初音ミクさんとコラボしたミュージシャンや、初音ミクさんをソリストに採用した音楽家の作品を聴いてから、我々は、賞賛したり、批判したりする。
特に批判の場合は、作品の出来そのものより、「何で初音ミク?」といった感じ・・・つまり、ミクさんと一緒にやったこと自体が悪いとするもので、今のところ、そんな批判が通り勝ちかもしれない。
しかし、よくよく考えてみれば、ミクさんを選ぶことは、音楽家にとっては、初めからリスクであることが分かる。
高く評価されれば良いが、批判が大きければマイナスが大きい。
これがポップミュージックの場合、ドナルド・トランプではないが、プロダクションは賢いので(※)、どうやれば受けるかは計算も出来るだろう・・・とは言っても、やっぱりリスクはある。
(※トランプ氏が自分の節税手法を自画自賛し、「私は賢い」と言ったことから。これは今年のノーベル化学賞受賞者も暗に引用した。)
そして、音楽だけが勝負の作品であれば、リスクは非常に大きいはずである。
冨田勲さんが、2012年に『イーハトーヴ交響曲』を発表した時、冨田さんは既に80歳で、音楽家としての名誉も富も十分に得ていて、利益のために、この作品を創る理由は何もなかったはずだ。
それどころか、作品の評判が悪ければ、これまで積み上げてきたものを失いかねなかった。
確かに、ミクさんだったから、話題になり、公演は成功し、CDやblu-rayも売れたが、それはあくまで、たまたまそうなったというだけで、逆の結果になる可能性もあった。
来月初演の『ドクター・コッペリウス』もそうなのである。
成功が約束された訳でも何でもない。作品が悪ければ、亡くなったとはいえ、冨田さんの名に傷がつくだろう。
だから、公演の実施を引き継いだ形になったクリプトン・フューチャー・メディアは、リスクも引き継いだことになる。極めて厳しい状況でやっているはずだ。
BUMP OF CHIKENの『ray』に関しては、映像をA4Aとクリプトン・フューチャー・メディアが制作し、ミクさんの歌声をkzさんが担当し、リスク低減どころか、万全の構えでやったとはいえ、所詮、最後は、「音楽として良いか」が問われる。
いくら映像が良くて、ミクさんが可愛くても、音楽が駄目なら・・・というよりは、「抜群に良くなければ」、プロとしては非常にまずいことになっただろう。
しかし、『ray』は、音楽が本当に良かったと思う。
「マジカルミライ2016」で、ミクさんがラスト曲として『ray』を歌ったのも、話題性の面もあっただろうが、やはり、音楽として良かったというのと、kzさんのアレンジと共にミクさんに合っていたので、コンサートとしての評価を高めることになったと思う。
ビジネスとしても優秀だが、特に今の時代、ファンを騙すことは出来ない。
いや、ビジネスと言ったら、どうしても汚いイメージがあるが、つまるところ、こんなのが、新しい時代のビジネスであり、クリプトンの伊藤博之社長が、あちこちで言われている、「共感ビジネス」なのだろう。
洗脳ビジネスや、ユーザーを置き去りにしたスペック偏重のビジネスなど、いろいろあるが、インターネット時代には、共感を起こせるものしかビジネスにならなくなり、そんな時代のことを「創造経済」の時代と言うのだろう。
こんなことが、「初音ミクファンはオタク」と言う人には分からない。
私が、「マジカルミライ2016」に行くと言ったら、別に悪い人ではないのだが、ある人に、
「へえ、君って、そういう人だったのか」
と言われた。
また、
「東京ってのは、人種がはっきり別れていて、その方面の人はそっちの列にまとまって歩いているし、別の趣味の人は、またその趣味の列でまとまって歩いているものさ」
と、まことしやかに言われたこともある。
だが、行ってみたら、それは嘘で、マジカルミライに来ていた人達は、いかなる「人種」でもなく、いろんな個性のある人達で、しかも、マナーが抜群に良い、周囲に気を使い譲り合うことの出来る、あまり見ないような「まともな人達」だった。
「マジカルミライ2016」から1ヶ月経つが、コンサートとして最高に素晴らしかったことと共に、あらゆる面で、そこに行ったことは、人生でも稀に見るほどの優れた選択であったと思う。
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特に批判の場合は、作品の出来そのものより、「何で初音ミク?」といった感じ・・・つまり、ミクさんと一緒にやったこと自体が悪いとするもので、今のところ、そんな批判が通り勝ちかもしれない。
しかし、よくよく考えてみれば、ミクさんを選ぶことは、音楽家にとっては、初めからリスクであることが分かる。
高く評価されれば良いが、批判が大きければマイナスが大きい。
これがポップミュージックの場合、ドナルド・トランプではないが、プロダクションは賢いので(※)、どうやれば受けるかは計算も出来るだろう・・・とは言っても、やっぱりリスクはある。
(※トランプ氏が自分の節税手法を自画自賛し、「私は賢い」と言ったことから。これは今年のノーベル化学賞受賞者も暗に引用した。)
そして、音楽だけが勝負の作品であれば、リスクは非常に大きいはずである。
冨田勲さんが、2012年に『イーハトーヴ交響曲』を発表した時、冨田さんは既に80歳で、音楽家としての名誉も富も十分に得ていて、利益のために、この作品を創る理由は何もなかったはずだ。
それどころか、作品の評判が悪ければ、これまで積み上げてきたものを失いかねなかった。
確かに、ミクさんだったから、話題になり、公演は成功し、CDやblu-rayも売れたが、それはあくまで、たまたまそうなったというだけで、逆の結果になる可能性もあった。
来月初演の『ドクター・コッペリウス』もそうなのである。
成功が約束された訳でも何でもない。作品が悪ければ、亡くなったとはいえ、冨田さんの名に傷がつくだろう。
だから、公演の実施を引き継いだ形になったクリプトン・フューチャー・メディアは、リスクも引き継いだことになる。極めて厳しい状況でやっているはずだ。
BUMP OF CHIKENの『ray』に関しては、映像をA4Aとクリプトン・フューチャー・メディアが制作し、ミクさんの歌声をkzさんが担当し、リスク低減どころか、万全の構えでやったとはいえ、所詮、最後は、「音楽として良いか」が問われる。
いくら映像が良くて、ミクさんが可愛くても、音楽が駄目なら・・・というよりは、「抜群に良くなければ」、プロとしては非常にまずいことになっただろう。
しかし、『ray』は、音楽が本当に良かったと思う。
「マジカルミライ2016」で、ミクさんがラスト曲として『ray』を歌ったのも、話題性の面もあっただろうが、やはり、音楽として良かったというのと、kzさんのアレンジと共にミクさんに合っていたので、コンサートとしての評価を高めることになったと思う。
ビジネスとしても優秀だが、特に今の時代、ファンを騙すことは出来ない。
いや、ビジネスと言ったら、どうしても汚いイメージがあるが、つまるところ、こんなのが、新しい時代のビジネスであり、クリプトンの伊藤博之社長が、あちこちで言われている、「共感ビジネス」なのだろう。
洗脳ビジネスや、ユーザーを置き去りにしたスペック偏重のビジネスなど、いろいろあるが、インターネット時代には、共感を起こせるものしかビジネスにならなくなり、そんな時代のことを「創造経済」の時代と言うのだろう。
こんなことが、「初音ミクファンはオタク」と言う人には分からない。
私が、「マジカルミライ2016」に行くと言ったら、別に悪い人ではないのだが、ある人に、
「へえ、君って、そういう人だったのか」
と言われた。
また、
「東京ってのは、人種がはっきり別れていて、その方面の人はそっちの列にまとまって歩いているし、別の趣味の人は、またその趣味の列でまとまって歩いているものさ」
と、まことしやかに言われたこともある。
だが、行ってみたら、それは嘘で、マジカルミライに来ていた人達は、いかなる「人種」でもなく、いろんな個性のある人達で、しかも、マナーが抜群に良い、周囲に気を使い譲り合うことの出来る、あまり見ないような「まともな人達」だった。
「マジカルミライ2016」から1ヶ月経つが、コンサートとして最高に素晴らしかったことと共に、あらゆる面で、そこに行ったことは、人生でも稀に見るほどの優れた選択であったと思う。
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