重要な要点からいきなり始めたい。
我々は、いつでも、自分に、「ア」と言うべきである。
無論、心の中で言えば良い。
歩いていても、座っていても、寝ていても、仕事をしている時でもである。
常に「ア」と言えば、心が静かになる。
聖書には、「心を静めて、自分が神であることを知れ」とあるが、確かに、自分の内に神がましますことが分かるようになる。
「ア」と言い続ければ、大難は小難となり、小難は無難となり、さらに、幸いにすら転じる。
私は、本日も、それを何度も確かめることができた。
インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシは、いつも自分に「私」と言い続ければ、それだけで真我(神我)に導かれると言った。
このことは、マハルシが、「解脱のために、これだけで十分である」と言った、至高の聖典と言って良い小冊子「私は誰か?」に書かれており、マハルシはそのことを保証している。「私は誰か?」は、下記にご紹介した『あるがままに-ラマナ・マハルシの教え』に全文が収録されている。
ただ、彼の言う「私」は、サンスクリット語の「私」である、「アハン」のことを言ったのだと思う。
また、彼の使ったタミル語の「私」は、「ナン」で、「アン」に近い。「アン」もまた非常に霊力のある言葉だ。
マハルシは、偉大なマントラ「オーム」でさえ、「私(アハン)」に次ぐ2番目のマントラであると言ったのである。
英語では、私は アイ であり、やはり、「ア」の音から始まる。英語の最も偉大な言葉は、I AM THAT I AM(私は在るというものである)であるが、I AMだけでも力を発揮する。
イエスが使ったと言われるヘブライ語では、私は「アニー」で、やはり「ア」から始まる。しかし、イエスが度々、「アーメン」という言葉を使ったのは、この音により力があることを知っていたからかもしれないと思う。
そして、我が国では、今は一人称代名詞は「わたし」であるが、上代と言われる、桓武天皇(かんむてんのう)の時代である西暦806年くらいまでは、自分のことを「あ」と言ったのである。漢字では、吾、または、我と書き、後に、「あれ」、そして、「われ」が使われるようになったが、元々は「あ」と言い、これが最も霊力のある言霊なのである。
なぜなら、『古事記』や『日本書紀』より古くからあったと言われる『ホツマツタヱ』では、「ア」は「天」を指すからである。
「ア」は、私であり天である。
そして、日本では、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)や天照大神(アマテラスオオミカミ)のように、天は根本の神を示す。
人は、天と一体であり、天照大神と一体であり、それを、「ア」が示しているのである。
だから、日本人にとっての「ア」は、他国の「私」に優る言霊である。
この言葉を常に自分に言うなら、その効果は、はかり知れない。
もし、どうしても違和感があれば、まず、「わたし」を常に自分に言うことから始め、「われ」、「あれ」、「あ」と変えて言っても良いが、本来、日本人は、自分を「ア」と言うのは自然に感じるものなのである。また、『古事記』を読み下し文で読み、自分を「ア」と言う美しさを感じていただいても良いと思う。そのための、読みやすい、最適な書を下にご紹介しておく。
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我々は、いつでも、自分に、「ア」と言うべきである。
無論、心の中で言えば良い。
歩いていても、座っていても、寝ていても、仕事をしている時でもである。
常に「ア」と言えば、心が静かになる。
聖書には、「心を静めて、自分が神であることを知れ」とあるが、確かに、自分の内に神がましますことが分かるようになる。
「ア」と言い続ければ、大難は小難となり、小難は無難となり、さらに、幸いにすら転じる。
私は、本日も、それを何度も確かめることができた。
インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシは、いつも自分に「私」と言い続ければ、それだけで真我(神我)に導かれると言った。
このことは、マハルシが、「解脱のために、これだけで十分である」と言った、至高の聖典と言って良い小冊子「私は誰か?」に書かれており、マハルシはそのことを保証している。「私は誰か?」は、下記にご紹介した『あるがままに-ラマナ・マハルシの教え』に全文が収録されている。
ただ、彼の言う「私」は、サンスクリット語の「私」である、「アハン」のことを言ったのだと思う。
また、彼の使ったタミル語の「私」は、「ナン」で、「アン」に近い。「アン」もまた非常に霊力のある言葉だ。
マハルシは、偉大なマントラ「オーム」でさえ、「私(アハン)」に次ぐ2番目のマントラであると言ったのである。
英語では、私は アイ であり、やはり、「ア」の音から始まる。英語の最も偉大な言葉は、I AM THAT I AM(私は在るというものである)であるが、I AMだけでも力を発揮する。
イエスが使ったと言われるヘブライ語では、私は「アニー」で、やはり「ア」から始まる。しかし、イエスが度々、「アーメン」という言葉を使ったのは、この音により力があることを知っていたからかもしれないと思う。
そして、我が国では、今は一人称代名詞は「わたし」であるが、上代と言われる、桓武天皇(かんむてんのう)の時代である西暦806年くらいまでは、自分のことを「あ」と言ったのである。漢字では、吾、または、我と書き、後に、「あれ」、そして、「われ」が使われるようになったが、元々は「あ」と言い、これが最も霊力のある言霊なのである。
なぜなら、『古事記』や『日本書紀』より古くからあったと言われる『ホツマツタヱ』では、「ア」は「天」を指すからである。
「ア」は、私であり天である。
そして、日本では、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)や天照大神(アマテラスオオミカミ)のように、天は根本の神を示す。
人は、天と一体であり、天照大神と一体であり、それを、「ア」が示しているのである。
だから、日本人にとっての「ア」は、他国の「私」に優る言霊である。
この言葉を常に自分に言うなら、その効果は、はかり知れない。
もし、どうしても違和感があれば、まず、「わたし」を常に自分に言うことから始め、「われ」、「あれ」、「あ」と変えて言っても良いが、本来、日本人は、自分を「ア」と言うのは自然に感じるものなのである。また、『古事記』を読み下し文で読み、自分を「ア」と言う美しさを感じていただいても良いと思う。そのための、読みやすい、最適な書を下にご紹介しておく。
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