ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ブッダ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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金持ちらしさ、ブッダらしさ、モテ男らしさ

昨日書いたが、引き寄せの最も簡単で最高の奥義は「らしくする」だけである。
「なったフリをする」「なったように振舞う」「なった態度をする」と言っても良い。
さらに言ってみれば「真似をする」ということだ。

だが、誤解し易い点があるので、それについて述べる。
金持ちになるのに、金持ちのフリをしようとして、「金持ちはどんなことをするだろうか?」と考えてしまうと難しくなる。
「金持ちなら高級車を買うだろうなあ」とか、「大金をポンと寄付するだろうなあ」とか思っても、そんなフリをしたり、そんな振る舞いは出来ない。
そうではないのだ。

このことについて、仏教学者のひろさちや氏の『空海入門』にうまく書かれている。
「ブッダ(仏陀。仏。悟りを開いた人。たとえば釈迦)になるにはブッダの真似をすれば良い」のであるが、それはただ「ブッダらしくする」ことである。
ブッダらしく話し、ブッダらしく飯を食い、ブッダらしく糞をする。
何も特別なことをする必要はない。
言うなれば、日常全て「気分はブッダ」である。
そして、ひろさちや氏は、空海はそうやったのでブッダになれたのだと言う。
修行してブッダになったのではない。
いきなりブッダになったのだ。
ブッダらしく飯を食い、やったかどうかは知らないが、ブッダらしくナンパしてね。
だから、遣唐使団の船に乗り、唐(中国)に渡った時も、すでに気分はブッダなので、沈んで当たり前のような当時の船に乗りながらも、
「ブッダが乗った船が沈むわけがないじゃないか」
と超然とし、他の遣唐使達が「着けるだろうか?」と心配する中、「次はインドに行こうかなあ」と悠然としていたのである(あくまでひろさちや氏の想像であるが)。

同じように、金持ちになりたいなら、もう金持ちなのである。
日常全て、金持ちらしくいくのである。
自分が考える金持ちの態度で構わない・・・いや、自分流でないといけない。
金持ちの気分で猫を撫で、金持ちの気分で駅の改札を通り、金持ちの気分で靴を履き、金持ちの気分でコーヒーを飲むのだ。
その中でも大切なことは、金持ちらしい表情をし、金持ちらしいポーズを決めることだ。
くどいが、人が見て金持ちらしいようにするのでは断じてない。
自分がそう感じることが大事なのである。
それはきっと、穏やかな表情であり、さりげないが気品あるポーズに違いない・・・といったように考えるのだ。
そして、最も重要なことは、「金持ちらしい呼吸をする」ことである。
全ての奥義中の奥義はこれである。
美人になるなら美人の呼吸。
総理大臣になるなら総理大臣の呼吸。
美少女の彼氏になるなら美少女の彼氏の呼吸。
一億円当てるなら一億円当てる者の呼吸。
それがどんな呼吸であるかは分かるはずなのだ。
真面目にやればすぐに分かるようになると思う。








いかなるAIもキリストやブッダに敵わない理由

主人が召使いに、入浴の準備を命ずると、良い召使いは、主人の湯加減の好みや外気の温度、時刻、主人の様子、その他の情報を総合し、主人が「良い湯加減」と思う風呂を準備する。
昔のAI(人工知能)の概念では、「いい湯加減で風呂を用意しろ」とAIに言うと、AIは「いい湯加減では分かりません。水温を措定して下さい」と言うようなシロモノだった。
しかし、現在のAIは、根本的には人間と同じことをやる。人間の脳の働きを真似しているからだ。
そして、AIも最初のうちは失敗し、主人が不満を言う湯加減にするところも人間の召使いと同じだ。
だが、AIは様々な情報(主人の好み、時刻、外気の温度、主人の体温や体調、主人の飲食の状況、主人の身体活動の状況、その他)と水温の組み合わせに対する主人の満足度の学習を重ねることで、主人が満足する湯加減で風呂を沸かす確率を高めていく。
まあ、これも人間の召使いがやっていることと同じかもしれないが、AIの性能が進化すれば、そういったことを、人間よりはるかに高度に出来るようになる。
だから、人間の仕事が、どんどんAIに取って代わられるのである。

ところが、キリストやブッダが召使いで、風呂を沸かす場合はどうだろう?
キリストは、風呂を沸かすことを命じられると、「分かりました」と言って、何も見ず、何も考えずに風呂を沸かすが、その湯加減の素晴らしさは、いかなる高度なAIも足元にも及ばない。
そして、キリストは、それほどの能力があるのだから、その気になれば、何をやっても抜群の成果を上げる。
では、キリストは、どのように物事を行うのだろう。
キリストは神と言うかもしれないが、つまるところ、潜在意識に全てまかせ、自分は何もしないのである(何かをやっているように見えるかもしれないが)。
そして、それは我々にも可能だ。
なぜなら、我々は誰でも潜在意識を使うことが出来るのだからだ。
潜在意識は、この先現れる、いかなるAIも比較にならないほど優れている。喩えれば、龍とカマキリ以上の差がある。
で、どうすれば潜在意識を使えるかだが、キリストやブッダのようにやれば良い。
そのために、我々は、聖書の福音書や仏典を読むのだ。
ヒントを言っておけば、キリストやブッダはちっぽけな自我で考えたりはしないのである。
つまり、思考を消し、一切の想念を持たない。
これについては、インドの聖者ラマナ・マハルシも、こう言っている。
「ある高度なビジネスマンは大事業を成し遂げつつある。しかし、彼は何もしていない」
「財務長官は、最大の責任感と注意を持って仕事を行う。しかし、彼は何もしていないのだ」
我々も、思考を消すこと、想念を消すことを学び、実践すれば良いのである。
適した方法は人によって違うこともあり、ここでは、毎日、様々な方法を手を変え品を変え語っているのである。








ブッダの繁栄の法

人間には、小は、家族や友人のグループから、大は、国家や惑星に至る規模のユニット(集団)がある。
そして、
「どんな家族が栄え、どんな家族が衰退するのか?」
「どんな国が栄え、どんな国が衰退するのか?」
ということには、単純な法則がある。
釈迦は、ある小さな国で、「どうすれば繁栄するのか?」を「7つの繁栄の法」として説き、それを守ったその国は大いに繁栄した。
ある強大な国が、その国を攻め滅ぼそうとした時、釈迦は、「7つの繁栄の法を守る国を亡ぼすことは出来ない」と言い、強国は侵略を止めた。釈迦が言うことに間違いがあるはずがないからだ。
「7つの繁栄の法」は、『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』(中村元著。岩波文庫)にあるので、引用する。
次のような国、民族は栄える(企業やその他の団体も同じであると思う)。

(1)しばしば会議を開き、会議には多くの人が集まる。
(2)協同して集合し、協同して行動し、協同して為すべきことをする。
※「協同」は、心と力を合わせての「共同」。
(3)勝手にルールを作らず、決まったルールに従う。
(4)古老を敬い、尊び、崇め、もてなし、傾聴する。
(5)良家の婦人、少女を強奪しない。
(6)先祖を敬い、尊び、崇め、供養する。
(7)尊敬されるべき修行者を歓迎し、保護し、もてなす。

これを聞いた強国の大臣は、「このうちの1つを守っているだけでも、その集団は繁栄し、滅亡はないだろう」と確信を込めて言った。
もちろん、時代に合った解釈も必要だが、現在においても、企業やチームや国が繁栄するか、滅びるかは、この「繁栄の7つの法」で決まる。
逆に言えば、傾く会社、消え去るチーム、衰退する国というのは、「繁栄の7つの法」から外れているのである。
例えば、会社で、権限のある者が、決まっているルールを無視し、勝手なルールを作って、自分が行ったり、幹部や社員に強制すれば、確実に会社は傾く。
徳川家康は、重鎮達との会議では、自分はほとんど発言せず、他の者達が討議するのを大人しく聞いていたという。
功績ある人物を「老いぼれ」「老害」と言って軽んじる企業、政治組織、学術団体は必ず廃れる。

7つ全部は難しくても、1つでも、何があっても厳格に守れば、あなたのチームも繁栄する。
だが、釈迦の時代は、人間には知恵があり、道理を理解する心があった。
だが、時代が進み、物質主義、営利主義の世の中になると、確かに一面では、人間の知識や思考力は増大したが、知恵は失われた。
多くの企業や国は、「繁栄の7つの法」の1つも守っておらず、それに所属する個人も、そんな企業や国の考え方に流され、国は衰え、人々は不幸になり、そして、人間はますます愚かになっていった。
そして、釈迦は、それを予言していた。
そこで、釈迦は、「念仏だけが残る」と言ったのである。
もちろん、直接、「念仏だけが残る」と言ったのではなく、どんなに落ちても、神仏を崇め頼ることを忘れるなと言ったのであり、そのためには、神仏の名を呼ぶ言葉を唱えれば良く、また、愚かな人間には、それしか出来ないだろうと言ったのである。
よって、神仏の名、神仏を褒め称える言葉、神仏の存在を認める言葉を、絶えず唱えることで、宇宙の無限の知恵と力に守られるのである。
このような言葉を真言と言う。
従って、我々は、好きな真言を自主的に選び、自主的に、たゆまず唱えれば、決して不幸にならず、むしろ、嬉しいことばかりになる。
選ぶ真言は、1つでも、2つでも、3つでも、あるいは、それ以上でも構わない。
だが、何を真言とするかは、親、教師、先輩、権威者に強制されてはならない。
家の宗教が何で、宗派が何かは全く関係がない。
自分が、どの真言を唱えているかは、誰にも言う必要はない(親しい人に言うのは構わないが、注意深くすること)。
真言は、声に出さず、心で、静かに、丁寧に唱えなければならない。
そのように真言を唱える者には繁栄があるのみで、滅ぶことはないだろう。








たった1つの掟で破滅を免れ平安を得る

ゴータマ・ブッダ(釈迦)は、ある時、ある国で、滅びを免れる7つの掟を説いた。
その教えを守っていたその国は繁栄し、しかも、無敵であった。
7つを全て守れば、確かに磐石である。
だが、大パリニッバーナ経では、ある強国の大臣が、「その1つでも守れば、繁栄し、滅亡はない」と述べたことが取り上げられている。
この掟は、国から個人まで、あらゆるレベルで、滅亡を遠ざけ、繁栄を呼ぶことは明白と思う。
その「滅びを免れる掟」は、次の通りである。

(1)あらゆる人の言い分に耳を傾ける。
(2)誰かを仲間外れにせず、平等に役割を分担する。
(3)ルールを守る。特定の者が勝手にルールを作らない。
(4)老人を敬い大切にする。
(5)良き女性を貴きものとして守る。
(6)今日の繁栄を祖先の手柄と認め、祖先を敬う。
(7)高貴な人間を敬い、積極的に世話をする。

この1つでも、しっかり守っていれば、悲惨な目に遭うことは決してなく、平安で、喜びある人生を送れる。ただし、1つでも自分の都合で破るなら、転落を始め、やがて奈落に沈む。
それを「破滅を呼ぶ掟」と呼ぶなら、以下の通りである。

(1)気に入った者の意見や、自分に都合の良い意見だけを聞く。
(2)誰かを仲間外れにしたり、不平等な役割を与える。
(3)自分の都合でルールを破ったり、ルールを歪めたり、勝手なルールを強引に作る。
(4)老人を軽んじ、粗雑に扱う。
(5)良き女性の意思を軽んじ、あるいは、騙し、あるいは、安全を脅かす。
(6)祖先の恩ある労苦を忘れ、今日の繁栄を自分の力によるものと思い上がる。
(7)高貴な人間を自分より劣るもののように扱う。

「破滅を免れる掟」は1つをしっかり守れば良いが、「破滅を呼ぶ掟」は、1つでも該当すれば滅びは免れない。
いずれも、生きている間に十分に、その報いがあるが、むしろ、死んでからの方が、楽しい、あるいは、恐ろしいかもしれない。
とはいえ、滅びを免れることは、あまりに簡単なので、特に不安はないと思う。
ところが、滅びを免れない者も、報いを受けるまでは、ほとんど不安を持たないのである。












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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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