ヘレン・ケラーが22歳の時に書いた彼女の最初の著書である『Optimism(楽天主義)』の中に、
「五感は幻想。IDEA(イデア)のみが真実」
という言葉がある。
IDEAはプラトン哲学の有名な用語で、「時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在」のことだ。
五感は幻想であるのだから、IDEAを捉えることは出来ないが、IDEAはまあ、魂にしか捉えられない「本物の世界」とでも言うしかない。
五感が幻想であることは、養老孟司さんの『唯脳論』を読むと分かると思う。
我々が現実だと思うものは、五感の情報を元に脳が構築したイメージに過ぎない。
脳が作ったイメージが現実だと思っている限り、本当のことは見えない。
ヘレン・ケラーは、視覚、聴覚という感覚がなかったから、普通の人よりは脳のイリュージョンに騙されず、IDEAという真の世界があることに気付いたのだと思う。
さらに、脳はイリュージョン(五感情報を元に作ったイメージ)と共に思考を作り出し、ますます、我々を無知蒙昧の状態に落とし、魂が持つ万能の力を奪っている。
その弊害を打破する簡単な方法が、最近よく取り上げている「嫌な現実を疑う」ことだ。
たとえばの話だが、普通の人が、魂の力を0.1パーセントしか使っていないとすれば、「嫌な現実を疑う」ことで10パーセントほどを使うことが出来る。それでも奇跡的な力である。
「嫌な現実」は間違いなく幻想だ。
本当は、愉快な現実も幻想なのだが、こちらは、当面放置しよう。本格的な悟りを得たくなったら疑えば良い。
幻想は、疑えば消える。
たとえば、あなたがモテないのは幻想だ。
「私は本当にモテないのだろうか?本当はモテモテではなのか?」と疑えば、モテない現実という幻想は消える。
魂は自我を喜ばせるのは好きなので、結果、モテる現実が現れる。
ただし、「モテるために、モテない現実を疑う」という方針ではいけない。ただ疑うだけでなければならない。
給料が安いなら、「私の給料は本当に安いのだろうか?本当は高収入ではないのか?」と疑うと、安月給という幻想の現実が消え、給料が上がる場合もあるし、それに見合う何かが起こることになる。
太っているのが嫌なら、「私は本当に太っているのか?本当は痩せてすらりとしているのではないのか?」と疑うのも良い。
疑い方は、各自、自分の感覚に合うようにやれば良い。
「疑い方マニュアル」「疑い方一覧」みたいなものを欲しがる者は、あまりうまくいかないと思う。
間違った疑い方をする場合もあるだろうが、間違いから学ぶことも良いものである。
ただ、良い疑い方を学びたいなら、いつも言うが、デカルトの『方法序説』をお薦めする。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(2)オプティミスト(ヘレン・ケラー)
(3)パイドン ~魂の不死について~(プラトン)
(4)方法序説 (デカルト。岩波文庫)
(5)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~
(6)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
(7)唯脳論(養老孟司)
AIアート1184
「エーオース」
Kay
「五感は幻想。IDEA(イデア)のみが真実」
という言葉がある。
IDEAはプラトン哲学の有名な用語で、「時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在」のことだ。
五感は幻想であるのだから、IDEAを捉えることは出来ないが、IDEAはまあ、魂にしか捉えられない「本物の世界」とでも言うしかない。
五感が幻想であることは、養老孟司さんの『唯脳論』を読むと分かると思う。
我々が現実だと思うものは、五感の情報を元に脳が構築したイメージに過ぎない。
脳が作ったイメージが現実だと思っている限り、本当のことは見えない。
ヘレン・ケラーは、視覚、聴覚という感覚がなかったから、普通の人よりは脳のイリュージョンに騙されず、IDEAという真の世界があることに気付いたのだと思う。
さらに、脳はイリュージョン(五感情報を元に作ったイメージ)と共に思考を作り出し、ますます、我々を無知蒙昧の状態に落とし、魂が持つ万能の力を奪っている。
その弊害を打破する簡単な方法が、最近よく取り上げている「嫌な現実を疑う」ことだ。
たとえばの話だが、普通の人が、魂の力を0.1パーセントしか使っていないとすれば、「嫌な現実を疑う」ことで10パーセントほどを使うことが出来る。それでも奇跡的な力である。
「嫌な現実」は間違いなく幻想だ。
本当は、愉快な現実も幻想なのだが、こちらは、当面放置しよう。本格的な悟りを得たくなったら疑えば良い。
幻想は、疑えば消える。
たとえば、あなたがモテないのは幻想だ。
「私は本当にモテないのだろうか?本当はモテモテではなのか?」と疑えば、モテない現実という幻想は消える。
魂は自我を喜ばせるのは好きなので、結果、モテる現実が現れる。
ただし、「モテるために、モテない現実を疑う」という方針ではいけない。ただ疑うだけでなければならない。
給料が安いなら、「私の給料は本当に安いのだろうか?本当は高収入ではないのか?」と疑うと、安月給という幻想の現実が消え、給料が上がる場合もあるし、それに見合う何かが起こることになる。
太っているのが嫌なら、「私は本当に太っているのか?本当は痩せてすらりとしているのではないのか?」と疑うのも良い。
疑い方は、各自、自分の感覚に合うようにやれば良い。
「疑い方マニュアル」「疑い方一覧」みたいなものを欲しがる者は、あまりうまくいかないと思う。
間違った疑い方をする場合もあるだろうが、間違いから学ぶことも良いものである。
ただ、良い疑い方を学びたいなら、いつも言うが、デカルトの『方法序説』をお薦めする。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(2)オプティミスト(ヘレン・ケラー)
(3)パイドン ~魂の不死について~(プラトン)
(4)方法序説 (デカルト。岩波文庫)
(5)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~
(6)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
(7)唯脳論(養老孟司)
AIアート1184
「エーオース」
Kay