プロ奢(おご)ラレヤーという人をご存じだろうか?
プロ奢られ屋をもじった名前と思われる。
本名は中島太一さんといい、現在25歳らしい。
自称、「ひとに奢られて生活してる浮浪者」だそうだ(Wikipediaより)。
「人の金で焼き肉を食う」ことが仕事で(著書より)、要は、自分では働かず、誰かに奢ってもらって、食事をするなどの生活をまかなっているらしい。
以前は、Twitterのフォロアーの家を転々としていたが、奢ってくれる人から聞いた面白い話をnote(有償記事を書けるブログ)に書いたら、月収が3桁万円になり、ある時から、安いアパートを借りて住んでいるようだ。
お金が沢山あるのに、なぜ、月3万円くらいの安いアパートに住んでいるのかというと、簡単に言えば、広いマンションより好みに合うからで、例えば、広い部屋だとトイレまで遠いから・・・そんなことが本に書かれていたと思う。
奢りたい人が、TwitterのDMで申し込むらしいが、奢りたい人が増えすぎたのか、今は、奢る人にいろいろ条件を課している。しかし、条件に合わなくても2万円くれれば、奢られてくれるらしい(笑)。

プロ奢ラレヤーさんほどではないが、私も、22歳くらいの時、喫茶店で占いをしてあげることで昼食代を払ってもらっていたことがある。
オバサンのファンが沢山いたような気がする(笑)。

ところで、プロ奢ラレヤーさんのことから、私は、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアード.T.スポールディング(1872–1953)のことを思い出した。
奢られのプロとしては、こっちの方が凄い。
70年以上も前の、インターネットもSNSもなかった時代、スポールディングは、どうやって奢ってくれる(食事をご馳走してくれる)人を見つけたのかというと、こうだ。
スポールディングは、アメリカ中で講演旅行をしていたが、見知らぬ土地に行った時でも、食事時になると、目の前の家にズケズケと入って行き、食卓のテーブルを見つけると、そこに腰を降ろすだけだった。それで、快適に食事が出来なかったことはないという。
スポールディングのような人が、1つの理想と思う。
しかし、人類というのは、本来、そんなものだと思うのだ。

江戸時代、日本の庶民の多くが長屋という建物に住んでいた。
文字通り長い家屋の中に沢山の家庭が住んでいたが、各家庭の部屋に鍵があるわけでもなく、家庭ごとの垣根は無いも同然だった。それで、自然に子供達は集まり、年上の子が年下の子の面倒を見ていた。
親の方も、どれが自分の子か気にならず(分からないのも普通だったようだ)、食事時にそこにいれば、どの子にも食事を与えた。
これをワールドワイドで出来るようになれば、人類は優良星人になったと言え、宇宙人も、地球人を交際相手と認めてくれるだろう。