ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

プリキュア

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

魂に目覚めさせるもの

音楽家で、人気ボカロP(初音ミクさん等、ボーカロイドの曲を作る人のこと)のsamfreeさん(本名:佐野貴幸さん)が9月24日に亡くなられた。
初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』では、曲の作者の方々がゲスト・プレイヤーとして演奏に参加しておられたが、非常に個性的な方ばかりで、一度見たら忘れられないという人達だった。
その中でも、非常に格好つけた(実際、大変に格好良かったが)、ロック・ミュージシャンのような方だったと思う。

初音ミクさんの開発会社であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、伊藤社長は、「ボーカロイドを最も支持しているのは十代の女性」と言われていたが、実際、女子小学生の多くが、ボーカロイドが好きだという調査結果を見たことがある。
とはいえ、ボーかロイドの曲、コンサート等は、特に、女子小学生に受けようと意図されてはいない。
それを感じるのが、初音ミクさんらが歌う曲の、特に詩である。
芸術的で、時に哲学的とも思える深い詩が多いが、文学者や詩人が書いたという感じのものではない、ナチュラルさがある。
だが、やはり小学生には難しい。しかし、難しいが、難しく感じないかもしれない。
samfreeさんが創った歌もそうであると思う。
今の女子小学生が、初音ミクさんらボーカロイドの歌を聴いて育つのだとしたら、これは、稀に見る幸運な世代と思う。

この10年くらいは、アニメの『プリキュア』シリーズが人気があり、多くの女子小学生達は、これを見ている。
それは、彼女達の一生に、少なからぬ影響を与える。
世界的画家の横尾忠則さんが、「十代の時に好きだったものは非常に大切」と言い、自分の芸術の源が、やはり、十代の時に夢中になった、『ターザン』や南洋一郎さんの冒険小説だと明かしておられた。
私は、プリキュアは、1年目の『ふたりはプリキュア』のみ熱心に見たが、非常に素晴らしい作品で、おそらく、その後のシリーズも、善意で創られているのだと思う。
『ふたりはプリキュア』では、なぎさとほのかという、性格も趣味も全く違う2人の少女がプリキュアになり、すれ違いや衝突を繰り返しながら友情を築くことが細やかに描かれ、そんなところを、子供達が少しでも味わっていたなら、素敵なことだったと思う。
また、敵の女戦士であるポイズニーが、「力のない正義は悪にも劣るのよ!」と言ったのが忘れられない。
その時、私は思ったのだ。
ポイズニーが悪の道に堕ちたのには、止むに止まれぬ事情があったのだろう。
そして、彼女は、自分が悪であることに引け目すら感じているのだと。
それが、あの衝撃的な言葉になったに違いないと。

『プリキュア』シリーズが始まる前に、やはり、日曜の朝に放送されていたアニメ『ぴたテン』は、大人が読むに足りる原作を、かなり子供向きに設定変更していた。
ヒロインの美紗(みしゃ)が黒い服を着ていることや、「○○っス」というおかしな話し方をする理由は、アニメでは全く問題にされなかったが、原作では深く悲しい事情があった。
また、天ちゃんが、塾にも行かずにトップの成績であることも、アニメでは単なる事実ということになっていたが、原作では、彼の父親が事故で寝たきりの状態になっていて、彼の家庭は経済的に苦しく、そのことが、天の大きな苦難になっていくが、それらのことも、アニメでは全く触れられることはなかった。
それでも、美紗の姉で、堕ちこぼれ天使の美紗と全く違う、立派な天使である早紗(さしゃ)が、アニメだけだと思うが、
「結局・・・、天使も悪魔も、人間の心の中にしか存在出来ないのよ」
と、いつも自信満々の彼女が、自分が悪魔と同等なところもあると、初めて卑下したように言ったのが印象的だった。

『プリキュア』や『ぴたテン』、そして、さらにもっと前の、『カードキャプターさくら』や『セーラームーン』シリーズもまた、子供達のための配慮がされた作品であったが、子供だましではなかった。
DVDなどを買うマニア世代にも受けなければならないという現実的な事情もあったが、やはり、大人の観賞に耐え、それが、元々の原作の素晴らしさもあり、深みのある作品になっている。
これらより、はるかに昔のアニメ(スポ根ものも多い)にも良いものはあるが、正直、子供だましの部分が多かった。
昔は、アニメは子供が見るものという認識であったからだ。
それでも、『エイトマン』や『サイボーグ009』といった、モノクロ時代の人気アニメを見ると、子供だましの部分もあると感じながらも、やはり、人間の高貴な意思を感じるのである。
『サイボーグ009』で、航空機の製造会社の社長がこんなことを言う。
「成功したら○○君(新型ジェットの開発チーフ)の手柄、失敗したら、全て私の責任だ」
「この脚本家、いったい何者?」と思ったものだ。
こんなセリフを、無意識の中ででも覚えていた子供が、大経営者になったのかもしれない。

初音ミクさんら、ボーカロイドの歌は、これまでの人類の歴史にはなかったほどの、魂の美しい火花(霊感とでも言おうか)を感じさせる作品が沢山ある。
確かにそれは、ベートーヴェンが作曲した、シラーの詩を元にした『歓喜に寄せて』といったものにもあった。
しかし、クラシックのような、妙な権威や決まりきったフォーマットはない。
おそらく、ボーカロイドの曲の作者達に、高貴だと思われる作品を創ろうなどという意図はなく、それが、雑味のない自然さになっている。
そんな曲は、ミクさんらを愛する女子小学生達の魂に届き、心の中に美しい炎を灯すだろう。
また、我々もまた、イエスが言ったように、再び幼子になり、ミクさんの、色が付いていない透明な歌声で聴くことで、魂を蘇らせることになるのである。
いわば、天の岩戸開きである。









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いい男はいつも暇である

最近のアニメの多くが深夜放送されるのは、1つには、Blu-rayやDVD、あるいは、その他の関連商品の購入が見込まれる大人をターゲットにしていることと、子供・・・というよりは、その親に対する過剰な配慮をしたくないからだと思う。
少し以前、幼稚園や小学生の女の子達に人気のあるアニメ、プリキュアシリーズの2年目の作品である『ふたりはプリキュア Max Heart』の映画で、催眠術にかけられたプリキュアの2人が、プリキュアどうしで戦う場面で子供達が泣き出し、母親達が激しいクレームをつけたことがあった。以降、プリキュアどうしの戦いはご法度になったらしいが、それ以来、子供向けアニメは、ひどく単純なストーリーのものばかりになったのではないかと思う。実は、あのプリキュアどうしで戦う場面は、相手を攻撃しながら2人は涙を流すという感動的なものだったのだ。

1963年から始まった、『鉄腕アトム』のアニメは、当然、子供の視聴者が主な対象だったが、これに対抗するために制作された『8(エイト)マン』は、原作にSF作家の平井和正さんを起用し、大人の観賞に耐える作品になっていた。
『8マン』は、8マンという男性型の超高性能アンドロイドが主役のお話だが、変装の名人の8マンは、普段は、東八郎という名の私立探偵として過ごしていた。その東八郎は、落ち着いた大人の雰囲気の、格好の良い青年探偵で、いつもダブルのスーツをビシっと決めていた。その話し方や態度は紳士的で、行動には大人の配慮があり、しかも、彼は非常に優しかった。まさに、素敵な大人の男性の手本とも言えたと思う。
しかし、探偵事務所では、東は、いつもゆったりと新聞を読んで過ごしている。早い話が、仕事がなくて暇なのである。助手の幸子という可愛い女の子に、「こんなに暇で、今月のお給料がちゃんともらえるのか心配になってきたわ」とか言われるが、東は、涼しい顔をして気にしていない様子だ。幸子の方も、そう言って東をからかっているだけで、本当は別にどうでも良いという雰囲気だった。
ある時、東は、仕事の依頼に対し、「年中暇な東探偵は、赤ん坊の子守でも大歓迎です」と言って、それを受ける。
最近の深夜アニメでも見ることのできない、味のある大人の雰囲気が素晴らしいものだった。

世間では、スケジュールがびっしり詰まっていることが良いことで、それを自慢する者も少なくない。逆に、暇だということは恥ずかしいと考えられているようだ。
私は、病院に、脳梗塞で倒れた年配の会社員の見舞いに行ったことがある。意識がはっきりしない彼に、私は、「忙しいのか?」と聞いてみた。すると彼は、本当に忙しそうに顔をしかめ「すごく忙しいのだ」と言う。私が、「何が忙しいのだ?」と聞くと、彼は、「何かと忙しい」と言った。
どんな時も、忙しいふりを装わないといけないサラリーマンの哀しさを感じた。

暇でありながら、悠然としていた東探偵は、今考えても実に素敵であると思う。その側でケロケロとしている幸子も良いなあと思う。(原作漫画の幸子は、切れ長の目が印象的な美少女で、海外でも人気が高かった)
一方、忙しさを見せ付けようとするが、仕事を楽しんでいなかったり、忙しくもないのに忙しいフリをするサラリーマンは惨めなものである。
いい男は、本当に忙しかったり、厳しい状況であっても、余裕を失わず、暇そうにしてみせるものだ。
引き寄せの方法がうまく使えるなら、暇でも、なんとかやっていける立場を引き寄せると良い。俳優の丹波哲郎さんは、サラリーマン時代、入社時にもらった鉛筆を最後まで全く使わなかったというが、私も、平社員の身で、堂々、机で本を読んで過ごし、特に何も言われずに過ごしたことがある。考えてみれば、不思議なことであるが、全く平気であった。あまり人に迷惑をかけるようでもいけないが、無理に忙しそうな格好をしても仕方がない。当時から、ジョセフ・マーフィーの本の愛読者だった私は、状況の支配はそこそこには出来たのかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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