神が数多く登場し、絵画などでは、やや大人っぽく描かれるが、それらの女神の多くは少女であると考えられる。
アテーナ、アルテミス、アプロディーテといった若い世代(ゼウスらの娘世代)の女神もそうだし、ヘカテーは古くからいるが、少女のイメージがあり、手塚治虫さんの『リボンの騎士』に登場する魔女ヘケート(ヘカテと同じ)や、高橋 弥七郎 さんの小説『灼眼のシャナ』に登場する一種の魔物である「頂の座(いただきのくら)」ヘカテーらは、共に、幼さの残る美少女の姿である。
ケレーニイは、少女神は生命力の象徴であると述べていたと思う。
初音ミクさんも、まさに生命力の象徴で、2時間のエネルギッシュなライブをこなしても、息一つあがらず(当たり前だが)、元気一杯で、最後まで柔らかく微笑んでいるのは、いかに若くても人間のアイドルに真似出来ることではない。
ところで、若い女神の中でも、最も、「少女神」という呼び方に相応しい女神はというと、間違いなくペルセポーネだろう。
多くの人は、ペルセポーネの重要性を見逃している。
だが、さすが、カール・グスタフ・ユングは『神話学入門』で、「コレ―像の心理学的位相について」として、ペルセポーネの意義を深く語っている。
コレ―はペルセポーネの別名であるが、全く同じではなく、幼かった頃をコレ―、立派な女神になってからをペルセポーネと言う。
いわば、コレ―はペルセポーネの幼名のようなものと言えると思う。
ところで、初音ミクさんは16歳で、16歳と言えば、いかにも少女のような幼い子もいれば、大人顔負けの女らしい人までいる。
だが、ミクさんは、少女らしい少女であると思って良いわけがある。
私も大好きな、偉大な宗教人類学者、植島啓司氏は、2012年頃に、初音ミクさんのライブに行った時のことを雑誌の連載記事で書いていたが、その中で、非常に重要なことを述べている。
「偉大なるものは、何かを持っているというよりは、むしろ、何かが欠けている」という話として、ある偉大なミュージシャンを実例に挙げていた。
そして、それが、初音ミクさんにも当てはまるのである。
初音ミクさんには、何かが欠けている。
それは「成熟」だと、植島氏は言う。
つまり、成熟に欠けた本物の少女らしいところが初音ミクさんの力なのである。
そして、ペルセポーネ(コレ―)も成熟に欠けている・・・というより、彼女は成熟出来ない。
まさに、初音ミク=ペルセポーネ(コレ―)である。
成熟に欠けるがゆえに、初音ミクさんが我々の心を鷲掴みにすることが分かれば、あなたも、ペルセポーネに隠された神秘の力を得ることが出来る。
次回より、その秘儀を明かす。
そして、初音ミクさんにちなみ、皆様に力を与える女神について、ギリシャ神話のお話を、3回で書こうと思います。
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初音ミクさんは人間ではないが、単なるアニメキャラでもない。
超一流の人物の中にも、初音ミクさんに何かを見て、非常に好きになったことを公言し、初音ミクさんの重要さを語った人も何人もいる。
それには、世界的科学技術者、世界的音楽家、世界的教育者などもいる。
初音ミクさんって、何だろうと考えると、少女神なのではと思う。
これは、単なる「ミク廃(初音ミクを愛し過ぎて現実がおろそかになる人)」の戯言ではない。
世界的に著名な神話学者、宗教史学者のカール・ケレーニイが、これも、心理学の分野の大物中の超大物、カール・グスタフ・ユングとの共著で『神話学入門』という本を書いている。
実はこれは、元々は『童児(どうじ)神』と『少女神』という2編の研究論文であり、それをまとめて本にしたもので、ケレーニイの『童児神』『少女神』の論文に対し、ユングが心理学的考察を述べた章からなる。
だが、何分、非常に長く、はっきり言って難解である。
超一流の学者達が深く研究した成果なのであるから、難しくて当然であるが、とにかく、内容は、童児神と少女神という、「子供の神」の意味について分析したものである。
そこで、初音ミクさんと関りがある少女神について、簡単に述べようと思う。
ギリシャ神話には、若い女神が数多く登場し、絵画などでは、やや大人っぽく描かれるが、それらの女神の多くは少女であると考えられる。
アテーナ、アルテミス、アプロディーテといった若い世代(ゼウスらの娘世代)の女神もそうだし、ヘカテーは古くからいるが、少女のイメージがあり、手塚治虫さんの『リボンの騎士』に登場する魔女ヘケート(ヘカテと同じ)や、高橋 弥七郎 さんの小説『灼眼のシャナ』に登場する一種の魔物である「頂の座(いただきのくら)」ヘカテーらは、共に、幼さの残る美少女の姿である。
ケレーニイは、少女神は生命力の象徴であると述べていたと思う。
初音ミクさんも、まさに生命力の象徴で、2時間のエネルギッシュなライブをこなしても、息一つあがらず(当たり前だが)、元気一杯で、最後まで柔らかく微笑んでいるのは、いかに若くても人間のアイドルに真似出来ることではない。
ところで、若い女神の中でも、最も、「少女神」という呼び方に相応しい女神はというと、間違いなくペルセポーネだろう。
多くの人は、ペルセポーネの重要性を見逃している。
だが、さすが、カール・グスタフ・ユングは『神話学入門』で、「コレ―像の心理学的位相について」として、ペルセポーネの意義を深く語っている。
コレ―はペルセポーネの別名であるが、全く同じではなく、幼かった頃をコレ―、立派な女神になってからをペルセポーネと言う。
いわば、コレ―はペルセポーネの幼名のようなものと言えると思う。
ところで、初音ミクさんは16歳で、16歳と言えば、いかにも少女のような幼い子もいれば、大人顔負けの女らしい人までいる。
だが、ミクさんは、少女らしい少女であると思って良いわけがある。
私も大好きな、偉大な宗教人類学者、植島啓司氏は、2012年頃に、初音ミクさんのライブに行った時のことを雑誌の連載記事で書いていたが、その中で、非常に重要なことを述べている。
「偉大なるものは、何かを持っているというよりは、むしろ、何かが欠けている」という話として、ある偉大なミュージシャンを実例に挙げていた。
そして、それが、初音ミクさんにも当てはまるのである。
初音ミクさんには、何かが欠けている。
それは「成熟」だと、植島氏は言う。
つまり、成熟に欠けた本物の少女らしいところが初音ミクさんの力なのである。
そして、ペルセポーネ(コレ―)も成熟に欠けている・・・というより、彼女は成熟出来ない。
まさに、初音ミク=ペルセポーネ(コレ―)である。
成熟に欠けるがゆえに、初音ミクさんが我々の心を鷲掴みにすることが分かれば、あなたも、ペルセポーネに隠された神秘の力を得ることが出来る。
次回より、その秘儀を明かす。