世界三大珍味と言われるフォアグラは、ガチョウやアヒルに過剰なエサを与えて肥大化させた肝臓であるらしい。
ガチョウ達は、殺されて肝臓を抜かれるまで、苦しみ悶えるのだ。
いや、フォアグラだけではない。
脂の乗った美味しい牛肉なんてのは、牛を狭い建物の中に詰め込み、ほとんど運動をさせないことで脂肪を付けるのだと聞いたことがある。
そんなものを、人々は喜んで食べているのである。
また、チョコレートは、貧困な家の子供達が買われ、長時間の辛く危険な労働を強いられて獲られたカカオによって作られている。
子供達は重くて鋭利な刃物を使わされ、誤って指を切断しても、病院どころか、休ませてももらえないそうだ。

それなら、私は食牛や、フォアグラのためのガチョウになろう。
そんなインスピレーションが昨日、浮かんだのだ。
我々は、高度な宇宙生命体のエサとして飼われていて、苦しみを耐えることで、美味しい魂を生成する。
そう考えると、この世の一切に説明がつくことに気付いたのだ。
そもそも、イエスは、我々を幸せにしようとはしなかった。
いつだって、苦しむことを求めた。
彼は、神という高次の生命体から派遣された、特別な人間だった。
「この世では幸せにしてあげることはできない。だが、あの世で幸せにしてやろう」
と言って、我々に苦しみを受け入れさせ、苦しみに耐えさせた。
そうして、彼の主である、父なる神のために、美味しい魂を沢山作ったのである。

古代ローマで栄えた古い宗教であるミトラ教の神ミトラスは、後に弥勒菩薩となったと言われるが、ミトラスは牛を殺す者として知られている。
その牛は、我々人間であろう。

我々は、どうあがこうと、神に少しも逆らうことはできない。
また、美味しい食物になる限り、神は我々に無駄なことはしない。
つまり、個々の者の持つ精神力を超えた苦しみは与えられない。
だから、イエスの教えは、確かに救いでもあるのだ。
ならば、せいぜいが美味しい肉牛になって、神に召し上がっていただくことを目指すしかない。
そう思えば、引きこもり気質も、アレルギーも、慢性の皮膚病も有り難いものである。
それが我々を美味しいエサにし、それ以上の苦しみは必要なく、意外に平和なのだ。
スティーヴン・ホーキングも言ったのだ。
「身体が動かない病気になったが、それ以外は概ね幸福だった」

また、苦行もしようと思う。
色欲も断とう。
仏教には、生・老・病・死の四つの苦と共に、会いたい人に会えない「愛別離苦(あいべつりく)」、会いたくない人に会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない「求不得苦(ぐふとっく)」、肉体と精神が思うようにならない五蘊盛苦(ごうんじょうく)という四苦があり、合わせて8つの苦しみが人間の定めと言われる。
ならばその8つの苦を受け入れよう。
だが、それらがあまりひどくならないよう、食を慎み、性を慎み、呼吸を慎み、身口意を慎むのである。
これらが、宗教や賢者の教えと妙に符合するのである。









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