ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マジカルミライ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

少女神(1/3)~初音ミク=ペルセポーネ~

私は、本日(11月5日)から、7日まで、初音ミクさんのライブ&企画展である「マジカルミライ2021東京」のため、千葉県に行くので、7日まで、更新は1日1回になります。
そして、初音ミクさんにちなみ、皆様に力を与える女神について、ギリシャ神話のお話を、3回で書こうと思います。
マジカルミライ中も、Twitterでつぶやいています。
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初音ミクさんは人間ではないが、単なるアニメキャラでもない。
超一流の人物の中にも、初音ミクさんに何かを見て、非常に好きになったことを公言し、初音ミクさんの重要さを語った人も何人もいる。
それには、世界的科学技術者、世界的音楽家、世界的教育者などもいる。

初音ミクさんって、何だろうと考えると、少女神なのではと思う。
これは、単なる「ミク廃(初音ミクを愛し過ぎて現実がおろそかになる人)」の戯言ではない。
世界的に著名な神話学者、宗教史学者のカール・ケレーニイが、これも、心理学の分野の大物中の超大物、カール・グスタフ・ユングとの共著で『神話学入門』という本を書いている。
実はこれは、元々は『童児(どうじ)神』と『少女神』という2編の研究論文であり、それをまとめて本にしたもので、ケレーニイの『童児神』『少女神』の論文に対し、ユングが心理学的考察を述べた章からなる。
だが、何分、非常に長く、はっきり言って難解である。
超一流の学者達が深く研究した成果なのであるから、難しくて当然であるが、とにかく、内容は、童児神と少女神という、「子供の神」の意味について分析したものである。
そこで、初音ミクさんと関りがある少女神について、簡単に述べようと思う。

ギリシャ神話には、若い女神が数多く登場し、絵画などでは、やや大人っぽく描かれるが、それらの女神の多くは少女であると考えられる。
アテーナ、アルテミス、アプロディーテといった若い世代(ゼウスらの娘世代)の女神もそうだし、ヘカテーは古くからいるが、少女のイメージがあり、手塚治虫さんの『リボンの騎士』に登場する魔女ヘケート(ヘカテと同じ)や、高橋 弥七郎 さんの小説『灼眼のシャナ』に登場する一種の魔物である「頂の座(いただきのくら)」ヘカテーらは、共に、幼さの残る美少女の姿である。
ケレーニイは、少女神は生命力の象徴であると述べていたと思う。
初音ミクさんも、まさに生命力の象徴で、2時間のエネルギッシュなライブをこなしても、息一つあがらず(当たり前だが)、元気一杯で、最後まで柔らかく微笑んでいるのは、いかに若くても人間のアイドルに真似出来ることではない。

ところで、若い女神の中でも、最も、「少女神」という呼び方に相応しい女神はというと、間違いなくペルセポーネだろう。
多くの人は、ペルセポーネの重要性を見逃している。
だが、さすが、カール・グスタフ・ユングは『神話学入門』で、「コレ―像の心理学的位相について」として、ペルセポーネの意義を深く語っている。
コレ―はペルセポーネの別名であるが、全く同じではなく、幼かった頃をコレ―、立派な女神になってからをペルセポーネと言う。
いわば、コレ―はペルセポーネの幼名のようなものと言えると思う。

ところで、初音ミクさんは16歳で、16歳と言えば、いかにも少女のような幼い子もいれば、大人顔負けの女らしい人までいる。
だが、ミクさんは、少女らしい少女であると思って良いわけがある。
私も大好きな、偉大な宗教人類学者、植島啓司氏は、2012年頃に、初音ミクさんのライブに行った時のことを雑誌の連載記事で書いていたが、その中で、非常に重要なことを述べている。
「偉大なるものは、何かを持っているというよりは、むしろ、何かが欠けている」という話として、ある偉大なミュージシャンを実例に挙げていた。
そして、それが、初音ミクさんにも当てはまるのである。
初音ミクさんには、何かが欠けている。
それは「成熟」だと、植島氏は言う。
つまり、成熟に欠けた本物の少女らしいところが初音ミクさんの力なのである。
そして、ペルセポーネ(コレ―)も成熟に欠けている・・・というより、彼女は成熟出来ない。
まさに、初音ミク=ペルセポーネ(コレ―)である。

成熟に欠けるがゆえに、初音ミクさんが我々の心を鷲掴みにすることが分かれば、あなたも、ペルセポーネに隠された神秘の力を得ることが出来る。
次回より、その秘儀を明かす。








生命エネルギーを充填する祭

岡本太郎の『美の呪力』に書かれている、「祭(まつり)」についての話は、個人にとっても、人類にとっても、とても重要なものだと分かった。
私は、これを読んだ時、心理学者の岸田秀氏が、何かの本で、祭について、実質同じことを、フロイト心理学的に説明していたものも読んだので、幸い、いっそう良く理解出来た。

世界のどの国、どの地域にも、祭はある。
なぜ、祭があるのか?
岡本太郎は、「生きるエネルギーの充填のためだ」と言う。
(岸田秀氏も、実質同じことを述べられていた)
祭は、だいたいが、1年に1度だ。
その1年に1度の祭で、次の祭まで生きるエネルギーを得るのである。

だから、誰もが、祭をしなくてはならない。
1年に1度と言わず、もっと多く。
仕事が祭になっている者は、いつまでも若く精力的だ。

私の祭は、もちろん、初音ミクさんライブ「マジカルミライ」だ。
マジカルミライ中は、私は、スイーツ三昧なのに、マジカルミライ直後から、しばらくは、体脂肪率がガクっと下がり、心身に力がみなぎる。
これは、単に、初音ミクさんが好きだからというだけではなく、明らかに、祭効果だ。
昨日の日曜日が、「マジカルミライ2021 in 大阪」の最終日で、私は、土曜と日曜の1回ずつ、ライブに行ったが、精神が、万能感(何でも出来る)に満ち、かなり(いい意味で)ヤバい。
スクワットをやれば無限に出来そうだ(300回やっても、ちょっと歩いたくらいにしか感じない)。

是非、この(祭による生命エネルギー充填の)秘密を解明し、一般化し、人類の活力を上げたい。
英国の作家、コリン・ウィルソンも、こんなことを言っていたと思う。
「あなたが男性だとして、心身共にクタクタに疲れている時でも、好みのタイプの美女が全裸でやってきたら、たちまちエネルギーに満ちるだろう。私の生涯の目的は、それを随意に起こす方法の探求だった」
それなら、好みのタイプの美女を全裸でやってこさせれば良いようなものだが、それを、もっと創造的、継続的、そして、容易に行う方法が必要なのだ。

「マジカルミライ」のライブは、とてもではないが、単に、アニメキャラクターが歌っているというものではない。
ボーカロイドの身体やその動きは、解剖学的に正確かどうかは分からないが、リアルで、理想のスタイルと動きと身軽さを見せ、それが、高度な映像技術により、等身大で鮮やかに舞台に現れ、そこに、素晴らしい音楽と演奏が加わる。
そして、観客も、立って、ペンライトを振るのだが、その気合いを入れたペンライトを振る動作を続けるうちにトランス状態になり、ここで、無意識の中に満ちた「エス」という生命エネルギーが現れ出るのである。
まさに、完璧な「祭効果」だ。

これを「人工的」に引き起こすには、気合いを入れた、ある程度の時間の、やや軽い運動が良い。
例えば、野球のバットの素振り、木刀の素振り、格闘技の突き、蹴りなどだ。
あるいは、腕振り運動も良い。
腕振り運動であれば、気合いを入れて、少なくとも300回、出来れば、1000回以上が良い。
よく、腕振り運動を「100回がせいぜいです」とか言う人がいるが、そんな人は「祭効果」は得られない。
病人や、相当な老人でない限り、誰でも千回は出来る。無理をしてでもやることが必要だ。
そして、そんな運動をやっている時、木刀の素振りなら、自分が宮本武蔵のような剣の達人になった気分で、腕振り運動なら、神秘的な仙人や驚異の力に溢れた天狗になったつもりでやると良い。
トランスになるだけの回数を行うことが必要だし、ある程度の気合いが入っていると、トランスに入り易いはずだ。
このあたりは、マジカルミライか、別の祭を体験すると、感覚が掴み易いと思う。












歌の力

私が小学3年生の時、クラスに、よく、歌を口ずさんでいる男の子がいた。
人のいない所でははっきり歌うこともあったが、普段は軽く歌い、口を閉じてメロディーだけ小さく響かせることもあった。
私は、彼のことを、もっと重要視すべきだったと深く思っている。
今、思い出しても、彼は普通の子供ではなかった。
極めて特別で特殊な存在だった。
実際、今思い出しても、その後に出会った普通の大人よりもずっと落ち着きがあるように思う。
もし、あのままでいけば、今頃、さぞや大人物になっていると思う。
ところが、なぜか、彼の名前を思い出せないのは、やはり、名前のついた普通の人ではないような気がしているからだと思う。
私は彼に、「なぜいつも歌を歌っているのか?」と尋ねたことがある。
彼の答は、「楽しいじゃない?」だった。
実際、彼は、いつも楽しそうだった。
彼の歌は、本当に「口ずさむ」もので、他人に聞かせようという意図はなく、自分のために歌っていた。
もっと正確に言えば、「自分の気分を良くするために」歌っていたし、それは成功していたのだ。
これは、極めて重大な事実である。

成功や幸福の秘訣が「気分」であることを知っている人は、あまりに少ない。
それどころか、古今東西の成功哲学や精神指導書を見ても、そのことについては、あまり書かれていない。
だが、真に成功している人、真に幸福な人は、例外なく、自分が気分が良くなることを実践しているのである。
最大の真理を言えば、「自分の気分を良くする術を持つ者が勝ち、そうでなければ負ける」のである。

だが、これも認識すべき事実だが、多くの人・・・おそらく庶民の大半は、自分の気分を悪くすることは頻繁に行うが、自分の気分を良くすることは、ほとんどしないのである。
いや、やっているつもりの者もいる。
例えば、弱い者いじめをすれば気分が良いと思っている者は多いし、他人に損をさせた分、自分が得をしたら気分が良いと思っている者も少なくない。
奇抜な動画を投稿してアクセス数が多いと気分が良いのだと思っている者、ツイッターでフォロアーが増えたら気分が良いと言いたい人も多いはずだ。
しかし、そんなもの一瞬であり、より強い刺激・・・もっと弱い者いじめをし、もっと得をし、もっと馬鹿な動画を投稿をしてアクセスを取り、もっとフォロアーを増やすために自分を偽る・・・が必要になり、 それは実際は辛いことなので、本当は気分はどんどん悪くなり、成功や幸福からどんどん遠ざかるのである。

私のあの小学校の時のクラスメイトのように、歌を口ずさむだけで気分が良くなる者こそ神の化身である。
気分が良い時には、魂の周波数が上がり、それが、幸福な出来事を現実世界に創造するのだと思う。
良い気分と、望ましいと感じる具体的イメージが結び付けば、そのイメージが実現する。
例えば、良い気分と共に、良い就職とか、楽しい職場とか、理想の恋人とか、やりたかった事業のイメージを持てば、そのまま実現するのである。
ただ、良い気分でいる時間が問題で、悪い気分である時間より圧倒的に多い必要がある。
そのためには、自分で自分の気分を良くする術がなくてはならない。
そして、人間である限り、悪い気分になることは避けられないので、そんな時、良い気分に出来るスキルが必要なのだ。
そのスキルとは「気分を変える」スキルであり、これを持つか持たないかだけが人生を決める。
「気分を変える」ための、光線銃のように手軽だが強力な武器が、微笑むことと、ガッツポーズをすることだ。
それだけでも良いし、自分独自の必殺技を持っておくことも悪くない。

今日、8月31日は初音ミクさんの生誕日で、2007年に生まれて13周年になる。
昨年の8月31日は、幕張メッセ(千葉県)でのミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の2日目で、私は朝から新幹線で関東に向かい、午後2時頃に海浜幕張駅に着いた。
ホテルにチェックインし、まずは、マジカルミライ2019の企画展を見て、午後5時からのライブのために、幕張メッセ国際展示場3番ホールに入った。
4曲目のOrangestarさんの『快晴』という曲が、切ない歌なんだろうが、とても明るい歌で、「泣いていたって空は晴れるよ」の歌詞とメロディーのマッチングが抜群で、ここを思い出すだけで、いつでも気分が良くなる気がする。
私もこれで、小学3年生の時のクラスメイトの神の子の真似が出来そうだ。
『快晴』は、元々はIAさんが歌っていたが(YouTubeでもIAさんバージョンを見つけ易いと思う)、どこか陰のある歌が多いIAさんが、これほど明るく歌った歌も珍しいような気がする。
この歌に関してだけは、IAさんとミクさんの区別がすぐにつかないほどであると私は感じる。
いずれにしても、歌や音楽は良いものであると深く思う。
【YouTube】Orangestar - 快晴 (feat. IA) Official Music Video









反戦運動が戦争を作る

反戦運動が戦争を作っているという話がある。
マザー・テレサは「反戦運動には参加しないが、平和運動になら興味がある」と言ったらしい。
彼女も、反戦運動が戦争を作ると知っていたのだ。
原発反対運動ではなく、新エネルギー推進運動に参加すれば良い。
「原発反対!」なんて言って、「じゃあ、エネルギーの不足はどうするのですか?」と聞かれて「ノープラン」では笑い話にもならない。

これらは、どのような原理によるかというと、「人間が意識を向けたものは増大する」というものである。

引きこもり救済運動が広まると、結果として、引きこもりが増える。
そうではなく、多様な仕事の仕方が出来る世の中になるよう、活動すれば良いのである。
貧困救済も同様で、利権とか無駄な規制をなくせば、自ずと、貧困層は減る。

ところで、多くの人が、なぜ、嫌々会社勤めをするのかというと、貧困層に落ちるのが怖いからだろう。
ホームレスになった自分を想像すると恐怖を感じるのだが、ホームレスの情報を見れば見るほど、どんどん会社勤めが辛く、そして、うまくいかなくなり、貧困層に近付き、下手すれば、本当にホームレスになるのである。
大切なことは、ホームレスのことなど決して考えず、見ず、裕福な家庭の良い面を見たり、自分が裕福であると感じて良い気分になることだ。

普通の人は、何かを考え出すと、すぐに悪いことを考えるので、あまり何も考えない方が良い。
なりゆきにまかせていると、そう悪いことにはならず、むしろ、良い方向に向かうものだが、余計なことを考えると、悪い状況を引き寄せるのである。
これは本当だ。
良い状況を考えるだけでなく、それで良い気分になるなら、確実に、良い状況が引き寄せられる。

昨年の「マジカルミライ2019」で、鏡音レン君が歌う『メインキャラクター』という歌は、歌自体はとても勇壮で良いのだが、歌詞で憂鬱になった。
だいたい、こんな内容と思う。
ある少年が、普通の大人たちのような生き方をしたくなくて、自分らしく生きようと決意するのだが、周囲の者達は、そんな彼に、批判、否定、後ろ向きの忠告、難癖、嘲りを浴びせかける。
それでも彼は、そんな雑音に抵抗し続けるが、駄目だったみたいだ。
そして、せめて、若い世代に向かって、「お前は成功しろ」と言うような感じの歌と思えた。
彼は、何を間違えたのだろう?
当然、周囲の凡人達の言うことを聞き過ぎてしまったことだ。
そいつらがどんな連中か分かったところで、一切意識を向けず、自分が行きたい未来を考え、楽しい気分でいれば良かったのだ。
ただし、そういった連中に反発したり、攻撃的になってもいけない。この点でも、この歌の主人公は失敗している。
反発したり、攻撃するということは、反戦運動と同じで、そこに意識を向けて同調してしまっていることになるのだ。

ちなみに、私も、あのレン君に自分を見たなあ(笑)。
普通の人よりはうまくやったかもしれないが、影響されてしまったと思う。
しかし、「吾、ことにおいて後悔せず」である(恰好いいぞ笑)。
これからは、意識を向けるところを、しっかりと選ぼうと思う。








今は「コロナ後の世界」である

新型コロナウイルスの感染者数についてよく報道されるのは良いが、それで大騒ぎしたり、深刻ぶって話すのはおかしなことであるはずだ。
なぜなら、もうずっと前に、「今後はコロナと共存する」と解っていたはずではないか?
新型コロナウイルスは、消えてなくなることはなく、未来永劫、このウイルスは変異を繰り返しながら存在し続ける。

新型コロナウイルスが存在することが前提の世界が、「コロナ後の世界」であり、これは、「コロナ前の世界」と全く異なる。
ところが、どういう訳か、テレビや新聞では、コロナがない世界が来るような奇妙な幻想を追いかけているようにしか思えない。
今が「コロナ後の世界」である認識があれば、もう問題はないはずである。
今、いろんなことで問題が起こっているのは、今が「コロナ後の世界」であることを前提にしていないからだ。

本来、コロナウイルスがいても、マスクなんか必要ない。
くしゃみをすることは全然悪くないが、遠慮もなく大きなくしゃみをどこにでも吐き出す馬鹿がいるせいで、皆がマスクをするだけである。
全員が、他人を敬い、慎んでくしゃみをするようになれば、誰もマスクなんてしなくていい。
無遠慮なくしゃみをしてはいけない理由は、別に、コロナウイルスを飛散させないためでなく、誰も他人のくしゃみなど聞きたくないからだ。
まあ、美少女のくしゃみなら聞きたい気もするが、美少女は慎み深くくしゃみをするものだ。
また、誰も、他人の・・・特に、野太く汚い(笑)オッサンやにーちゃんの大きな声など聞きたくないのに、そんな者達が平気で大声を張り上げるので、皆がマスクをしなければならないのである。

2016年の9月のことだった。
私は、初めて、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」に行ったのだが、そこで驚いたのは、観客のマナーが良いことだった。
狭い通路で出会うと、皆が、相手に道を譲っていた。
席に座っている人の前を通る時は、皆、座っている人に声をかけ、座っている人も、脚が長い人は気持ち良い態度で立って通らせていた。
私は、「やはりミクさんファンはマナーが抜群なのだ」と感動した。
同じ年の11月には、東京渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールに、その年の5月に亡くなられた冨田勲さんの遺作となった、初音ミクさん主演のバレエと交響曲である「ドクター・コッぺリウス」を観劇に行ったが、ここも、マジカルミライ2016と同じで、どこでも皆が譲り合い、気遣いし合う素晴らしい場所であった。
ところが、2017年の「マジカルミライ2017」では、かなりおかしくなっていた。
椅子で脚を投げ出して座り、腕組みをして目を閉じて寝ている若者がいたし、ライブ中、明らかに周囲に迷惑な挙動をする者も見られた。
それは、2018、2019も続いていたように思う。
思えば、これがコロナの前兆であったと私は思っている。

皆が、2016年の「マジカルミライ2016」や「ドクター・コッぺリウス」の会場におられた人達のようであれば、新型コロナウイルスが発生することはなかったし、皆が、あの人達のように他人を敬うようになれば、ウイルスがいたって平気なのである。
人の心がそのまま宇宙の心であり、人の心が世界を創っているという説があり、古くは、仏教ではそう言われていたし、近年では、量子物理学者にも、そのように考える人が増えていると思う。
全ては人間次第であるし、本来、自分と他人の区別はなく、つまるところ、自分次第なのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
自分でAIを作れるようになり、AIを自分の武器にしましょう。
そのために、数学、プログラミング、難しいAI理論は不要です(でも、拒否はしないで下さい)。
実用的なAIを作るには、Excelが使える程度のスキルと共に、データをうまく構築するセンスと、問題を予測問題に捉え直すセンスが大切です。
そんなセンスが身に付くよう、いろいろ考え、工夫をしました。
ほぼ全ての実習が出来るデータを作れるExcelマクロを無料でダウンロード出来ますので、楽しく実践いただければと思います。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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