「祈り」というものは非常に大切であると説く書物が多くあるのだが、どれを見ても、具体的な祈り方を書いていないし、少しは書いているとしても、どうもピンと来ない。
つまり、どの本も、肝心なところを簡潔に書いてないし、効果的な方法を教えていない。
有名な宗教家の五井昌久氏は、「世界平和の祈り」という祈りを普及させていて、それはそれで(と言っては失礼かもしれないが)良いとしても、祈りそのものの本質が分からない。
だが、アメリカの啓蒙思想家で画家のフローレンス・スコーヴェル・シンの著作『人生を豊かにする法則(原題:The Game of Life: And How to Play It)』を見て、やっと分かった。
この本の中に、太字でこう書いてある。
「祈りというのは命令であり要求であり、賛美であり感謝を捧げること」
この、「祈りは命令」が、胸にズンと来て腑に落ちた。納得出来たのだ。
(この本の)その少し前に、「主の祈り」は、命令形の形になっていて、要求の形を取っていると述べ、「主の祈り」を引用している。
即ち、
「私たちの日ごとの糧を今日も与えたまえ」
で、これはもう、見事な命令形だ。
祈りとは命令なのだ。
聖書には、こう書いてあるらしい。
「私の手になるわざについて、あなたが私に命じるのです」
祈りが命令であると、誰も教えてくれなかった。
誰も、そのことを明確に知らず、知らないまま、祈りの本を書いているのだ。
フローレンス・シンは、自分の、ある生徒のことを褒めている。
彼はこう言ったようだ。
「俺は、天の父に何かを求めるなら、断固としてこう言うんだ。父よ、俺は求めた以下のものは決して受け入れん。それ以上でなくては」
多くの人は、「お祈り」と言ったら、普段、謙虚でもないくせに、
「神様、受験に合格出来ますように」
「あの子が、僕の彼女になりますように」
など、控え目で曖昧な「お願い」をする。
しかし、謙虚なフリをしたって駄目なのだ。
堂々たる命令形であることが必要なのである。
上のことを言い直すなら、
「受験に合格させたまえ」
「彼女を僕に与えたまえ」
となる。
ただし、人間の狭い思考にこだわってもいけない。
どの学校に入るのが一番良いかとか、どんな人が自分の彼女に相応しいかは、自分ではなかなか分からない。
そこらは、高い知性に任せてしまうのが良い。
それなら、
「私に相応しい学校に入らせたまえ」
「私にぴったりの彼女を与えたまえ」
といった感じになるだろう。
では、祈った後はどうするか?
それはこうだ。
「さらに神はまた、ただじっと立ち、待つ者のみに与える」
である。
実際に戦うのは神だ。無能なあなたが出しゃばっても、邪魔なだけだ。
神に出来ないことはない。安心してまかせることだ。
そして、諦めたり、妥協したくなるのをぐっと耐える者の祈りが叶えられるのである。
尚、この本は、3冊も翻訳があり、そのような引き寄せ書は珍しく、なかなか名著であると思う。
つまり、どの本も、肝心なところを簡潔に書いてないし、効果的な方法を教えていない。
有名な宗教家の五井昌久氏は、「世界平和の祈り」という祈りを普及させていて、それはそれで(と言っては失礼かもしれないが)良いとしても、祈りそのものの本質が分からない。
だが、アメリカの啓蒙思想家で画家のフローレンス・スコーヴェル・シンの著作『人生を豊かにする法則(原題:The Game of Life: And How to Play It)』を見て、やっと分かった。
この本の中に、太字でこう書いてある。
「祈りというのは命令であり要求であり、賛美であり感謝を捧げること」
この、「祈りは命令」が、胸にズンと来て腑に落ちた。納得出来たのだ。
(この本の)その少し前に、「主の祈り」は、命令形の形になっていて、要求の形を取っていると述べ、「主の祈り」を引用している。
即ち、
「私たちの日ごとの糧を今日も与えたまえ」
で、これはもう、見事な命令形だ。
祈りとは命令なのだ。
聖書には、こう書いてあるらしい。
「私の手になるわざについて、あなたが私に命じるのです」
祈りが命令であると、誰も教えてくれなかった。
誰も、そのことを明確に知らず、知らないまま、祈りの本を書いているのだ。
フローレンス・シンは、自分の、ある生徒のことを褒めている。
彼はこう言ったようだ。
「俺は、天の父に何かを求めるなら、断固としてこう言うんだ。父よ、俺は求めた以下のものは決して受け入れん。それ以上でなくては」
多くの人は、「お祈り」と言ったら、普段、謙虚でもないくせに、
「神様、受験に合格出来ますように」
「あの子が、僕の彼女になりますように」
など、控え目で曖昧な「お願い」をする。
しかし、謙虚なフリをしたって駄目なのだ。
堂々たる命令形であることが必要なのである。
上のことを言い直すなら、
「受験に合格させたまえ」
「彼女を僕に与えたまえ」
となる。
ただし、人間の狭い思考にこだわってもいけない。
どの学校に入るのが一番良いかとか、どんな人が自分の彼女に相応しいかは、自分ではなかなか分からない。
そこらは、高い知性に任せてしまうのが良い。
それなら、
「私に相応しい学校に入らせたまえ」
「私にぴったりの彼女を与えたまえ」
といった感じになるだろう。
では、祈った後はどうするか?
それはこうだ。
「さらに神はまた、ただじっと立ち、待つ者のみに与える」
である。
実際に戦うのは神だ。無能なあなたが出しゃばっても、邪魔なだけだ。
神に出来ないことはない。安心してまかせることだ。
そして、諦めたり、妥協したくなるのをぐっと耐える者の祈りが叶えられるのである。
尚、この本は、3冊も翻訳があり、そのような引き寄せ書は珍しく、なかなか名著であると思う。

