ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

プラトン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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ヘレン・ケラーの知恵を借りて引き寄せる

ヘレン・ケラーが22歳の時に書いた彼女の最初の著書である『Optimism(楽天主義)』の中に、
「五感は幻想。IDEA(イデア)のみが真実」
という言葉がある。
IDEAはプラトン哲学の有名な用語で、「時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在」のことだ。
五感は幻想であるのだから、IDEAを捉えることは出来ないが、IDEAはまあ、魂にしか捉えられない「本物の世界」とでも言うしかない。
五感が幻想であることは、養老孟司さんの『唯脳論』を読むと分かると思う。
我々が現実だと思うものは、五感の情報を元に脳が構築したイメージに過ぎない。
脳が作ったイメージが現実だと思っている限り、本当のことは見えない。
ヘレン・ケラーは、視覚、聴覚という感覚がなかったから、普通の人よりは脳のイリュージョンに騙されず、IDEAという真の世界があることに気付いたのだと思う。

さらに、脳はイリュージョン(五感情報を元に作ったイメージ)と共に思考を作り出し、ますます、我々を無知蒙昧の状態に落とし、魂が持つ万能の力を奪っている。
その弊害を打破する簡単な方法が、最近よく取り上げている「嫌な現実を疑う」ことだ。
たとえばの話だが、普通の人が、魂の力を0.1パーセントしか使っていないとすれば、「嫌な現実を疑う」ことで10パーセントほどを使うことが出来る。それでも奇跡的な力である。
「嫌な現実」は間違いなく幻想だ。
本当は、愉快な現実も幻想なのだが、こちらは、当面放置しよう。本格的な悟りを得たくなったら疑えば良い。
幻想は、疑えば消える。
たとえば、あなたがモテないのは幻想だ。
「私は本当にモテないのだろうか?本当はモテモテではなのか?」と疑えば、モテない現実という幻想は消える。
魂は自我を喜ばせるのは好きなので、結果、モテる現実が現れる。
ただし、「モテるために、モテない現実を疑う」という方針ではいけない。ただ疑うだけでなければならない。
給料が安いなら、「私の給料は本当に安いのだろうか?本当は高収入ではないのか?」と疑うと、安月給という幻想の現実が消え、給料が上がる場合もあるし、それに見合う何かが起こることになる。
太っているのが嫌なら、「私は本当に太っているのか?本当は痩せてすらりとしているのではないのか?」と疑うのも良い。
疑い方は、各自、自分の感覚に合うようにやれば良い。
「疑い方マニュアル」「疑い方一覧」みたいなものを欲しがる者は、あまりうまくいかないと思う。
間違った疑い方をする場合もあるだろうが、間違いから学ぶことも良いものである。
ただ、良い疑い方を学びたいなら、いつも言うが、デカルトの『方法序説』をお薦めする。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(2)オプティミスト(ヘレン・ケラー)
(3)パイドン ~魂の不死について~(プラトン)
(4)方法序説 (デカルト。岩波文庫)
(5)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~
(6)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
(7)唯脳論(養老孟司)

エーオース
AIアート1184
「エーオース」
Kay

若き天才作家達の創造力の秘密

手塚治虫さんの『ジャングル大帝』や『リボンの騎士』、石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』や『仮面ライダー』など、歴史的な漫画作品のほとんどが、彼らの20代か、せいぜいが30代前半までの作品であるということは興味深い。
他の著名な漫画家の作品についてもほぼ同じようなことが言えると思う。
ちばてつやさんの『あしたのジョー』(原作は梶原一騎さん)もそうだし、武内直子さんは世界的ヒット作『美少女戦士セーラームーン』を23歳くらいで描き始めたと思う。
それでも、これらの作品は年配の人をも惹き付ける精神的な深さも充分にあるが、そんな作品を、そのような若さで描くことができたというのはやはり、彼らは天才なのであろうか?

漫画家になるような人は、例外なく、幼い頃から絵を描くことが好きで、しかも、その絵の上手さは普通の子とは比較にならず、「この子は大画家になるんじゃないだろうか?」と言われたような人ばかりであったと思う。
手塚治虫さんは、あまり絵が上手いとは認識されていないかもしれないし、私も割と最近までそう思っていた。
しかし、数年前に宝塚にある手塚治虫記念館で手塚さんが中学生の時に描いた写実画を見たが、「やっぱり絵だけでも天才だ」と思うほど素晴らしいものだった。
人気漫画家というのは非常に忙しく、1つ1つの絵にかける時間が厳しく制限されるのだということは、理屈では分かっていたが、改めてそれを思い知った気がしたものだ。
男性漫画家としてかなり繊細な描写をしていた楳図かずおさんも、やはり売れていた頃は殺人的な忙しさであったらしいが、それであれだけ描けるのであるから、その気になれば、画家やイラストレーターとしても相当なものであったと思う。
だから、漫画家で成功するには、絵を描く才能というのは絶対的条件と思う。
その上で、素晴らしいストーリーを創り、あるいは、たとえ原作が別にあったとしても、それを輝かせる創作力が必要であるのだろう。
だが、特に売れっ子作家の場合、ストーリーなどを考える時間、エネルギーも限られているはずなのだ。

そう考えると、思うのであるが、逆に、漫画家が20代で代表作を描くのは、その多忙さゆえではないかという気もするのだ。
もし、その時の彼らに十分な時間があって、お金の心配もなく、余裕を持って描いていたら、おそらく、今残っているような傑作を描くことはなかっただろう。
普通に考えるなら、若い作家の作品の致命的な欠点は、技術的なことよりも、自己主張の稚拙(幼稚で未熟であること)さであると思う。
だから、本当は、特に若い作家は、作品に自己主張を持ち込むべきでない。
ところが、上にも述べた大作家達の若い時の代表作には、むしろ、大いなる自己主張が見られるに違いない。
しかし、それは、彼らの個人的な自己主張ではないのだ。
ここが重要なところだ。
忙し過ぎて、私的な自己主張等などは考えている余裕はなかったはずなのだ。
作品の中にある精神的なものは、一見、彼らの個人としての思想、信念、情感のように見えて、実はそうではない。
多忙のために、普通に言う思考のようなものは飛んでしまっていて、彼らの心の奥深くにあるものが現れているのであり、それは、もはや、個人的な精神とは言えないのだと思う。

小説家の場合であるが、筒井康隆さんには素晴らしい作品が沢山あるのに、『時をかける少女』を代表作のように書かれることがよくあるのは、おそらく本人にとっては不本意であろうと思う。
この作品は、筒井さんにとっては、多分、さほどの思い入れはないのではないかと思うし、おそらく、それほど情熱を込めて書いたものでもないと思う。
しかし、だからこそ傑作になったのだということも、上に述べた漫画家の場合と似ているように思う。
実際、『時をかける少女』は、表面的に見れば、表現的には10代の若者向けに(元々、中学3年生の学習雑誌用に書いたものらしい)簡明に書かれ、ストーリーも比較的単純で、過去にも似たようなものがあると言えるかもしれないが、それでも、恐ろしいほどの傑作であると思う。

プラトンの『ソクラテスの弁明』に書かれているソクラテスの話の通り、いかなる職業であれ、優れた創造的活動は、作者とされる者が行っているのではない。
ソクラテスは、教師として自分が話すこと全てが、自分が考えて言っているのではないことに気付いていた。
自分の教えが自分の個人的なものではないことを知っていたという理由で、彼は自分を知恵者だと言った。
決して、自分の個人としての考え方が優れているから自分は賢いと言ったのではない。
むしろ彼は、自分自身は何も知らないのだと言ったし、それをはっきりと自覚していたのだ。

プラトンがソクラテスの言葉を書き写した、『ソクラテスの弁明』には、創造の偉大な秘密が明かされているのである。
ところで、個人的に制作したものだと思うが、Kindle電子書籍の藤田大雪さんの『ソクラテスの弁明』が非常に良いと思う。わずか150円なので、Kindkeが利用できる方は読んでみられてはと思う。
また、よろしければ、初音ミクがサファイア王女に扮して歌った、『イーハトーヴ交響曲』のアンコール曲『リボンの騎士』をご覧になられたい。









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難しいから面白いというシンプルな真理

何でも、難しいものが面白いのである。
難しければ難しいほど面白い。
こんなことが分からないから、世の中がおかしくなっているのである。
プロ野球やプロサッカーの選手で、年を取っても熱心にやっている人というのは、そのスポーツが大好きであるのは間違いないが、なぜ好きなのかというと、猛烈に面白いからだ。そして、なぜ面白いのかというと、それが難しいということを誰よりもよく知っているからだ。
飛び級できるほど頭の良い生徒は、実際に飛び級させてもらえないと、学校の勉強なんて簡単過ぎて全然面白くない。しかし、なぜか日本の学校は飛び級させてもらえない。
斎藤ウイリアムさんという、事業家で、特に情報セキュリティのスペシャリストである人は、頭も良かった上に英才教育を受けていたから、学校の授業が簡単で面白くなかった。
それで、高校の時、大学の講義を覗いてみたら、十分に難しいから、とても面白くてエイキサイティングだったので、大学の方ばかり行っていた。幸い、大学の単位を高校の単位に組み込める制度があったので、正式に大学の講義を受け、16歳で大学に入った。アメリカだからできたが、日本ではそうはいかなかっただろう。

ところが、多くの日本人は、勉強は難しいから面白くないのだと、ひどい勘違いをしている。
学校の勉強が面白くないのは、教師が勉強の面白さを忘れ、教えることの面白さ(これは難しさでもある)を知る努力をしないからだ。
教師だって、学生の時は、難しい勉強が面白かったに違いないと思う。だから教師になったのだ。
しかし、学問なんて、いったん分かったことは面白くなくなる。
だから、どんどん難しいことを勉強しないといけないのに、それをやらないから、いつか勉強が面白くなくなってしまったのだ。
そして、勉強を教えることはとても難しいのに、それを本気でやらないから、つまり、怠慢さから、自分にとって簡単な教え方をするので、教えることが面白くなく、教わる生徒も、勉強の面白さを感じないのである。
そんな駄目教師が生徒をいじめて自殺させたり、男の教師が女生徒に性的関心を持ったりという、あり得ないはずの愚かなことをやってしまうのだ。

また、学校の勉強が面白くないのは、無理矢理頭に詰め込むようなものが多いからだ。
暗記するだけのことなんて、簡単だから面白くないのだ。
だから、暗記なんかやる気にならず、苦痛なのである。
「簡単暗記法」なんてものを考える教師もいるが、そんなものが面白いはずがないのである。
暗記なんか、決してしてはいけないし、させてはならない。
それは、子供の感性を速やかに破壊し、勉強嫌いにさせる、慙死(ざんし)に値する(恥じて死ぬほどの愚行である)罪であるのだ。
つまり、今の学校や教育界は速やかに消え去ってよろしい。

私がいつも薦めているコンピュータープログラミングを、「私には難しいですから(やりません)」という人がいるが、そう言うのは、やはり学校で馬鹿げた勉強観を持ってしまったからだ。
自分で難しいと言っているのだから、それが面白くないはずがない。
そして、コンピュータープログラミングは、誰がやっても本当は面白いのだ。
ただ、学校でコンピュータプログラミングを学んで、それが嫌いになった人というのは、やはり、教師がコンピュータープログラミングの面白さを伝えることができなかったからだ。
自らどんどん難しいコンピュータープログラミングに挑んでいる教師であれば、また、教える難しさに取り組む教師であれば、生徒もコンピュータープログラミングを面白いと思うはずなのだ。
しかし、自分は、難しいことにチャレンジしない教師に教わるから、生徒は教わることの全てが面白くなくなってしまうのである。

私が特に薦める、マイクロソフトExcelやAccessのVBA言語だって、決して易しくはない。
しかし、時々、「あんなのは簡単だ」と言う者がいるが、その者は、難しいことをやっていないだけだ。
実際、そんな連中は難しいことができず、給料も少ないはずだ。
VBAも含め、プログラミングは、易しいこともできるが、いくらでも難しいことができるのだ。
どんどん難しいことをやるから、面白過ぎてオタクになってしまい、斎藤ウイリアムやビル・ゲイツのようなスーパー・ハッカーになってしまうのである。
ExcelやAccessのVBAは仕事に直接的に役に立つから勧めるのであるが、それは、簡単だがうんざりするような量の仕事を短時間に終らせることができるということなのだ。
だから、それができるようになったら、仕事を難しくしていけば良い。そんな難しい仕事にVBAを適用させるのは難しくて面白いので、仕事もプログラミングも面白くなる。
また、場合によっては、別のプログラミング言語で、もっと難しい仕事に挑めば良い。
決して間違えてはならないのは、今使っているプログラミング言語が簡単だから変えるのではなく、これからやろうとしている難しい仕事に適しているという理由で変えるだけなのである。
プログラミング言語自体に、難しいとか簡単といった差はない。
VBAや、(やはりなぜか人気がない)PHP言語で難しいことができるなら、別に変える必要はない。
私は、VBAででき、これでやるのが最も適している十分に難しい仕事に恵まれているのでVBAを使い続けているのである。
だが、簡単なことばかりやっていると、VBAもPHPも面白くなくなってしまうだろう。

尚、なぜ難しいから面白いのかについては、これも重要なのでまた書くが、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだら分かることである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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